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58.常識ですよ
夫が同窓会に出席した。夫は50代、したがって同窓生の方々も50代のロマンスグレー。帰宅した夫が言うには、
「みんなそこそこの地位になってて、電車が混まない朝早いうちに出社して仕事をしたくても、出来ないって。上司の自分が早く出社しちゃうと、部下がそれより早く出社しなくちゃいけなくなって、気の毒だから」
ここで、「まあ、みなさんお偉くなったのねえ」と、相づちを打てば良妻なのであろうが、わたしは聞いた。
「なんで部下が早く出社しなくちゃいけなくなるのか」と。
上司の誰とかさんが空いてる電車に乗りたい、あるいは早く行って早く仕事を片付けたいのなら、そうすればいいだけの話ではないのか。就業時間が決まっているのなら、社員はそれより前に出社していれば問題ないのではないのか。すると、
「そんな馬鹿な話があるか。部下は、少なくとも上司の来る30分前には出社しているべきだ」
と言う。それは、なぜか。
早く行ってしなければならない仕事があるから早く行く、というのはわかる。でも、特に早く行ってすることもないのに行かなければならない、というのはまったく理解できない。夫答えて、
「それが、社会の常識というものだ」
自慢じゃないが、また自慢にならないが、わたしは社会の一般常識にうとい。デザイン学校からデザイン事務所へ就職したせいか、特に一般企業のマナーなどさっぱりである。
例えば、20代のころ、一般企業の社内報の仕事に就いたことがある。部署は編集だが、当然ながら一般の社員の方にもお会いする。初対面のときには、当然ながら名刺交換をする。自分の名刺を相手が読める向きにして渡すくらいのことはわたしでも出来た。困ったのはそのあとで、右手で名刺を差し出しているのに、相手の出した名刺をどう取ればいいのか。さっさと受け取ってくれれば右手が空くのだが、受け取らずに名刺を差し出してこちらが取るのを待っている。簡単なのは空いている左手を使うことである。で、そうした。
「君は左利きなんですか」
そこではじめて名刺は利き手で出し、利き手で受け取るのだと知った。しかし、今もってどうすればそれが出来るのかわからない。会社員は器用でなければ務まらないのだなあ。名刺ひとつ受け渡しするにも、こんなマナーというかローカルルールというか、所作があって気の毒なことである。同じ神経を使うのなら他のことに使えばいいのに。はあ、慣れればどうってことありませんですか?慣れるまでしんどくないんだろか。
しかし、もしかしたら、新人類、超人類、超超人類が社会人となっている現代では、もう名刺なんて旧世代の遺物なのかも知れない。「わたくし、こういう者でございます」と言って、バーコードが印刷してあるカードを差し出す。相手は携帯のバーコードリーダーでピッと読み取り。すると、名前はもちろん会社名、部署名、所在地、連絡先が写真付きで登録できる、とかやってるでしょ、みなさん。
そのうち赤ちゃんが産まれたらすぐに二の腕あたりにバーコードが印字されて、身元はこれを読み取ればまちがいなし、なんて。SFというほど遠い出来事にも思えない。
話はもどって、上司が早く行くと部下が困る、ということ。
わたしは、上司というのは指令塔だと認識している。部下の社員たちが、的確な仕事が出来るよう、的確な指令を出すのが仕事である、と。指令塔がいないのに下っ端だけ集まっても仕方ないであろう。また、指令塔はより的確な指令を出すべく情報を集めたり、段取りを決めたり、準備に時間がかかるだろう。準備が整うのは就業時間の前であるはずだ。就業時間とともに、それまでに集まっている部下に指令を出す。ということは、上司が早く行って仕事をするのは、少しもおかしくないし、それより先に部下が来る必要はないのである。
