ノブコです!
読んでってね!
ちょっとおもろい、つれづれ話


6.野菜嫌い

 統計によると、昔、子どもの嫌いな野菜の代表はにんじんだったが、今はピーマンであるという。今どきのにんじんはクセがなく甘いので、子どもが嫌がらないらしい。

 長男はその統計を忠実になぞっている。にんじんは食べるが、ピーマンは絶対に食べない。ピーマンだけではない。キャベツもレタスも白菜も玉ねぎもきゅうりもトマトもしいたけも食べない。そう、彼は「野菜嫌い」なのだ。

 夫はそういう「偏食」が気に入らない。一緒に食事をすると「このくらいは食べなきゃだめだぞ」と言って、キャベツを取り皿にのせたりする。当然ながら長男が嫌がって残すと、「あれえ、もうお兄さんなのに、キャベツを残すなんておかしいなあ」といぶかってみせる。お兄さんだろうがお姉さんだろうが、嫌なものは嫌なのだ。好きでもないものを無理に食べようとしても不快なだけである。わたしは少し困惑しながら夫と息子のやりとりを黙って見ている。なぜなら、わたし自身が「野菜嫌い」だからだ。

 都合の悪いことに、夫は食べ物の好き嫌いがない。どちらかというと野菜が好きで、特に生野菜をたっぷり使ったサラダをバリバリ食べたいらしい。太郎の「野菜嫌い」は、わたしの食事の与え方のせいだと主張する。もっと食卓に野菜を出さなければいけないと言う。そう言われると、そうかと思うしかない。人間、やはり自分の好きなものをつくって食べたいと思うのが自然である。いつも、野菜不足な献立になっているのではないかという不安がある。

 そこでなるべく野菜を使った献立を考えるようにするのだが、実際、それを食べるのは長男ではなく、弟の次男なのだ。この次男が、また信じられないくらい野菜が好きなのである。若干3歳にして、上に挙げた長男の苦手な野菜はすべて食べるし、たくわんや梅干しもOK。ロールキャベツをつくったら、兄は中身の肉だけを食べたがり、弟は外側のキャベツだけを食べたがる。どう見ても、長男はわたしの好みに似ていて、次男は夫の方に似ている。わたしは、今はロールキャベツの中身も外側も食べるようになったが、それは、結婚して自分がつくる立場になったからである。残したらもったいないという考えと、つくった責任上、食べるようになっただけなのである。別に「野菜嫌い」が治ったわけではないのだ。

 家で食べている間はいいとしても、これから学校に行くようになり、さらに社会に出て行ったら、この「野菜嫌い」=偏食は困ったことになるのではないかと思う。給食を残さず食べろと言われたり、食事のつき合いでバツの悪い思いをしたり、それに、たまたま体調が悪いときなど、人から「ほらあ、野菜を食べないからだよ」としたり顔で言われたり、などということが起こるであろう。何ッ、それじゃあ、野菜が好きな人間は病気にならないと言うのか!?具合の悪い人間はみんな野菜が嫌いだと言うのか!?えッ、どうなんだ!?…と反論できないのが「野菜嫌い」の悲しいところ。何しろ野菜が体にいいというのは、全世界的に肯定された事実である。野菜は食べなくてはいけないのだ。ベジタリアンなんてのもいるくらいだ。現代人の常識だ。と、正論でつめよられると、「野菜嫌い」の人間は「喫煙家」ととてもよく似ていて、反論できない。あまりつめよられると開き直って「そんなに我慢してまで長生きしたくないんだ、だからこれでいいんだあ」と言い出すところもよく似ている。あまり説得力はないけれども。

 しかし、ここに一冊の本がある。岩波書店の「最新・育児の百科」、著者は、かの松田道雄先生。妊娠中から6歳になるまでの子どもに起こる様々な問題がとりあげられているハードカバーの分厚い育児書である。この中で、先生は「偏食」に触れて、こう書かれている。
 「偏食は、子どもの味覚に個性があるというだけのことだ。偏食がただちに有害とはいえない。母親のいう偏食は、母親のつくった料理をまんべんなく食べてくれない、ということにすぎない」

 また、こうも。
 「ねぎ、きゅうり、なす等々がきらいでも、みかんやりんごやいちごなどを食べていれば、ビタミンCやビタミンB1は、けっこう必要な量だけとれる。」

 そして、食べ物の好き嫌いを道徳的な悪として教えたのは戦前の軍隊教育で、今だに残る「偏食の矯正」を教育であるかのように思う偏見は、栄養学を知らないためであり、その人間の生理とむすびついた「好み」を無視しているものだ。日本中の古い世代の頭から、偏食は悪であるという考えをたたきださないといけない、と続くのだ。

 ああ、さすが先生は、何と素晴らしいことを述べておられることか。ぜひ夫にここのところを重点的に読んでほしい。何しろこの本は、太郎が生まれたときに夫が買ってきたものだ。「子育てにマニュアル(育児書)なんか必要ない」というわたしに対して「この本は、他の育児書とはちがう。松田道雄先生は信用できる」と言い切り、実際に、病気になったりして困ったときなどかなり参考にしている。何度か「偏食」の項も読ませようとしてみたのだが、夫はなぜかそこに来ると老眼が急に進むのか読めなくなるらしいのだ。ええい、信用すると言うのなら1行残らずきっちり信用せんかい!

