バスク独立問題

「バスク」という言葉から何を連想されます?ベレー帽、ゲルニカ、フランシスコ・ザビエルetc・・・。「独立問題」という言葉を使うと、ちょっと重くなりますが・・・。(^^)

私の最初のスペイン滞在中、マドリッドの大学都市の寮で生活していたのですが、ある朝、治安警備隊の兵士四人が爆殺されるという事件が起きました。スペインののんびりした、かつ平和な生活にどっぷり漬っていた私にとっては大変な驚きでした。やったのは、ETA(Euskadi Ta Askatasuna- バスク祖国と自由)と呼ばれるテロリストクループです。

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ETA(個人的には、このバスクの国旗と言うのは、とても好きですが・・・)。

ETAは、バスクという、スペイン・フランスにまたがる「一地域」を、「一国家」として、スペインから完全独立させる事を求めて活動しています。もちろんそれを主張するだけの理由もあります。なぜならバスクは一国家として成立しうるだけの条件を兼ね備えているからです。

比較的良く知られている事ですが、バスク語は、他のヨーロッパの言語と根本的に違うという事実があります。それ以外にも、バスク人の中に血液型がRhマイナス型が多いという話があります。もちろん、今までにも「バスク」という国家が認められた事はありませんし、バスクの民族主義は、1930年代からカタルーニャと共に高揚し、フランコの時代のバスク語への締め付け等が、結果としてより過激な方向へ向かわせたようです。

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Herri Batasuna(大衆連合−ETAの御用政党) サン・セバスティアンの落書き(ETA)

ETAそのものの発足は、1950年代ですが、その手口は、爆弾テロ、銀行強盗、企業家の誘拐、さらには革命税(恐喝による、一種の身代金)の徴収と、多岐に至ってます。1973年には首相を車ごと爆殺する事件も起こしていますし、有名なところでは、コロンブスの末裔の爆殺、フリオ・イグレシアスの父親誘拐、果ては、現国王ファン・カルロスの暗殺計画(実行はされていません)までも企てています。一時期のRENFEの駅のコイン・ロッカーの使用禁止は、ETAによる、無差別テロの防止目的です。

仮にバスクが国家として独立するような事があった場合、スペイン好きの私からすると、少し寂しい気もしますが、我々日本人からどうこう言うことはできません。心情的に、バスク人の気持ちも分からなくはないですが、しかし、それと現在のETAの活動を認めるという事は別物です。発足当時はどうであれ、今のETAは、バスクの独立は名目だけで、無差別の大量殺人集団あるいは、対政府との感情だけによって、殺戮を繰り返しているグループだけにしか見えないのです。

独立と言う大儀の為には多少の犠牲は止むを得ないと言うのが彼らの考えですが、爆薬や武器を買うお金があったら、何でフランスのバスク語化教育にもっとエネルギーを使わないのか?と言う疑問が私にはあります。バスクの完全独立と言う事は、スペインだけで解決する問題ではなくなっているからです。

1997年7月にバスクの一地方議員が誘拐され、その数日後に射殺体で発見されました。この時も、スペイン各地で、ETAに対する、市民の大規模なデモが行われています。1998年秋にはIRAの動向を真似するかのように、停戦を宣言しますが、それもつかの間、99年の12月には停戦を破棄し、2000年初頭からマドリーで、爆殺事件を起こしています。

すでに、ETAは孤立した存在になりつつあるようですが、最初の訪西以来、私にとっては、スペインの「陰」の部分として捉えざるをえない問題です。

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「間もなく、バスクは独立を手にするだろう」

「人類史では、住民がさきに存在して、国家があとからきた。ときに国家は忍び足でやってきて、住民たちに投網をかぶせた。」       (司馬遼太郎・街道をゆく22・南蛮の道Tより、抜粋)

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