ノブコです!
読んでってね!
ちょっとおもろい、つれづれ話


1.名前をつける

 子どもが生まれたとき、しなければならないことといえば、まずは出生届である。そしてそれは、すなわち、名前をつけることなのだ。

 名前。わが家の3匹は、みな夫婦であれこれ言い合いながら考えた。一番悩まなかったのは、第1子のときだった。なぜかというと、夫が男の子ならどうしても、「誰でも知っている日本男児の代表的な名前」をつけたいと言い張ったからである。超音波診断により、妊娠後期に男の子らしいことはわかっていた。が、わたしも実家の両親も「ええ〜!?」とかなり驚いてしまった。わたしは子どものころに観たウルトラマンシリーズを思い出したし、実家の両親は、昔飼っていた犬を思い出したという。どちらにしろあんまりいい印象はしなかったのだ。ところが夫は誰に何と言われようと、この名前がいいのだと主張した。

 「男の名前の中で、これほど堂々としていい名前があるか。犬につけるなんてとんでもない!ああ、俺はどうしてこの名前じゃないんだろう。もしこの名前をつけてくれてたら俺の人生も変わっていただろうに!」

 そこまで言うか。それなら、まあ、とりあえずいいじゃないか、というわけで妊娠中は「仮名」として呼んでいた。わたしは、生まれてからでも少しは考える時間があるのだから、子どもの顔を見てもう一度考えればいいと思っていたのだ。ところが、そんな余裕はまったくなかった。出産時に合併症のトラブルがあり、子どもの顔をまともに見ることもできなかったのである。ご存じのとおり、出生届は生まれてから14日以内に出さなければならない。考えてるヒマはない。ええ、これでいいわい!と、そのまんま「日本の代表的な名前」になったのであった。

 第2子の場合、かなり悩んだ。兄がわりとこだわった名前をつけたため、弟にもそれに釣り合うような名前をつけなければならない。いや、別にそんな義務はないのだけれども、わたしたち夫婦はそう思い込んだのだ。古風なのはいいが、呼びにくいのは困る。懲りすぎはいやらしいし、今風の名前も合わない。周りからは「次は次郎か?」とよく言われたものだった。しかし、弟だから次郎…って、実は何も考えずに名付けてますと言わんばかりではないか。それだけは避けたい。

 それに、わたしは第2子には、いい画数をつけてやりたかった。もともとわたしは、雑誌の占い特集を真剣に読んだりする性癖を持っている。第1子のときには出来なかった分、画数の本を見ながらムキになって計算した。かたや夫は、字そのものが持っている意味にこだわるから、枕かと思うような辞書を繰って調べている。妻が候補をあげれば夫が調べ、夫が候補をあげれば妻が計算する。そうしてたどり着いたのが、今の次男の名前だったのである。古風でありながらシンプルで、親しみやすく、呼びやすく、画数もいい。夫婦ともに大満足、納得の命名であった。

 で、第3子。

 ああ、また男の名前を考えなければならないのか…。もうネタがない。でも何かつけなければ。面倒だから「三郎」にしようかとも思ったが、それではあんまりなので、また同じことをくり返した。字、画数、音の響き、兄たちの名前との釣り合い、それから子どもたちが大きくなって日本以外で活動することを考えて、外国人にも発音しやすい名前であること、そのすべてをクリアした名前、それが三男の名前だった。もう4回目はかんべんしてほしい。もう考えられない。「四郎」にする。

 ところで、女の子の名前は全然考えなかったと思います?いいえ、毎回、ひょっとしたら、の期待を捨てずに考えましたとも。わたしが、女の子だったらぜひこれをつけたいと願っていた名前、なぜか晶太が生まれた少しあとに、やんごとなき方のところへ行ってしまいました。(2003.2.25)




2.長男はつらいよ

 男ばかりの3兄弟。その中で、誰が一番、いい思いをするだろう。はっきりとはいえないが、みんなそれぞれプラスとマイナスが釣り合っているような気がする。では、誰が一番、大変か、というと「長男」ではないだろうか。

 わが家の長男がまだひとりっ子だったとき、彼はまさに小さな王子であった。ふだんは父と母の注目をあび、母の実家ではそれに加えて祖父母にもかまわれ、四人の愛情を欲しいまま。おもちゃや本はみな自分のもの、食事もお菓子も昼寝の時間も自分中心に考えられていた。でもそれは2歳8ヶ月で終わった。

 子どもがふたり以上になると、どうしても小さい方をかまってしまう。次男が生まれると「赤ちゃんが寝てるから静かに」とか「今、ミルクの時間だから、待っててね」などと言われるようになった。それでなくとも遊んでもらう時間が少なくなって面白くないというのにだ。このころは長男も兄という立場に慣れていなかったためか、そういう年頃だったのか、よく癇癪を起こしたりした。母は赤ちゃんの世話で手一杯だから、その分お父さんが気をつけて、かまってやるようにしていたものだ。

