ノブコです!
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ちょっとおもろい、つれづれ話


8.去年の夏休み-その1-大移動・出発編

 2003年の夏休みが近づいてきている。今年はゴールデンウィークと同じく、景気の悪さとSARSの影響で、海外旅行に出かける方も少ないと思われる。その分、国内旅行が増えるのだろうか。

 わが家の夏休みといえば、「お盆の帰省」というオーソドックスな恒例行事がある。帰省先は、わたしの両親の出身地である福井県。日本海に面した東尋坊と原発で有名なところである。ここからはお世辞にも近いとはいえない。そこへ、外食すら面倒だからしないくらいなのに、3匹のチビチビたちを連れて行かなければならないのだ。かなりの労力を消費するイベントだ。これまでにも数々のエピソードを生んでいる。今年は道中、何が起こるのか。みなさん、9/1更新の夏休み特集号にご期待ください!

 その前に、去年の夏休みを振り返ってみよう。

 2002年、8月8日、午後3時30分、夫とわたし、そして3人の子どもたちが乗った車は自宅を出発。一路、川崎のフェリーターミナルを目指した。
 去年は、福井への帰省だけでなく、何と、熊本旅行というのが加わっていたのである。というのは、夫に熊本のアマチュアオーケストラの合宿の仕事が入っていて、「子ども連れが多いので、ぜひご家族で」と勧められ、せっかくだからお受けすることにしたのだ。日程からして、帰省と重なってしまうのだが、去年は恒例行事というだけでなく、わたしの母の一周忌の法要があり、どうしてもお盆には福井に行かなくてはならない。したがって、越谷→熊本→福井→越谷という無謀なまでの企画となってしまった。全日程12日間。今でも小さい子どもたちだが、約1年前はもっと小さかった。5歳になったばかりの長男、2歳の次男、1歳そこそこでやっと歩き始めた三男。その3人を連れての日本縦断の大移動。なぜそんな気になったのか、今考えると、どうかしていたとしか思えない。荷物は夜逃げくらいあった。道中大変だったかって?大変だったとも!

 大移動は、まず川崎からカーフェリーで、九州は日向港へ向かうところから始まる。飛行機ではなく船、というところに注目していただきたい。飛行機での移動も考えたけれども、飛行場までの移動、着いてからの移動、福井での移動、荷物と子どもの運搬、などをすべてタクシーとレンタカーでやりくりするよりは、車ごと行ってしまうのがいいと判断したのだ。それに船なら船室をひとつ借りてしまえば、中で自由にしていられる。よし、船だ!と決まった瞬間から、がぜん夫の目が輝きだした。昔から彼は海や船が好きで、何かというと船に乗りたがっていたのだ。地方への仕事も、時間の都合で仕方なく飛行機を使っているらしい。それが家族で九州まで行けるというのだから、嬉々として予約を取った。そして当日、わたしたちの目の前に現れたのは、パシフィックエキスプレス号、1万2千トンの豪華フェリーだ。

 こんな大きな船に乗るのは、はじめてだ。まるで丸の内のオフィスビルかホテルが横になって海に浮かんでいるみたいだ。時刻はすでに午後6時、夕闇の中に浮かび上がる姿は、素晴らしい旅を約束してくれているような、期待に満ちた姿だった。

 午後6時45分、乗船。乗船して1時間は車にもどることができる。とりあえず手荷物だけを持って、船室へ向かう。駐車場から狭くて急な階段を、大勢の乗客と一緒に上っていく。これまた狭い通路を抜け、ロビーに出ると急に雰囲気は変わって、豪華ホテルのような広々とした空間が広がっている。足下は柔らかな深紅の絨毯。ロビーの一角にはレストランもある。思ったより揺れない。外が見えなければ、とても船の中とは思えないくらいだ。

 船室は、二等の和室であった。6畳間にシャワーとトイレが付いている。これも夫は「特等室を取る」といきまいていたのだが、そんなお大尽な旅ができるわけがないので、二等に妥協させたのだ。とてもいい部屋だと思ったが、夫は「窓がない」とまだ不満そうである。もう1ランク上だと窓があるのだという。しかしせまい車内で窮屈だった子どもたちは、部屋の中で喜んで遊んでいる。到着は、翌日の夕方、約18時間後。朝になったら海を見せに行ったりできるし、一晩過ごすには充分である。

 すでにレストランが閉まっている時間だったので、持ってきたパンと飲み物で夕食をすませ、シャワーをあびて寝ることにした。着替えや、退屈したときのためのCDラジカセなどの荷物を運び、旅の第一日目を終えた。子どもたちは疲れたと見えて、コロリと寝てしまった。

 すぐ寝てしまうのももったいないので、夫婦で甲板に出て夜空と海を眺めた。海を行く船の軽い振動、波をたてて進む水音、漆黒の海、風、豪華フェリーでの静かな夜。なんとロマンチックなのだろうか。夜食が自販機のカップラーメンしかなかったが、まあ、よしとしよう。明日になれば、すてきなレストランで食事ができるのだ。船は外洋に出て、少し揺れが大きくなってきた。

