召天一周年記念礼拝



 1 記念礼拝を撮ってくださった友

 朝まだ早い町の通りには車の往来も少ない。映像はその通りの反対側からシルエット状の教会堂を映し、やがて入り口前にそびえる鐘楼を枠に収めていた。

 2009年7月11日(土)、この日はガンで召された妻の1周年祈念礼拝が神に献げられる日であった。教会の皆さんがさまざまな役割を分担してくださり、会場はすっかり整えられていた。ただ、牧師が司式をし、説教を行う講壇の前に置かれ白い布で覆われた小さなテーブルの上は空であった。
 カメラは教会堂の外の映像からしばしの時を隔ててこのテーブルに焦点を当てていた。
 ワイシャツ姿の長男が額に入った妻の三様の写真と妻の闘病記を綴った2冊の本の配置を迷っているようであった。どのように並べることが母への思いを最もよく表す方法であるのか、その方法探していたのであろう。

 11時、開式。カメラは固定されて正面の牧師のいる講壇をとらえた。高い空間のある天井からは会堂を揺らすように豊かな鐘の音がしばし鳴りつづけた。
 こうして約50分間の式の様子をカメラはそこに登場する人物や賛美の声を追い続けてくれたのだった。

 説教では牧師は伝道者パウロの生きざまとその死を語った。「パウロは神様によって用いられ伝道に生きたが、やがて時が来てそのいのちを終えるとき『もう、あなたはじゅうぶんに自分の道を走り通した。あなたの人生はこれでよい』と神様によって肯定されました。パウロはこう記しています。『しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。』(使徒言行録20章24節)
 『100万回生きた猫』と言う絵本があります。主人公のねこは100万回生き、そして100万回死にましたが悲しいとは思いませんでした。だが、最後に野良ねこになったとき、白い美しいねこに出会い、好きになって、白いねこが多くの子ねこを生んで死んだときに初めて悲しみを知りました。」
 牧師はパウロと絵本をとおして、たった1回生きることの貴さを語り、いのちを惜しむことなく生きたパウロを証し、妻もそうして神様に生かされ、召されたと告げたのだった。
 カメラは語る牧師をクローズアップし、その前景の講壇脇の百合の花を確実にフレームに収めていた。

 礼拝の中ではときどき賛美歌を歌う。わたしは牧師の直前で子どもや孫達と共に席を占めていたから、そしてその後にも親類縁者が多く、教会に馴染みのない者の賛美の声は乏しかった。ところが、カメラがあった位置は会堂の後方で、そこには教会員が多く、しかもいつもの聖日礼拝において賛美歌をろうろうと歌うS兄がカメラ近くにおられたらしく、ビデオ映像は賛美が高らかに、声量豊かに大波が打ち寄せるごとくに満ちる様を収めて余りなかった。
 この日の礼拝に用いる賛美歌は信仰に導かれ、神の国に憩う妻を偲ぶ曲をわたしは選んだのだったが、それは神の見えざる演出と歌い手とカメラ位置の設定という効果によってじゅうぶんに目的を果たされていた。

 カメラは当初の固定式からやがて俯瞰する位置に高められ、列席者一人一人をなめまわす動きまで取り入れていた。そこにはそれぞれに齢を重ねた妻とわたしの縁者、教会の方々が列席している様が捉えられていた。どの人物の影も天にある妻に親しさと優しさ、尊敬を寄せているように私には見えた。
 式が終わって参列者一同は教会墓地に出た。そして一輪ずつレモンイエローやピンクのカーネーションを妻の眠る墓に献じた。カメラはこの一連の流れも丁寧に追って下さっていた。
 そして、最後の献花者の動きが消えると、レンズは教会堂の屋根越しに見える鐘楼の先端の鐘をズームアップし、やがて静かにフェイドアウトした。

 2 歌われた讃美歌

 召天一周年の記念式の打ち合わせをしているとき「和子さんの愛唱讃美歌を2つ選んでください」と牧師から言われた。納骨式のときもそうだったのだが私は困ってしまった。生前妻から愛唱歌を聞いていなかったのである。
 そこで私は妻の讃美歌を開いてみた。たくさんのしおりが挟んであった。礼拝や他の機会に賛美したときに入れたのだろう。
 それらを見ているうちに私は、一曲は信仰の旅路を感謝するもの、もう一曲は天にある幸いを歌っているものを選ぶことを思いついた。愛唱讃美歌というより信仰の旅路を感謝し、今在る天の国に憧れる思いを歌うのが適切だと感じたのだ。その結果「讃美歌21」から461番と579番を選んだ。461番にはこんな歌詞がある。

