巡礼の道・旅日記-2000(1)
7/14(金)バラハス到着2300。結局飛行機は1時間半近く遅れた。パリの空港では遅れたお詫びのつもりか、サンドウィッチと飲み物のサービスがあった。空港で両替。ペセタを受け取り、インターネットで予約してあったチャマルティン駅の側のホテルに向かう。どうしてこんな辺鄙な所の宿を取ったかと言うと、翌日の朝早くの電車でサラゴサへ向かう予定だったからだ。当初、マドリー着が2130の予定だったので、こんな辺鄙な所じゃ夜が楽しめないかな、とも思ったが、結果オーライだった。
ホテルのバルでサンドウィッチとビール。隣の2テーブルに別々の家族連れが陣取っている。1組の方に小さい女の子の姉妹がいて、何故だかバルのカーペットの上で何回もでんぐり返りをやっていた。僕はそれがおかしくて、その姉妹の光景を眺めていたのだが、目と目があった瞬間、見られているのがわかったのか、まるでオンステージのように側に来て、何回も何回もでんぐり返りを披露してくれた(笑)。子供たちのこういう無邪気さはとても微笑ましい。
0130就寝。
7/15(土)
0600起床。7時の電車でサラゴサに向かう。ちょっと早過ぎるかな、と思ったが、0630にチャマルティン駅へ行ってみる。と・・・全然早くない! 窓口は人が並んで待っていた。スペインのRENFEの駅の窓口にいると、どうしてこうも時間がかかるんだろう?と思う事がしばしばある。今回もそうだった。僕の3組前まではスムーズに流れたが、ここへ来て止まってしまった。外国人の若い連中だ。何をやっているのか、すったもんだしている。この頃で0645位。
ちょっとのんびり構えていたのだが、この連中が仲間と相談したり、窓口の人とあーだこーだやっていて、けっこう時間を食う。やっと僕の前の人になったが、もう出発の5分前位。あせるー。あとはホームに行って乗るだけなのだが。
サラゴサ行きの切符を買って、いざホームに行こうと案内板を見ると・・・ない!サラゴサ行きの電車の案内が出ていない。おかしい。どこを見てもZARAGOZAの文字が見当たらない。切符にはマドリー〜サラゴサで出発時間が0700と書いてあるのに。出ているのは、同時刻発のバルセロナ行きとそれ以降の電車のみ。
瞬間のパニック。見ている案内板が違うのか?前輪・後輪を外して持ち運び用の袋に入れた自転車を担ぎながら構内を走って、近郊線の案内板も見てみるが、当然出ているはずがない。
何故だぁぁぁ!?
・・・!!! そう、ただの勘違いでした(笑)。僕は事前にインターネットのRENFEでサラゴサ行きを調べて、それをプリントアウトしたのを持っていたのだが、何て事はない、バルセロナ行きの電車に乗ってサラゴサで途中下車するだけだったのだ(^^ゞ。サラゴサまでの電車で調べたから、行き先までは全然考えてなかった、というわけだ。ともかく、それに気付いて電車に乗り込む。荷物置き場のスペースに自転車を押し込み、席についた時、電車が動き出した。席に座って、ほっと一息しながら、改めて切符を見てみると、06:57という発券時刻が打たれているのに気付いた。
定刻にマドリーのチャマルティン駅を出た電車はグアダラハラやカラタユーに停まり、10時にサラゴサのEL PORTILLO駅に着いた。所要3時間。この3時間の間に映画を1本上映する。一応イヤホンはもらったが、結局見ず終いだった。
