「生きにくさ」の感覚

 

 自殺願望の東京の若い女性が、インターネットを通して札幌の男性に青酸カリを注文し、それで自殺するという事件が起こった。送った男性も自殺した。インターネット社会の害毒だというので、しばらくマスコミをにぎわせた。

 若い頃、ボクも死にたいと思い続けていた。十代の終わり頃から二十代のはじめ頃がいちばんひどかっただろうか。夜眠るとき、このまま目がさめなかったらと思って眠りにつき、朝目覚めると、ああまた目が覚めてしまったと思う、そんな日が続いた。いっそのこと、東京が壊滅してしまえばいいのに、と思ったりもした。

 自殺の方法をあれこれ考えたりもした。でも、実際に自殺を図るまでには至らなかった。そこまで行き着くきっかけがなかったのかもしれないし、むしろそれ以上に臆病だったからだと思う。それを健全さというならば、健全さが残っていたからだと言えるかもしれない。もっとも、それを健全と呼べるのかどうか分からないが。その頃、もしボクにも青酸カリを入手する方法があれば、きっと入手していたと思う。それですぐ自殺するわけでなくても、いつでも死ねると思えば、随分気が楽になって、いわばお守りのような役に立っただろう。

 本当に自殺してしまった友人がいた。いくども未遂事件を起こした。天涯孤独で、誰も面倒を見る人がいなかったし、ボクらもそこまではできなかった。幸い世話好きの年長の女性の方が、入院から住居、そして生活保護の世話までしてあげた。天才肌の男で、もともとデザインの仕事をしていて、文学にも特異の切れ味があった。話好きで、酔ったときの身の上話や文学談は実に面白かった。寂しがりだった。

 未遂を繰り返すということは、本当は死なないのだろうと思っていた。それまで迷惑していた長電話がかからなくなって、どうしたのだろうと思っていたら、本当に死んでしまった。縊死だった。中年になって本望を遂げたというわけだ。そこまで生き続けることは随分苦しかっただろうと思う。それでも、ボロボロになるまで生き続けようとした。限界だったのだと思う。

 ボクはそれほどひどくないが、いわば急性的な疾患でなく、慢性的な鈍痛のようなものが、若い一時期だけでなく、随分小さな頃から、今に至るまでずっと続いている。直接の自殺願望というわけではなくて、むしろ生きることへの違和感、あるいは欠落感のようなもので、それは一種生理的な感覚と言ってよいと思う。どう説明したらよいか分からないが、自分だけ世界から取り残されているような感じで、ちょうど透明なガラスが自分と世界の間を隔てているような感じだろうか。いつもそれを自覚しているわけではないが、ふとしたときにいつも蘇ってくる。

 こういうのは、精神的なものというよりも、多分もっと原初的な身体感覚に基づいているのではないかと思う。だいたいもともとそれほど健康ではないから、どこかに身体的な原因があって、そこから生じる微妙な不快感があるようだ。最近パソコンなども随分精巧になっているから、それぞれの機械の個性や癖があって、使いにくいことがあったりするが、ましてもっと精密な人間の身体だから、すべてがうまく完璧に行くわけではない。ちょとしたずれで、いろいろ違いが出てくるのは当然だろう。この頃思うのだが、人はそれぞれの性格とか個性とかいう抽象的なものよりも、もっと根底には、こうした自分でもはっきり自覚しきれない身体的、生理的な要因に動かされるところが大きいのではないだろうか。

 こうしたことは、分からない人には分からないし、そんな話を聞くのは迷惑なだけだろうから、いままであまり語らなかった。自分でもその感覚の重要性がよく分からなかったということもある。でも、ボク自身の発想は、もとはと言えばそこに発しているのだから、そこを隠しておくと、ただうわべだけでものを言っていることにしかならない。言いたいことを言える場だったら、他人の迷惑など顧みなくて、もっと自分をさらけ出してもいいんじゃないかと思うようになった。

 どうやら、こういう感覚は必ずしもボクだけのものではないようだ。最近、哲学者の中島義道さんという方の『孤独について』(文春新書)という本を、「生きるのが困難な人々へ」という副題に心惹かれて読んでみた。「生きるのが困難」というのは、まさにボクが感じていたことであり、ボク自身、そんな題の本をいずれ書きたいと思っていたのだ。中島さんはボクよりももう少し重症のようで、自殺未遂の経験もあるという。

 この本には、幼児期の体験から、大学助手時代にいかに上司の教授にいじめられたかということまで、いわば自伝的に綴られている。悪口を言われた元上司などいい迷惑だろうし(それもかなりの部分は著者の勝手な思い込みだろう)、言ってみれば随分えげつない感がしないでもない。でも、上品ぶらずに言いたいことが言えるということはいいことだし、分かる人には分かる。今まで劣等感にさいなまれてきた「生きるのが困難族」「生きにくい族」にも、それなりに同じような人がいることが分かり、いわば市民権が与えられるとすれば、少しは生きやすくなるかもしれない。でも、そう思って、先日集中講義に行った大学で、この本のことと、それからボク自身の「生きにくさ」の感覚みたいなことをしゃべったけれど、どうもこれは空振りだったようで、また落ち込んだ。

 もっとも、こんな「生きにくさ」の感覚にこだわっている限り、それは宗教の手前で立ち止まっているもので、そこを飛び越えなければならない、と言われるかもしれない。先日、ある先生と対談したとき、「あなたの立場は、ハイデガーの世界内存在の立場だ」と言われて、なるほどそうかな、と思った。確かにボクは『存在と時間』はひところ一所懸命読んだが、現存在から一気に存在そのものへと飛び込んでしまう後期のハイデガーにはとても付いて行けなかった。ずっと宗教のことを勉強してきて、宗教の立場はそれなりに分かっているつもりだが、それでも自分は悟りや救いに行きつかないところにこだわってみたいという気持ちが最近とみに強い。

 漱石の『門』に、「彼は門を通る人ではなかった。又門を通らないで済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった」という有名な言葉がある。これは主人公の宗助のことであると同時に、作者の漱石のことでもあるだろう。漱石は、門を通ろうと思えば、通ることもできたであろう。でも、彼はそうしないで、かと言って、門から目を背けることもしなかった。「門の下に立ち竦」むところに、いわば彼の方法があった。門を通ってしまわないことで、はじめて見えてくる世界もある。

 自分を漱石に比べるのは僭越だが、それでも、ボクもいわば自分を「門の下に立ち竦」ませて、いわばその中途半端の境界線の上から世界を見てみたいという気持ちがある。そのとき、自分の「生きにくさ」の感覚は、むしろ強力な武器として役立てられるのではないかとひそかに思う。さいわい今のところは、一応生活も落ち着いて、それほど自殺願望もないから、むしろ自分の中の「生きにくさ」の感覚の危うさを何となく楽しんでいるところがある。あえて居直ってしまえば、そういう感覚を持っているというのは、一種の特権とも言える。

 あの若い頃の辛い思いは絶対にもういやだが、だからと言って、そういう状態が今後また戻ってこないとも限らない。それでも、それに怯えていてもどうにもならないし、まあ、自分の方法で、行く着くところまでいってみるより仕方がないのだろう。

 

1999.1.5

(ある雑誌に発表したもの。ボクの原点を述べたものだから、既発表のものだけど、あえてここに載せる)

 

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