ノブコです!
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ちょっとおもろい、つれづれ話

57.学校という水槽の隅っこで -昭和編3-

 自ら建てた心のバリアの中には、たくさんの書物があった。わたしは、本を読むのが好きだった。現実を忘れて、本の中の「物語」に入り込むのである。そこでは想像力という翼で、どこまでも飛んで行ける。姫君にも魔女にも何にでもなれる。

 想像力が行き過ぎて空想癖になり、授業中でもぼや〜っと「美しい翼と魔力を持つ魔王の末娘が、冒険の旅に出る」なんていう話を考えているので、成績の方はパッとしなかった。やがてわたしは物静かな文学少女に成長し、と言いたいところだが、本のうち4分の3は漫画だった。男だったらさぞや立派なオタクに成長したことであろう。

 漫画を読むだけではない。よく描いた。わたしには親友のアキヤマさんという子がいたが、この子がまたやたらと漫画が上手かった。休み時間にアキヤマさんと向かい合って、漫画のカットを描いていると、クラスの女の子達が「わあ〜、上手〜」と周りに集まってくる。このときだけは「普通」の子も怖ろしくない。もっとも、わたしよりアキヤマさんの方が実力が数段上で、感心されているのはもっぱら彼女の方であった。が、10回に1回くらいは、誰かが「これも上手いよね」と気を遣って言ってくれるので、よしとする。

 しかし、図工の時間には先生によく絵を褒められた。自分としては、他の子と同じように、与えられた課題を、ただこなしているだけなのだが、なぜか褒められる。人には何か取り柄があるものである。そこで絵画教室などに通って本気で学んでいれば、美大に行けたかも知れないなあ。何かに本気になるなんて、ずいぶん大きくなるまで考えたことがなかった。

 中学生になった。

 公立の小学校から公立の中学校に進学したのであるから、ほぼ半数が同じ小学校の出身である。だから、そう大きく環境が変わったわけではなく、継続してわたしは「おミソ組」であった。あいかわらずバリアの中にいる。学校にも同級生にも、まだまだ不信感が根強くあった。

 それでも、小学生のころとはちがって、もう子どもじみたいじわるをするやんちゃ坊主はいなかった。泣いて帰ることもなくなった。不思議といつも、仲良くしてくれる子がいた。地味ながら、可もなく不可もない中学生活。華やかなことがあったとすれば、たしか1年と3年のときに、読書感想文で区だか都だかに入選して、賞をもらった。そのくらいである。本をよく読んだせいか、小学生のころから、わたしは作文が得意だったのだ。

 あるとき父親がムートンの敷物を買ってきたことがある。茶色く染めてあるものの本物の羊の毛と皮だ。父はよく思いつきで買い物をするので、「またこんなの買ってきた」と思っていたのだが、そのときたまたま作文の宿題が出た。すると、白紙の原稿用紙を前にしたわたしはスラスラと、

「父の買ってくれたこのムートンの上に座っていると、広い広い草原に、羊たちと一緒にいるような気がします」

などと書いてしまう。よくもこんな心にもないことを書けるものである。自分でも感心する。そして、これは大人受けするだろう、と思っていると、案の定、家庭訪問に来た先生はニコニコして、「この前、作文を読みました。とってもいいお父さまなんですねえ」と言うではないか。言われた母は何だかわからなくて「はあ? そうですかあ?」という顔をしている。これも、きちんと勉強していれば文学部くらい行けたかもねえ。

 中学時代、女子の間で嫌われていじめられていたのは、ハルコちゃんという女の子だった。色白で痩せっぽちのハルコちゃんは、体が弱くて休みがちだった。いつもうつむきかげんでどんよりしている。その雰囲気が嫌われたのだろうか。でも、暗くてなにが悪いのだ。体が弱いから学校を休むのだ、たまに登校して「よっしゃ〜気合い入れて行くぞ〜」と言うわけない。言ったら、ズル休みか、高血圧で休んでたのかと疑うだろう。

 あるとき、廊下で、数人の女の子が体操服姿のハルコちゃんを囲んでいた。よく聞こえなかったけれど、どうもハルコちゃんが、何か、やるべきことをやらない、と言って責めているのだった。たまにしか登校しないハルコちゃんに、知らないローカルルールはたくさんあるはず。そんな理不尽な言いがかりがあるかッ! と、かばっていたら、わたしのその後の人生も変わっていただろう。だが、囲んでいたのは「普通」の子たちだった。わたしは、やっぱりまだ「普通」の子たちが怖かった。ハルコちゃんは貧血を起こしたらしく、壁にもたれたまましゃがみ始めた。わたしが見ていたのは、ここまでだ。わたしは自分が巻き込まれないうちにと、教室の中に逃げたのだった。

 そんなことも学校生活の中に埋もれていった。そして、高校受験という大きな波が来た。

 他のことはみんな流されて、どこかに行ってしまった。この波を、どうにかして乗り切らなければならない。とにかく、バタバタと手足を動かして泳ぐしかなかった。

 わたし達は、通学区域というブイを越えた。間もなく卒業式だった。

 それから30年ちかく過ぎた。

 わたしは、高校に進学して管弦学部に入った。美大には行かなかったけど、デザイン学校に行った。社会に出て、デザイン事務所に勤めるようになった。市民オーケストラに入った。結婚して子どもが3人生まれた。気がついたら、おばさんになっていた。

 ずっと終わらないような気がしてた学校は、遠く遠く、小さくなって霞んでいった。

 今は、小学生のお母さんとして、子どもの通う学校に行く。息子たちは、うれしいことに学校が好きだ。親の立場で、外側から見る学校は子どものころとはちがって見える。

 そうか、こんなのだったんだ、学校って。

 視点が変わると、見えてくることもある。

 学校は勉強だけする場所ではありません、とはよく聞くフレーズだけど、本当だった。人間は、人間の群の中で生きていくものだ。社会という大きな群で。その中で、他の人たちとどのように関わったらよいか、学校は、本物の社会に出る前に練習をする場所でもある。同じレベルの、つまり同じ歳の子たちと、たくさんの「こんなとき、どうすればいいの?」「こんなとき、どう言えばいいの?」をくり返し、学んでいく。練習だから、上手くいかないときもある。でも、だんだん上手くなる。本物の社会にはいろんな人がいる。気の合う人もいれば、全然合わない人もいる。だから、学校にもいろんな子がいる。それで、いい。

 しかし、この頃は、友達とケンカもしないけど、その分、深く関わらない子どもが増えているという。昔のわたしに、ちょっと似ている。

 あのころ、わたしは、自分でつくったバリアの中に逃げ込んで、小さくなって拗ねていた。曇りガラス越しにしか見てないから、ごく一部の子の他は、同じクラスの子の顔も名前もよくわからないし、話しかけられても無視することもあった。よく知らない同級生に対して、あの子たちは「普通」だから、などと線引きして敬遠するばかりで、怯えたウサギが人を噛むように、傷つけてしまったこともあっただろう。わたしは、あまりいい同級生じゃなかった。わたしは同級生たちから差別されているんだと思っていたけれど、差別していたのは、わたしの方だったんだ。

 とても大切なことを、たくさん見逃した。

 そんなことに、最近、やっと気付いた。(2008.11.15)


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