ノブコです!
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ちょっとおもろい、つれづれ話

36.携帯電話

 わたしは携帯電話を持っていない。数年前まで独身時代に10円で買ったPHSを持っていたのだが、毎月100円ほどの通話料しか使わず、基本料金ばかりかかるのでやめたのだった。

 携帯という「便利」なものがなくなって、何か不便になったかというと、日常生活にはまったくない。もともと月に2〜3回しか使ってなかったのだから、当たり前である。主婦であるわたしは、一日の大半、自宅にいる。たまに出かけるにしても、スーパーや学校などで、そう遠くへは行かない。仕事も家でやるから、連絡は自宅の電話で充分だ。

 そういうわけで携帯を持たずに数年が過ぎた。その間に、世の中はますます携帯天国になってしまった。どうも行政も「日本国民はみな携帯を持っている」と思っているらしく、街から公衆電話は消えていく一方である。いくらめったに遠出はしない生活でも、出先から家に電話をかけたいときもある。なのに今や公衆電話は駅やコンビニでもなかったりする。車で迷子になり、電話をかけたいがかけられなくて苦労したこともある。(つれづれ27-迷走 を参照)

 いったい国民の何パーセントが携帯を持っている、あるいは持っていないのか、誰か正確に数えた人がいるだろうか。いないと思う。携帯が何万売れたとか、契約数が何万あるとかそういうデータしかない。たしかに街を歩けば、あちこちで携帯を手にした人を見かける。何だかみんな持っているような気がするけれども、お年寄りや小さい子どもには普及していないし、わたしのように必要がなくて持たない人間もやっぱりいるのである。

 だけど、世の中を動かしているのは、携帯を持って仕事をバリバリこなしている人たちだ。彼らの世界では、携帯の普及率は100%なのであろう。持っていないなんて考えられないにちがいない。まったく想像力の欠如も甚だしい。「公衆電話がなかったら、携帯を持っていない人が電話をかけるときに困るんじゃないか」とは考えられないのか。今の日本は携帯会社くらいしかもうかりそうなところはないので、国をあげて応援しているのだろうか。そうじゃないというなら、なぜそう携帯を普及させたがるのだ。

 山で遭難した人が、携帯がつながったために助かったという話もあるが、携帯があるからと安易に登山をする人が増えたという話もある。交通法で規制されていても、あいかわらず運転しながら携帯を使っている人は減らないし、電車の中では携帯でメールどころかゲームで遊んでいる人がたくさんいて、周りのことなどおかまいなし。まあ、もしかしたらわたしも崖から落ちたりして誰かに助けてもらいたいとき、「携帯を持っていればよかった」と後悔する日が来るかもしれないが、その日のために毎月基本料金を払うつもりはない。

 わたしが携帯を持っていないからといって、公衆電話はもう増えてくれないだろう。これからも携帯を使う人は増え続けるだろう。うちの子ども達も、何年かしたら欲しがるにちがいない。そのとき何と返事をしたものか、今のところいい考えは浮かばない。わが家は「テレビゲームは脳を破壊する」と嫌って、子どもに買い与えない方針である。わたしから見ると、今の携帯はテレビゲームとあまり変わらない。電話なら電話らしく話ができればそれでいいのに、メールにネットにゲームにショッピングと余計な機能が多すぎるし、ボタンを押すと画面が光って電子音が鳴るところなんかオモチャとしか思えない。

 通話しか出来なくて、光らなくて着メロも鳴らない携帯だったら持ってもいい、と言ったら、うちの子ども達は納得するかな。はじめはよくても、友達に「ダサイ携帯」などと言われて嫌がるかも知れない。そうすると、どんどん新しくて派手な携帯が欲しくなっていくだろう。次々に出る新機種を追いかけるようになってしまう。それぐらいなら、いっそ持ってない方が恰好いいと母は思うが、はたして子どもはどう思うか。

 携帯は、たまに、あると便利かなと思うだけで、わたしはどうも嫌いなのである。どこが一番嫌いかというと「みんなが持っている」とみんなが思っているところ。これってただのあまのじゃくかしら、という気もするが、今のところ持つつもりはない。そのうち、新機能付きの携帯にストラップをジャラジャラつけた息子に「まったく、いくら教えても携帯ひとつ使えないんだから! 年寄りはやだねえ」と言われるだろうな。通話料金は自分で払ってよね。(2005.4.28)


37.ハンバーガー

 わが家の子ども達は某全国チェーンのハンバーガーが好きだ。特に長男は、チーズバーガー、それもダブルチーズバーガーを食べさせてもらえるとなったら、躍り上がって喜ぶ。さらに、オモチャのオマケ付きだったりすると、彼にとっては世界で最高の豪華メニューなのである。