1000 サラゴサ。初めてのアラゴンの地。駅のインフォメーション(Oficina de turismo)でオスタルを予約しようとするが、まだ開いてない。開店が10時になっているが、人もいないし、電気もついていない。10分程ドアの前で待ったが誰もそれらしき人が来ない。よく見ると、ドアの所には11時という張り紙がしてある。1時間待つのも嫌なので、中心地まで行って自力で探すという事も考えたが、断念した。自転車を担ぎながらオスタルを探すのが苦痛に感じたからだ。自転車も解体した状態の時は鉄クズだ。袋の中に衣類やら工具やらを入れてあるので、15kgはある。
駅のバルで時間をつぶし、30分程して再びインフォメーションへ。今度はオフィスに女の人がいてお客の対応をしている。ん〜、やっぱりオープンは10時だったんだなぁ(笑)。インフォメーションでサラゴサの地図をもらい、オスタルの予約。駅から近い所で取ってもらった。 オスタルに向かう。駅から歩いて5分位の所。駅を出て気付いたのだが、けっこう風がある。さらに、オスタル前の道路が工事中で、アスファルトを剥がしてあるせいで、とにかく凄い砂埃。後から考えるとただ単に工事中の砂埃のせいだったと思うけど、この時は「あぁ、これがアラゴンかぁ」と勝手にイメージしてしまった。
オスタルに着き、ちょっと休憩。洗濯をしたり、地図を眺めたり、眠らないながらも横になる。食事をしてセントロの方へ。
Carmenの門を通り、途中、Parroquia de Santiago el mayor、Iglesia de las escuelas piasを外から眺め、エブロ川に向かう。予想していたものの、実際歩いてみるとかなりの距離がある。エブロ川にかかるpuente de santiagoからエブロ川の写真を撮り、ピラール聖母教会へ向かう。
ピラール聖母教会(Basilica de Nuestra Senora del Pilar)。前の広場はどういうわけか、鳩がいっぱい。教会の入り口の所に、ローマ法王が訪れた事を記念する石碑が埋め込まれていた。外観をよくよく眺めてみると、建物の前の部分と後ろの部分で石の色が違う。屋根には黄色、水色、緑、白の四色タイルが貼られ、ちょっと奇異な感じも受ける。
中央祭壇に白い聖母像。像の後ろに金色の放射線上の飾りがつけてあり、とてもカッコ良い。本当に後光が差してるような感じだ。厳かな雰囲気の中で、夜の仕事でもされてるのではないかと思うような露出バリバリの若い女性が長い間お祈りしていた。かと思えば、フラッシュ不可と書いてあるのに、おかまいなく撮って、さっさと次へ行ってしまう観光客。このアンバランスさが面白く感じてしまう。個人的な趣味もあってか(笑)、僕は、この中央祭壇前の光景をしばらく眺めていたのだが、このお姉さんは本当に一生懸命にお祈りしてるみたいだった。
中央祭壇裏に回ってみると、壁に窪みがあって、皆その窪みに顔をくっつけている。側にスペイン語で何か書いてあるが、BESAとPILARという単語があったので柱にキスするんだな、と思い自分もやってみた。あるガイドブックによると、紀元40年にこの地にいた聖ヤコブの前に聖母が現れて信仰の対象として柱を渡したんだそうだ。その柱の周りに聖堂が立ち、徐々に大きくなったのが、今のこのピラール聖母教会らしい。
その後、付属の博物館にいってみる。200pts。博物館と言っても1つの部屋を使っただけのとてもシンプルなもの。中にはゴヤや義兄バイユーの絵や、宝飾品が飾られている。と、ショーケースの中に年代ははっきりしないが、ローマ法王が来訪された時の写真も展示してあった。そして、その中に、ローマ法王が例の柱の窪みにキスしてる写真があるではないか。これって・・・ローマ法王との間接キス?とミーハーな思いにとらわれたのは僕だけじゃないと思うんだけど・・・(^^ゞ。
