| 第363号 |
| 納骨式 |
目 次
T 足引く妻 U 闘病の記録 1、仙骨へのガン転移 2、放射線治療 3、抗がん剤治療 @ 抗がん剤治療を受け入れる A 外泊許可 B 2回目の外泊 C 第2クルーの治療始まる D 緊急の入院 E 半年の命 4、妻の命に向き合う @ 病状の急変―命の危機― A 個室での最期の日々 5、看護日誌から @ 疼痛との闘い A 食欲の減退 B 言動と傾眠 V 神の元へ行く妻を見送る 1 輸血と鼠頸部点滴のこと 2 誤嚥が起きた日 3 呼吸が困難になってきた日 4 妻、天に召される W 天に一人を増しぬ @ 前夜式 A 葬儀・告別式 B 納骨式 @ 式の様子 A 説教 B お礼の手紙 2通 編集後記に代えて 「悲しみの背後に光りあり」
B 納骨式
@ 式の様子
8月23日午前、納骨式が恵みのうちに終わった。
礼拝には教会の兄弟姉妹、親族あわせて50数名が参加された。その中には妻の中学時代の友人も一人混じっていた。転校生であった彼女は妻に助けられ、また妻の母にも世話になったと教えてくださった。
牧師は説教の中で植村正久が愛する娘を亡くしたとき用いたというサラ・ストック作、植村正久訳の「天に一人を増しぬ」を紹介した。その冒頭の句は
「家には一人を減じたり 楽しき団欒は破れたり 愛する顔 いつもの席に見えぬぞ悲しき・・・・さはれ 天には一人を増しぬ」であり、「主イエスよ 天の家庭に君と共に坐すべき席を 我らすべてにも与へたまへ」で詩は終わるという。
愛するものを天に送った悲しみ、喪失感は尽きない。しかし、この詩は天も地も一つであり、それは神の世界であることを教えて、慰めに満ちている。感謝である。
さらに説教ではパウロの書簡、フィリピの信徒への手紙3章20節「わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています」が読まれ、私たちはそれゆえに、苦しみと悲しみの中にあっても今の時を希望を持って生きることができるのです、そう生きるよう聖書から励まされているのですと語りかけられたのだった。
霧雨の中妻の遺骨は教会の共同墓地に埋葬された。人一人が立って入れるほどの深い納骨室の入り口近くに壷は納められた。先日マジックペンで蓋と壷に黒々と書いた渋澤K子という名前がまだ蓋をしない入り口からはよく見えたのが嬉しかった。
やがて閉じられた墓は献花の式場となった。大きな雨避けの天蓋の下でそれぞれの祈りを込めて献花が行われた。
妻よ、天上にある妻よ、安心して眠れ。
A 納骨式説教
飯野敏明牧師(日本キリスト教団本庄教会)
「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」『ヨブ記』1章21節
「しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。」『フィリピの信徒への手紙』3章20節・21節
喪の時
渋沢K子さんが、神の許へと召されて約50日が経過をいたしました。聖書の中には、神を信じ神の許へと召された人々の遺体を、その家族、あるいは共同体の人々が、手厚くこれを葬った、と記されています。イスラエルの民には、「喪に服する時」があり、その時が、定められておりました。これは今の私たちと何ら変わることがありません。
聖書の信仰者たちは皆、死んだ人々のために心から嘆き、悲しみ、そして心をこめて死者の葬りをいたしました。
供養は不要
ただ、聖書において明らかなことは、およそ聖書には、死者の霊が死後さ迷う、だから、それを鎮めるために、供養をしなければならない、といった考えは一切ありません。本日の納骨式、記念式においてもそのような考えは一切ありません。
聖書の神
先ほど朗読された、聖書の箇所にあるとおり、『ヨブ記』のヨブは「主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたええられよ」と述べています。
あらゆる人間に命を与えるのは、天地を創られた唯一なる神です。また、すべての人間からその命を奪うのも同じ神です。人間の生死は神の心、御心によって決められています。
だから、私たちは死んだ人間を拝むことはしません。私たちが亡くなった人たちに、心からの敬意を払うとしても、感謝の思いをささげるとしても、私たちは故人を神や霊のようなものとして拝むことはしません。このことは明確にしておきたいと思います。
失った悲しみ
