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ちょっとおもろい、つれづれ話

55.学校という水槽の隅っこで -1- 

 「窓ぎわのトットちゃん」の中で、黒柳徹子さんは自身の子ども時代をふり返って、学校というところにいかに馴染めなかったかを書いておられる。林真理子さんのエッセーでは同級生に虐げられた思い出が鮮明に書かれてあったし、最近では芸人の大島美幸さんが学生時代のいじめ体験を出版したという。

 世の中の人間を、あえて2種類に分けるとする。一方は、子ども時代や学生時代に、友達や先生と関わりあいながら生き生きとした学校生活を送り、後の人生に起こった困難も、あの頃のことを支えにして乗り切っている、という人。わたしが結婚した相手は、慶應普通部から高校を経て大学へ進むという、やや嫌味な経歴の持ち主で、普通部からの学友とは今でも仲がいい。「あの頃の慶應はいい時代だった」と言うくらいだから、たぶんこちらの組だろう。

 そしてもう一方が、冒頭に挙げたトットちゃん組、別名「おミソ組」である。わたしはこちらの組に入る。わたしは学校というところが嫌いだった。

 なぜかというと、いじめられたからである。

 では、なぜ、いじめられたのか? 三人の息子を持つ親の立場となった今、分析してみることにしよう。

 理由その1、転校生。

 わたしは小学1年ときに大阪から東京へ引っ越したため、冬休み明けの3学期から新しい学校へ通うことになった。1年生といえば学校生活のしょっぱな。すでにそこで転校という壁にぶち当たったわけだ。しかも転入した時期が、なんとも中途半端な3学期。幼稚園児に毛の生えたようなチビ達が、やっと小学生らしくなり、クラスメートとの絆も出来てきているときだ。そこへ、 転校生。いかにも「余り1」な存在になりそうである。

 その2、訛り。

 最近はお笑いブームなどもあって、テレビで大阪弁が流れない日はないけれども、当時はそんなにポピュラーなものではなかった。自分では標準語をしゃべっているつもりでも、イントネーションが全然ちがうのである。たとえば、「早い」と言うとき、東京の子たちは「は」よりも次の「や」が高く、また「い」で下がる。それが関西だと、頭の「は」がもっとも高いのだ。聞き慣れないイントネーションに「変な話し方」と言われたとしても、どこが変なのか本人にはわからない。わかったとしてもすぐには直せない。明るくおちゃめな性格だったらチャームポイントにも出来ようが、わたしの場合はそれは無理というものだった。

 その3、性格。

 ここに小学2年生のときの通知表がある。担任から家庭への通信欄。「もう学校にもなれたのですから、友達ともっと積極的に話すようにしたらよいと思います。動作もおそいです。もう少し大きな声で話してくれるといいのですが。」

 動作が遅くて悪かったな! ほかの書き方はないのか! と、怒っていないで、この担任からの通信を読み解くと。わたしは、「友達と消極的にしか話せず、グズで、ぼそぼそ口の中で話す子ども」だったらしい。実際はどうであったか。心を平静にして亡き両親の言葉を思い出してみよう。

「お前は小さいころ、なんにもしゃべらないし、泣きも笑いもしないし。伯母さんなんか、どっか悪いんじゃないかって本気で心配して、専門家に診せたらどうか、って」

「夏祭りで子どもらにお菓子配るって言うから、もらいに行かせたら、要領のいい子は何個ももらってるのに、お前はいつも人の後ろからのこのこついて行くもんだから、ひとっつももらえないで。見てるこっちの方がイライラして腹が立ってきた」

 その通りのようだ。先生は正しかった。

 あっ、そうそう思い出した。転校してしばらく経ったころ、ある事件が起こったのだ。

 わたしは東京の学校に通うのだと聞いたとき、ものすごく近代的な格好いい校舎を想像していたのであるが、連れて行かれた校舎ときたら、バラックかと思うほど粗末なものだった。実は、その校舎は、生徒の数が増えたために本校舎の増設工事をしており、校庭の隅に建てられた仮のプレハブ校舎だったのである。しかし、わたしはそんなことはちっとも知らなかった。「東京の学校は汚いんだなあ」と思っていた。しかも、隣につくられたトイレの汚さといったらなかった。暗いし、臭いし。それで、わたしはなるべくトイレに行かないようにしていたのだが…。

 もうおわかりだろうか。そう、1年生だというのに、わたしは教室でお漏らしをしてしまったのだ。

 言い訳がましくトイレが汚かった、などと書いたが、思えば大阪の学校でも、漏らしてベソベソ泣いていた。上級生が保健室に連れて行ってくれたっけ。大人も子どももお節介なぐらい世話焼きが多かった、ああ、大阪の人情はいいなあ…、などと言ってる場合ではない。東京の学校に来たばかりの転校生、うすぼんやりして何を言ってるんだかわからないようなの、がですよ、教室の、しかも教壇の真ん前だったんですよね、場所が。お漏らしなんぞしてごらんなさい。もう、いじめられっ子決定! ですよ。理由その4、お漏らし。

 それじゃあ当時の小学生がどんないじめをしたかというと、今の小学生よりは単純でわかりやすかったと思う。終業式の日、大荷物を持ってヨロヨロ歩いていたら、男の子がわざと帽子を目の上までかぶせて見えなくしてしまった、とか。教室の掃除をひとりでやらされた、とか。何も汚くしてないのに、「こいつに触ったらバイキンがうつるぞ」などとはやし立てて一斉に逃げる、とか。

 今、こうして書いてみると、馬鹿馬鹿しいものばかりだ。

 でも当時のわたしにしてみたら、この世の終わりと言ってもいい、大変な出来事だった。だってね、新しい学校へ行って、ちゃんとやらなければいけない、と思うだけで緊張していたにちがいないのだ。それなのに、あたたかく迎えてもくれず、いじめられっ子の烙印を押され、いじわるされて、学校はどんどん灰色になっていった。

 それでも根が真面目だったので、サボるということは考えなかった。いや、思いつかなかったのか。が、真面目にやっているわりに、どうも他の子のようには出来ない。運動はもとより、勉強も。「打てば響く」ようなところがまったくなかったわたしは、何においても遅れぎみだったのだ。最近でこそ小学校も、「子どもの個性を延ばしましょう」などと言ってくれるが、当時は、出来ないものは出来ない、それだけだった。マイペース、というのは褒め言葉ではなかった。他の子に付いていけない、または協調性がない、の意味だった。

 ある情景が目に浮かぶ。

 昼休み、よく晴れた日で、教室には人っ子ひとりいず、校庭はてんでに遊ぶ子ども達でいっぱいだ。わたしはどこにいるかというと、L字型の校舎のちょうど曲がった部分にある昇降口の階段。そこに腰かけて、みんなが遊ぶのをながめている。同じクラスの女子たちは、そのころ流行っていた大まわしという、大勢でやる縄跳びを、ほぼ全員でやっている。ほぼ、というのは、わたしがひとり、ここにこうして座っているからである。何回か、勇気を出して大まわしに入れてもらったのだが、あれはリズムよく次々に飛ばないとおもしろくない。なかなか飛ばないくせに、飛んだと思ったらすぐ引っかかるようなのは邪魔でしかない。しかも、「あ〜ん、引っかかちゃったあ〜」と明るくリアクションすれば雰囲気だけは壊れないものを…。

 で、座っているわけである。誰か乱暴者の男子にボールなどぶつけられないように、用心しながら。隅っこに。何もしていなかった。わたしは、ただ、待っていた。

 昼休みが終わるのを。

 学校という時間が終わるのを。(2008.10.1)


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