月曜の朝



 今日もよい日だ。カーテンをいっぱいに開ける。朝日が部屋の奥まで入り込む。
 皆が出かけ、一人。用意されていた目玉焼きとレタスでパン食を取る。体が日を浴びて温まってきた。
 急須に緑茶を入れ、ポットから湯を注いでテーブルに乗せた。ふと、一句。

  朝日浴び急須の光る初冬かな

 今日は月曜日。新聞の俳壇を開く。
 佳句が多い。

  国宝の堂縁に秋浴びてをり

 「秋浴びて」、なるほど、こう詠むのかと嘆じる。

  鵯なれば我もつつかんリンゴの実

 熟したリンゴと作者のかかわりがよく分かる句である。リンゴをつついて、そこに生きているリンゴと交わって秋を知る、ここがいい。

  道問へば知らぬといひて柿一つ

 大根引き大根で道を教へけり(一茶)の句が連想され、ちょっとユーモアもあるなあ、と思いつつ味わう。ぶっきらぼうな人だが心は優しいのだろう。

 表現の妙に心くすぐられながら一読し、再度戻っていったのが長谷川櫂氏選

  愁寂や吾にもかつて母の膝

 作者も私のように独り身なのかも知れぬ。為すことも無い秋の夜。今こうして触れる人もなく日を送っているが、この老境の私にも温かでふっくらとした母の膝が用意されていたのだった、そんな句意かもしれぬ。
 男はいつまでも母のぬくもりを忘れずにいるものだ。そしてふと寂しさや人恋しさに落ちるとき、幼い日甘えを無条件に受け入れてくれた母をその体で思い出すのである。

 四段に分けて載せられている入選句をゆっくりと読み終わって気づくと、朝日は窓際のソファーの上だけになっていた。

 

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