教会の裏口に回ると、エレベーターがあって塔のてっぺんまで行ける。と言っても、タダではないし(200pts)、途中までしか行かないのでそこから先は徒歩で螺旋階段を上っていくのだが。ここからサラゴサの町が一望できる。こうやって市街を見渡すと、スペイン第5の都市というのもなるほど頷ける気になってくる。僕の他にはカップルが二組。景色の良い所で男女がキスをしたくなるのは洋の東西変わらないらしい(笑)。
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| ピラール聖母教会 |
ピラール教会を出て、セオ(カテドラル)に向かう。が・・・扉がしまっていて中に入れない。歩き疲れた事もあって、一度オスタルに帰る事にする。たまたま側に観光バスの停留所があった。250pts。サラゴサ市街を循環しているらしい。この観光バス、地図で場所を確認すると、ちょっと遠回りにはなるが、オスタルの近くを通る事が判明。
オスタルに戻り、急遽自転車を組み立てる。当初は翌々日のカンフランク駅前で組み立てるつもりだったが、歩き疲れもあったのだろう、サラゴサを徒歩で見て回るのが嫌になっていた。
組み立てた自転車でさっそくオスタル前を走ってみる。異常なし。前回持っていった時は後輪のギヤを駄目にしてしまい、前輪3段で走らなくてはならなかったから、今回もこれが一番気になっていた。さすがに二回目とあって梱包もうまくいったのだろう、3×7段です〜いすい、日本で走るのと全然変わらない。
自転車でインフォメーションで紹介されたバス会社のオフィスに向かう。今回、サラゴサに行くという事もあって、ゴヤの生まれ故郷のフエンデトードス(Fuendetodos)に行こうと思っていたからだ。電車は通ってないが、バスでなら行けるという。オフィスに着いたものの、インターフォンを押しても何も反応がない。ふと、ドアの前の張り紙をみると・・・土曜の午後と日曜日は休業の文字が! そう、土曜日だったんだ!! この張り紙を見るまで、僕はその日が土曜だという事をすっかり忘れていた。帰国が近くなると否応がなしに意識するんだけれど。
あきらめきれない思いで張り紙を読むと、近くの何とか広場(失念)からバスは出てるとの事。ダメモトで広場に行ってみると、たまたま探していたバス会社のバスが停まっていて、運転手さんが外に下りていたので、聞いてみた。が・・・運転手さんも別ルートの担当で詳細はわからないがと前置きした上での話だが・・・フエンデトードス行きのバスは日曜日もあるらしいが、本数が1本しかないとの事。朝10時サラゴサ発で帰りは夕方の19時発位らしい。僕は翌日の17時発の電車でバルセロナに行き両親と会う予定だったから、この時間だと行く事はできても電車には乗れない計算になる。
運転手さんに御礼を行って、広場を離れたものの、あきらめきれなかったので、再度インフォメーションに行き、これまでの経過を話し、別のバス会社がないかどうか聞いてみた。が・・・インフォメーションでも、このバス会社しか知らないという。僕の西語がたどたどしいのが分かってか、スタッフの人が念の為にとバス会社にTELしたり、RENFEにまで鉄道の有無を確認したりしてくれたのだが、結局、運ちゃんから聞いた以上の情報は得られなかった。
ここへ来て、僕のフエンデトードス行きは断念。正直、あまり下調べをせず、現地に着いたら何とかなるだろうと甘く考えていた事も事実だったが、自分としては巡礼の道と同じ位に楽しみにしていたのだ。
ま、ダメなものは仕方がない。バルセロナ行きをキャンセルすれば行けない事もないが、今回は両親に会う事を優先させた。もともと両親がスペインに行くというのも本人達が望んだ事ではなくて、僕の方から言い出した事だった。この時期にスペインに行くから、別ツアーでスペイン観光してみるっていうのはどう?と。両親からしてみれば、特にスペインに興味があるわけではないが、息子が「スペイン良い、良い」と言うので、行ってみる気になったというのが本音だろう。
