
| 27.迷走 7月のある日、わたしと三人の息子は自動車に乗り込んで出発した。この春、隣のマンションから、6駅離れた谷塚に引っ越ししたMちゃん宅へ遊びに行くためである。何と、下手で有名なわたしの運転で行くのである。太郎は後部席に乗り込むとき「お母さん、大丈夫?」と聞いた。「大丈夫!早く乗って」FAXでくわしい地図を送ってもらったし、夫にネットで地図を出してもらい交差点の名前も調べてもらったし、準備は完璧だ。以前、同じようにFAXでの地図を頼りに2駅離れた友人宅へ行ったことのあるわたしは、自信満々だった。 午前10時40分出発。多分30分か40分で着くだろう。お昼をごちそうしてもらう約束なのだ。 自宅前の道を直進、4号バイパスへ突き当たり左折、まっすぐ東京方面へ進む。外環自動車道を超えて、さらにまっすぐ。意外と車が多い。やがて「西町」の交差点に来た。夫からの指令によると、ここを過ぎたあたりで右折準備のため右車線に変更しろという。よーし、車線変更だ。変更するぞ、するぞ。…ま、次の交差点までにしよう。みんな急いでるみたいだから。 次の交差点も過ぎた。この次の「谷塚仲町」の交差点で右折しなければ目的地へ着かない。早くしなければ。ええと、ええと、、、あッ、右折レーンだ!「谷塚仲町」の交差点だ! 「ギャ〜、通り過ぎちゃったあ〜〜〜」 わたしは確かに車線変更したのだが、目指す交差点がすでに後方にあったのは遺憾である。 どうしようと言っても、自転車と違って停まるわけにはいかない。仕方なく流れに乗って4号をひた走る。どこかで左折しようと左車線にもどったが、不慣れなためどこで曲がったらいいか困っているうちに、4号バイパスは、何と高架になってしまった。 「お母さん、どこ行くの?」 「…わかりません」 下りたら足立区だった。しかも渋滞している。やっと交差点に出て、そこを何とか右折する。地図によると、目的の家は川沿いだ。まっすぐ行って川に突き当たったらそれに沿って行けばいいのではないだろうか。そのときのわたしには、川が曲がっていることも、そこに行くまっすぐな道などないことも知る由もなかった。 とにかく、わが家の愛車は文句も言わず走った。どんどん走った。多分こっちだろうという曖昧な勘にもとづいて走った。 そして、迷子になった。 仕方がないから、とりあえずドラッグストアとファミレスの間の駐車場に停める。人間、必死になれば苦手な駐車もできるものである。見回すと、「伊興4丁目」と書いてある。そうか、ここは「伊興」というのか。何と読むのだろうか。それすらわからない。 なにしろ到着予定時間はとっくに過ぎている。Mちゃんのおうちでは心配しているだろう。電話を入れ、状況説明をして、道を教えてもらわなくては。忘れていたが、前に行った友人宅は、通っていた教習所の近くで、よく通ったところだったのだ。だから迷いようがなかったのだった。わたしは携帯を持っていないので、店に入って電話をかけることにする。 ところが!ドラッグストアにもファミレスにも公衆電話がないという。携帯普及の悪影響が出たいい例である。「お腹空いたからここで何か食べよう」という息子達をひっぺがしてドラッグストアへ引き返し、道を聞く。店員さんは親切で、地図を持ってきてくれて、現在地とバイパスへの戻り方を教えてくれた。ついでに携帯を借りてMちゃんちに連絡を入れる。伊興4丁目のドラッグストアの店員さん、その節はお世話になりました。 どこをどう走ったものか、バイパスまではけっこう遠く、駅の向こうだった。途中で踏切も超えた。後ろでは子ども達が「あ〜あ、Mちゃんち行きたかったなあ」などと言っている。行ってるのだ、今。 ふと長男が思いついたように、 「ねえ、お母さん、世の中には道をまちがえるバカな人がいるんだってね」 「いる。お母さんだ」 「ふ〜ん、お母さんてバカなんじゃない?」 その通り。でもおかげで運転はうまくなったみたいだ。うまくなったというより、越谷の自宅周辺しか走ってないわたしが、都内の駅周辺で、よくぶつからずに走ってると思う。やればできるじゃない。もしかしたら周りが避けてくれてるのかも知れないけど。 