いーや、ちょっと待て待て。これもやっぱり無知ゆえに何となく創り上げたイメージ像のような気がする。そもそも上司は指令塔なんかじゃないのでは。指令はコンピューターが出していて、上司は、社員がさぼらず仕事をしているかと見張っているのではないか。挨拶はきちんと出来るかとか、自分にちゃんとお茶を入れるかとか、おやじギャグに受けてくれるかとか、点を付けてボーナスの額を決めるのが仕事なのでは。そこは人間だから、自分の気に入った社員の点は甘くするだろう。となると、やはり部下は上司が来る前に出社して、何はともあれ上司の机だけピカピカに磨き上げ、椅子に座ったときにお尻が冷たくないように自分の体温で暖める。上司様のお椅子にお尻を乗せるなど許されないので、懐に抱いて…あー、もういいや。(2009.3.3)
59.ランチ・メニュー(1)
わたしは主婦という立場上、日々、次の食事は何にしようかと考えている。食事は健康な体をつくる基礎である。家族には、栄養のバランスがよくローカロリーな食事を摂らせたい。なおかつ予算内でできれば言うことなし。
そんなわたしが、このとこころ、ある子ども達のための献立に頭を悩ませている。その子ども達というのは、ニューヨークはブロンクスの小学生たちである。
わたしは小学生の母親であるので、日本の公立小学校の給食の献立表は毎日のように見ている。しかし先日はじめてある本に載っていたアメリカの公立小学校のランチ・メニュー、つまり給食の献立表を目にした。ニューヨーク州ブロンクスの。その本は、現代アメリカの格差社会の現実を描いたもので、多くの衝撃的な事実を記したルポである。内容についてはどうか本を読んでほしい。
くわしいことは省くが、このランチ・メニューは、予算がないため調理も満足にできず、子ども達を満腹にするだけで精一杯で、カロリーばかり高くて必要な栄養素は足りず、いたずらに肥満児を増やしている、と書かれている。
ある1ヶ月のメニューが載っているが、たとえば、
「3日(月曜日)ハンバーガー・フライドポテト・桃・プレッツェル」
「6日(木曜日)フライドチキン・マカロニ&チーズ・きゅうりとにんじん・アップルソース・動物ビスケット」
「12日(火曜日)ミートローフ・スイートポテト・味付きコーン・フルーツゼリー・パン」
となっている。そして、こういう食事しか摂れない貧困について本は続いていく。
だが、わたしは素直にうなずけない。このランチ・メニューが「ジャンクフードやファーストフードのオンパレード」と言うのだが、実を言うと、あまり違和感なく見えるのだ。
もちろん日本の公立小学校のメニューとはまったくちがう。けれども、もしこれに牛乳が付いて、幼稚園のランチに出てきてもそう不思議ではないような気がする。幼稚園児は、小学生ほど苦手なものをがんばって食べようとはしないので、はじめから嫌いそうな野菜類は少なめにすることが多いからである。
それで、わたしはとても困惑した。これが悪いメニューの見本だとすると、違和感なく思える母親のわたしはまちがった食事を子ども達に与えているのでないだろうか。
このメニューは、たしかにハンバーガーやチキンといった肉ものが目立つし、菓子類まで付いている。が、主食に主菜、副菜、デザートという基本的な構成は守られている。ハンバーガーだけを2個か3個食べて終わりというわけではない。ただ野菜はインゲン豆やミックス野菜で済ませたりフライドポテトだったりするけれども、出ない日はない。キノコ類が見あたらないのは、アメリカではあまり食べる習慣がないのか高価だからか、わからない。汁物は出さないのか出せないのか登場しない。実物を見ていないので、もしかするとビッグサイズの肉に申し訳程度の野菜が添えてあるだけかもしれないが、常識的なボリュームだということにしよう。
それでは、これに代わるどんなものを食べさせればよいのか?予算や設備などの制約もあるからそう大きく変えずに改良するとすれば、どうすればいいだろう?ここが主婦の知恵の見せどころ。
ところがいくら考えてもこれぞというメニューは浮かばないのである。ハンバーガーではなくクラブハウスサンドにするとか、フライドチキンではなくローストチキンにする、菓子類を控える、そのくらいである。メニューのこのへんで「山菜おこわと切り干し大根」とか「五目散らしと高野豆腐」といきたくてもそうはいかないのだから仕方ない。
