ノブコです!
読んでってね!
ちょっとおもろい、つれづれ話

40.土偶

 毎年お盆になると、家族全員と荷物を押し込み、高速道路をぶっとばして帰省していたわが家だが、今年は何と趣向をかえて、電車とレンタカーで移動した。深い理由はない。うちの車が壊れたのである。

 足腰のおとろえた父には、乗り換え駅での階段の上り下りなどちょっときつかったかもしれないが、残りの親子にとってはなかなか快適な旅であった。特にいつも運転手である夫は「ボーッとしててもいいし、ビールを飲んだっていいんだ!」とあまりの楽さに驚いたくらいだ。

 代わりに働いてくれたのは、宅配屋さんである。これでもかとぎっしり詰め込んだ荷物をふたつ、指定通りに届けてくれた。中身は大部分が衣類。それと海水浴の用具。浮き輪にボート、足で踏んで空気を入れるポンプだのサンダルだのが入っている。これがけっこうかさばるが、せっかく山と海にかこまれたところへ行くのに、置いていくわけにはいかない。うちのチビチビ達も「海、海」と楽しみにしている。

 ところが、どういうわけか、到着してからというもの、一向に天候に恵まれない。連日、曇りか雨。海水浴どころか、避難しなければいけないのかと思ったほどである。(どのくらいすごい雨だったか、夫が書いているので、ご参考に。おやじのココロ10-「水害!」

 外にも出られず、子ども達も退屈しているみたいなので、レンタカーを早めに借りて、水族館へ連れて行ってやることにした。

 その水族館は、正確には「資料館」というべきもので、無料で若狭の海に関する生物などを紹介している。正面玄関を入ると、大きな円形の水槽に沿岸の魚が泳いでいるのだが、これがまた何とも美味しそうな魚ばかりなのである。タイ、ボラ、フグ、サヨリ、イワシ、タコ…、見ていると一杯やりたくなるのは大人の悲しい性であろうか。一方、子ども達は一皿100円の魚のエサを与えて楽しんでいる。さして広くもなく、すぐに見終わってしまうのだが、子ども達が気に入っているので、毎年のように来ているところである。

 だが、これで帰ったら、大した時間つぶしにはならない。帰る途中に「縄文博物館」なるものがある。そこへ寄って帰ろうということになった。

 縄文だろうが安土桃山だろうが、子どもには何もわからないだろう。だけど、縄文時代の住居が再現されていて、猿人みたいなのがご飯を食べていたりして、そういうのは子どもも見たら楽しいかもしれない。それに、前日に見せたパンフレットに載っていた「土偶」を面白がっていた。あの妙ちきりんな姿に惹かれるのか、「どぶ(注※土偶)、見たい見たい」と言っていた。よし、行こう。

 入館料を払って中に入った。

 中は暗かった。壁は黒いし、照明はぼうっとした間接照明だ。縄文杉の切り株などが置いてある。観光客寄せというより真面目な博物館なのだ。入口で記念のスタンプを押し、再現したカヌーに乗ったところまではよかったが、先へ進むほどに通路は狭くなり、土器などの展示が中心となっていった。そして、土偶が。

 通路の一番奥、曲がり角の手前に土偶がいた。黒い壁にかこまれた、ガラスの向こうで宙づりになり、目ではない目でこちらを見ていた。その奇怪な顔を下方からライトが照らしている。一歩進むと、どこからともなく不気味な音楽が流れてきた。

 その瞬間、子どものひとりが踵を返してもと来た道を走って逃げた。

 追いかけてつかまえて、子ども達を励ましつつ、矢のように出口に向かう。後半には何があったのだろうか。説明文なんか一文字も読んでない。そのうえ、子どもは、館内では走らないという約束をやぶったとお父さんに叱られてしょげている。ああ、入館料、損した。それというのも天気が悪いせいだ。海に行けなかったからだ。海に行っていれば、今ごろ親子仲よくはしゃいでいたにちがいない。あんなにたくさん海水浴セットを持ってきたのに。あーあ。

 来るときふたつだった重量級の荷物は、あれも持って行けこれも持って行けという、ありがたい「土産物」が増えて、6個になった。宅配屋さん、ご苦労さま。

 ちなみに海には帰る前日、小雨がぱらつく中、行った。ほんの2時間ばかりであったが、子ども達は本当に楽しそうであった。じゃ、また来年。(2005.8.16)


41.アキヤマさん

 小学生の頃、わたしにはアキヤマさんという親友がいた。1年生の後期に大阪から東京に転校し、友達をつくるのも下手だったわたしが、いつアキヤマさんと親しくなったのか、覚えていない。が、家が近くてよく行き来していたのは確かだ。ふたりとも、クラスでは目立たないどころじゃなくて、鈍くさくてボーッとしている、いわゆる「おミソ」タイプだったから、ウマがあったのであろう。

