ノブコです!
読んでってね!
ちょっとおもろい、つれづれ話

17.集中しなさい

 わが家の長男は毎日幼稚園で遊んで帰って来る。家に帰ったら弟を遊び相手にして、ヒーローごっこだのお買い物ごっこだの、はたまた工作と称してゴミの亜種のようなのをたくさん制作している。しかも彼は男の子にしては口数が多い方で、ああだこうだしゃべり続けている。とにかく寝るまで動き続けているのだ。おとなしくしているのは、何か気に入ったテレビを見ているときか、おやつを食べているときくらいである。

 夫は、そんな長男のことを、ひとつのことに集中し続ける能力が足りないと言う。だからしばしばピアノの練習時に、鬼のように叱責しては泣かせている。「集中してない!」

 そういえばわたしが子どものころも、親や学校の先生から「集中しなさい」「集中力がない」などと言われた。勉強に集中しろ、スポーツに集中しろ、と。何かに集中するのはいいことで、あれこれ気が散るのはよくないことだと教えられて育ったのだ。今でこそ、多動児が問題になり、ADHDなどの病気も話題になっているが、昔は授業中キョロキョロしていたりすると、「落ち着きのない子」とレッテルを貼られて問題児扱いされた。

 わたしは、子どものころから好きなことにはのめり込むタイプだった。本を読み始めれば、読み終わるまで他のことは何もしない。絵を描き始めれば、描き終わるまで他のことは何もしない。話しかけても生返事、テレビがついていても目に入らない。「集中力がある」と言っていいのかも知れないが、ただ、これはあくまで好きなことに限って、なのである。好きではないこと、例えば宿題や試験勉強などは、いつも惨憺たるありさまであった。

 夏休みの宿題は、ほとんど毎年31日に泣きながら母に手伝ってもらっていた。これは専門学校に入ってからもそうだった。専門学校の宿題は絵を描くとかわたしの好きな分野のことばかりだから、きっと「夏休みの宿題」という存在自体が好きではないのだろう。でも、きっとみんなそうなんだ、31日には大変なんだと思っていた。なぜならわたしの友人たちは、わたしと同じくらい大変だったからである。

 大人になってからのことだ。ある女性が、「わたし、夏休みの宿題とか、いつも早く終わっていたんだ」と言ったときにはものすごく驚いた。そんな人って、本当に世の中にいるんだ!!彼女は、早く終わらせて遊ぼう、などと考えていたわけではなくて、普通に勉強していたら、いつの間にか終わっていたのだと言う。再び、えーッ、そんなことってあるのォー!?うそーッ!!わたしの驚愕をよそに、彼女は他の話題へと進んでしまった。ちなみに彼女は中学校の先生である。

 話が逸れたが、息子もこれから学校に行くようになると、「集中しなさい」と言われ続けるにちがいない。とにかく集中するのはいいことだと教えられるだろう。わたしもそう思っていた。子どもが生まれるまでは。

 もともと主婦の仕事は、かけ持ちが多い。洗濯機を回しながら、お湯を沸かしながら、掃除機をかける、などは日常茶飯事。そこへ子どもが生まれてからは、掃除の途中で子どもをトイレに連れて行き、オモチャがないと言われたら探してやり、レストランごっこの客になり、お湯が沸いたら火をとめて、コーヒーを入れようと思ったら子どもが泣いて、あやしていたら宅配便が来て、そういえば生協の注文書を書いてなかったワと思い出し、子どもにビデオをつけてやり、風呂の湯をおとしてないのに気が付いて、やっと掃除を終わらせて、コーヒーを入れるのを忘れてしまう。

 だいたい朝から夜までずーっとこの調子で一日が進んでいく。食事の途中でも、配膳が終わってふた口食べたところで、「お茶おかわり」「スプーンがない」「おしっこ〜」ごはんくらいゆっくり食べさせろ!トイレに入っても「お母さんどこ?」「ねえねえ、なぞなぞね」「おしっこ〜」トイレくらいゆっくり入らせろ!

 そんな具合で年がら年中、落ち着きのない生活なのである。サザエさんが、財布を忘れて買い物に出かけるのも、ただオッチョコチョイなわけではなくて、きっと忙しいのだ。大変なのだ。学校では、「集中しなさい」ばかり言わないで、一度にたくさんのことを並列してこなすにはどうすればいいのかも教えてもらいたい。主婦を例に話をしたけど、一般の会社員だって、あれこれいろんな仕事をかけ持ちでこなさなきゃいけないことが多いと思う。

 夏休みの宿題をためたことのない彼女、どうしているだろう。少し前に、赤ちゃんが生まれたと聞いた。今、宿題が出たら、いつの間にか終わるかしらん。(2003.10.31)