他の裕福な地域の子ども達は、ローカロリーで栄養価の高い手づくりのランチを持ってくるのだという。その中身は一体どんなものだろう。できれば模範解答を載せておいて欲しかった。昔読んだスヌーピーの出てくるピーナツシリーズのチャーリー・ブラウン達は、ランチといえば判で押したようにピーナツバターサンドばかりだったが、彼らは貧困層の子ども達だったのであろうか。(2009.3.31)
59.ランチ・メニュー(2)
そもそもアメリカのメニューは脂質が多いのである。
百年前の、西部開拓時代のアメリカを舞台とした小説「大草原の小さな家」には、当時の食卓の様子がよく描かれている。ここでも脂質がてんこ盛り。塩漬け肉のステーキ、ベーコンと豆の煮込み、挽き割りトウモロコシのパン、必ず付くデザートはバターと砂糖たっぷりのアップルパイ、といった献立が続く。これだけ高カロリー、高コレステロールの食事で、彼らが長生きしたかどうかは定かではないが、肥満であったとは描かれていない。おそらくそう肥満ではなかったであろう。なぜなら、運動量が現代人とくらべて桁違いに多いからである。電気やガスもなく夏は40度ちかく冬は−30度を超す環境で、生き延びて活動するにはこれくらいの食事を摂らないとへばってしまったらしい。
変わったのは食事ではなく人々の暮らしぶりの方である。運動量の方だ。とはいえ今さら西部開拓時代と同じになれるわけはない。もうひとつ変わったのは、飲料。百年前は飲まなかった「コーラまたはチョコレートミルク」が、実はニューヨークの公立小学校ではオプションで付いている。ただでさえカロリー高めの食事にこんなものを飲んだらひとたまりもない。脂質と糖分のダブルパンチだ。
でも、この高カロリーの元凶のように言われている脂質も、人間の体にとって必要な栄養素のひとつであるはずだ。問題は、摂りすぎてしまいがちだということ。なぜ摂りすぎてしまうのか。元来、人間には太古の飢餓の記憶が残っており、脂質を多く摂って溜めようとする本能があるという。だから人は脂質を食べると「快」と感じる。つまり美味しいのである。トンカツもステーキも焼肉もフライドチキンも美味しい。脳は本能にしたがって「もっと食べよ」と指示を出す。
この脂質の次に「快」を感じる成分が、うま味。昆布やかつお節でとる「だし」に含まれるグルタミン酸。こちらはローカロリー、ローコレステロール。脂質にかたむこうとする本能をうまくうま味に向けることができれば、肥満や成人病などのリスクが減るという。
しかし、生まれてこのかた脂質が多く味付けの濃い食生活を送ってきた人が、急に「だし」のきいた筑前煮や煮付けなどで満足できるかというと、そうはいかない。子どものころから薄味の和食を食べ慣れ、「だし」の味が舌になじんでいることが、長じて脂質にかたむかないコツであるらしい。
という話を聞いたおかげで、わが家の夕飯には、鶏の治部煮、かぼちゃの煮付け、サバの塩焼き、味噌汁などひなびた献立がけっこう多いが、子ども達はとりあえず文句を言わずに食べている。でも、それは毎日ではない。子どもはやはりハンバーグや唐揚げ、エビフライなどが好きである。どうせなら喜んで食べるのがわかっているものをつくってやりたい。
ましてや昼食から煮付けをつくる気はこちらもしない。ランチはかんたんに済ませたい。
今の日本で、ブロンクスのランチ・メニューを一蹴できる母親がどれほどいるであろう。休日の昼時にファーストフード店やファミリーレストランを見るがよい。子ども達はハンバーガーにチキン、フライドポテトを頬ばるか、申し訳程度のコーンや枝豆の載ったお子さまランチを食べている。そして家に帰って座ったままゲームをやって、おやつに炭酸飲料とスナック菓子やチョコレートを食べる。
ブロンクスの子ども達の多くは「過度に栄養が不足した肥満児」なのだという。
さて春休みのランチ、どうしよう…。(2009.3.31)
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