 一節 みめぐみゆたけき 主の手にひかれて、/この世の旅路を あゆむぞうれしき。
 そうだ。妻は主の手に導かれ、この世を喜びのうちに歩んだのだ。
 二節 さびしき野べにも、にぎわう里にも/主ともにいまして われをぞみちびく。
 幾多の悲しみ、泣きたくなるような日にも決して妻は泣かなかったが、主はそんな日も導かれた。
 四節 なすべきわざ終え、みもとに行く/み助け頼みて、ヨルダンを渡らん
 70年の為すべき業を終えて御許に召された妻は神さまの力をいただいて天に帰ったことだろう。

 そして。
 579番
 二節 うつくしの都、エルサレムは/今こそくだりて われに来つれ。/主ともに在せば つきぬきちは/きよき河のごと 湧きてながる。
 三節 うるわし慕わし とわのみ国、/うららに恵みの 日かげさせば、/生命の木の実は みのり繁く、/もはや死の影も なやみもなし。
 もちろんこれはこの世にあって天に焦がれる信仰を歌ったものであろうが、しかし今妻はこの国にあることは疑う余地がない。「うららに恵みの日かげ」が射し、「もはや死の影もなやみもな」い国。

 この二つの讃美歌は妻に贈るにふさわしい歌であった。

 3 除草されていた教会墓地

 神戸に出かける前、牧師と記念式の式次第を打ち合わせた。私は礼拝が終わったら墓地に出て妻の眠る納骨堂の上にある墓碑に献花をしたいと希望を伝えた。集まる親族は墓にお参りすることを望むだろうし、何らかの行為で妻に語り掛けたいと思うだろうとの理解からだった。
 牧師は献花は信仰の形としてはあまりふさわしくないとおっしゃったが否定することなく認めた。
 このことを神戸に行く道で運転の労をとっている別のS牧師に伝えると、献花は香を神に捧げていると理解すればいいとおっしゃった。イエスが葬られたとき女性たちが香油を持って墓を訪れたし、十字架に向かう前にも女たちは惜しげもなく高価な香油をイエスの足に振り掛けたからた。

 さて、昨日教会に行ってみると私が神戸に出かける前にはひざ上までも伸びて墓地を緑に染めて風に揺れていた草がすっかりなくなり、乾いた土が明るい光の下で光っていた。
 教会の兄弟姉妹がいつの間にか除草してくださったに違いなかった。
 礼拝が終わって外に出、いつも礼拝堂に花を用意している姉妹が準備してくださったレモンイエローとピンクの小花を全員で心を込めて妻の墓に献げた。牧師も墓の後ろに立ってみんなの様子を穏やかに見つめていた。

 4 感謝の言葉

 今日はいろいろとご予定がある中、また遠方よりおいでくださいましてありがとうございました。
 1年前のことを思いますと、今日は悲しみだけでなく喜びを感じながらこの日を迎えられたことを感謝しています。
 ですが、今佳子さんの話を聞いてまた胸がつまるのを禁じえません。

 妻が召されたのは7月5日午後10時25分でありましたが、私は今年は7月5日は神戸に行っておりました。私が代表をしている全国組織の会がそこで総会を持つということで、2年間妻の病気のために会長不在で総会をやっていただいたので今年は望まれて出席していたのでした。そこでも集まった皆さんが妻のために祈りを合わせてくださり嬉しく思っておりました。

 こうしてある種の喜びを持ってこの日を迎えられたのはこの1年皆様のおささえがあってのことと感謝申しあげます。従来にも増して体の衰えを感じるこの頃でありますし、またそれだけに神様をより近くに感じていた1年でありましたが、教会の皆さんが私が玄関に着きますと出てきて下さって車椅子を押して教会に導いてくださり、今まででしたら妻がテーブルに出すお茶を今では皆さんにお出しいただいたりし、本当に教会の皆様に多くの面で支えられたのであります。
 それだけでなくここにお集まりの皆様方にはそれぞれの場でお世話になり心から感謝申しあげます。

 振り返って見ますと、妻が召されてまだ1年でありますが、先ほど思い出を話してくださった佳子さんの話のとおり和子には70年のこの世での人生がございます。私と出会うまでは早稲田で大事な時を両親、兄弟姉妹と過ごし、そこで成長した大切なひとりの女性が許しをいただいて、私と結婚し、その後は常盤台での生活、豊島岡教会の交わり、それからこの埼玉の生活と、70年間過ごしてきたわけであります。

 今、和子は天上の生活へとその場を替えましたが、私はこれからもまだ皆様との交わりのなかで、神様の恵みをいただき過ごしてまいりたいと願っております。どうぞこれからもよろしくお願いを申しあげます。

 今日は一周年のこの時を共に持たせていただきましたことを心からお礼申しあげます。ありがとうございました。

 

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