自分に気づき、隣人と交わる



 1 序
 人間は体に生きるものである。近代になって身心二元論によって体とこころが分割されてしまい、こころがあたかもその人そのものであるかの如く認識をされるようになってしまったが、それはギリシャ的な人間理解の復活の結果であった。やがてこの思想は人間機械論にまで到達し、人間の体はあたかも機械が部品によって組み立てられているように、各パーツによって成立しているという理解にまで行ってしまったのである。

 体を忘れた人間は宙に彷徨い、立つところを失って不安定になり、自然から孤立し、自己認識が不能になってしまった。これこそがわれわれ現代に生きる人間の姿である。

 だが、人間は過去に身心一如の時代を持っていた。聖書に出てくる体はそのような体であったし、知る、見る、聞くなどの言葉も聖書の時代には体をそこに伴った、隣人との関係の中での行為を示すものであった。
 その本来の人間の姿を取り戻す行動学がここ三十年ほど前から心理学や舞踊の世界などで注目されている折、私はニュー・カウンセリングという名の元で伊東博博士が実践していた体を用いたカウンセリングを通してこの人間復活の営みに出会ったのだった。

 多くの実習を体験し、そこで生き返った私はその喜びを私だけのものにしておくことは出来ず、授業を通して生徒たちと共有することとなった。
 以下に、老境に達し身辺整理をする昨今、捨て去るべき諸資料の中から体の実習の様子を二編紹介して我々は若い子供たちと共に人間復活を求め続けることの可能性と意義を示したいと思う。

 2 教育現場での実践例の紹介

 実習1 立ち居振る舞い
 [実習体験学年]  中学3年生
 私 「自分の体が今、どんなふうに車いすに座っているでしょう。自分はどう立っているでしょう。足の裏はどんなふうでしょうか。よーく感じてみてください」
 生徒1 重たい。石がどすんとあるような。立ってみよう。よくわからない。
 私 「頭でわかろうとしなくていいですよ。」「感じてみましょうね」。
 私 「膝はどんな感じでしょう。」
 生徒2 足が半分しか(車いすの足かけに)掛かっていないのに、全部掛かっている気がする。手がぴりぴりしている。
 私 「もものところ、腰とか、おなかはどんなかな。背中、首、頭の感じも味わって下さい。」
 生徒3 おなか、気持ち悪い。
 生徒1 座っていると後ろがあるから、まあいいやって感じなんだけど、立つと、何もないから、背中が伸びる。
 生徒4 なんというかな、言葉じゃ、言葉じゃな。(言い表せない、の意)。首の後ろが頭の重さを支えてるなって、感じ。
 生徒5 全身が楽な感じ。ふだん猫背ぎみだから、伸ばされてる。
 生徒6 いつもこうしているから(前かがみ)、こうやって伸ばすと、うしろから誰かに伸ばされている感じ。

 私 「では、立てる人は立ってみて下さい。そして、歩ける人は一歩、車いすの人は一こぎ、それだけ前へ出て、止まって下さい。ゆっくりやってみようね。体がどう変わるかな。」
 生徒3 (歩く)。腰が曲がった。
 生徒1 いつもつっぱって左足を出すけど、自然に膝が曲がっている。
 生徒7 (車椅子利用)体が一回前に曲がって、それから元に戻る。
 生徒3 脳の中で何か動いている感じ。
 生徒6 前のものが近づいてくるよ。

 私 「じゃ、しばらく歩いてみてください。」
 生徒3 ゆっくり歩こうとしても速く歩いちゃう。ゆっくり歩くと危ない感じ。
 私 「危ないって、どんなふうに。体に聞いてみたら。」
 生徒3 揺れちゃう感じ。胸から上。
 生徒2 自分で(車椅子を)こいでいるのに、誰か意地悪している感じ。
 生徒7 なんか、いい気持ち。涼しい。

 私 「では、もう一回座って、みましょう。また、足の裏、くるぶし、膝、ふともも、腰、背中、おなか、胸、首、頭に意識を向けてみて、1分間じっと味わってみようね。」
 生徒3 宙に浮いている感じ、足の裏が。
 生徒1 (自分の足があるのは)床なのに、台があって、その上に足があるような。いつも1日たつと首の後ろがいたくなるのに今は楽。

   実習2 「なってみる」  [実習体験学年] 実習1に同じ。中学2年生
 私 「今、いすに座っている感じを味わってください。」
 「足の感じはどうですか。足の裏によく聞いてみてください。踵はどんな感じでしょう。(こうして 膝、腰、腹、背中、肩、首、頭の順に感じを味わってみる。)
 では、次に身体に無理がないように座り直してみましょう。左に曲がっていると座りにくいですね。右に曲がっていても苦しいですね。一番良い所を探してみようね。
 頭は、上、上、という感じで座ってください。上、少し前、という感じです。頭が肩から離れていく感じですよ。(生徒の後ろに回って、頭に手を添えて下から上にそっとなでる)
 さあ、どんな感じですか。前の座り方と比べてどうですか。」
 「足がちゃんと着いている感じ。」「頭が丸くなった。」などの言葉が出る。

 その後4人ずつ2組に分かれた。
 私は、人間以外のものになって自由に動いたり、形を作ったりしてみるように指示した。

[グループ1の生徒の様子](生徒に付された数は実習1と同じ)
 生徒7 みみずになり、車いすから降りて床を這い回った。
 生徒8・生徒5 生徒5が車いすから降り、座って両手を広げ、その後ろに生徒8が立ってやはり両手を広げて立っていた。
 生徒1 蛙になり床を動いた。

[グループ2の生徒の様子](生徒に付された数は実習1と同じ)
 生徒6 車いすから降り、猿、途中から犬になって動いた。教室の隅に行って、掲示物を剥ぎ取った。
 生徒3 ねこになって教室を歩き回った。
 生徒2 虫になり車椅子から降りて身体を引きずって動いた。

事後の感想
 生徒8 木の大変さがわかった。じっとしてて。
 生徒5 雨が降ってもじっとしていなくてはいけないから。
 生徒1 いつもは(教室が)狭く、今日は広く感じた。
 生徒3 このクラスが幼稚園みたい。
 生徒8 たまにはこういうのもいい。

翌日の私 「きのうのことを皆のからだはどう覚えていますか。」
 生徒2 いつもより脚が伸びた感じがする。
 生徒1 いつも朝ぐずぐずしているのに、パッと起きられた。
 生徒6 すごく身体が動いた感じ。

 3 終わりに

 序では原理原則を概念的に書き過ぎたことを筆者は承知している。それは、詳細に記していたのでは生徒たちの生き生きした有様を記した古い資料の意味づけをしないまま廃棄することになることを恐れて、文献に当たることもなく書きなぐったからに他ならない。
 実習の様子もこれだけではどこまで生徒の言葉、動きを理解していただけるか心もとない。だが残っていた実践例を通して、教育現場にも人間復活の教育活動が行いうることの一端を示せたら幸いである。
 生徒たちがこのような活動によって体への気づき、己の存在への気づきによって自分が確かにここにいることを確認する、このことは限りなく尊いことである。
 自己に気づくと他人の存在に気づくことができる。そうしてこそ、関係が生じ、人の世界は豊かになっていくのである。もっともっと人間が大切にされ、豊かな関係が醸成されることを願ってやまない。

 

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