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48.聖なるかな
今年も残り少なくなってきた。12月には国民的行事のクリスマスというものがある。日本におけるクリスマスとは、独身チョンガーがどっかの誰かとホテルに行けるかどうかを試すリトマス試験紙か、玩具会社のあの手この手の稼ぎ時、というおよそ聖なるイメージからはかけ離れている。そもそもクリスマスをなぜ祝うのか知らない人が多く、サンタクロース=プレゼントの印象が強すぎてか「サンタの誕生日」などと語るやからも少なくない。
そんなことを言ったら、うちの5歳児に叱責されるぞ。「クリスマスってなあに?」と問えば、彼は声を張り上げて答えるであろう。
イエスさまがお生まれになった日、と。
わが家の息子たちは、教会系の幼稚園に通ったおかげで、今でも毎日曜に教会学校に行っている。長男が3歳で入園したときからだから6年目になる。現在は、三男が在園している。
毎年12月のはじめ、アドベントといわれる時期になると、それまで他の幼稚園とそう変わりなかった園が、がぜんクリスマス一色に変貌するのだ。まるで「今までの園は仮の姿、このときを待っていたのだ!」と言わんばかりに。そりゃあ教会附属の幼稚園なんだから、そうなんでしょう。しかし、力の入れようが半端ではない。ちょっとこわい。
子ども達は、クリスマス礼拝に生誕劇をやる。生誕劇とは、イエス・キリストが預言の通り聖母マリアに宿り、夫ヨセフとともに旅をし、うまやで生まれたという有名な話を劇にしたもの。子ども達は、それぞれ自分がやりたい役をやることになっている。特に制限はないため、ときには10人のマリアを1人のヨセフが連れて歩いたり、やたらロバが大群だったりする。男の子がマリアだったり女の子がヨセフだったり。
男の子には動物系は人気があり、次男も年中でロバをやった。たいへん楽しそうにロバになりきっていたのだが、ロバである以上、劇中ずっと四つんばいで這いまわっていなければならない。息子はそれでいい。よくないのは夫だ。彼は、こういった人前で披露するものに関しては息子が主役級でないと気が済まないらしい。(おやじのココロ-「ページェント」参照)
長男は3年保育だったから、3回この生誕劇に出た。はじめの年、長男は三人の博士を導く「星」の役をやった。親もはじめてのことだったので、子どもがそれがいいって言うんだからいいんじゃない、くらいにしか思わなかった。当日ビデオを構えて見ていると、「星」は団体様で現れ、両手を頭の上でかざしてヒラヒラさせながら会場を横切って、そして終わった。そ、それだけ!?他の天使とか兵士とかはもうちょっと何かやってるよ!?
2年目にも長男は「星」がいいと言った。なにがそんなにも彼を惹きつけるのか不明だが、一貫して「星」がいいと言う。しかし、2年越しでやるようなものだろうか?夫はついに「お父さんは子どものころヨセフさまをやった。ヨセフさまをやるように」と通告を出した。子どもはしぶしぶながら従おうかとしていた矢先、風邪で寝込んでしまい、ほとんど練習ができないまま本番を迎えることとなった。先生も心配してくださって、目立つヨセフよりは安全な「星」にしておきましょうということになり…。
3年目、性懲りもなく「星」がいいという長男に、さすがに「もうやめろ」とダメ出し。ヨセフが嫌だったら天使でも何でも人間の姿をしているものになれ、と。息子はしばし悩み、ヘロデ王を選んだ。3年目であるから、それまでの小さい子用とちがってセリフがある。そうと知った夫は、当日の朝、息子を呼んで「セリフを言ってみろ」。ぼそぼそセリフを言う長男に「声が小さい!もっとハッキリ!」「会場は広いんだぞ、そんなんじゃ聞こえないぞ!」「もう一回、ヘロデ王ってのは悪者なんでしょ、もっとお腹から声を出して怖そうに!」たかが幼稚園の出しものなんだからそこまでしなくても、という感覚はないようである。わざわざ隣の部屋から歩かせて登場するシーンからやらせている。「歩き方がなってない!」だそうだ。
それで結局どうなったかというと、だ。ヘロデ王は、息子を入れて3人だった。3人でヘロデ王のセリフを言うわけだ。隣の子が出だしをトチった。息子はまごついて口ごもった。もう一人はとりあえずセリフを言った。何を言ったのかよくわからないままにヘロデ王の出番は終わり、次の場面へと進んだ。夫には不満の残る生誕劇であった。
リベンジは、次男が年長組のときに訪れた。前年うれしそうにロバになっていた次男が、夫の意を汲んでかヨセフさまになると言い出したのだ。本当のところは、仲好しの女の子がマリアさまになるので、一緒にやりたいという理由のようだ。そんなことはどうでもよい。夫の喜ぶまいことか。しかも、次男はその彼女が扮するマリアさまの手を優しく取って、凛々しく歩いているではないの。なかなかのヨセフぶりである。次男もお父さんに褒められて照れながらもうれしそうだ。
さあ、兄たちのそんなこんなを見てきた三男の番である。今年、彼ははじめての生誕劇を前にして、鼻息が荒い。もとより負けん気だけはいっぱしの三男、今から「ヨセフさまをやる!」と意気込んでいる。