 先生はこうも書いている。

 「音楽や文学では、人の好みがみとめられるのに、どうして食物については好みがゆるされないのか。にんじんのきらいな子に、にんじんを桜の花の形に切って無理に食べさせるのは、浪曲のきらいな人間に、洋装をさせた浪曲師の浪曲をきかせて、好きにしようとするのとおなじだ」

 「人間は忍耐をまなぶべきである。しかし、食事というような基礎的な生理でそれを訓練することは、賢明とはおもえない。食事は、生きる楽しみとして、楽しくおいしく食べるほうがいい。その方が消化もいい」

 そ、そうですよね、先生、ね、ね、ね、、、       (2003.5.25)


7.電子音

 昨日だったかおとといだったか、子どもの携帯電話の電池がやっと切れた。もちろんおもちゃで、通話できるわけでなく、電話のマネをするだけなのだが、折りたたみ式で見かけだけは本物みたいだ。ボタンを押すと画面が光って「ピピピピ」だか「ピロロロ」だか音が鳴る。これが電子音だから耳につく。しかも、あるボタンを押すと、女の子の声らしい電子音が「あとはメールでね」などと言う。ボタンを押すたびに言う。子どもたちが調子に乗って押しまくるから「あとはメールでね」「あとはメールでね」「あとはメールで」「あとはメール」「あとは」「あとは」「あと」「あと」うるさい!あとはメールでねって言ってるだろう!メールにしなさい、メールに!と、ありもしないメール機能に救いを求める。

 電子音というのは、どうしてああも耳と神経につきささるのだろうか。目覚まし時計にはちょうどいいかも知れないが、起きてる間は、ただただうるさい。その上、最近のおもちゃには電子音が鳴るものが非常に多い。

 長男が赤ちゃんだったころ、夫が「しゃべる新幹線」を買ってやった。わりと大きな新幹線のおもちゃで、長男が気に入ってじーっと見ていたからだ。当然、長男はよろこんだ。それはよかったのだが、翌朝、うとうとまどろんでいると、いきなりよどみない電子音が。「プルルルル」「次は〜新大阪〜新大阪〜」「発車いたしま〜す」「プルルルル」新幹線がしゃべったのだ。長男がボタンを押したのだ。さっそく電池を抜いて、新幹線は二度としゃべることはなかった。

 それからというもの、おもちゃを買うときはよく気をつけて、鳴り物かそうでないか見ることにした。子どもがいくらほしがっても鳴り物は却下。どうしてもというなら電池は入れない。もらいものの場合は、子どもが見てないときに電池を抜いて、壊れたことにする。おかげで電子音に悩まされずにすんでいたのだが、今回の携帯電話は、わたしの父が買ってやったのだった。長男も知恵がついてきたもので、一番弱そうな人物にねだったのである。電池を抜こうと思えば抜けたが、前からほしかったらしく長男がものすごくよろこんでいるし、父の手前もある。もう長男は電池を入れれば動くことなどを知っていて、ごまかしがきかないので、目をつぶることにしたのだ。そうしたら、まあ、うるさいこと、うるさいこと。長男には「あっちでやれ」とか「ボタンを押すな」と言えばいいのだが、次男と三男が節度のかけらもない押し方をするものだから、騒音という他ない。ちなみに、電池が切れて音が鳴らなくなると、あまり魅力がないのか、携帯は放ったらかしにされている。

 もはや世の中に電子音はあふれかえっている。あちらこちらで耳にする。販売機でジュースを買ったらお礼を言われたりする。わたしは昔は、その手の音にそれほど神経質ではなかった。今でもそう神経質ではないけれども、夫の影響か、家の中くらいは電子音のない方がいいと思っている。夫は仕事柄、音にはうるさい。特に電子音は嫌いだ。音が鳴ることで便利な場合というのは確かにあるけれども、自然に存在する音とちがって電子音はあきらかに人工的、機械的な音がする。音の波形をとったら、きっと尖っているだろう。そんな気がする。それを毎日、おもちゃなどで子どもに聞かせて、何か脳の発育や情緒などに影響はないのだろうか。きっとそういう研究をしている方がどこかにいるはずだ。牛にはモーツァルトを聴かせておいて、人間の子どもには電子音を与えるというのは、ちょっとおかしい。

 それでは、わが家の3匹たちが、モーツァルトを聴いて育っているかというと、まったくそんなことはないのだ。うちで流れている音楽といえば、「おかあさんといっしょ」のベスト盤とかミッキーマーチくらいである。それもCDは時々で、NHK教育の子ども番組でかかる歌などを聴いている程度だ。長男が小さいときにクラシックのCDをかけたらものすごく不評で、ぐずるのですぐにやめた。この前、次男が家で遊んでいるときに、古典が聴きたくなってモーツァルトのピアノ協奏曲だったか何かをかけてみたら、「やだ〜これ、これ、やあだああ、うわああああ〜」と血相を変えて泣きわめくのでやっぱりすぐにやめた。マーラーやショスタコーヴィッチをかけたというならいざ知らず、モーツァルトのいったいどこがそんなに嫌なのか、謎である。

 そうそう、鳴り物のおもちゃで、こんなのがあった。長男の友人宅にあったパトカーのおもちゃで、サイレンなどが鳴るようになっているのだが、あるボタンを押すと、しっかりした電子音でこう言うのだ。

 「前の車、停まりなさい!」

 このおもちゃは、お父さんたちに大変嫌われていた。     (2003.5.27)

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