添乗員付きのツアーなので、そう心配する事もないのだが、やはり側にいた方が良いかな、と思ってしまう。言葉の通じる東京に出てきてさえ、人がいっぱいで疲れるだ何だと言う根っからの田舎者だ。初めてのヨーロッパでしかも言葉も分からず、ただ添乗員の言うなりとなれば、それなりにストレスは生じてくるだろう。これから8日程、スペインを回る両親にバルセロナで会っておいた方が良いだろう、という判断だった。
気を取り直してアルハフェリア宮殿へ。自転車で宮殿前まで行くが、警備の人に「自転車は外に置いてきて」と言われ、しぶしぶ敷地外へ(笑)。盗まれないように鍵をするのだが、自転車に付いてるスピードメーターと空気入れだけは外さないとやられる可能性がある。メーターはポケットに入る位の大きさだから良いけど、問題は空気入れ。ポケットに入るわけはないし、手で持っていると、まるで警棒とか凶器を持ってるようなのだ(^^;。
アルハフェリア宮殿。外堀があって、堀の外から眺めるとそう違和感はないが、コルドバのメスキータを彷彿させるような幾何学模様のアーチがやはり、アラブ建築だなぁ、と思わせる。これまたガイドブックによると、もともとはアラブ勢力によって11世紀に建てられ、その後アラゴン王の居住地として使われたものらしい。この時代にはまだサラゴサはアラブ陣営が統治してたという事か。
旅行前にカルロス五世の本を読んでいた。その本の中に、このアルハフェリア宮殿が出てくる。カルロス五世の出張統治時代、奥さんのイサベル・デ・ポルトガルはスペイン側の摂政として、この宮殿に住んでた時期があるとの事。(改修されてはいるが)サラゴサでこういう建物を見る事ができるとは。
だからと言うわけではないが、ここは警備が厳しかった。壁とかを眺めていると、遠くから警備の人がジーッと見てる。次の間に行くと、また別の人がこっちを注意深く見てる(笑)。トランシーバーで連絡を取り合ったり。
堀の外側は芝生が植えてあって、ベンチもあるので散歩するのには良い所だ。お金も一切かからない。ベンチに腰掛け、外観を眺め、ボォーっとする。この時で20時ちょっと前。まだまだ陽は強く感じるが、昼間のに比べたら過ごし易い。僕は一人旅のせいか、スペインに行くと良くベンチに座ってボォーとする事が多い。する事がないと言えばそれまでだが(笑)、決して嫌いではない。何をするでもなく人を眺めたりしている。ま、これも観光旅行客の特権だろう・・・。
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| サラゴサ市街 | アルハフェリア |
オスタルに戻り、近所のバルを2軒程周り、就寝。
7/16(日)0830起床。良く寝た。考えてみたら飛行機で出てからあまり寝ていなかったように思う。朝飯を食べにバルへ・・・。
ふと新聞屋の前を通ったら「ETA ASESINA(ETAが暗殺)…」の文字が。スペイン入国3日目の事件。マラガのPP(国民党)の議員が家族の前で射殺されたとの事。ETAはその数日前にもマドリーの中心地で車にしかけた爆弾を爆破させるという行為をしていた。昨年末の停戦破棄後、8人目の犠牲者だそうだ。数日後の新聞には被害者の葬儀の時の遺族の写真が載っていた。この時はもちろん予想もしなかった事だが、結局、今回の僕の旅行中も、ETAはソリア、ビトリア、ビルバオ近郊と3日に一度は何らかの事件を起こしている。一方的な大儀の為に何人殺せば気が済むのだろう?