先ほど、イスラエルの民が、死者たちのために、「喪に服する時」を持ったことを述べました。およそ愛する者を失った人は、誰であれ、愛する者を失ったことによって深い「喪失感」の中に置かれます。愛する者を失った者は、日を追うごとにその悲しみを深くするわけです。
毎週日曜日、K子さんのお連れ合いの、渋沢Hさんが礼拝に出席しておられます。ただ、その礼拝の席に、今までHさんといつも一緒であったK子さんがおられない。この時、私は改めて、K子さんが亡くなられたこと、もうここにはおられないことを、強く思わされるわけです。
私自身がこのような「喪失感」を、礼拝や集会の度ごとに感じさせられてきたわけです。まして、渋沢Hさんはじめ、K子さんと親しい方々、ご家族の方々は、私とは較べられないほどに、K子さんの失われたことに対する深い「喪失感」を経験してこられたのではないかと、推察いたします。
植村牧師のこと
日本に植村正久という牧師がおりました。植村牧師は明治期の初年、ようやく「キリシタン禁制」ガ撤去された直後に洗礼を受け、後に牧師となった、言うならば筋金入りのようなキリスト者でありましたが、突然自分の娘(薫子・六歳)を失うことになります。
幼きわが子を失った、植村牧師の嘆き悲しみ落胆ぶりは、そばにいる人が見ていられないほどのものがあったそうです。「家には一人を減じたり、楽しき団欒は破れたり。愛する顔をいつもの席に見えぬぞ悲しき」。このように植村牧師は一人の娘の死を悲しんでおります。
天には一人を増す
ただ植村牧師は「家には一人を減じたり、楽しきだんらんは敗れたり」とその悲しみを率直に語りながら、それに続けて「さばれ天には一人を増しぬ」と記しております。しかし、天上には、私の娘の一人が増えたということです。そして最後に、植村牧師は「主イエスよ、天の家庭に、君と共に座すべき席を、我等すべてに与えたまえ」、このように記しています。
この言葉こそまさに、植村牧師の祈りの言葉でありました。植村牧師は、愛する娘を失った深い悲しみと「喪失感」の中にありました。「家には一人を減じたり、楽しきだんらんは敗れたり」。
しかし植村牧師はその悲しみの中で、自らに向かって語りかけています。「さばれ天には一人を増しぬ」。自分は天に愛する娘を送った、天上にわが娘はいる。自分はこの一点にのみわが慰めを見いだしたい、見出すべきである。このように植村牧師は悲しみの中にある自分自身に語りかけているわけです。
死ぬまでどう生きるか
「死んだ人間は天国に行く、キリスト教ではそうなっているだろう」、このように言われることがあります。たしかにその通りです。
ただ大切なことは、死んだらどこにいくのかということではなく、その前に私たちがどう生きるのかということです。私たちが神から与えられた私自身の命を、今どう生きるのか、死ぬまでどう生きるのか、これが大切です。そのプロセスが非常に大切です。
本国は天に
先ほど朗読された、もう一つの聖書の箇所『フィリピの信徒の手紙』の中に、「私たちの本国は天にあります」と記されています。
なぜ、パウロがこのようなことをここで記しているのか、それは私たちが神から生かされている今の時を、希望をもって生きるためでありました。死んだら天国に行けるから安心しなさい、という意味でここでパウロは「私たちの本国は天国にあります」と記しているのではなく、私たちが今この時を、希望をもって生きるために、パウロはこのことを記しているわけです。
私たちが、天に本国を約束された者として、この地上にあって、その恵みにふさわしく、希望をもって生きていこう、このようにパウロは私たちに訴え、私たちを励ましています。
神の許への旅立ち
聖書では、神に与えられた命を生きる、その人間の歩みが、よく「旅」にたとえられています。私たちの人生は神様に向かって生きる旅のようなものだというわけです。この旅のような人生のなかで、私たちはさまざまな経験をいたします。悲しい体験もあれば嬉しい体験、喜びの体験もあります。
去る7月5日、旅のような人生を終えて神の許へと召されていった渋沢K子さんは、その70年の旅のような人生のなかで、さまざまな体験をされたことと思います。
神の心、御心
神は、渋沢K子さんに、かけがえのない70年の人生を与えてくださった。とりわけ神はK子さんに生きる希望を、さまざまな恵みを与えてくださった、それは神がご自分の創られたこの世界の片隅で小さく生きる、K子さんのような者に、哀れみと慈しみの心を、深く注いでくださるお方であるからです。
