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22.お片付けしなさい
わたしは、知り合いや子どものお友達のお宅へうかがうと、いつも思う。
「ああ、何て家の中が片付いているのだろう。こんなに片付いていると居心地がいいな。ずーっとここに住みたいな」
忘れもしない、あれは長男が幼稚園の年中だったころ、同じバス停の1年上の女の子がうちに遊びに来た。その子は玄関から廊下に入るなりこう言った。
「このうちってキタナイね!」
たしかに玄関にも廊下にもモノがごちゃごちゃ置いてあるし、お世辞にも片付いているとは言えない。それだけで十分、耳と心が痛かったのだが、彼女はさらに洗面所やリビング、台所などを見て、
「わあ〜、ここもキタナイ、ここもここもキタナイ、ぜ〜んぶキタナイ!」
容赦なくトドメをさした。
彼女は意地悪ではない。ただただ正直だったのである。
その話を聞いた他のお友達のお母さんは、「仕方ないわよ、まだ小さい男の子が3人もいるんだもの。片付かないって」と言ってくれた。決して「そんなことはないよ、片付いてるよ」とは言わなかったところに信憑性がある。しかし、小さい男の子が3人いると、いないよりは確かに散らかるだろうけれど、よその三兄弟のお宅はうちほどにはひどくない。散らかっているのは、主に子どもが出したオモチャや本などで、それらは遊び終わったら所定の位置に納まるようになっている。もちろんわが家もそうしているつもりである。なのに相変わらず「片付かない」のは何ゆえであろうか。
考えてみると、まずモノが多すぎると思う。いくら家族が多いとはいえ、不必要にモノが多い。本当に使っているモノはそのうちの3割りくらいだろう。使っていないモノは整理して、きちんとしまうなどすればいいのだ。わかっているのに、なぜかいつも納戸にはスキマなくぎっしりモノがつまっていて、もう入らないし、押入れにはポリボックスや行李が押し込んであって布団すら入らない。行き場のない雛人形の箱などが廊下をふさぎ、服はあふれてタンスの上などに積み重なっている。どれをどうすればいいのかよくわからない。たまに「これではいかん。何か整理しなければ」と、台所の隅に置いてある紙袋だの、リビングにどっさりたまってる古新聞なんかを整理してみるのだが、それぐらいではあんまり変わったように見えないのである。
加えて夫はモノを捨てないタイプらしい。どういうわけだか、つかなくなった100円ライターだの空のペットボトルだのが部屋の床に置いてある。そういうあきらかにゴミなのは、誰でも捨てられるからいいが、仕事関係の書類や郵便物などは始末が悪い。わが家はふたりとも会社勤めではないので、仕事に使うモノもすべて家に置いてあるのだ。どれが要るモノでどれが要らないモノなのかは本人にしかわからない。万一、捨ててから「あれ、どこ行った?」などと言われたら困る。だからお互いに仕事のモノには手をつけない。そうして、お互いに自分のことは棚に上げて、「この部屋、片付ければいいのに」と思っているのである。
そう、わたし達は、「お片付け」がとっても下手な夫婦なのだ。これほど自慢にならないことがあるだろうか。
この今ひとつ片付いてない家にいて、我慢ができないのは、同居しているわたしの父である。自室は父の自治区であるから、好きに整理したり掃除したりできる。だが気の毒なことに、管轄外の他の部分も使わないことには生活が成り立たない。普段は見て見ぬフリをしているらしいが、限界を超えると「なんじゃ、これは!なんで片付けないんだ!」となる。わたしばかりでなく、父は夫にも怒る。夫婦でいい歳して小学生のころと同じ理由で叱られているのだ。情けなし。
それなのに一向にきれいにならないし、子どもには「お片付けしなさい」なんて言っているのだから、あきれたものである。
しかし夫は外面がいいせいか、実態をよく知らない方には、「先生のお宅はきちんとしているはず」と思われがちである。わたしもつきあい始めたころは、そうなのかなあと思っていた。果たして家へ行ってみると、長年、弟とふたり暮らしの男所帯なので、雑然とはしているものの、目立って散らかっているということもなく「普通」であった。ところがある日、アポなしで訪ねてみると、玄関脇のいつも閉まっていた部屋のドアが開いていて、そこから大量の本だか楽譜だかが雪崩のように流れ出しているではないか。足の踏み場もない。リビングに行けば床の上にはスーパーの袋や空き袋が落ちているし、前に来たときとは様子がちがう。「普通」は、かなりよそ行きの、いい状態だったのだ。
そのころに比べたら、今はまだマシである。夫が何と言おうとそうなのだ。きっとほんの少しずつでも、向上しているに違いない。よーし、がんばるぞ!とりあえずたまった古雑誌を捨てよう!
…あんまり変わらないなあ。(2004.2.27)
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