ごあいさつ
ボクは大学の先生です。つまり、教授です。近所の八百屋のおばさんは、ボクのことをいつも「キョウジュ、キョウジュ」と呼びます。
大学教授というのは、それなりに世間体もあるから、それ相応にカッコウをつけなければならない。シンドイことだ。
専門にしているのは、哲学とか宗教とか。
でも、専門というのは、ほんとうはもっと細かく分かれていて、その中のある分野の専門家ということになる。その分野では、それなりに名を知られている。そうなると、世間で要求されるのは、その分野の知識ということになる。それはそれで対応しているけれど、でも、ほんとうはボクにとってのいちばんの問題は、ボク自身のことなんだ。
ボクにはボクという人間がよく分からない。ボクはどう生きたらいいか分からない。50歳にもなって、それではまるで子供ではないか、といわれるかもしれないけれど、ほんとうなのだ。
だから、ボクはボク自身のことを見つめ、考え、そして語ってみたい。
誰もおまえのつまらない話なんか聞きたくないよ、と言われるかもしれない。インターネットのいいところは、読みたくない人はなにも読まなくていいということだ。
本だってそうではないか、と言われるかもしれないけれど、本には、出版社という媒体がついて回り、自分勝手なことが言えない。本はなによりも商品で、売れなければならない。自費出版という手もあるけれど、お金が掛かり、面倒も多い。それに本にまとめるには、かなり原稿がたくさんなければならない。
もちろん、発表の当てのない原稿を自分だけのために書きつづけるというのもいいかもしれないけれど、少し辛気くさい。HPならば、どの段階でもネットにあげて、読みたい人は読んでください、と提供できる。うまく行けば、批判してもらえるかもしれない。
これが立ち上がったら、親しい少数の人にはそっと教えてみてもらうかもしれないけれど、原則として、匿名にしておく。雑誌に載せたエッセーをこのHPに出したりもするから、ある分野に通じている人にはボクが誰か分かるかもしれないけれど、ごくごく地味な分野だから、そんな人がいたら、よほどの変人だね。
あえて匿名にする必然性はないけれど、○○大学教授なんて肩書きを振りかざしたくない。固有名を捨てて、ある一人の人間として、考え、語ってみたい。職場のボクは、職場のボクとして、肩書き通りの専門家としての仕事をしてゆく。
とりあえず、ここでのボクは、自分のことを「ぶんまお」と呼ぶ。どういう意味だ? それはナゾ。ちなみに、ボクのツレアイは、「しんまお」。
自分について考え、語ることは哲学だと思う。でも、ボクはいわゆる専門のアカデミックな哲学の教育を受けていない。ボクの専門にしているのは、その少し周辺的なところだ。そんなことはどうでもいいようだが、やはり専門の世界では、ボクがここで語るようなことは哲学とは認めてくれない。それは学問的な方法論を欠いているというわけだ。
でも、方法論なんて、ややこしいヨロイはあえて捨ててしまいたい。学問でなくていい。というか、学問の世界で欠け落ちてしまうところのボクを見つめてみたい。
だから、「哲学モドキ」だ。いいじゃあないか、ガンモドキ。
ところで、ガンモドキはどうしてガンモドキというか知っている? それはむかし、禅寺の坊さんが、精進料理で肉を食べられないから、ガンの肉の味に似せて作ったから。なにか涙ぐましい話だね。ま、ちょっと学のあるところを披露。
なんだかよく分からなくなったけれど、ま、よろしく。
1999.1.26
《HOME》