 思えば、わたしが子どものころもハンバーガー屋に行きたくて仕方がなかった。某全国チェーンが日本に第一号店を開いたのが1971年だそうだ。わたしが小学生の当時は今ほどあちこちにあるわけではなかったし、両親はハンバーガーなど食べないから、わざわざハンバーガー屋に行くことはなかったのである。わたしがあこがれのハンバーガーチェーンに行けるのは、ごくごくたまに母親と隣町までショッピングに出かけたときだけだったのだ。もっとも、そのころハンバーガーは嫌いだったので、フライドポテトばかり食べていたが。

 中学生くらいからファーストフードはもっと身近になり、友達とおやつに買って食べたりするようになった。高校生以上になると、もう、何かというとハンバーガー。大人になってもやっぱりハンバーガー。妊娠中などいくら食べてもお腹が空いたので、おやつやデザートにハンバーガーを食べていた。それほど遠い昔の話ではないのに、今では年に数回しか食べない。子どもは食べたがるのだが、食べさせたくもないし、自分もあまり食べたいと思わない。なぜか。

 親として子どもに食べさせたくない大きな理由はふたつ。

 まず、肉や脂が多くてカロリーが高く、ビタミンやミネラルが豊富とは言いがたい。塩分の多さや添加物なども気になる。たまに軽食やおやつとして食べるのならともかく、毎日口にするようなメニューではない。本場アメリカでは、ハンバーガーばかり食べたおかげで極端なデブになってしまったとハンバーガー屋を訴えた人もいるというが、さすがに日本では毎日三食ハンバーガーを食べるという人はいないみたいだ。だが、平日でもハンバーガー屋には小さい子どもを連れた若いお母さんがたくさん。この子達が毎日この食事でないことを祈る。

 ふたつ目は、値段。たしかに普通のハンバーガーを1個買うだけなら大した出費にはならない。だけど子どもはジュースを飲みたがるし、ポテトも食べたがる。で、どうせならオマケ付きのセットにするかとなる。一人っ子だったらそれでもまだ許せるが、わが家の場合、×3にしなければならない。これは痛い。自分もコーヒーくらい飲みたいし、中にはデザートも食べたいなどと言い出す子どももいて、結局ヒラヒラと紙のお金が飛んでいってしまうのである。そこまで出すのだったら、普通の料理屋に行けばよかったと思うことも少なくない。

 ところが、子どもを連れて出かけて食事をしなければならないとき、ついついハンバーガー屋を選んでしまいがちなのである。ハンバーガー屋は待たなくていいし、紙に包んだままかぶりつけばいいし、こぼしたものはナプキンで拭いておけばいいし、ゴミはまとめて捨てればいいし、楽だからだ。普通の料理屋に入ったときの、椅子とテーブルについて、料理を待っている時間の長いことといったらない。大人だけなら何ともない時間だが、少しもじっとしていない子どもを相手に、立ち上がらないよう、大声を出さないよう注意し、飽きないよう話しかけ、水のコップを倒さないよう真ん中に置かなければならない。食事が来たら来たで、こぼさないよう注意し、…と店を出るまで気が抜けないのである。

 こうして子どもの頃からハンバーガー屋に慣れ親しんで育った青少年達がファーストフード好きになるのは当たり前のことなのだ。夫は、子どもの頃よくトンカツ屋に連れて行ってもらったおかげか、今でもトンカツが好きである。昔行った店の味が懐かしくて、たまに食べに行きたくなるという。それが某全国チェーンのハンバーガーではいかんのではないだろうか。アメリカに行ったとき、ホテルやレストランの食事のあまりのまずさに閉口して、某全国チェーンのハンバーガーを買い求めると、日本とほぼ同じ味だった。あのときは助かったが、要するにどこで食べても同じなのだ。食べ散らかしたカップや紙をグチャッと捨てる行儀の悪さも同じである。

 以上が子どもに食べさせたくない理由だ。で、自分が食べたくない理由はというと、ただ「脂っこいから」の一点。妊娠中はあれほど美味しいと感じていたハンバーガーの肉やフライドポテトが、三男を産んでしばらくしたころから、どうも脂が多くて胸焼けがするようになってしまった。味は同じだし、食べれば食べられるのだが、後がいけない。胃腸薬のお世話になるハメになる。うどんかお茶漬けにしとけばよかったなあと後悔するのだ。ファーストフードにチャイルドメニューはあってもシニアメニューがないわけである。情けない気もするけど仕方がない。

 子ども達よ、そういうわけだから、ハンバーガー屋は行かないよ。お腹いっぱいハンバーガーが食べたかったら、大人になって自分で稼げるようになってから食べなさい。(2005.5.30)

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