死んだら天国へ行きなさい、というような硬直的・一方的な命令をするのが神の心ではありません。そうではなく、この世を生きる、小さく弱い私たちに対して、また様々に悩み苦しむ私たちに、慰めと救いとを与えてくださるのが神の心、御心です。この神が今、kさんを自分の許へと招いて下さった、このように私たちは信じたいと思います。
納骨の時
私たちは、去る7月5日、神の許へと召された渋沢K子さんの死を悼み、悲しみ、今まで、「喪の時」を、過ごしてきました。今日、私たちはK子さんの遺骨を墓へと納めます。
「土を土に、塵を塵に」と聖書にありますように、私たちはK子さんの遺骨を墓へと納めます。生ける神が、渋沢K子さんのすべての存在を知っておられ、生ける神が、和子さんのすべてを、その御手の中に置いていてくださることを信じて、私たちは心を込めて、K子さんの遺骨をお墓へと納めたいと思います。
祈り
在天の主なる神。
私たちはあなたの許へと召された、渋沢K子姉妹の遺骨を、墓へと納めます。土を土に、塵を塵に返します。どうか永遠の命を信じる私たちは、終わりの日のよみがえりの時を、心から信じます。生けるあなたが、その時まで、K子姉妹を、変ることのないあなたの恵みの許においてくださいますよう、お願いいたします。
振り返りますと、私たちそれぞれが、渋沢K子さんと共に生き、様々な恵みと喜びとに共に与ることができました。このことを私たちは今、あなたの許にありますK子さんと共にあなたに感謝し、あなたの御名を心から賛美します。
あなたの許へと召されました姉妹が、主の光りの中にあり、聖徒たちの群れに加えられていることを、私たちは信じております。どうか愛するものを失い、寂しさと悲しみの中にありますご家族・ご遺族の上に、あなたが特に慰めと希望とを与えてくださいますように。
また今、姉妹と生と死を分けております、私たち一人一人が、あなたにあって希望を持ち、あなたにあって生きる喜びを与えられますように。
この祈り、納骨の式に集っております、お一人お一人の祈りに合わせて、主イエス・キリストの御名を通して、御前にお献げいたします。
アーメン。(注 飯野牧師の許可を受け、ここに収めさせていただいた)。
B お礼の手紙2通
その一
謹啓
先般 妻渋沢K子 召天の際は ご丁寧なご弔意を賜りお心のほど誠に有難く厚く御礼申し上げます
故人は六人兄弟の次女として東京早稲由の地に生まれ両親や兄弟を大切にしながら若い日々を送りました 結婚後は常盤台で地域の皆様から豊かな交流をいただき 晩年は埼玉に移り 充実した日々を過ごしておりましたが この二月からは肺癌の転移によって 六か月にわたる闘病生活を送ることになり七月五日夜静かに天に召されました
お蔭をもちまして このたび 日本キリスト教団本庄教会の墓地に納骨を相済ませました
つきましては 皆様からお寄せ頂きました御厚情に対し謝意を表したく心ばかりの品をお届け致しました
本来ならばお伺い致し御礼を申し上げるべきところ略儀ながら書中をもって謹んで御挨拶申し上げます
敬 具
(注 この礼状は、「お礼の手紙その2」を基に娘と三越デパート外商部の担当者が作製したものである)
その二
謹啓
葉月も はや月末 秋の風が感じられる頃になりました
皆様にはお健やかにお過ごしのことと思います
さて 過日 故 澁澤K子の告別記念礼拝および前夜式の礼拝に際しましては ご丁重なご弔意を賜りありがとうございました 心からの御礼を申し上げます
故人は六人兄弟の次女として生まれ 両親や兄弟を大切にしながら早稲田の地で若い日々を送りました そこで神様に導かれ洗礼を受けたのですが 結婚後は東京・常盤台に住み 教会生活を送りながら四人の子供を育て 地域の皆様から豊かな交流もいただいたのでした
夫 Hの定年退職に伴い 埼玉に移り 充実した日々を過ごしていましたが この二月からは肺がんの転移によって 六か月にわたる闘病生活を送りことになりました しかし幾多の痛みを負いながら 最後まで神様から与えられた命を大切にし 懸命に生き抜きました
そして七月五日夜 最愛の家族と子供たちに見守られ 全てを神さまにおゆだねして 静かに天に召されました
昭和十三年一月九日生まれの七〇歳でした
おかげさまで このたび 日本キリスト教団本庄教会の墓地に納骨をすませることができました
皆様からいただいお支えとお祈りに心ばかりの品を送らせていただきお礼のご挨拶とさせていただきます
ありがとうございました
よい秋をお過ごしくださいますように
謹白