スペインの気になる人ランキング

好きな人ランキング    LIBRO(本)

調子にのって、こんなのまでやってみました。シリーズ化も近いかも!?(^^)。

第一位:狂女王ファナ(1479〜1555)

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狂女王ファナ、スペイン語で言うと、Juana la Loca(ファナ・ラ・ロカ)。この人に関しては、中丸明さんという作家の影響が多いと思います。「好きな人ランキング」に出てきた、イサベル女王の娘で、51年もの長い間、スペインの正式な女王であった人。名前から分かる通り、発狂しています。この人は、大変興味深いので、エピソードを紹介しましょう。

イサベル女王の次女として生まれたファナは、1496年、神聖ローマ帝国皇帝の嫡男フェリペ(美男王)と結婚。このフェリペさん、形だけの結婚式を済ますと、ファナをさっそくベッドに連れ込み、家来達のヒンシュクを買ったという話が残る程の女好きです。まぁ、これが夫婦だけの行為で続けば、円満な夫婦であったのでしょうが、そこはやはり、権力を持った、男の性、しばらくすると、花嫁ファナの体に飽き、やがて、宮廷中の色々な女と関係を持つ始末。当のファナはというと、家来達のヒンシュクを買ったその行為を、自分に対する愛だと思い込んだまでは良かったのですが、しばらく経つと、自分には見向きもしないで、他の女のケツを追いかける旦那を見て、嫉妬の気持ちを押さえきれなくなり、徐々に正気を失っていきます。

1504年、イサベル女王死去。これに伴い、ファナはカスティーリャ王位を継承。

1506年、突然の病で、フェリぺ死去。この時、ファナは26歳。普通なら、これだけ苦労をかけさせられた男が死んだのですから、さて、次はもっと良い男を探そう、とでも思うのかもしれませんが、ファナはそうではありませんでした。しかも、狂っているとは言え、カスティーリャの女王。誰も逆らえないのです(笑)。フェリペの遺体はブルゴスにあるミラフローレスという場所の僧院に安置されていたのですが、ある日、ミサを捧げにやってきたファナによって、その棺は馬車に乗せられ、遥かグラナダを目指さなくてはならなくなったのです。この道中、ファナは時々、棺を開けさせ、フェリペの遺骸を眺め、また出発、という事の繰り返しだったようです。その日数、787日。これだけ愛されれば、あの世のフェリペも満足でしょう。ただ、困ったのは、家臣の人達でしょうね。ものすごい異臭がカスティーリャの大地を漂ったのではないでしょうか(笑)。

さて、787日の間、棺と共に旅をした、ファナですが、自分の父親であるフェルナンド二世王に、幽閉されてしまいます。場所はトルデシーリャスの修道院。ここの一角の高い塔での幽閉生活だったようですが、46年間に及ぶその生活は、『衣服も着替えず、大小便も垂れ流し、食事も手掴みで食べ、火鉢もあてがわれなかった』、と言います。とても女王の生活、いえ、人間の生活とは思えませんね。

狂女王ファナの狂った原因は、彼女の祖母にあたるイサベル・デ・ポルトガルからの隔世遺伝と言う説がありますが、ただ、この人に関して、興味深いのは佯狂説(狂った振りをする)と言うのもありまして、その根拠とされるのが、時々意識が正常になる時間帯があったらしいのです。しかも、王位というプライドに関する時。曰く、フェリペやフェルナンドが王位の継承に関する文に署名させようとしたが、頑として受け付けなかったとか、ハプスブルク家本拠地のオーストリアからスペインに帰る際に、当時、敵対関係にあったフランク王国を通過する時、フランク王の前で跪かなかった、とか。精神状態が不安定であっても、カスティーリャの王位に対する誇りというものが、一時的とは言え、彼女を正常に戻したのでは?という気がします。

幽閉された小さな空間で、46年もの間、ファナは何を思っていたのでしょう?仮に佯狂説が真実だとしたら、何の為に狂った振りをしてたのでしょう? とても興味深い人物です。

引用及び参考文献:「スペインを読む事典」中丸明著   JICC出版局

 

第二位:ボアブディル王(不明〜1527、1538という表記もあり)

この人は、「スペインの」という言葉があてはまるかどうか、ちょっと疑問ですが、スペインに住んでいた事は確かですから。イベリア半島に約700年存在した、イスラム王国の最後の王。又の名をアブド・アッラーフ(ムハンマド12世)。エル・チコ(ちび王・小王)という愛称もあります。

ボアブディル王、私のイメージからすると、「自分の能力を過大評価した、お坊ちゃん」という感じです(笑)。親の保護がないと、生きていけないんだけれど、それに気付かず、やりたい放題やっている・・・そういう雰囲気なのです。何か、女々しいんですよね。

ちなみに、この時代というのは、レコンキスタ(国土回復運動)の最終局面です。キリスト教側カスティーリャ・アラゴン連合王国に対する、イスラム教側ナスル朝グラナダ王国。それまで、朝貢する事で、何とか国としての体裁を保ってきたグラナダ王国ですが、グラナダ王(ボアブディルの父親)は朝貢を拒否。また、キリスト教側としても、かねてから、馴合いぎみになっていた、この二国の関係を絶つ事がフェルナンド・イサベルの最終目標だったのです。