 それが悲劇の兆候であるとは、そのときのわたしにはまったくわからなかった。

 -その2に続く-(2003.6.25)


9.去年の夏休み-その2-大移動・船中編

 「じゃ、行ってくるから。大丈夫?」
 と夫が言った。彼はこれから3人の子どもを連れて昼食を取りに出かけるところなのだ。わたしは答えた。
 「大丈夫じゃない。寝てる」
 声を出すのがやっとである。顔を見ようと頭を動かしたら、ぐっと吐き気がこみあげてきた。そう、わたしは朝、目が覚めたときからひどい船酔いに襲われ、起きることすらままならないのである。船酔い!乗り物酔いの中でも、これほどタチの悪いものがあろうか。何しろ海の上なのである。「ちょっと気分が悪いので降ろしてください」というわけにはいかないのだ。どんなに具合が悪くても、ひたすら港に着くのを待つしかないのだ。

 わたしが起きられないので、朝食は昨日の残りのパンやバナナで済ませたが、さすがに昼食はちゃんと食べさせてやらないとかわいそうだ。そういうわけで、夫はひとりで子どもたちをレストランへ連れて行くことになったのだ。長男と次男は喜んで走って行く。なぜだか夫と子どもたちは何ともないのである。苦行を強いられているのはわたしだけなのだ。危ないから走らないようにと言いながら、夫は三男をバギーに乗せて出て行った。

 ひとりになってしまうと、ただもう寝ているだけしかすることがない。部屋にテレビはあるが、目を開けて何かを見るなどということができないのだ。座ってもいられない。起きると頭がくらくらして、むっと吐き気がする。横になって目を閉じるといくらかましである。その間にも、船は左右にゆらりゆらりと揺れ続けている。絶えることのない規則的な揺れ。一瞬でいいから静止して欲しいと思う。電車や車は、常に揺れ動いているわけではない。止まったり動いたりをくり返している。しかし船に限っては、止まるということがない。気分は悪くなる一方なのである。

 そういえば、とわたしは思い出した。新婚旅行でレンタカーで九州を走ったときも、気持ちが悪くて寝ていたっけ。夫は後々まで「せっかくいい景色だったのに、寝てばかりいた」と愚痴っていたものだ。夫は乗り物酔いをしないので、吐かないように寝ていようというわたしの配慮に理解がないのだ。「乗り物酔いなんて気のせいだ。そんな症例はこの世に存在しないんだ」とまで言う。ある雑誌に「つわりで気持ちが悪くなるのは、気のせいです」などと書いてあったが、書いたのはきっと男だろう。そういうアンタ、一度つわりになってごらん。それで同じことが言えたら褒めてやる。乗り物酔いも、一度してみるといいのだ。これが気のせいかどうか。

 船は時々、ぐらあ〜んと大きく揺れる。それにつられて目が回る。ううう、気持ちが悪い。そうそう、わたしは昔から乗り物の中でも、特に船には弱かったのだ。学生時代、同級生と式根島に行ったときも、フェリーで吐いて、みんなのひんしゅくを買ったのだ。夫と結婚前に行った浅草で、水上バスに乗ったこともあったなあ。あのときは彼がそんなに船好きとは知らなかったけれど、あまりに楽しそうに誘うので断り切れずに乗ったのだ。だけどやっぱり気持ちが悪くなり、上機嫌でしゃべっている彼に「うん」とか「ああ」とかしか答えずにひたすら降りるのを待ったのだった。あのときは騙されたよな。今回だって「大型フェリーなんだから、そんなに揺れるわけない。ちょっと振動するくらいだ」って言ってたのは誰だ。ああ、また騙されたんだ。豪華フェリーだって楽しみにしてたのに。ああ、憧れの船上レストラン。下船まであと何時間なんだ。チクショー、どうでもいいから揺れないでくれ〜〜〜。

 わたしが部屋でそんなことを考えている間、夫と子どもたちはどうしていたかというと、きれいなレストランで楽しく食事をしていた…のは子どもたちだけで、夫は猿のように食べ散らかすわが子の始末に翻弄されていた。バイキングだったので、好きそうなものをいろいろ並べてやったのに、長男の食べているものを次男が食べたがったり、横から三男が皿ごとひっくり返しそうになったり、手づかみで食べるわ、こぼすわ。夫は最後にテーブルの下にもぐって食べ散らかしを拾い集めたという。

 「俺があんまり苦労してるもんだから、店員が同情して声かけてくれたよ。おひとりで大変ですねって」
 と後で言っていた。ふふふ、これでもう二度と船で旅をしようなどとは言い出さないだろう。ざまあみろ。

 旅はまだまだ続く。

 -その3へ続く-(2003.6.26)