言っておくけど、生誕劇は、イエスさまの誕生を祝い、信じることの大切さを思い出すために神にささげるものなんだそうですよ。主役はイエスさま、神さまなのです。三男よ、あまり入れ込むな。どうも気合ばかり先走って、あとがこわい気がする。神さまお守りください。(2006.10.31)
49.豆腐とたたかう
うちの長男の頭の中身は豆腐じゃないのかなあ、と思うことがある。
たとえば、彼は24インチのカッコイイ自転車を持っている。それには当然鍵がついている。キーはスペアと合わせて3個。それをすぐにどこかにやってしまう。いくら大きいキーホルダーを付けてもなくしてしまう。出先でなくして、あわてて母がスペアを家まで取りに帰ったりしたし、毎週自転車で行っている教会学校ではもはや彼の自転車のキーは有名で、どこに落ちていても誰かが届けてくれる。
やがて3個のキーはすべて紛失し、自転車は乗れなくなった。今の鍵はネジを取ったくらいでは外れないように出来ている。仕方ないから、母のわたしが憤慨しつつ前輪だけで自転車屋までひきずっていき、新しい鍵に付け替えてもらった。後輪を持ち上げて前輪だけで24インチの自転車を動かすのがどんなに大変だったか! しかも鍵はタダじゃない! しかし、これで長男が懲りて、モノを大切にしてくれたら、いい勉強になったというものだ。
翌日、長男は大喜びで自転車に乗った。そしてその翌朝、わが家のすぐ下の公園で、乗り捨てられた24インチの自転車が、無惨に倒れているのを見た。長男は「あ、自転車しまうの忘れてた」そうだ。新しいキーはやっぱり1個ずつ消化して、やがてすべてなくなった。週末、教会学校には長男だけ走って行った。毎週母と弟の自転車を追っかけて走るのはやはり無理があるので、仕方なくまた自転車の鍵を付け替えた。キーにはじゃらじゃらアクセサリーを付け、大きい鈴も付けて、壁に専用のフックを設けた。このキーをまた3個とも紛失したら、24インチの自転車は次男に譲ろう。長男には、大人になったら自分で買ってもらおう。
自転車のキーは一例である。長男のなくしモノを数え上げたらキリがない。学校でなくしたモノについて担任の先生にうかがったら、苦い顔でこうおっしゃった。「どうもあっちこっちに置きっ放しになってますからねえ、わかりませんねえ」
モノもなくすけど、記憶もなくす。
ピアノのレパートリーは常に、今練習してる曲だけだ。いくら猛練習して暗譜した曲も、次の曲の練習にうつったら忘れてしまう。毎日、寝る前に日記を書かせているが、「今日なにしたっけ?」と聞かない日は、ほぼない。遠足の日も運動会の日も演奏会に行った日も。放っておくと「今日のばんごはんはエビフライでした。」と夕飯メニューが日記に並ぶ。たぶん彼の記憶継続時間は3時間くらいなのだ。それ以前は消去されるのだ。
ある日、長男が夜中に腹痛を起こした。かなりの痛がりようだったので、親は心配でオロオロしたが、40分ほどで治まって大人しく眠った。翌朝は登校時間が過ぎても、目覚めるまで寝かせておいた。すると10時半を過ぎてようやく起きてきた。すっかり元気になり、お腹が空いたという。まだ不安なので、バナナを1本食べさせる。本人は、もう大丈夫だから学校に行って給食を食べると言い張る。その日は、彼の大好きなドライカレーであった。しかし、念のために近所の小児科で診てもらったところ、腸が少しゴロゴロいっているのでやわらかいものを食べて様子を見るようにと言われてしまった。給食はあきらめるしかない。
うどんとカステラを食べさせて、学校まで送ることにする。給食が終わったころを見計らって行く。5時間目に、転任する先生のお別れ会があってマジックやコントをやるのだと言う。出がけに玄関で靴をはきながら長男が言った言葉が、「あ、そうだピアノも弾くんだった。楽譜ランドセルに入れて。何を弾こうかなあ」何って、今練習してる曲しかないだろうが! しかも、今まで時間があまってのらくらしてたくせに、なぜ弾かなかったんだ!!
帰ってきた長男が元気だったので、ひとまず安心した。が、ほどなく友達がふたり遊びに誘いにきた。今日は遊びの約束をしてくるなと言ったにもかかわらず。しかも「いってきます」と出ていくではないか。おい、ちょっと待て。長男をバックから羽交い締めにして止めながら「ごめんね、今日はね遊べないの。また明日ね」と友達に謝る。長男は「何で行っちゃいけないの!?」ともがいている。何でってアンタは11時ちかくまで寝てて、5時間目しか出てないからだよッ!! その隙に次男が「代わりに遊びに行くよ」と出ていくのをエリをひっつかんで引き戻し、三男が出ないように足でブロックする。長男はあいかわらず抵抗しまくってるし次男はひっくり返って倒れてるし阿鼻叫喚の図のようになった玄関を見て、友達が帰っていく。
長男に言わせると、「今日は学校に行けたのに、お母さんが行っちゃダメって言ったから行かなかったんじゃないか」なのだ。
ほほ〜、そういう屁理屈だけは一人前なんだなあ。今度、夜中に腹痛を起こしたって心配してやらないからな。などと思ってみても、親はいつだって心配するものなのだが。それが仕事だからね、親の。(2007.1.31)
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