ボアブディル王、本来は王家の人間なのですが、先王の女性問題(王妃 vs 愛妾)により、母親(王妃)と共に、アルハンブラ宮殿内のコマレスの塔に幽閉されてしまうのです。この時、力を発揮したのは、王妃アイシャでした。自分と侍女のスカーフを繋ぎあわせて、ボアブディルを逃がしたのです(どこでも、母親というのは、強いものですね)。逃げたボアブディルはというと、自分に忠誠を誓う反先王派を率い、都の混乱の隙にグラナダ王を名乗ります。先王はマラガに身をよせ、グラナダ王国は「父 vs 子」の二王制になるわけです。

ここまでなら、まぁ、許せますけれども、ここからが良くない。このボアブディル王、何と!出陣した際に、キリスト教の捕虜になってしまったのです。王が捕虜になっちゃったんですよ! この時、キリスト教側はボアブディルに取り引きをもちかけています。キリスト教側としては、ボアブディルを使って、グラナダ王国を内部から崩壊させようという魂胆だったのですが、それに対して、ボアブディル王、どうしたと思います?ちゃっかりと取り引きに応じて、無罪放免だったのです。

この後、グラナダは内部抗争を経て、ボアブディル一人の天下になるのですが、それもつかの間、捕虜になった時の条件(本当は、二回も捕虜になっています)と、グラナダ国内の不協和音により、結局、街を明け渡さざるをえなくなりました。

1492年1月2日、グラナダ開城。ボアブディルは母親・アイシャと共に、グラナダを離れ、キリスト教側が用意した領地へ向かいます。その途中、かつての栄光をきわめたグラナダの街が一望できる丘から市街を見渡し、涙を流すボアブディルに対し、母親の言った言葉

「男として、(国を)守り切れなかったからには、女のように泣くがいい。」

このエピソードは有名です。いかがです?この王様。グラナダが無血開城に至った経緯には、王自ら敵の捕虜になってしまい、命こそ奪われなかったものの、我が身かわいさから、不利な条件を飲まざるをえなかった、という理由があります。王としてのプライドも何もあったものではありません。もし、彼の母親が女王として君臨していたら、グラナダの明け渡しはもっと遅れたでしょうし、レコンキスタの完了、さらにはコロンブスの派遣も16世紀になっていたかも知れません。

参考文献:「アルハンブラ物語」アーヴィング著   岩波文庫

第三位:ビセンテ・アミーゴ(1967〜)

誰だぁ〜、ビセンテ・アミーゴってぇ?という方もいらっしゃるでしょう。ギタリストですね、フラメンコの。私も、この世界はパコ・デ・ルシアしか知らないのですけれど、ビセンテ・アミーゴだけは聴いてるのです。この人くらいじゃないですか、日本盤で発売されているのは・・・。 すでに三枚の作品を発表しています。

1967年、セビーリャ生まれの、コルドバ育ち。地元のギタリスト達の教えを受け、舞踊の伴奏でプロデビュー。その後、マノロ・サンルーカルに師事。スペイン各地のコンクールで優勝し、認められるようになります(カンテ・フラメンコの代表・カマロンの作品にも参加しています)。91年、「DE MI CORAZON AL AIRE」でデビュー。93年、ギタープレーヤー誌の最優秀ギタリスト賞を受賞。94年、「VIVENCIAS IMAGINADAS」に続き、97年4月、「POETA」を発表。

私も、フラメンコ・ギターを習っていたわけではないので、技術的には何とも言えませんが、この「POETA」は、オススメです。詩の朗読や、オーケストラも入っているので、純粋なフラメンコと言えるかどうか、とは思いますが、とにかく曲が良い!フラメンコ・ギターに少しでも哀愁を感じる人なら、是非、聴いてみて下さい。

番外編:「マハ」

ん?マハ?マハって・・・と思われた方もいらっしゃるでしょう。そう、あのプラド美術館にある、ゴヤの絵のモデルです。「La Maja Vestida(着衣のマハ)」と、「La Maja Desnuda(裸のマハ)」として知られる、あの二枚の作品です。世界で初めてのヘア・ヌード絵画とも言われてるらしいです。

その絵が何で気になるのかと言うと、この絵のモデルは一体誰か?という事で、スペイン国内でも議論があるようなのです。マハのモデルと称されているのは、二人いまして、一人は「アルバ公爵婦人」、もう一人は「ペピータ」と呼ばれる人物です。

アルバ公爵婦人は、スペイン王室と肩を並べると言われる程の貴族、第13代アルバ家の当主。生まれついての女公爵です。最近知ったのですが、この家系は現代でもスペイン国内の有力貴族の一つとして、存在しています。本当に「マハ」のモデルかどうだったかは別にして、ゴヤとの男女の関係は確かなようです。

ペピータというのは、当時、王妃マリア・ルイーサの愛人であった、宰相マヌエル・ゴドイの愛妾です。この説というのは、どうも、「マハ」が世に知らされた時に、ゴドイの財産目録に、この絵画が含まれていた、という理由からのようです。

この期に及んで、マハのモデルがどっちだったか、という事はもう特定できないとは思いますが、この二人の説というのは、大変興味がある所です。

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