| 第348号 |
| 光についての四つの話 |
その1、テニススクールへの道
冬の夕日は寒さにせかされて家路につく人のようにあわただしく消えていく。残照がたちまちのうちに闇に変るのである。
孫のハルは4時42分発の電車に乗る。一日中家にこもっている私はこの時だけ、おぼつかなくなった足を引きずりながらスロープを下りて車まで行き、ハルを駅まで送っていく。すでに駅舎の周辺には夕闇が勢力を増して、昼の匂いを薄くしている。ハルは小さな声で「行ってきます」と言い、構内に消えていくのだが、もうそのときには家を出たときよりもずっと闇は密度を増しているのだった。
私は車を回し、寂れた駅前通を家路につくのだが脳裏にはハルのこれからの行動が実像となって浮かんでくる。
ハルは二駅先の倉賀野で下車し、そこから明りの点き始めた旧中仙道を走り、さらに畑地にできた新興の住宅街を抜けてテニススクールまでおよそ20分の道程をたどるのである。夏の間は駅から自転車で行くのだが、冬は闇が危険なので走るようにしているのだ。
倉賀野町は江戸時代に設けられた例幣使街道が中山道から別れ日光に向かう宿場であった。今は大型スーパーも幾つかできて、他の旧街道沿いの町に比べ商店街が比較的賑やかに残っている。和菓子店舗や豆腐屋などが小さな軒を構えているし格子戸の民家、広い寺院などを見ることができる。
それだけにまた、小さな路地がたくさん旧街道に口を開けている。ハルは暗くなったこの街をいくつもの交差点を通り抜けなくてはならない。父親が靴やバッグに蛍光塗料入りのテープを貼って安全を保っているといっても小学5年生の女の子が知る人のない夕闇の中を進むことに危険がないわけはなかった。
だが、この旧街道を走っている間はまだ安心だった。テニススクールはこの街道からさらに細い、下りの道に入っていかねばならないのだ。少し前までは畑の中の道だったかもしれない曲がりくねった道路である。民家が押し迫っていて自動車で交差するには時々減速したり一時停止しなければならない。外灯も少なくなったこの道を行くとやがて小さな祠のある空間に出て、そこからは家もまばらになってくる。ハルはここを一気に走りぬけ、右前方に高く輝いている照明搭を目指すに違いなかった。
駅に向かう時まだ残照があれば慰めになる。だが手際のよくないハルは準備に手間取りなかなか家を出られないこともある。そんな時には次の列車にすると出発時からすでに闇が駅を支配しているから、私は直接テニススクールまで送っていくことになる。白内障の手術をしたので以前よりも光の乱反射が少なくなった目でヘッドライトの洪水の中を黒くなった上毛の山を前方に見ながら走るのである。
国道17号線を20分ほど走ると前述した旧中仙道の入り口に差し掛かるのだがここを回避し、最近はかなり遠回りではあるがもっと先まで国道を進む。そして新しいルートを利用して送り届けるのである。
ハルはのんきな者で車に乗ると居眠りを始める。安心しきっているのだろう。駅で別れるとき「行ってきます」と小声でしか挨拶できないハルの中にある緊張感が車の中では姿を消しているに違いない。
冬至を過ぎてやや日暮れが遅くなったようだ。早く春が来て光の中を安心して歩むことができるようになってほしいものである。
一つ補足しておくとテニススクール行きをハルは喜んでいる。上達することが喜びになっているのだ。現にハルは県の小学生テニスランキングの一〇位以内に入ってきているのである。