 アキヤマさんとわたしは、漫画が好きだという共通点があった。読むのもしかり、また描くのも好きだった。ふたりで学校の休み時間に絵を描いていると、級友達が寄ってきて「わあー、上手!」と感心するので気分がよかった。もっとも、実力はアキヤマさんの方が数段上で、小学生の頃から十二単の平安時代のお姫様なんてのをサラサラと描いたほどだった。

 ふたりの家は多摩川にほど近く、室内遊びに飽きると多摩川の河川敷へ行き、夕方まで遊んだ。あるとき、タイムカプセルを埋めようと言って、いろいろな宝物=ガラクタを缶に詰めて土手に埋めた。埋めた場所はあっさりと忘れてしまい、二度と掘り返すことは出来なくなったが、別にそんなことはどうでもよかった。アキヤマさんとわたしは、いろいろな遊びを思いついては実行した。毎日が冒険のようだった。

 小学高学年になると、ふたりとも塾に通うようになった。塾と言っても退職した先生が、近所の子どもを集めて勉強をみてあげるという、こじんまりした「集まり」だった。決まった曜日になると、アキヤマさんが手提げ鞄を持ってうちまで迎えにやって来る。その姿を見ると、わたしの母は後でこっそり「ほんとに、アキヤマさんはいつ見てもオバサンみたいねえ」と言うのだった。

 オバサンに小学生が「オバサン」と言われたら心外であろう。しかし、そう言いたくなるほど彼女は「オバサン」くさかった。コロコロとまん丸な体型に、まっすぐな長い髪を垂らし、一体どこで売っているのかと不思議なくらいババ臭い服を着ている。当時は小学生もどんどんあか抜けている頃だったにもかかわらず、彼女はまるで時代に逆行するかのようにいつ見ても「オバサン」ファッションなのだった。

 彼女とのつき合いは中学時代まで続いた。級友の中には、中学ともなれば男の子とつき合う子もいた。それなりの関係を持つ子もいただろう。だが、クラスの誰それが好きだとか、告白したとかされたとか、一緒にどこかへ行ったとか行きたいとか、わたし達はそういう流れからは離れたところにいた。それらの話はまるで他人事のように聞こえたし、実際、他人事であった。あまりに馬鹿みたいに何も知らないので、世間並みに経験のある友人からは、「お子ちゃま」扱いでつき合っていただいていた。

 わたし達は、あいかわらず漫画やアニメが好きで、たわいもないことをして遊んでいただけである。

「ねえねえ、アキヤマさんはさあ」とわたしが聞く。わたし達は、なぜかニックネームや下の名前ではなく、名字に「さん」を付けて呼び合っていたのだ。
「『宇宙戦艦ヤマト』の古代くんと島くん、どっちが好き?」
「そりゃあ古代くんでしょう!」
「えーッ、うそォー、わたし島くん!」
「ええーッ、そうなのお!?」

 どっちもテレビアニメの中にしかいないんだから、どっちだっていいのである。どうせなら本物の男の子の取り合いくらいすれば格好がつくというものだ。もしもわたしが親だったら、まちがいがなくて安心なような、あまりに幼稚で不安なような、複雑な気持ちになったことだろう。

 進路がわかれたのは、高校受験の時だ。志望する高校が別だった。といって、それがわたし達自身の考えだったかどうかわからない。学校や親に「受験しなさい」「この高校がいいでしょう」と言われたので、「そうなのかなあ〜」とあまり深く考えず、受験準備をしていたように思う。

 ふたりは別々の高校に入学した。高校で、新しい友達が出来、いろいろなことが起こり、アキヤマさんとは会わなくなった。そしてまた、高校生活が終わり、それぞれに巣立っていった。

 高校時代の友人とは今でも連絡が取れるし、中学時代の友人もひとりふたりは年賀状のやりとりが続いている。だけども、アキヤマさんは、どうしているのかわからない。高校に入って間もなく、彼女の家は横浜の方に引っ越しをしたと聞いた。わたしの母は、アキヤマさんの母上とそこそこ仲が良かったから、新しい住所を教えてもらっていたのではないだろうか。しかし、わたしはあえて聞こうとせず、そのうちわからなくなってしまった。

 あのコロコロと「オバサン」くさかった女の子は、今どうしているのだろうか。40歳になって、本当にオバサンになって、わたしと同じく母親になっているのかしら。あんなに漫画を描くのが上手かったのだから、美術系の仕事をしているのか、それとも、あれからガラリと変わって、全然ちがう風になっていたりして。わたしが高校でオーケストラに入って楽器を始めて、それから音楽家と結婚したのよ、なんて言うと驚くかしら。

 この頃、昔なじみに会って話をしてみたいと思うようになった。

 トシだなあ。(2005.9.11)
 

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