自転車でセントロへ。ピラール前のバルのテラスでビールを飲みながら、日記を書いていると、黒人の物売りがテラスに来た。一見してアクセサリーとか時計のようだが、周りにいる観光客は誰も相手にしない。僕の場合はと言うと・・・外国人だと分かるのか、近づいてもこない(笑)。しばらくすると、今度は黒人の少年がサングラスを売りにきた。もちろん誰も相手にしない。と言うか、他のテーブルには、もうすでにサングラスをかけてる客もいるのだ。と、その少年、迷う事なくオイラに近づいてきて、商売を始めた。
その少年が気に入った、という理由だけではないが、まぁ、日差しも強かったので、何気なく一個買ってしまった。1500pts。この少年に笑顔で「Gracias」と言われた時には、妙な感覚だが、たくましさを感じてしまった。
買ったばかりのサングラスをかけ、セオ(カテドラル)に向かう。サングラスなんてかけたの何年ぶりだろう?? セオの前でのみの市。と言ってもマドリーのに比べたら規模は小さい。が・・・土産物屋的雰囲気はまったくない。本当にがらくたばかり。動かなくなった時計とか、何に使うのかわからない鉄製の道具や、そして1930年代の日付がある内戦中の古新聞・古雑誌・・・。
セオを見て、オスタルの近くまで戻り、昼食。ワインが効いたせいか、めちゃくちゃ眠い。シエスタ。1630に時計のアラームをセットして寝る。
1700サラゴサ発の電車で一路バルセロナへ・・・。途中、タルゴが止まらない小さな村の古ぼけた城にカタルーニャの国旗が揺れていた。カタルーニャに入ったんだな、と感じる。
2030。バルセロナ・サンツ駅着。バルセロナは何年ぶりだろう?多分、8年ぶり位かもしれない。前日予約してあった駅近くのオスタルへ。駅前のタクシーの色を見て「あぁ、バルセロナに来たんだなぁ」とつくづく思ってしまった(笑)。
オスタルでシャワーを浴び、歩いて両親の泊まっているヒルトンへ向かう。地図で確認したら、道自体はそう複雑ではなかった。実際、ヌマンシア通りというのを歩いてみたら、20分程でヒルトンホテルに着いてしまった。
2130 ヒルトン着。レセプションから部屋に電話をしたが、誰も出ない。飯に行ってるようだ。ホテル横の料理屋で晩飯。ちょっと待つだけだからと、つまみ系のメニューを探したが、全然載ってない。よくよく見たら、メキシコ料理店だった。こういう時はスペイン語はまぎらわしい(笑)。
2210 ヒルトンに戻る。と・・・ロビーに父親がいた。前日TELで話した時に21時過ぎにホテルに行く旨言ってあったから、食事の途中でグループの皆とは別れて先にホテルに戻ってきていたらしい。部屋に電話したら、母親が出てロビーに下りてくると言う。
親子三人スペインでの対面。と言っても、今年の2月に会ったばかりだから半年ぶり位のものだが(笑)。「スペインはどう?」と聞いたら、開口一番、「飛行機が疲れた」との事(>_<)。特にアムステルダムまでの半日近く飛行機に乗っていたのが、疲れたらしい。ま、無理もないか。「バルセロナはどう?」と聞いたら、「建物がすごい」と。が、やはり名前が覚えられないらしく、「2番目に見た建物が良かった」とか「桜田何とか(サグラダ・ファミリアの事です、ハイ)が良かった」とか。こっちから誘った手前、「もう二度とこんな所、来たくない」と言われるよりは良かったが。
2400にオスタルに戻り、就寝。
7/17(月)バルセロナ。朝、両親のいるホテルに行き、そこから家族で観光。まず最初はLOEWE。何でも妹にバッグを頼まれたんだそうだ。タクシーでLOEWEへ。個人的には日本でも買えるのに・・・と心の中でつぶやいたが、本人達は依頼事を済ませたかったのだろう。フリーの日以外は自主性も何もなく連れて行かれるので、どうなるか分からないから、フリーの日に行っておきたいと言う。
LOEWEを出て、カタルーニャ広場へ。広場のデパートに行き、買い物。その後ランブラスを散策。両親はツアーなので市内観光は前日済ませている。色々話しを聞いてみると、一応、バルセロナの観光スポットは一通り見た事になっていたので、結局、午前中はランブラスを親子でブラブラし、バルのテラスでお茶を飲んで終わった。
1300 ちょっと早い昼飯。何が食べたい?と聞いたら、もうパンはいい、と言う。やっぱり日本食とかお米が食べたいらしい。前日、ヒルトンに向かう途中で偶然なのだが、日本レストラン「Casa de bosque」を見つけた事を話すと、そこに行きたいと言い出す。ヒルトンに近いという事もあって、そこで食事する事にした。