18. 箱の中のヒヨコ

 私が子どものころ、縁日に行くと、ヒヨコを売っていた。カラースプレーで色とりどりに着色してあるのもいたが、小学生のわたしが買ったのは、普通のヒヨコ色のヒヨコだった。

 何年生のときだったかも忘れてしまったが、子どもはよくそうやって、無責任に金魚だのヒヨコだの生き物を買ってきてしまうものである。当時、家にはセキセイインコが一羽いて、両親はヒヨコを飼うなとは言わず、わたしに好きなようにさせてくれた。つまり、ヒヨコの世話は自分ですることになったのだ。

 わたしの育った家では、たいていいつも何か動物を飼っていた。父が農家の出身で、身辺に兎や鶏やその他様々な動物がいるのが当たり前の環境で育ったせいか、何もいないと寂しくなるらしい。気がつくと金魚がいたり鳥がいたり、犬がいたりする。「飼う」と言い出すのはだいたい父だけれども、実際の世話をするのは母である。毎日、決まった時間にエサをやり、汚れたらきれいにしてやるなど、面倒なことはみんな母の仕事だったのだ。父とわたしがすることと言ったら、気が向いたときに遊んだり食べ物をやったりすることくらいである。

 それなのに、弱々しいヒヨコの世話などできるものなのだろうか。しかし、飼うことにしてしまったので、わたしは自分の部屋にヒヨコを連れて行った。そして、多分小さな箱のようなものに入れたと思う。

 はじめのうちは、インコのエサを分けてもらってやっていたが、そのうち面倒になってきた。ヒヨコはピィピィと可愛い声で鳴いたが、わたしはほとんどかまってやらず、エサも給食の残りのパンを与えるだけになっていった。一度だけ公園に連れて行ったことがある。ヒヨコはお腹が空いていたのだろう、必死に砂を蹴ってミミズを掘り出して飲み込んだ。それは自然なことなのだが、子どものわたしにはミミズを飲み込んだヒヨコなんて気持ちが悪く見えた。そうしてますますヒヨコから関心は薄れていった。

 ある少し肌寒い朝、いつも明るくなるとピィピィ鳴きはじめるヒヨコの声がしない。箱の中を見てみると、果たしてヒヨコはギュッと目をつむって固くなっていた。まるで剥製かつくりものの人形みたいに、固くなっていた。それで、わたしは今日が日曜で、きのうは土曜で給食がなかったため、ヒヨコにパンをやらなかったことを思い出した。ヒヨコは夜のうちに、飢えて死んでしまったのだ。

 わたしは、少しは後悔したと思う。少しは反省したと思う。けれども、母が慰めるつもりで「ああいう縁日で売ってるようなヒヨコは弱ってるからねえ」と言ったのを聞くと、そうだったのだと納得した気になって、わりとすぐ忘れてしまった。子どもというのは無責任なうえに残酷なものである。そのまま大人になっても忘れていた。

 ふとヒヨコのことを思い出したのは、自分の子を持ってからだ。子を持って、自分以外の命あるものを育てることに一応の自信がついてからだ。あるときふと、「今だったらあのヒヨコを死なせたりしないのに」と思ったのである。そう思うと、ヒヨコがかわいそうでならない。暗い夜の、さらに暗い箱の中で、飢えて、誰にも暖められずに、ギュッと目をつむったヒヨコの孤独はどのくらいのものだったか、後悔しても、もう遅い。いくら後悔しても、かわいそうなヒヨコはいつまでもかわいそうなままで、二度とちっぽけな命の灯がともることはないのである。

 そんなことを考えているとき、わが家の3人の息子たちが、ごはんだかおやつだかを、これでもかと頬ばっているのを見るとホッとしてうれしくなるのだ。いいよ、いいよ、どんどん食べなさい、お腹いっぱい食べなさい。あ、そういえば、中でも一番の大食漢の次男はチキンラーメンのマークのヒヨコに似てると言われたことがある。もしかしたら、あのヒヨコの生まれ変わりかも。息子よ、発育曲線が何だ、カウプ指数が何だ、たとえ保健センターの健診にひっかかってもいい、食べたいだけ食べなさいよ。うれしそうな顔を見たら、少しは許された気になるよ。次男は「おいしいよ!」と無邪気に喜んでいる。

 このところ、新聞に、幼児を押入に閉じこめて衰弱死させたり、満足に食事を与えず餓死させたりという事件が相次いでいる。人の子の親でありながら、あんなことをする人たちは、きっと子どものころヒヨコを飼ったことがないのだろう。無責任にヒヨコを飼って、死なせてしまった経験がないのだろう。もしかしたらヒヨコに触ったこともないのかも知れない。

 あとで後悔しても、もう遅いということに一体いつ気づくのであろうか。(2003.11.28)

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