高田後胤師と橋本凝胤師




薬師寺写経道場



般若心経の写経
荒廃していた薬師寺

1939年(昭和14年)に薬師寺を訪れた亀井勝一郎は大和古寺風物詩の中でこう述べる。「薬師寺は由緒深い寺であるにもかかわらず法隆寺などと比べて荒廃の感が深い。金堂内部の背後の壁は崩れたままになっているし、、講堂に至っては更に腐朽が甚しい。だがその荒廃ぶりにはどこか堂々たる所があってみすぼらしい感じは少しも与えない。」

写経勧進でお寺を建てる
(破天荒なアイデア)

1967年(昭和42年)薬師寺の管長に就任した高田好胤師は創建当初の白鳳伽藍の再建を発願した。西塔の再建だけでも当時の金額で約10億円集めることが必要だったが、薬師寺は檀家組織がないため高田師は全国の篤志から一人千円の写経勧進で再建することを決意した。

一人千円では100万人の写経勧進が必要!

当初は1年で1万巻にも達せず見通しは困難だった。高田師の全国への説法は8000回、訪問市町村は800以上を超える努力。高田師の書籍出版が好調だったこと、三越での月光菩薩展示による追い風を受けてついに昭和46年に西塔起工式を迎えられるようになった。

ついに690万巻の写経があつまる

ついに2001年までに690万巻の勧進がなされた。古代建築の復元に関心を持つ人々が数百万人もいるということはなんと凄いことか!
写経は現在も続けられ、飛鳥から奈良の地に移されて1300年目にあたる2018年までに七堂伽藍の復興を目指している。

写経のやりかたは般若心経などを書し、住所と名前を最後に記入する。勧進された写経は金堂や西塔など復興された建物の中に納められお寺が永代供養をする。
筆者も2000円(奉納1000円、借料他で1000円)で写経したものが写真である。