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52.あら野のはてに
「大草原の小さな家」は、かつてNHKで何度も放送したので、ご存知の方も多いであろう。この原作が文庫で出ている。読んでみると、とてもおもしろい。何がおもしろいかというと、約100年前のアメリカの田舎の暮らしが、現代のそれからはまったく想像もつかないのだ。
たとえばバターは牛乳から自分でつくる。牛乳は牛の乳をしぼらないと手に入らない。作物はもちろん畑をたがやしてつくるし、肉は鉄砲を持って狩りに行く。肉はハムや塩漬けにして保存する。服も自分でつくる。布地を買ってきて仕立てるのだ。何でもスーパーで買ってくるわたし達の暮らしからは考えられない。そして、感心したのが、親の権限が絶対であること。子ども達は、男の子も女の子も親の仕事を手伝って働くのは当たり前、口答えなどはもってのほか。食事中も大人は話してもいいが子どもは「ありがとう」意外しゃべってはいけない。つまり子どもは大人に絶対服従なのである。
どこかで読んだ今どきの子育てコラムには「頭ごなしに否定せず子どもの話に耳をかたむけ、言葉にできない部分は態度などから察してあげましょう」と書いてあった。大違いである。100年前のアメリカの田舎では冬は零下40度、夏は干ばつなど自然条件も厳しく、大人の言うことを聞かなければ子どもの命の保証がなかったのであろう。大人の方もそれだけ必死で子どもを育てていたのだ。
それが今や、衣食住に満ち足りて、学校で勉強すればいいだけの子どもの顔色までうかがえという。
先日、小学校で懇談会があり、5年生のあるクラスでは「子どもが友だちと携帯電話で連絡を取り、親には言わずに行動するので不安です」という発言があったそうだ。それはそれは不安だろうけれども、その携帯電話は誰が買ってやったのか。使用料金は誰が払っているのか。親ではないのか。
どういう必要があって買い与えたのか、もしくは子どもにせがまれて買い与えたのか、知らないが、その時点ですでに子どもに携帯電話を使用することを許している。携帯電話というのは個と個を結ぶものである。そこに社会や家族のコミュニティは存在しない。他人に気を遣うわずらわしさがなくて楽でいい、だからこそ大人だって大勢使っているのではないか。子どもだって楽な方がいいのだ。どうしても不安なら契約を解除すれば解決する。でも、親と子の間でなくなったものを取り戻すのは、かなりのエネルギーが要るだろう。
わが家では、「娯楽性が高く、やるべきことを忘れるほど夢中になってしまうもの」を総称して「悪魔のささやき」と呼んでいる。イエス・キリストが荒れ野で出会った悪魔である。仏教にも聖人を堕落させようとして誘惑する邪気がいろいろいるが、息子達は教会学校に通っているので、聖書の方がわかりやすいのだ。この「悪魔」は主に、テレビ、漫画、娯楽のための本、おもちゃ類、テレビゲーム、携帯電話、などである。わたし達が子どものころは、テレビゲームや携帯電話はなかった。今の子ども達はそれだけ「悪魔のささやき」が多いのである。
ところで、テレビゲームはおもちゃであるが、携帯電話は電話だから通信機器ではないか、と思われるだろうか。わたしは、使用者が大人であればその通りだが、子どもにとってはテレビゲームと同じく「おもちゃ」の部類に入れていいと思う。お話しができる「おもちゃ」。親の承諾がなくてもお友達と内緒話ができる。それだけでも充分なのに、歳があがればメールもやりたいなどと言い出すだろう。メールなんてお母さんだって便利で使わずにいられないのに、子どもが依存してやめられなくなるのは目に見えてるじゃないですか。度を超した「便利さ」というのも「悪魔」の部類に入れてもいいかも知れない。人間を堕落させる。面倒なこと、やっかいなことは避けて通るようになる。
テレビゲームがおもしろくて夢中になってしまう、なんてよくあること。勉強や睡眠をけずってもやりたくなる。当たり前だ。わたしは昔、ゲームの製作会社に面接に行ったことがある。数人のスタッフしかいない小さい会社だったが、みんな泊まりがけも珍しくないほど働いていた。日々、おもしろいゲームを開発すべく働いているのだ。メーカーなんか社員が何人いるか、100や200ではない。その大人達がこぞって、よりおもしろく、より刺激的で、より売れるゲームをつくろうと努力しているのだ。おもしろくないわけがない。大人が欲しくなるものはもちろん、子どもが欲しくなるように計算してつくっているのだ、たくさん売れるように。
わたしは、息子達がテレビゲームや携帯を欲しがったら「大人になったら自分で買いなさい」と言っている。自分できちんと判断できる歳になり、かつ責任を持てるのなら買っていい。そうなるまでは、息子達の生活や将来に関して、愛情と責任を持っているのは父である夫と母であるわたしである。言うことを聞いてもらう。いくらゲーム会社や携帯会社がうまい宣伝文句を言おうとも、子ども達の将来なんてこれっぽっちも考えてなんかいない。子どもの安全のために居場所がわかるような機能を付けました、ってのは後からつくったのだ。そうすれば親は買いたくなる。
競争社会の企業なのだから、メーカーを責めるわけにはいかない。しかし、ゲームや携帯がここまで一般に普及した今となっては、使い方によっては弊害があることを示してもいいのではないか。たとえば、最近はタバコの箱に「健康に悪影響を及ぼします」などと書いてあるでしょう。だからといって喫煙による疾患数が減るとは思いがたいが、書いてないよりマシである。正直でよろしい。
テレビゲームなら本体の側面に大きく「発達途上の青少年が連日長時間使用しますと、情緒および脳の機能に支障をきたす場合があります」と書く。説明書にも「使用により仮想と現実の区別がつかなくなり、殺人その他を引き起こす恐れがあります」と明記する。そこまで書いておいて、承知の上で買うのだったら何があってもメーカーの責任ではない。メーカーだってメディアにたたかれずにすむ。
しかし、昨今は何でも他人のせいにして、すぐに裁判だ何だと大事になったりするから、製品購入のさいに承諾書をとりつけておこう。「お買いあげ後、使用された方に不具合または不祥事が発生いたしましても、当社は責任を負いません」
購入には印鑑をお忘れなく。
(2007.12.5)
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