4.ちょっぽさん
三男は間もなく2歳の誕生日をむかえる。早いものだ。ついこの前、新生児だったような気がするのに、いつの間に成長したのだろう。子どもも3人目となると、気がついたら大きくなっている。
1歳半を過ぎた頃からコトバらしきものを話すようになった。「言葉」と漢字で書くほどではない、コトバだ。文字で表すと「□◎♂ヲ…┿├☆〇;、▽マ」こんな風だろうか。産みの母でもさっぱりである。それを、本人は大まじめで、身振り手振りで話しかけてくる。黙っていると、いつまでもしゃべっている。他に返事のしようがないので「ああ、そうなのお。よかったねえッ」と大げさに答えると、大変満足そうに微笑んで去って行く。機嫌良く遊んでいるときなど、この「□◎♂ヲ…┿├☆〇;、▽マ」に何となく節がついている。鼻歌を歌っているらしい。大したものである。
内容はさっぱりだが、だんだん発達して、ところどころ、なけなしの「言葉」が混ざるようになってきた。「わーわー(ワンワン)」とか「バイバイ」「オイシイね」「あんぱーまー(アンパンマン)」など。もう少しすると受け答えができるようになり、人間らしくなってくるのだろう。だが、今のところ、三男は、幼い人間というよりは、犬や猫と同類の、こういう種類の生き物のように見える。
わが家に同居しているわたしの父は、この、人間以前の時期の子どもが好きだ。無邪気で無心、理性より本能に基づいて行動する。
「こいつといると、心が洗われる」と言って、目の中に入れても痛くないほどの溺愛ぶりである。当然ながら三男の方も「じじ」「じじ」と呼んでなついている。なつかれるとますます可愛い。というわけで、今、祖父の愛情は三男が独占している。
ちょっと前、三男が本当に赤ん坊だった頃はそうではなかった。祖父の愛は、次男に集中していた。どこかとぼけた味のある次男は大のお気に入りで、
「じぃじの“ちょっぽさん”だもんなあ」
と目を細めていたものだ。“ちょっぽさん”というのは、お国言葉で「たくさんの子どもの中で、一番のごひいきさん」という意味だという。
ところが、月日は流れ、“ちょっぽさん”は生意気になり、気に入らないと憎まれ口をたたくようになってきた。せっかくおやつをやっても「これじゃない」とか「もっとちょうだいよう」などと言う。もう、ビスケット一枚をもらってうれしそうによだれを垂らしていた次男ではないのだ。父はちょっと悲しかったと思う。
しかし、それと入れ替わるようにして、泣くか飲むか寝るかしかなかった三男が、這うようになり、立ち上がり、よちよちと歩くようになった。赤ちゃん時代は、父の言い回しによると「虫みたいなもん」に思えるらしい。どう扱っていいかわからないのだ。
「大きくなったなあ。ついこの前まで虫みたいなもんだったのになあ」
と感心するくらいになると、もはや“ちょっぽさん”の世代交代の時期である。
まだ小さい三男は、兄たちが母とお遊び会に行ったり、幼稚園の行事に行ったりするときに置いていかれることが多い。みんなが身支度をしているのを見て、自分も上着をかぶったり、靴を持ったり、やることをやるのだが、なぜか「じじ」の部屋に押し込まれてバタンとドアを閉められてしまうのだ。もちろん三男は怒り、泣きわめく。すると「じじ」は買い置きのお菓子の中からビスケットを出してやる。三男は泣くのをやめて、小さい手でビスケットをつまんで口に入れる。「オイシイは?」と聞かれて、三男は涙と鼻水だらけの顔で「じじ」を見る。それが、いつものふたりの儀式なのだ。
たまに一日、どちらかが外出して顔を合わさないことがある。帰ってくると、父は喜びをかくさず、
「ちょっぽさんに会えんと寂しいもんなあ」
とビスケットをやったりする。3人目ができたと報告したとき「3人も生んでどうするんだ」と言った同じ人とは思えない、いいじじバカぶりである。
ところで、“ちょっぽさん”の座を追われた次男は、何と呼ばれているかというと、
「“わっかもん”」
と言われている。
“わっかもん”とはお国言葉で「ひょうきん者」とか「おとぼけ者」とかの意味だという。
この座を次男が追われることはないだろう。(2003.4.27)
5.お父さんは指揮者