 さて、弟がふたりに増えた現在はどうであろう。

 長男は絵を描いたり工作をするのが好きなので、家でもよくやる。一生懸命に絵を描いて、色を塗ろうと思う。うちでは、小さいバケツの中に色鉛筆やクーピーがまとめて入れてある。それを座卓にのせて描いていると、弟たちが寄ってきて、自分もやろうとするのか、画用紙を引っぱったりする。「だめ!」と言ってもきかないので、体を押すと後ろへひっくり返って、泣く。お母さんに「小さい子を押してはいけません!」と怒られる。もうひとりがクーピーの入ったバケツを逆さまにして中身をぶちまける。やっぱりお母さんに「なあに、この部屋は!片付けなさい」と怒られる。やったのは弟なのに。でもお母さんは「だから少しだけ出して後はしまっておきなさいって言ったでしょう。片付けておかないからよ!」と言う。ハサミで紙を切ろうとする。うっかり置いておいたら弟が持っていってしまって、お母さんが怒る。粘土も好きだが家ではできない。小さい弟が食べるといけないからだ。せっかくつくったお面を弟がやぶってしまった。「こらーっ!!」と怒鳴ったらお母さんに「小さい子に優しくしなさい!」と言われた。

 と、一時が万事この調子なので、かなり長男が割を食っているような気がする。時々、長男が一人っ子だったらこうはならないだろうにとも思う。おやつも、長男だけなら遠慮なく出してやれるところを、次男がいる前では少ししか出してやれない。兄と同じ分量を欲しがって、同じ分量を平らげてしまうからだ。おかげで次男は太りすぎになり、1歳半健診の際、栄養指導を受けるはめになった。それ以来、次男のおやつは制限している。だから余計に次男の前ではおやつを出せないのだ。長男が心ゆくまでおやつを食べられるのは、次男が寝ている間だけである。たまに、かわいそうなので「内緒だよ」とアメをやったりすると、そこは子どもの浅はかさ、喜びのあまり次男の前へ持って行き「見て見て〜、アメもらったよ〜」などと見せびらかしてしまうので、油断できない。

 もちろん兄弟でとても楽しそうに遊んでいる。長男と次男はお互い、いい遊び相手なのだ。毎日あきもせず戦いごっこだの何とかごっこだの遊びたおしている。長男が幼稚園に行ってしまうと次男は手持ちぶさたで「すぐ帰ってくる?」などときくくらいだ。三男はまだ小さすぎて仲間に入れてもらえないが、長男がときどき三男もかまってやると、ものすごく喜ぶので、長男もうれしそうである。

 しかし、その結果、部屋がちらかると、「片付けなさい!」と怒鳴られるのは長男だ。見てると7割方弟が散らかしているのだが、長男の他に片付けられる子どもはいないのだから仕方がない。この頃は長男も大きくなったのか、怒られ慣れたのか、さほど気にせず片付けている。ごく最近になって次男も少しは片付けらしきことができるようになってきたとはいうものの、やはり太郎ばかりが割を食っているような気がする。

 長男は、弟なんかいなければいいのに、と思うときはないのだろうか。

 わたしがそう案じていると、長男はすがすがしい笑顔で「次の赤ちゃんの名前は、こうちゃんがいい」などと言う。
 長男は、次男のお兄さんで、次男は三男のお兄さんで、三男は、お腹の中にいる赤ちゃんのお兄さんなのだそうだ。

 おいおい、いつお腹に赤ちゃんができたんだ。このお腹の大きさは赤ちゃんが入っているからじゃないぞ。
 「え?お母さん、また赤ちゃん産むの?」
 「そりゃあそうだよ。だってお母さんなんだから」

 どうも長男は、お母さんというのは次々赤ん坊を産むものだと思っているらしい。実際、そうだったけれども。息子よ、本当にそれでいいのか?
 「でも、また赤ちゃんが産まれたら大変だよ。すごーくたくさん生まれたらどうする?」
 「大丈夫だよ。みんな遊んであげるから!」

 頼りにしているよ、長男。(2003.2.25)

3.おっぱいのはなし

 わたしは、実際に自分が子どもを産んで育てるまで、赤ちゃんというのは自然に母親の乳を飲むものだと思っていた。いい方をかえると、母親が赤ちゃんに母乳を飲ませるのに、苦労をするとは考えたこともなかった。

 わが家の場合、長男は、母であるわたしが産後も薬を飲んでいたために、一度も母乳を飲まずに育った。最近は不祥事が噂になっているナントカ乳業だが、その粉ミルクのおかげで長男はすくすくと育ったのだ。薬を飲まなくなったらすぐにでも母乳を飲ませたいと思い、なるべくまめにしぼっていたものの、飲ませる機会がないままおっぱいは出なくなり、長男は大きくなった。

