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小笠原って、どこ? どんなところ?

地勢 小笠原諸島は、東京から南南東に約1000キロに位置する諸島群です。大小180ほどの島々から成り立っています。この中には日本の最東端である南鳥島、最南端の沖ノ鳥島が含まれ、東西1800km 南北1000kmと広大で海域を含めた行政区としては小笠原村は日本最大となります。しかし一般市民が暮らしているのは父島(約1800人)と、母島(約400人)のみです(注:硫黄島には自衛隊が駐在していますが一般市民はいません)。役場や東京都支庁などは父島に集中しています。

島の成り立ち 
小笠原の島々は 5000万年前 赤道付近の海底火山活動で海上に姿を現し、長い時間をかけ、プレート移動によって現在の場所まで、北上してきました。この長い時間の流れの中で ほかの陸地とつながることもなく、偶然付着した植物、流れ着いた生き物たちだけによって島の自然・生態系がつくられました。こういった成り立ちをもつ島を海洋島または 大洋島といいます。同様のなりたちを持った場所としてガラパゴス諸島やハワイ諸島があります。
 海洋島では、限られた生物で進化の歴史を歩んだため、独自の進化を遂げた固有種が多く存在することになりました。もともと同じ種だったものが、ほかの場所とまったく別の姿をもつ生物に進化したものもあります。この結果 ほかの場所には存在しない、小笠原にしかいない「固有種」を多く含んだ独特の生態系が小笠原に生まれました。
 小笠原の自生植物の約40%が固有種で、樹木に限るとその割合は約70%、陸産貝類(カタツムリ)では約90%にものぼります。こうした生物の多くは和名に「ムニン」という言葉がついています。これはかつて小笠原が無人と呼ばれたことに由来しています。

●歴史 
公式には 「小笠原貞頼が 発見し・・・」とありますが、 これは 幕末から、明治時代にかけて、小笠原諸島の領有権を主張するために当時の政府が 数百年前からの伝承を引き合いに出したことによるものです。記録として残っているのは 江戸時代初頭の年長崎商人の漂流や 1675年の幕府が派遣した「嶋谷巡検隊」 です。
 小笠原に居住者が現れるのは、欧米諸国が鯨をもとめて、日本近海にまで進出した時代です。小笠原は地理的条件によって 捕鯨船の食料や水の補給基地として、利用されるようになり、、19世紀、ハワイからやってきた欧米系の人々が定住するようになりました、最初にヤギ持ち込まれたのもこの時代ですが
 明治以降 日本の領有権が国際的に承認されると 行政によって開拓がすすめられ サトウキビ栽培や南洋野菜が内地に出荷されていきました。特にサトウキビの栽培は 糖の精製時に大量の薪を必要としたこともあわせ、多くの森が伐採される原因となりました。

 太平洋戦争以前は 南洋の特産物や 日本が委任統治していたマリアナ諸島への南洋航路の中継地とし栄えましたが、、終戦直前に全住民強制疎開で島は日本軍だけとなります。終戦後、アメリカ領となった小笠原には、4年後に欧米系住民の帰島が許されますが、日本人が島に戻ることが許されたのは、本土復帰(1968)の翌年でした。

●交通

竹芝桟橋から、小笠原丸(小笠原海運)に乗り、25時間30分で、父島二見港に着く。空路はない。船が唯一の交通手段でおおよそ月に5往復。母島は父島より船を乗り継ぎさらに2時間で到着。