10.去年の夏休み-その3-大移動・下船編

 午後5時、船は港に近づいた。下船の準備をしなければならない。だが、わたしは、漫画に描くと両目が渦巻きになっている状態のままなので、荷物はすべて夫がまとめた。

 アナウンスがあり、下船開始。しかし、ここで我々はまたひとつお勉強をすることとなる。乗船のとき、分けて運べた荷物が、下船の際には一気に持ち運ばなければならないのであった。通路は狭く、最後は急な階段だ。ただでさえ荷物が多いのに、三男はバギーから降ろして抱かなければならないし、そのバギーを運ばなければならないし、おまけに一斉に降りようとしている乗客でごったがえし。次男が迷子にならないように手をつながなければならない。後ろを向くと、重いラジカセを持たされた長男が、ヨロヨロとついてくる。でも休むわけにはいかない。車はぎっしりと整列して停めてあるから、うちの車が出遅れると大変迷惑なのだ。みなさーん、カーフェリーをご利用の際には、荷物は欲張らないようにしましょう!

 車がガタンと日向港に降りると心底ホッとした。無事に下船できた喜び、陸に上がれた喜び。そして、上陸してものの1分もたたないうちに、わたしの船酔いはスーッと消え、次の瞬間にはこう言っていた。
 「お腹空いた」

 コンビニで買ったパンをパクついているわたしを、夫は疑惑のまなざしで見ていた。その目は「お前、本当に具合悪かったのかよ?」と言っている。本当なのだ。本当に死ぬほど気持ちが悪かったのだ。ところが、船酔いというのは、陸に上がったとたん嘘のように消えてしまうものなのだ。どういう仕組みなのかは知らないが、そういうものなのだ。1年たった今でも夫は疑っているが、どうして嘘をついてまで飲まず食わずで部屋にこもってなきゃいかんのだ!子守りを夫ひとりに押しつけて、日頃の大変さをアピールしようと企むほどわたしは計略家じゃないぞ。

 夫婦に溝を残して、豪華フェリーでの移動は終わった。わたしたちは、この後、熊本の人吉温泉でオーケストラの方々と合流し、楽しく過ごさせていただいた。合宿であるからもちろん練習がメインだが、空いた時間には子どもたちと遊んでいただいて、バーベキューや流しそうめんなどもご馳走になり…その節は大変お世話になりました。そのことも詳しく書きたいが、今回は移動の話にもどることにする。

 熊本の観光もそこそこに、わたしたちは門司港へと向かった。何と、性懲りもなく、ここから神戸まで船で移動しようというのである。このときばかりは夫も、「酔い止めを飲む」というわたしを止めなかった。

 酔い止めがきいたのかどうかは定かではないが、前回と打って変わって約12時間の航行中、わたしはまったく気分が悪くならなかった。乗船してすぐ、船上レストランでたらふく食べ、部屋にもどって子どもたちとテレビで鉄腕アトムなどを観ていた。このときの部屋は洋室で、やはり窓もなく、ベッドはふたつしかないので半数は床に寝るという、やや劣る条件だったにもかかわらず、朝になっても平気の平左。この違いはどこから来るものなのだろうか。

 答えは簡単。船がちっとも揺れなかったからである。船は凪の瀬戸内海を滑るように航行したのだ。まったく氷のように、波ひとつない海というのが存在するのである。これだったら何日乗っていてもよい。瀬戸内海から出さえしなければ。

 おかげで気分良く神戸ポートアイランドに到着。またまた車でひた走り、滋賀県は琵琶湖のそばに住むわたしの姉の家へ。2泊のち、やっと福井へ到着。大勢の親族が集い、母の一周忌も無事に済み、やれやれというところで、先に福井に来ていたわたしの父が、めまいと嘔吐で急に具合が悪くなり、救急車で運ばれ、入院するという騒ぎが起きた。何しろ高齢者のことだから、翌々日には一緒に帰る予定だったのにどうしようと思っていたら、ケロリと治って退院許可が出た。8時間、車で走って帰ったが大丈夫だった。いったい何だったのか。父は今も元気である。原因はまったく不明。仮病のような気さえする。

 いやいや、人が何と言おうと、どんなに疑われようと、本人が具合が悪いというのだから、具合が悪いのだ。気持ちが悪いとか気分が悪いとかは、その本人にしかわからないことなのだ。他人はそれを受け入れて信じればよいのだ。だから、どこがどのように嫌で具合が悪くなるのかときかれても、よくわからないのだから、きかないでくれ。

 「車なんかはそんなにひどくないわけだろ。やっぱり心理的なものが大きいんじゃないかな。海の上だと思うから不安になるとか。同じ揺れ方でも陸だったらいいってことないか。実験でさ、ここは陸地ですって教えておいて、船みたいに揺れても大丈夫なんじゃないの」

 どこでそんな実験をやってるんじゃ!わたしはただ船酔いする体質なんですってば!

 -終-(2003.6.27)

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