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【マラソン大会参加20周年記念寄稿】

『私とマラソン』



初マラソン大会参加から2006年で20年が経ちます。
あれから20年かあ〜と感慨深く、私とマラソンとの移ろいを語ってみようかとこのページを作りました。


さて、冒頭からネイティブネガティブな話からスタートです。

私は健康未熟児ではないけれど、いうならば体格不良児でして、
小さい頃から小さくて、大きくなっても小さいままです。
整列では1番前か2番目でした。
今でも高さは小学生並でございます。重さは過重100%ですが、、、。
伴って、体力も人並みには届いておりませぬ。
加えて、運動スポーツ全般ダメなんですわ。
一般人並に出来る(これも昔の話)のは卓球ぐらいでしょうか?
ですので足も遅いです。
けれど不思議と走る事自体は嫌いではありませんでした。
70年代後半の学生時代の持久走大会では意外にもまん中ぐらいでした。まあ、周りが真面目に走らないというのもありますが。
何を間違ったか、市内大会の中学校代表に選ばれるという事態も起こりました。
勿論、市内大会の結果はダントツのビリです。だから言わんこっちゃないのに・・・。

80年代初頭、社会人になって、(フル)マラソンを走ってみたいなあと胸の片隅で思ってました。
マラソンのTV中継を観るのも好きでした。
当時は宗兄弟、瀬古利彦の全盛期、また増田明美、佐々木七恵に代表される女子マラソン創成期でおもしろかったですね。
〜2時間半ほどのレースがリアルな2時間ドラマで夢中にさせるのでしょうね。

そんなマラソンに対する想いを漠然悶々抱いて80年代中盤。
当時の職場の同僚から「つくば学園マラソン」のお誘いをもらいました。
優柔不断な私としては珍しく即決で参加決定でした。
1986年3月、初めてのランニング大会の参加は、いきなりのフルマラソンでした。
若かったですねー。無謀そのものでした。
意気揚々と前半は走り、後半は轟沈と初マラソンのよくあるパターンでした。
30km以降の距離は、それまでの30kmよりも長かったです。
走り終えた感想は、『二度とやるもんか!!』でした。

・・・その言葉に偽りはなかった。確実に本音だった。
そのはずだったのですが、それから1年後、、またつくばマラソンの季節が巡ってきました。
もう一度だけやってみようか。1回目の経験が生きるはずだ。
結果、初マラソンよりダメージは全然軽かったにもかかわらず、タイムは遅かったのです。
それが何とも釈然とせず、サブ4(4時間切り)達成までは続けようと決めました。
次の3回目のレースでその目標は達成出来ました。
達成しましたのでこれでマラソンは終り。

にはならなくて、その後も参加し続けるようになりました。
参加するといっても年に1,2回ぐらいでして、何大会も参加したり、遠方の大会に参加するなどという考えは起きませんでした。
年数の割りに参加回数が少ないのは、最初の丸12年がそんな状態だった為です。
また、最初にフルに参加した所以か、他の種類(距離)を走ってみたいとも思わず、ほぼフルかハーフあたりに限定参加してます。
元来、一途になれない性分なので、ジョギングが日課になるなどということもなく、
大会間際に必要に迫られて練習する、あるいは気が向いた時に走る程度でした。
これは現在も変わっていませんな。
曲がりなりにも今日まで続いているのに『万年駆けだしジョガー』なのは、めずらしい種類でしょうね。

何回かマラソンを実際に走ってみてわかったのは、エリートランナーの凄さ。
あんなの人間じゃないよ。Qちゃんあたりの笑顔に騙されちゃいけません?!
テレビ中継の見方は変わりましたね、ハイ。

こんな不良ジョガーでも、何年も参加すれば自分の走り方のコツみたいのを身体に覚えるようになり、記録が向上しました。
90年代前半には3時間半切りまで記録は伸びました。内心、3時間15分ぐらいまではいけるなと思ってました。
しかし、ベストタイムを出した1994年の翌年からの生活環境の変化が心身に及ぼしたのが要因だと思いますが、
その後、張り切って頑張らなくなってしまいます。
従って90年代中盤からどんづまり状態になり記録も4時間前後をウロウロするようになる。
続けてはいましたが、マラソンはなんとはなしの惰性気味な参加になっていきました。
そんな状況を打破する変化が90年代終盤に訪れる事になります。