 したがって、次男のときには、張り切って母乳を与えた。夢はもちろん母乳育児である。

 次男はとにかくよく飲む赤ん坊だった。産院にいるころから、もらったミルクはきっちり残さず飲み干した。赤ちゃん、特に新生児は途中で休憩しながら飲むことが多く、中にはぷいと飲むのをやめてしまってお母さんを困らせる赤ちゃんもいるという。だが、次男はいつも一気飲みで、一服したことなどなかった。

 では、さぞかし母乳もよく飲んだだろうというと、ところがどっこい。産院で教えられたとおり3時間の間隔で授乳をするのだが、すでに次男は待ちきれずに大泣きしている。これまた教えられたとおり、ミルクの前に母乳をやろうとする。ところが自分から吸いついてくるはずの赤ん坊は、いくら口に乳首をあてても吸いつかない。それどころか口に乳首をくわえさせるのもままならない。乳首にも個人差があろうが、わたしのそれは新生児の口には大きすぎて、口をいっぱいにあけないと入らない。口の中が乳首で埋まってしまうので、赤ん坊は何だか苦しげである。

 それにおっぱいは、下に向けただけでぽたぽた落ちてくる哺乳瓶と違って、赤ちゃんが吸わないと出てこない。おっぱいの出口である乳口も初めのうちはまだ開かれていないので、なおさら出にくい。これは赤ちゃんが吸えば吸うほど開いてくるものなのだ。また、ヒトの体は不必要な分泌をするほどヒマでなく、おっぱいに乳が溜まっていると新しいお乳は製造されず、あまり溜まりっぱなしだと「必要なし」と勝手に判断し、営業を停止してしまう。だからどんどん飲んでどんどんおっぱいを空にすれば、新しいお乳がたっぷりつくられ、開かれた乳口から何もせずともにじみ出てくるような理想のおっぱいになるのだ。

 それなのに次男は口いっぱいに乳首をくわえたまま、出ない乳に憤慨して泣いている。しかたがないから口の中におっぱいをしぼる。少しはお乳が出るが、泣いているものだからむせてしまい、顔をまっ赤にして泣き叫ぶ。おっぱいはやめだ。哺乳瓶をくわえさせるとがっぷがっぷと一気に飲んだ。

 これではいつまでたっても母乳育児などできないのではないか。

 産院では、
 「はじめのうちは赤ちゃんも下手ですからね。あせらず根気よく続けてください。足りない分はミルクをやっていいですから。おっぱいのマッサージもしてみてくださいね」
 というアドバイスをもらった。

 ふたりの子どもを母乳で育てた叔母は、
 「そんなもん、ちょっとやそっとでは赤ん坊は吸いつかん。根気ようやらんと。でも一度吸いつくようになったら夜中でも吸いつくから」
 と言った。赤ん坊に乳をやるのに「根気」がいるなどとは知らなかった。

 わたしの父は、母と子の強い愛情はおっぱいをやることによって培われると信じているらしく、あまりにもたどたどしい授乳に「そんなんでどうするんだ!もっとちゃんとやらんか!」と怒鳴った。そう言われても…。未熟な母は、ただ、おろおろするばかりだ。

 搾乳して哺乳瓶で飲ませると、ミルクと同じように飲むことがわかった。それで毎日、1回分くらいのお乳を哺乳瓶に搾乳して冷蔵庫に入れておき、時間がくると暖めて飲ませた。

 それにしても、毛も生えていないネズミやブタの赤ん坊だって母親の乳にむしゃぶりつくし、カンガルーの赤ん坊などは母親の股からお腹の袋まで這い上っていき、中にある乳首を探し出して吸い付くというではないか。なぜヒトの子だけがこうもふがいないのか。もっとがんばって乳を吸ってくれ。

 そうこうしているうちに次男もだんだん大きくなり、乳首をふくんで吸う力も出てきた。おっぱいも出がいいとはいえないが、出ないこともない。飲み過ぎると内臓に負担がかかったり、太りすぎになるミルクと違い、母乳はいくら飲んでも差し支えないという。そこで次男は、どのくらい飲んだかはっきりわかるミルクをメインの食事とし、足りない分好きなだけおっぱいをおやつに飲んで育った。

 これは、たまたま大食漢な赤ん坊と、さほど乳の出がよくないためにそういう結果になったのだろうか。現代は粉ミルクというものがあるからいいようなものの、昔の人はどうしていたのだろう。聞くところによると、50年〜60年前までの日本人の女性は、平均すると今よりもたっぷりと乳が出たらしい。断乳も自然にまかせ、子どもが2歳くらいまで飲ませていたという。もちろん中には乳の出が悪いお母さんもいた。そうすると他のお母さんが、そのありあまる乳を分けてくれたのだ。してみると、乳が出なくなってきているというのは、一種の現代病ではあるまいか。文明のもたらした災厄のひとつといってもいいだろう。

 もっとも現代でもおっぱいがたくさん出て困るくらいだという人も確かにいる。

 やはりわたしと次男に足りなかったのは乳ではなく「根気」だったのかも知れない。(2003.2.27)

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