この「3匹ものがたり」に「おやじのココロ」というコーナーができた。読んで字のごとく3匹の父=わが夫が子育てについて書いたコラムである。開設当初は、夫が子育てについて書くなどとは、まったく予定に入っていなかったので、「3匹ものがたり」も、ノブコの方のページから開くようにつくってあった。メインは仕事のページであって、子育ての話は趣味でつくった「おまけ」だったのだ。ところが、フタを開けてみれば、太郎くんの絵がいいとか、続きが楽しみ、というメールやお言葉をいただき、意外や「3匹ものがたり」が好評。夫の方はというと、仕事ばっかりでつまらない、などと言われる始末。何!?そこまで言われるならと、その気になったようで、「おやじのココロ」が誕生したのであった。
世の中にお母さんが子育てについて書いた文章はあふれるほどあるが、お父さんのそれというのは、さほど多くない。日本のお父さんは、まだまだ語るほどには子育てに参加していないのだろう。「おやじのココロ」はなかなか貴重な存在なのだと思う。ぜひ続いてほしいものである。禁煙も。
さて、夫は近所でも評判の子煩悩なお父さんだ。本人も書いているように、平日の昼間、ひとりで子どもを公園に連れて行く。お父さんが珍しいのか、子どもが寄ってきたりすると、よその子でも遊んでやる。お母さんたちとも立ち話する。もしかすると、わたしよりも公園では有名かも知れない。ちょっと普通のお父さんにはマネできないのではないだろうか。
しかし、普通、すなわち一般的なお父さんというのは、平日の昼間に子どもと遊ぶことは、したくてもできないのである。会社に行っているのだから。夫が平日の昼間、公園に行けるのは、自由業であるからだ。自由業と一口に言っても数々あれど、音楽家・指揮者というのは、ことさら一般的ではないと思われる。仕事にでかけるスタイルも時間帯も、会社員のお父さんとはものすごく違う。
@まず仕事にでかけるのに背広は着ない。(ほとんど軽装、出先で着替えることもあり)
A持ち物はやたら重そうな書類ケース。(指揮者用のばかでかいスコアが入っているから)
Bでかける時間は、早くて9時すぎ、夕方か夜でかけたりもする。帰る時間もバラバラ。(日替わり)
C2〜3日不在はしょっちゅう。(地方の仕事や合宿など)
D土日にいなくて平日よくいる。(アマオケの練習や演奏会はほとんど土日)
E態度がでかい。(うーん…うちだけかな?)
近所にこういう方がいたら、指揮者ではないかと思ってよろしい。結婚したての頃、お隣の奥さんに「おたくのご主人、何をなさってるの?」ときかれたことがある。夫はその10年前から住んでいるというのにだ。きっと謎の人物だったんだろうなあ。無理もない。
そもそも妻のわたしにだって、普段、夫がどこで何をしているのか謎である。「今日は演奏会」とか「3日間合宿に行く」は分かりやすいが、いつもは特に行き先も言わずに出て行く。「何時に帰るの?」と聞くと「早いと夕方だけど10時くらいになるかも。ちょっと分からないから電話する」などと言う。残業もないのに、なんで分からんのじゃ。日によっては「今日は出かけてもいいし、家にいてもいい」という。なんでだろう。なんでどっちでもいいんだろう。どっちでもいい仕事って何だろう。
たまには突っ込んで聞いてみようと「どこ行くの?」と尋ねてみた。答えは「大久保」。「練習?」「いや」謎は深まるばかりであった。
いったいどこで何をしてらっしゃるのだろうか。ときとして妻は、「本当はパチンコじゃないか」と思ってしまうのである。
また、こういう特殊な職業は、書類に書き込むときに困る。例えば幼稚園の入園申込書。父兄の職業の覧、業種と職種を書く覧がある。まず「自由業」と書いて、次に「音楽家」と書く。嘘か冗談みたいに見えるが、本当だからしかたがない。ああ、「音楽家」とは何と広い言葉だろう。スタジオミュージシャンもストリートミュージシャンも流しもみんな「音楽家」と言って言えないことはない。
いつか不動産屋で「音楽家」だと言ったらものすごく疑ぐり深そうな目で見られたことがあった。疑われるのはいやな気分だが、不動産屋の気持ちも分かる。やっぱり怪しい。何だか得体が知れないではないか。「俳優」とか「小説家」または「宗教家」と名乗るのと同じくらい怪しい。これからは国家試験を受けてライセンスを取った人だけが「音楽家」に認定され、演奏活動で利益を得ることが出来、モグリの「音楽家」は摘発されることが国会で承認…されるわけないよなあ。
え、デザイナーも得体が知れない、ですか?そんなことないですよ。普通ですよ、フツー。(2003.4.29) |