20.カッコイイのはダメよ その1
これを書いているコンピューターが置いてある部屋は、仕事関係のものがたくさんあるので、子どもたちは基本的に立入禁止である。したがって子どもに触らせたくないものや、見せたくないものもこっそり置いてあったりするのである。
2004年1月現在、部屋のいちばん奥に、でっぷり膨らんだ大きな布袋が押し込んである。中身は、ウルトラマンはじめ何とかライダー、何とかレンジャーなどのヒーローものの人形や本の類がぎっしり入っているのだ。わが家の子どもたちが所有するヒーロー系オモチャのほぼすべてである。なぜここにあるのかというと、ある日、お上により「ウルトラマンだとか何だとかはみんな没収」とのお達しが下り、子どもたちが寝ている間に有無を言わさず集められてしまったのだ。昔からお上は横暴なものと相場が決まっているのである。
少し経過を説明させていただくと、もともとわが家には、「戦いを売りにしたヒーローものを子どもたちに見せない・与えない」という「ヒーロー御法度の令」がしかれていた。6歳の長男がまだ2〜3歳のころ発令されたものである。近所の同年齢の子たちと遊ぶようなった長男は、誰かがウルトラマンの人形などを持っていると、大変に興味を持ち始めた。ヒーローは強烈に魅力的かつ刺激的なものらしく、一度手にしたら返さなくてケンカになったりする。そんな様子を見ていて、お上はそれをよしとせず、「ヒーロー御法度の令」が下ったのである。
しかし、長男が幼稚園に通うようになると、状況は一変した。いくらお上が目を光らせていても、幼稚園まではついていけない。長男は勝手にお友達から情報を仕入れてきて、いつの間にか「ウルトラマンコスモス」のヴァージョンの違いとか、何とかレンジャーの主題歌とかを覚えてきてしまったのだ。さらにお友達の家に行くと、必ずヒーローものの本やビデオを見つけだし、驚くべき集中力で、短時間の間に脳の記憶回路にたたき込んで帰るのである。遊ぶのはほとんどプロレスまがいの「戦いごっこ」。しかも自分がヒーローになりきって。
余談だが、ヒーローになりきった男の子は目つきが変わる。それまで子どもらしいあどけない目をしていた子が、急に据わったような、やぶにらみのような目つきをする。あの入り込み方は女の子にはない。任侠映画を観たあと、映画館から肩をいからせて出てくる男がたくさんいるという。彼らと幼稚園児との違いは、あんまりない。
さて、気がつくと、もらいもののヒーローの本や人形などがけっこう増えていた。お友達のお母さんの間でも、長男のヒーロー好きは知られているので、お兄ちゃんのおさがりなどをくれるのだ。せっかくくれるというものを、むげに断るのも何なので「これくらいならいいか」ともらっているうちに増えたのだ。また、悪いことに、ふたりの弟が兄のマネをして「ウルトラマンなにがし」になりきって遊ぶ。人形をぶつけ合って遊ぶ。戦いごっこをしては、決めポーズをして遊ぶ。本といえばヒーローものを広げて見る。
お上は怒った。
「あれを見ろ、あれでいいと思うのか!?あのままでいくと、息子はバカになる」
たしかに次男はもうすぐ4歳だというのに、ひらがなも読めないし、絵もあまり描かないし、ブロックを組み立てたりもしない。ある程度いろいろな遊びができるようになってから、お友達経由で覚えた長男と違って、次男は、まるで真っ白な紙の上に「ヒーロー」色の絵の具をぶちまけたような印象である。しかし、ヒーローごっこさえしていれば、一日機嫌良く遊んでくれるのだ。母としては楽である。そのうち字も覚えるし、幼稚園に入ったら絵も描かなきゃいけないし、いいんじゃない?
