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ちょっとおもろい、つれづれ話

56.学校という水槽の隅っこで -昭和編2-

 小学校のクラスには、だいたい30人から40人ほどの子どもがいる。この子どもたちは、どのクラスもたいてい三層に分けることが出来る。

 一番上が、リーダーシップがあったり、先生の真似がうまくてみんなを笑わせたりするムードメーカー、ものすごく可愛い子など、目立って注目を集める、人気者たち。成績がいいかどうかは関係ない。子どもの目線で見た人気者たちだ。まれには、運動神経ばつぐんで成績優秀という、「ドラえもん」に登場する出来杉くんみたいな子もいる。

 真ん中が、いわゆる「普通」の子たち。クラスのトップほどの際だつものはないものの、そこそこ友達もいて、まずまずうまくやっている。この層がもっとも厚い。

 そして、その二層からこぼれたのが、もっとも下の「おミソ組」。

 さて、東京の学校に転入した早々、元来の鈍くささに加え、お漏らし事件で華々しくデビューしてしまったわたしは、「普通」の層にはかすりもせず、「おミソ組」の層に落ち着いた。友達になったおミソちゃん達は、みんな大人しくて無害な子ばかり。素朴で芋くさくて、わたしと同じで鈍くさかった。学校では、「普通」の子たちの輪からはぐれてしまっていて も、下校してしまえばどうということはない。お互いの家に行き来したり、ゴム縄跳びをしたり、多摩川の土手にタイムカプセルを埋めたり、思いついてはいろいろなことをして遊んだ。

 たまに話しかけてくれる「普通」の子もいた。大人からみると、小学生の女子など、どの子も大差なく見えるだろう。でも、おミソちゃんから見ると「普通」の子は、自分たちよりうんとお洒落で可愛い。動作も俊敏。だから「普通」の子同士の会話は、ポンポンとテンポよくはずむ。トロいおミソちゃん達は、そのテンポについて行けないのだ。大まわしにうまく入れないみたいに。悪いこともしていないのに、「普通」の子にハキハキと話しかけられると怒られているような気になって、しどろもどろになってしまう。自分でもわかるほどオドオドしたあげく、後で「あの子って変なの、って思われたかなあ」とクヨクヨする。こんなことが何度もあった。

 だから「普通」の子は苦手だった。人気者なんか、そばに来るだけで怖かった。

 何年生のときだったか。うちの前でたくさんの小学生の声がする。うちの前はあまり交通量が多くない路地で、子どもたちの遊び場になっていた。わたしは自分の部屋でひとりで過ごしていた。すると、2〜3人の子どもがうちに来て、母にこう言った。

「あのう、おばさん、ソフィーと遊びたいんですけど。ソフィーと遊んでいいですか?」

 ソフィーとはうちで飼っている犬である。近所の子ども達は、わたしではなく、うちの犬を誘いに来たのであった。

 わたしの母は、田舎育ちの、のん気な人だった。もと国体の陸上選手で、大勢でわいわい賑やかに騒ぐのが好きな父とは対照的に、いつも家にいて炊事か植木の手入れなどをしていた。小学校のころの通信簿を、今いちど開いてみると、どの学年も担任からの通信欄は埋まっているが、家庭から担任への通信欄はいっこも書いてない。母はおそらくこんな欄があることに気が付かなかったのだろう。この不自然な空白は何だろう、とは思わなかったのだろうか。生真面目な反面、うっかり者の母らしい。

 そんな母だったが、娘が学校でうまくいってないと知って、気にしていたようだ。わたしは時々、「学校に行きたくない」と朝ごねて母を困らせたし、同じクラスの男子が思い出したように「こいつ、おしっこ漏らしなんだぜ。触るとおしっこ臭いぞ」と、あながちデタラメでもないことを言ったりして、泣いて帰って来ることもあった。

 母は、何度か担任の先生に、「うちの子がいじめられている、何とかするように」と訴えた。買い物いがい外に出ないような人にとっては、けっこう大仕事だったことだろう。その前に通信欄に書くってのはどうだ、とは言わないで、素直にありがたいと思っておこう。ただ、そういう大人のテコ入れは、一時しのぎにしかならない。下手をすると、「チクった」なんて言われて、余計にいじめられかねない。

 人が、自分にとって好ましくない状況が続き、窮地に立ったとき、とるべき手段はふたつある。勇敢に立ち向かうか、ひたすら逃げるか、だ。ここで勇敢に立ち向かえるくらいなら、とっくにやっているわけで、わたしは逃げる方をとった。逃げる、といってもいろいろある。オーソドックスな登校拒否、授業をボイコット、トイレにこもる、保健室にこもる、最近は保健室登校とかいうのもある、教室から立ち去る、など。いかんせん、わたしにはそこまでする行動力はなかった。

 学校、そして同級生たちに対する不信感、それを土台にして、わたしは自分の心にバリアを建てたのだ。そのバリアの名は「無関心」と「無感動」。それには小さな入口と、窓がついていて、入口から入って来られるのは、おミソ友達や家族など限定されている。窓からは外が眺められるが、曇りガラスがはめてあり、教室や同級生たちは、ぼんやりとしか見えないのであった。

 何か嫌なことがあれば、そのバリアの中に逃げ込めばいい。自衛策である。

 給食の時間、同じ班の子たちは机をくっつけて食べることになっているが、わたし一人、机をつけることが許されない。そんなとき、問題に直接向き合ったり、自分の心に起こる負の感情と闘うのは、疲れる。自分には「関係のないこと」として「無関心」「無感動」のバリアの向こうに押しやる方が楽である。

 自衛にはなっているかも知れないが、根本的な解決にはなってない。

 でも、根本的な解決なんて、どうやったら出来るんだ。
 そんな難しいテーマに取り組んだことは、ない。ましてや、

「やっぱり、わたし自身が強くならなくっちゃダメ。少しずつでも、自分を変えていってみよう」

 なんてことは、露ほども考えたことはなかった。今、これを書きながら、こういう方法もあったな、と思いついたくらいである。わたしは、母親の体内にいたころに、「無理はしない。やりたくないことは、なるべくやらない」という、人生の基本方針を固めて生まれてきたふしがある。よほど誰かが強硬に、押すか引っぱるかしなければ、この前向きな方法は実行不可能にちがいなかった。

 誰も、押しも引っぱりもしなかったから、バリア策のまま小学校生活は続いた。(2008.11.1)


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