タクシーをつかまえ、「Casa de bosque」に行ってもらう。このタクシーの運ちゃん、女性でとても陽気な人だった。「あ〜、あの日本料理屋ね、うん、場所わかる、大丈夫!」ってなもんだ。この運ちゃんとちょっとだけ話をしたら、ガリシアの人で、現在パラドールになってる王立病院で生まれたらしい。と言う事はちょっと前まで病院機能はあの建物にあったという事だ。僕は病院だったのは中世の頃だけだったと思っていたのだが、パラドールになったのは、まだまだ最近の事らしい。この運ちゃんの鼻歌歌ったり、ハンドル片手で大袈裟に話すしぐさが、うちの両親にはたいそうお気に召したらしい(笑)。もっとも、添乗員付きのツアーで現地の人と接する機会というのはそうはなかっただろうが。
1400 ラーメンを食べて(笑)、ホテルまで歩く。両親はこの後、飛行機でセビーリャへ。僕は電車でまたサラゴサに戻る。ホテルに戻ると、同じツアーの人達もロビーにいて両親とあーだ、こーだと話をしだした。ちょっと一安心。取り越し苦労だが、もし、新婚旅行カップルばかりのツアーで、年老いた夫婦はうちの両親だけだったら、話題とかで苦労するかな、と思ったりもしたからだ。
1530 バルセロナを後に、サラゴサへ。結局、バルセロナには24時間もいなかった(^^;。両親に会うという目的は達したから、こんなもんだろう。
タルゴ内のバル。ちょっとコーヒーを飲みに行くと、横の椅子に親子連れが座っていた。父親と息子。息子が円形のパンのボカディージョとジュース、お父さんはビール。見るとはなしに見ていたのだが、ボカディージョが届くと、息子が自発的に半分にちぎって、父親に渡していた。父親は遠慮してかどうか「お前、全部食べろ」とか言って受け取ろうとしない。息子も「いいよ、いいよ」とか言って、結局、一つのボカディージョを半分にして親子で食べていた。
何気ない光景と言えば、それまでなのだが、ついさっき両親と別れたせいか、「僕にもあんな時代があったのかなぁ・・・」とふと考えてしまった。成長してくると、照れもあるのだが、悪態ばかり言ってるような気がする・・・。
1900 サラゴサ着。オスタルに戻り、しばし休憩。もうこの時間から出かけていっても開いてる所はない、と観光はパス。そして・・・日本料理屋に向かうのだった(笑)。
日本料理店「Sakura」。前々日、中心地からオスタルの近くまで観光バスで戻った時に見かけた店だ。多分、これがマドリーやバルセロナだったら「へぇ、こんな所にも日本料理屋があるんだぁ」で済んだだろうが、まさか、サラゴサに日本レストランが存在するとは思わなかった。バスで何気なく外を見ていて、この「restaurante japones」の文字を見つけてから、意識を集中、辺りをキョロキョロ見渡し、地図で場所を確認し、「この辺だろうな」という当たりをつけて行ったのだ。せっかくだから、住所も書いちゃおう。Paseo Fernando El Catolico, n-51 Tel 976-56-27-21。
ちなみにこの日の晩飯は・・・焼き鳥2本、海老の塩焼き2本、牛丼、ビール一杯、焼酎の水割り2杯。しめて3095ptsだった。
蛇足の話にはなるが、僕は、スペインでは「スペイン料理」というのはほとんど食べない。やっぱりご飯が好きだからだ。だから、日本料理店とまでいかなくても中華料理屋を見つければ、中華料理を食べている。と言っても、大体、春巻きと五目チャーハンの組み合わせが多い。それにビールをつけてもまぁ、まず、1000ptsを越える事はない。中華料理屋が見つからない時は、1000pts前後のMenu del diaか、Platos combinadosにする。しかも、Menu del diaは、パエリャが付いてる店を選んでる(笑)。もちろんメインはパエーリャだ。せっかくスペインまで行くのだから、ちょっと贅沢してスペインの料理も味わってみれば良いのに、と頭では思うのだが、腹が減った時の選択は本能に近いものがあるんだろうなぁ、と思う。
さすがに、牛丼は吉○屋に軍配が上がったが、つまみの焼き鳥と海老は美味しかった。ほろ酔い気分でオスタルに戻る。夜風が気持良い。
気持良さと酔いが混じって、オスタル近くのバルでワインを一杯(笑)。あればカラオケでも行きたい所だったが・・・。
オスタルに戻り、就寝。