「せっかく話し始めたのに、三男はこんなことばっかり言ってるぞ!」
2歳半の三男は、かん高い声で「ウートラマンあぐる!」と言って、短い手足をふんばって決めポーズをする。兄たちに負けじと「あぐるブイちゅー!」と叫んで走る。うーん、たしかにそうだけど…。
わたしが迷っているうちに、お上はさっさと「没収」を決めてしまった。
実は、母であるわたしがこのようにあやふやな態度なのは、子どものころ、自分自身がヒーローものが好きだったからなのだ。アルバムには、ウルトラマンのお面をかぶって、三男と同じように決めポーズをした写真が残っている。わたしの父によると「お前もよく風呂敷をマントにして走ってたなあ」と言う。女の子のわたしがそうだったのだから、男の子は当然ヒーローごっこで遊んで当たり前と思っていた父にすれば、たかがヒーローのマネをしたくらいでお上にとがめられるなど考えられないことであろう。
しかし、昔のヒーローと今のヒーローとは、ちょっと違うのだ。
-その2へ続く-(2004.1.26)
21.カッコイイのはダメよ その2
「ヒーロー御法度の令」を発令する際、そんなにも息子が好きなヒーローとはどんなものなのか、こっそりチャンネルを合わせてみた。果たしてそこに出てきたものは、わたしが小さかったころ見ていたそれとは違っていた。昔の「ウルトラマン」なんて足は短くてガニ股だし、背中のチャックが丸見えで、目に空けた覗き穴は目クソか寄り目に見えた。怪獣たちもいかにも「着ぐるみ」くさくて、どことなくユーモラスでさえあった。
ところが、今のヒーローたちは、カッコイイ。スマートでカラフルで、要するに派手。技術が向上したのか背中のチャックも目立たないし、覗き穴もわからない。悪者もSF映画に出てくるみたいによく出来ている。しかも、それがCGなどで加工され、非常にリアルに動いていて、大人が見ても驚くくらいだ。ストーリーも昔に較べると複雑で、テンポが早い。アクションもスピーディ。思わず画面に見入ってしまう。しかし、これを子どもが見てわかるのだろうか。
ひと頃、子どもを持つお母さんたちの間で「仮面ライダー」がブームになったことがある。主役の男優がハンサムだったせいもあるが、それだけではなく、見ていておもしろかったからだ。わたしもきっと番組が流れていれば、熱中して見てしまうと思う。昔は、大人が子ども番組に夢中になったりしなかった。子ども番組はあくまでも子どもが見るものだった。もしかして、今の大人は子どもと同レベルなのだろうか?
いや、たぶん番組自体が、わざと大人が見てもおもしろいものに仕上げてあるのだ。子どものためというよりは、親の目を意識してつくっているようである。飽きられないように、シリーズが新しくなるごとに、より刺激的に、より過激に、より複雑につくられている。メカやロボットも次々すごいのが登場する。まったく今のヒーロー番組は「子どものための番組」ではなくて、「大人の番組」なのだ。大人が見てくれるからスポンサーがより儲かるのである。
ところで、この「ヒーロー御法度の令」の話をすると、お友達のお母さんの中には「今のうちに見慣れておいた方がいいわよ。大人になってからハマっちゃって将来オタクになったら嫌じゃない」という人もいる。そう言われるとそんな気もする。しかし、成長した大人と違って、発達途上の子どもはあらゆるものが刺激となって、脳の神経や人格を形成してしていくのである。したがって、今見ているもの、触れているものは、その後の人生を左右するに違いない。そんなときに、この極彩色の画面やアクションを見慣れて何かいいことがあるだろうか。子どものためのヒーローは、ちょっと不格好でダサいくらいでちょうどいいと思うけれども、一度派手でカッコよくなってしまったヒーローは、どんどん派手になるばかりだ。これに見慣れた子どもたちは、もっと他のより強い刺激を求めるようになるのではないだろうか。
そうかといって、風呂敷をマントにして遊んでいたわたしが親の立場になったとたん、ヒーローものを子どもたちに規制するというのは、やはり気がひける。ここはひとつ、お上にまかせよう。何しろ、お上に「ウルトラマン」の話をしようとすると、「ウルトラシリーズはウルトラQまでしか見てない」と言う。「ウルトラQ」が何かという説明は省くけれども、お上は「ヒーローもの」をほとんど見なかった人なのだとわかっていただきたい。であるからヒーローものに対する思い入れは皆無なのである。
お上は、隠してある本やオモチャを1〜2ヶ月そのままにして様子を見ようと言った。
子どもたちは、しばらくはなくなった本やオモチャを探していたが、なければないで適当に遊んでいる。前より絵本を見たり絵を描いたりする時間が増えたような気がする。
しかし世の中にヒーローもののあふれかえっていること!スーパーに行けば、お菓子の箱にもヒーロー、ソーセージの箱にもヒーロー!
長男は言った。
「ねえ、ウルトラマンじゃなくて、ポケモンならいい?」(2004.1.28) |