やっとバイパスに戻ってきた。これを左折して、「谷塚仲町」の交差点まで行けばよい。ところが、またしても直進して通り過ぎてしまう。路地を一周してバイパスに戻る。 12時20分、Mちゃん宅に着く。 お待たせ。いっぱい遊んでね。(2004.7.28) 28.弁当 このところ、旦那に弁当をつくっている。次男の幼稚園も弁当なので、おかずはほぼ同じものをふたつ並べてつくる。今までは、頼まれたときか気が向いたときにしかつくってなかったが、連日忙しく朝から夜まで仕事に追われていて、食事を取る手間と時間があまりないと言うので、弁当を持参させることにしたのだ。 世の中には、毎朝5時に起き、旦那の弁当をつくっている奥さんもいるのである。そういう筋金入りの奥さんの弁当にくらべたら、幼稚園弁当に毛の生えたようなものだ。そもそも、その幼稚園弁当にしてからが、所要時間5分、冷凍食品大活躍のチンチン弁当なのである。そう自慢になる代物ではないが、詰め方を工夫して豪華そうに見せたりしているためか、旦那も次男も喜んで食べている。 女の子のお母さんによると、おかずに注文をつけたり、彩りを気にしたり、いろいろうるさいらしい。男はその点、大人も子どもも量さえ足りていればあまりうるさくない。弁当というだけで、幸せな気持ちになるらしい。基本的に男は「弁当」とか「おにぎり」とか「みそ汁定食」とか、お袋の味系統が好きなのだ。今現在独身で、これからいい男を釣り上げようという女性は、よーく覚えておいてくださいネ。 かくいうわたしも、結婚前に、弁当持参で今の旦那と出かけたことがあった。今よりは不慣れだったので、拙い出来ではあったけれど、料理はいつも母任せだったわたしにしてはがんばったと思う。うちの旦那は、もちろん大変喜び、おかげでこうして子どもが3人も出来たわけだが、そのときの弁当には欠点がひとつあった。 箸がなかったのだ。どうやってその弁当を食べたのか、覚えていないのだが、わたしはいまだによく箸を入れ忘れる。箸もセットになっている弁当箱のときは大丈夫だけど、タッパーや使い捨て容器の場合が危ない。おかずによっては、どうにもならなくて、旦那は時々コンビニで割り箸を買う。残った割り箸を持って帰るので、家には割り箸がたくさんある。そうだ、いざというときのために、いつも割り箸を持ち歩くというのはどうだろうか。 さて、これからも続くであろう弁当づくりであるが、わたし自身は、高校・専門学校と母の手づくり弁当を持参していた。母は、わたしが就職してからも、時々つくってくれていた。それを見て父は「いい年した娘に弁当なんかつくってやらなくていい。要るなら自分でつくらせろ」と言っていた。まったくその通り。しかし母はこう言うのだ。 「いいや、わたしがつくってやりたいからつくってるんです」 自分が弁当をつくる立場になってみると、母の気持ちがよくわかる。空の弁当箱が返ってきて、喜んで食べたのだということがわかると、こちらもうれしい。明日はどんなおかずにしようかな、と考える。わたしは弁当づくりがそう嫌いではないし、慣れてしまえばそう面倒でもない。子どもたちが大きくなっても、ずっとつくってやりたいと思う。 しかし、いまや幼稚園でさえ給食の場合がほとんどだ。長男のころには週4日弁当持参だった幼稚園が、次男の代になったら週3日は給食でもいいということになった。時代の流れには逆らえないのであろうか。近所で話を聞くと「あそこは給食じゃなくてお弁当だから」という理由で入園を控える傾向が強い。中には仕事を持っているお母さんもいれば、料理が苦手なお母さんもいるであろう。でも、小学校に入ったらみんな給食を食べることになっている。小さな小さなお弁当をつくってあげられるのは幼稚園のころだけなのだ。お母さんの味で、子どもの好きなものをいっぱい入れた、世界にひとつしかないお弁当。子どもは、きっと覚えている。表面的には忘れても、もっと奥の方で、お母さんのお弁当のことを覚えているはずだ。 そうそう、旦那がわたしにつくってくれたこともあったなあ。何かいろいろ書いてたっけ。興味がありましたらこちらへ。(2004.9.14) |