飯泉氏から新作、邦名「タンゴとギター2」、アルバム名「MIS CANCIONES PREFERIDAS Y MI GUITARRA」が送られて来た。
昔なら、レコード盤に「針を落とす」であるが、近年は、テキトーにラジカセのスイッチを押すだけである。
押すだけ、、と言っても大昔の画期的開発とされた「象印」のポット(旧、魔法ビン)のコマーシャル、「押すだけ!」くらいの気軽さはない。
あれこれの雑事を終え、1分間の黙想を経て、今だ!とばかり「クワァ!」と目を見開いて、ラジカセの「CD」という箇所を念入りに「押すだけ」である。(まあ、たまには、ママレモンを片手に持って洗い物中であったりはする、、、。)
その象印のポットのコマーシャルも「押すだけ」というのがキーワードではあったが、この際、そういう事は、本当にど〜でもよい話しではある。
「えい!」とばかりボタンを押すだけで、現代は、様々な世界旅行ができる。すると突然、「えっ?」と思うような「風」の一陣が吹いて来た。
風は、フフフ、もう始まってますよ!、、と告げた。
気合いを入れて聴こうと思ったわりには、その音楽は突然、始まっていた。ちょっと気合いの入れ損で肩透かしをくらった。
さあ!今日からアルゼンチン旅行だあ〜!と力んでいたら、いきなり、現地の音が聴こえて来た。
那覇空港で聴く「沖縄民謡」ではない。突然、自分がそこの住人になってしまった。「歓迎会」もいらない。
おまえさあ、どっから来たのかは、どーでもいいけど、取りあえず火曜日は空いているか、と聞かれた感じ。あそこにさぁ、坂道があるだろ、その側に居酒屋があるんだよ、取り合えず、そこで呑もうや、と言う事になったらしい。
よくわからないが、現地人に知り合いができたのでその「呑み屋」に行って、しばらく共に呑んでいると「オレはさあ、何時か、この土地を出て暮したいんだよ!」と言っている。だからおまえに声をかけたんだ、と言う。
そ、そんな事言われても、自分は、今日、来たばっかしなんだよ、それに、この土地が昔から好きで色んな「想い」があってやって来たんだよ、とは言いそびれてしまったんだと思う。
すると、突然、案内人の現地の「友人」が呑み潰れてしまった。しかし連れて来られたこの店のママも他の常連さんに掛りっ切りだ。しょうがないので、あたりを見渡すと小さなステージにギターが立て掛けてあった。ママは、他の常連さん相手に夢中だ。
さてと、しょうがないからと、酔ったついでに、ステージに上がり、置いてあったギターを弾き出すわけだ。
このCDに流れる世界は、「日常」だ。
誰も気付かなかった、その土地の「日常」を愛した外国人がいる、という事だ。
大昔、タンゴのアレンジをするという70台の老人が北海道に流れついて、その土地でタンゴのビッグバンドを結成して余生を終えた、というNHKか民放かのテレビを見た。当時、20代だったか、30代だったかはこの際どうでも良い。
しかし、その老人の死後、500曲余りとなるビッグバンド.アレンジの「タンゴ」の曲の譜面が発見された。老人は、はるばるアルゼンチンから北海道へやって来て、その死に場所を見つけたのだ。
ここにある飯泉氏の「音」は、「普通」に日々を生き、ギターを愛する現地の「タンゴの人」となっている。
散歩した街々が、まるでその音楽と共に歩んだかのような気分である。
私自身は、生まれてこの方、海外旅行を全くした事がないまま年老いた、というのに。
気になるのは、自分は、どこの土地へ行ってもミュージシャンなのかな、という事だけである。
その土地土地、数々の腕自慢を見せつけられても、その後に黙って自分の音楽を奏でる事ができるのかな、という事だけに関心があった時代がある。
飯泉昌宏という男は、(あ〜、、別に女でもいいんだけど、)、、、色んなものを「観察」し呑み込んで、今があるのだなあ、、と思う。
すっかり自分も呑み込まれちゃったなあ、と長らく闘った、音楽と言うものから離れ、ボ〜と日々を生きているとなんだかとてもなつかしく、やさしい風がしばしの時を潤してくれる。
曲中の「口笛」が、その日常性を物語っていると思う。
このCDは、なぜか、アルゼンチンを「散歩」していたら、ふっと目にして入って見た現地の中古CD屋で、何気なく見つけた古い安価のCDのような匂いががする。
凄げぇなあ、、やっぱり本物は違うわぁ、とその日、つぶやいて寝る事だろう。
これからの人生を生きて行く日々の中で、いつでもこの音楽に手を伸ばす事ができる、という事の「幸せ」を感じつつも、一つ一つ、非常に「個的」な由縁があって自分自身のCD、レコード.ライブラリー群として所有されているんだなあ、とたまに、一切の音もないまま、深夜、それらを眺める事がある。
このCDもまた、その1枚に加わったんだなあ、と時折、その「想い」を思い出し、触れる事だろう。そんな1枚の「音」の缶詰、、だと思う。
スポーツの世界では、これを「殿堂入り」と言うんだっけか。世界に誇る、自分だけのライブラリーである。
もし、ここを訪れる者がいれば、次から次へと誰も知らなかった極上の音楽を聴かせてもてなして上げよう。
たとえ、オレも私もあたいもおいらも、、と、「ありのまま」の自分をアピールする者が勝ち、、、の「今」の時代に生きる人であっても、時折、そういう事を秘かに誇ってもいいんじゃないか、とは思う。
これは、そうした時代の中、日々、静かに、静かに、自分という人間と対峙し、その存在意義を自分自身に問い続けながら、丹念に編まれた「極上」の音楽の一つ、、だと思う。
ともかくまあ、「殿堂入り」したわけであるから、時折、訪れ、その世界を味わおうと思っている。
(ギタリスト友寄 隆哉さんの日記(2005年11/16)より御本人に許可をいただいて転載)
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