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セミの難
夫が、「休日に山の上の別荘地で、何もすることがなく、カナカナの声を聞きながら午睡するほど気持ちのいいことはない」と言う。誤解のないよう明記するが、うちが別荘を持っているわけではない。
カナカナの声はたしかに風情があるし、それを聞きながらの午睡は幸せである。だがしかし。そのカナカナがとまる樹を切り倒して道をつくり、家をつくり、排気ガスをまき散らしながらやってきて、「ああ、自然はいいなあ」と言う。いかにも都会人の言いそうなことではないか。いかにもお坊ちゃんらしい。
それとも「思っていても言わないようにしよう」などというのは、肩肘張った若者のすることで、齢50を過ぎると別にどうでもいいのであろうか。あるいは、肩肘張るのは野暮で、田舎者のすることだから「いかにも言いそうなこと」を、「あえてそのままサラリと言う」ことを選んでいるのか。
そしてわたしは、午睡はどこでしても気持ちがいいし、何時間もかけて別荘地まで行くことを思えば冷房をかけて自宅で寝た方がその分よけいに寝られるじゃないか、と思うのだった。
もしかして夫とは育ちがちがうのではないか。だからこう感覚が合わないのではないか。
しかし、夫婦間で感覚がちがうことなどめずらしくない。世代間の差ということもある。生まれ育った地域差というのもある。夫は東京生まれ、そしてわたしは大阪生まれである。
昔みたテレビの深夜番組で、ある上方芸人が、好きだという銘柄の酒を飲みながら、「どんなところで飲むのがお好きですか?」と質問され、困ったような顔をして、「どんなって…。どこで飲んでも酒は酒ですやん。おんなしやで」と答えていた。その困惑がよくわかった。「どんな」って「どんな」なんだろう。
わたしは大阪で生まれたが、ものごころついたころには東京に住んでいた。大阪にいたのはほんの6歳くらいまでである。今では関西弁などとてもしゃべれない。大阪の地理もほとんど知らない。にもかかわらず大阪のエキスのようなものが、爪の先あたりに残っている気がする。大阪はとにかく色が濃い。それも半端な色ではなく極彩色の染料をくたくたに煮詰めたような、色。わたしには大阪人ほどの情の厚さもお節介度も人なつっこさもないけれども、「どこで飲んでも酒は酒」という感覚はわかる。ほんのかすかな大阪の感覚が、大阪に住んだことがあるのだという風変わりな誇りになっている。
亡き母が、最後にもう一度行きたいと言ったのは、故郷の福井ではなく大阪であった。もう一度、あのまわり中みんな大阪弁をしゃべってるところに行きたい、と。幼い日に、母に連れられて行った市場で、大阪弁でいせいよく客を呼んでいたおっちゃん達。「おっちゃん、このコンニャク、あっちの店やったら3円安かったで」と大声でねぎるおばちゃん達。「奥さん、よう見てみい、うちとこのは3ミリ厚いで」
大阪に住んでいたあのころが、母にとってもっとも活気のあった時代なのかもしれない。まだ夢中で人生を走り続けていた時代の、思いの染み込んだ場所。もしかすると母も、爪の先に残る大阪の感覚に、風変わりな誇りを持っていたのだろうか。
今はもうどこにもないあのころの大阪に、母は帰ったろうか。
息子たちと暮らすこの街が、きっと母にとっての大阪と同じく、わたしの帰りたい場所になるのだろう。
そんなことをつらつらと考えるお盆である。
カナカナは元気に鳴いているか。
排気ガスも冷房による温暖化も、カナカナにとっては災難なことだ。(2009.8.15)
60.メシアたち
4月、新学期が始まった。ようやくうちの3人の息子たちも学校へ行ってくれるのだ。ああ、これでまた静かな時間が持てる。やれやれ。
息子たちが通う小学校は生徒数1000人を越すマンモス校だ。世帯数は約900。だから春の運動会などよく探さないとどれがうちの子かわからない。みんな同じ体操服の子が、1学年につき200人くらいいる。目立つ靴下をはかせないと探しているうちに競技が終わってしまう。あせって適当に写真を撮ったらよその子ばかり写っていた。父母席というのもない。親はその辺で立ち見をして、我が子が出ない時間帯には家に帰ってまた出直すのである。
こういう環境になじんでいるせいか、「少子化」と言われても今ひとつピンとこない。何しろうちだけでも3人いるのだし。
ところがである。
子ども達は、朝の集団登校のため登校班とういうのを組む。同じ地区の子ども4〜5人を1班として、多ければ複数の班を編制する。うちはマンション全体をひとつの地区として、長男が入学したころは5班ほどの班があった。それが今年度は3班であるという。
もちろん子ども達は大きくなって小学校を卒業していく。しかし減った分、新入生が入ってくれば全体数は変わらないはずだ。それが、年々減る一方なのである。息子たちが幼稚園のころ近くの公園から乗っていた幼稚園バスも来なくなって久しい。おやバスが停まっているなと見ればデイサービスのバスである。今や朝の8時から9時の時間帯に街を走る送迎バスは、幼稚園よりデイサービスの方が多いと思われる。
春休みの間、あちこちの公園や道ばたでもうるさいくらいだった子ども達の声、これがまったく聞かれない日がやがて来るのだろうか。
元ハンセン病の療養所に取材を重ね、執筆されたノンフィクションを読んだ。その中にこのような場面があった。著者は女性で、出産のためしばらく訪れなかった療養所に赤ちゃんを連れてやって来る。車から降ろそうとしたとき、赤ちゃんは大声で泣きはじめた。公表されているように、ハンセン病に対するまちがった政策によって元患者の方々には子どもを持つことが許されていなかった。だから園内には、高齢になった元患者の方たちしかいない。葉擦れの音が聞こえるほど静かな空間に、赤ちゃんの声は響きわたった。
芽吹いたばかりの若葉のような輝きに満ちた声。あの方たちは、どんな思いでその声を聞いただろう。
もしも、終わりを向かえようとしている世界に、ひとりの赤子が生きる力をそそいだのだとしたら。まさにメシアである。
この、新しい生命の誕生なくして、それに代わるどんな希望があるだろうか。
われわれは誰でも生まれ落ちた瞬間から終わりに向かっているのである。ただただひとつの流れにしたがうだけの存在なのである。ふと振り返ったところに、新しい生命がひとつもなければ、あとに残るのは無があるのみである。
とはいえ栄枯盛衰という言葉もあるように、始まりがあれば終わりがある。「少子化」が自然の成りゆきであるならば、それを変える術がないとするならば、われわれはゆっくりと終わろうとしている、ということだ。
でも、できれば孫の顔が見たいなあ、わたし。(2009.4.14)
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