1998年からインターネットを始めました。
一見、ネットとRUNは結びつかないように思えるのですが、相性ばっちりな世界でした。
さまざまな大会の情報がよりわかるようになりました。ランニングに限らず色々な掲示板に書き込んだりもしました。
大会に参加した感想を書き込んだところ、書き込みに対し反応があり、ランナーのHPにおじゃましたりしました。
おじゃましていたHPの1つがネット上のRC(ランニングクラブ)を立ち上げました。
そのHPに出入りしていた私もたまたま創立時メンバーとして名を連なる事となったのです。
これがあらかじめあったRCだったらメンバーとして参加する事はなかったでしょう。
だってランナーとは言えませんし、思ってもないですし。タイミングが合ってしまったんですねえ。

やがて大会で実際にメンバーとお会いすることになります。
ここでRUNとネットの相性の良さが発揮されるのです。
わざわざオフ会の場を設ける必要はなく、同じランニング大会に参加したなら、そこですなわちオフ会になってしまうのです。
スタート前に集合して、レース中に抜きつ抜かれつしたり、ゴール後に健闘を称え合い、大会後にアフターという飲み会になったり。
と、大会に参加すればするほどにそういう場は多くなります。
どこの走友会にも所属してなかった私は、1人で参加する事が多かったので新鮮でしたね。

自分のHPを持ってみたいと思うのに時間はかかりませんでした。
今までの、そしてこれからのランニングライフをこんな風にまとめてみたいとアイデアは次々と浮かんできました。
RUNのコーナーを中核に据え、1999年3月に当HPを開設しました。

それまで地元の茨城か福島の決まった大会しか参加していなかったのですが、遠方の大会にもエントリーするようになります。
初めての土地の見知らぬ道を走って新たな風に吹かれるのは楽しいものです。
私はのんびりと車を運転する事や写真を撮るのも好きなのですが、遠方の大会に参加すれば、
その土地までに車を走らせて、その土地の風景を撮影できてと、一石三鳥の楽しみをこなせました。
参加費と交通費と写真代に費やしてしまうので、おいしい食事は却下です・・・。
同時に大会参加回数も増えていきました。
増えたといってもようやくに一般的な数になったと言えるでしょう。
それまでの1回り12年がなんとも勿体無いことしてました。悔やんでます。

HPを始めたのと交差するように、ある欲求もフツフツと湧き上がってきました。
マスクを被って走りたい!
風邪用マスクなどではないですよ〜。プロレスラータイプのマスクで実走したいのです。
私はマスクマンが好きでして一種の憧れがあります。
でも、よく知られているマスクでは走りたくない。
ちょうどRUN用に適した(と思ってる)ブツが手に入り、これで走りたい。
1999年9月から、タイガーマスクの特殊バージョンを被り、ほとんどの大会に参加しています。
現在、『タイガージョガー』を経て『カメんジョガー』として暗躍中です。
でも仮装ランナー(ジョガー)ではないんです。断じてないんです。
詳しくは、「炎のジョガー」内、「その名はカメんジョガー!」をご覧ください。

カメんジョガーに転身してからは、最後尾からのスタートを指定席にご指名です。
1番後ろからスタートするようになって、心の視界が開けました。
自分が望んでいた場所に出会った感じでしょうか。
集団の喧騒とは無縁の晴れやかな世界です。
また、転進後は沿道の皆さんから個人的なピンポイント応援をもらえるようになり励みになります。
応援返しをするのがこちらの楽しみになってます。

21世紀に入り家庭を持った為、自由に遠出するのは難しくなってしまいましたが、
いつかは全都道府県の大会に参加できればいいなというのがささやかな1つの願いです。
そして現在
年齢による筋力低下が著しく表面化してるにもかかわらず、練習は相変わらずのままなので、
記録は初マラソン当時よりも劣るようになってしまいまして、走る毎にワースト更新の日々です。
そうなりゃ割り切ってと、記録度外視の『完全ファンランモード』で参加しています。

思うに私に市民マラソンが合っていて続けているのは、大勢の中のひとりぼっちな事。
たとえ、わきあいあいと楽しく走っていても、結局は頼れるのは自分自身だけだという事。
それと、
「マラソンなんて何がおもしろいの?ただ走ってるだけじゃん」 結構耳にする言葉です。
ただ走るだけだからおもしろいんですよ】 私はそう答えます。

こんな私が20年も続けてこられたなんて本当に驚きべきことなのです。それは自分自身が1番わかっています。
完走第一主義』で、完走出来れば何もかもOKな理念を貫き、
これからもマラソンとはマイペースでマイウェイを進んでいきたいですね。

どうも、最後までご愛読いただきまして有難うございました!


2006年(平成18年)2月24日 記


(文章の一部が他ページとかぶってる事をご了承願います)