戦没者の谷(El valle de los caídos)
戦没者の谷。正式にはSanta Cruz del Valle de los Caídos(戦没者の谷の聖十字架)。日本で調べていった時には、エスコリアルから8kmの距離と言う事だったので、多分、エスコリアルからバスか何かが出てるだろうと思っていたのですが、結局、谷行きのバスに関する情報が得られず、エスコリアル市街からタクシーで行きました。
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タクシーもチャーター料金が設定されており、1時間待ってもらう料金を含めて、往復で4500ペセタ(00年)。実際に行ってみると分かるのですが、国立公園のような広大な山岳地にこの十字架があるので、行くのは良いにしても帰りのタクシーをひろうのは不可能です。入場券も車に乗りながらゲートで買うというシステムなので、聖堂を見ようが見まいが、700ペセタ取られるという、まるで、通行税のような感じです(笑)。
ミシュランのガイドブックによると、この地の製作は1940年から58年。スペイン市民戦争時の英霊の為に建てられた十字架と聖堂があります。写真では、分かり辛いかも知れませんが、何が凄いって、その大きさ!聖堂の広さもそうですが、特にこの十字架の大きさ(高さ125m、横幅46m)は凄いです。タクシーで走ってる時に、山間にニュッと建ってるのが見えるのですが、その突然の景色にはただただ驚くばかりでした。当日は動いてなかったのですが、事務所からケーブルカーが出ていて、この十字架の根元まで行けます。
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| サンタ・クルス(右にあるのがケーブル・カー) | フランコの墓碑 |
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聖堂入り口上部にはマリアに抱かれた(と思われる)キリスト像。聖堂内部も広くて、まるで、山の中に貫通していないトンネルを掘ったかのようです。身廊脇には彫像とタペストリー。左右にある納骨堂には市民戦争で亡くなった方の遺骨が、共和制支持者・反政府支持者の区別なく納められています。
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| 天才ファシスト、ホセ・アントニオの墓碑 |
一番奥にはキリストの十字架像。そして十字架像のすぐ手前に二つの墓石が円の対角上に置かれています。一つはスペインを40年近く統治したフランシスコ・フランコ・バアモンデ。フランコの亡骸は、棺に入れられて、この墓石の下1.2m程の所に眠っています。もう一人はホセ・アントニオ・プリモ・デ・リベラ。ファランヘ党の創始者にして、天才ファシストと称された人物です。全くの偶然ですが、この人もフランコと同じ命日(11/20)です。
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| 聖堂(中央入り口から入ると、中は外観から察する以上に深いです) |
(雑談)
場所が場所だけに、行く前は結構ひっそりとした雰囲気なんだろうなぁ、と想像していたのです。ところが、ところが、上の写真でも分かるように、観光客が多かったんですねぇ。禁フラッシュなのにおかまいなく撮っちゃう人とか、グループで来ている人達は冗談言ってるのか、何なのか結構大きな声で笑いあったりして。
内戦が終わって約60年、フランコが亡くなって約25年、スペイン国内でもフランコ政権下の生活を知ってる人はいても、戦時下での事を体験として知ってる人は当然、少なくなっていきますよね。ましてや、現代のこの流れでは「過去の一つの歴史」として処理されてるんだなぁ、などと思ったのです。
ところが、納骨堂に入った途端、雰囲気が変化したのです。ふと見るとベンチの最前列に黒ずくめの衣装で腰掛けてる高齢の女性がいました。それまで仲間と楽しそうにしていた観光客もそれに気付くんでしょう、おしゃべりをやめて、一通り見ると、すぐに出て行きます。
しばらくその女性を眺めていたのですが、そのお婆さん、何をするでもなく、そこに座ってるんです。「神とスペインの為に没した者達 1936-1939 安らかに眠りたまえ」と書かれた壁をじっと見て。
その部屋だけが雰囲気が違いました。観光客もカメラを撮っていようが、おしゃべりしていようが、そこがどういう場所か分かっているし、それをわきまえてるんですね。
「だから、何?」と聞かれると、答えに困ってしまうのですが・・・。戦没者の谷での一つのエピソードです。このお年寄りが何を思っていたのか知る由もありませんが、あのベンチに座ってじっと壁を眺めてる姿がとても印象深く残っています。
この文章を書いた時は、タクシーをチャーターしましたが、2004年にマドリーからのエスコリアル+戦没者の谷の半日ツアーに参加しました。戦没者の谷へ行かれるならこちらをお薦めします。半日単位(約5時間)で午前と午後、好きな時間で行けるのも便利ですし、旅行代理店何社かで同じようなツアーが企画されています。