たまには大衆演劇でも
僕の住んでいる近くの街は、東京の下町(厳密に言うと、場所的には下町ではなく、むしろ東京の場末とでも言う方が適当)で、戦後、焼け跡にできた闇市がそのまま商店街になって、安くて大衆的な店がずらっと並んでいる。いまでは少し離れたところのデパートや大型スーパーに押されて、以前ほどの隆盛はないが、それでも庶民の街という気取らない楽しさがある。
そのメインの通りから少し入ったところに大衆劇場がある。戦後、大衆演劇の隆盛時代に多いにはやり、かの下町の玉三郎こと梅澤富美男もここで若い頃芸を磨いた。かつては、東京にもこのような大衆劇場が少なからずあったが、テレビの普及とともに急速に廃れ、現在では、ここと浅草にもう一箇所残すのみとなってしまった。
この劇場も数年前、建物の老朽化で取り潰される寸前まで行ったが、「大衆演劇の火を消すな」という存続を望む声に押され、持ち主も使命感を持って、新築した上で存続することになった。建物は新しくなったものの、基本的な構造は昔のままだ。そんなわけで、1950年代から60年代くらいの雰囲気にあふれており、レトロの世界にタイムスリップすることができる。
ボクらはそれほど熱心なファンというわけではないが、最近は年に2、3回は見にゆく。最近だいぶはまってきて、もっと行く回数が増えそうだ。先日は、アメリカから来た気のおけない友人を連れて行ってきた。彼は、日本のことはよく知っているから、いまさら能や歌舞伎よりも、こちらの方がよいだろう、というわけで連れて行ったが、これは成功だった。劇場のおばさんは、外人など珍しいというわけで、「日本語が分かるかしら」とか、だいぶ心配していたようだが。
ここで演じるのは大衆劇団で、いわゆるドサ回りである。一ヶ月単位で公演し、次はまた別の場所に移る。こうして日本全国を回ってゆく。かつては、東京、大阪の他に、北九州の炭鉱地帯が本場のひとつで、たくさんの劇場と劇団があったが、いまは見る影もない。
劇団は座長によって率いられ、全国で組合のようなものがあって、年に一度くらい、座長大会という各劇団の座長を集めた公演が大掛かりに行なわれ、これはテレビで放映されることもある。旅から旅で、しかも古いしきたりもあるらしいから、結構劇団員の生活も厳しいようだが、家族ぐるみの共同生活だから、劇団全体が大家族のようなものだ。小さな子供もその中で育てられる。小中学校の子供は、一ヶ月ごとに転校しながら、大人に混じって舞台を踏んで、育ってゆく。
この間見た劇団では、小学校と中学の姉妹が活躍し、特に中学の姉は、ちょっとコミカルな男役で、ほとんど一人前といっていいほど上手だった。2歳になったばかりの子供も、「だんご三兄弟」の踊りを披露して、喝采を受けていた。こういうところで育てば、逞しくなるだろう。
公演は通常夜のみ、6時から9時半まで。土日休日は昼もあって、これは1時から4時半まで。劇場は、畳敷きで、200人くらい入れるだろうか。1500円と安いが、希望によって、中で座布団と座椅子を有料で貸してくれる。やっぱり座椅子に依りかかって足を投げ出して見るのが、楽でいい。飲食は自由。僕は飲まないが、酒やビールを飲みながらでも構わない。
観客は中年以上の女性が大部分。男性や若い人はごくわずか。休日の昼など、お水関係の女性も結構多い。熱心な追っかけみたいなファンもいて、同じ劇団の公演でも毎日見に行ったりする。だから、演目はほとんど毎日変わる。プロマイドや劇団特製のカレンダーなんかも結構売れる。中には、その劇団が別の劇場に移ると、一緒にそっちに見に行くような、すごい追っかけもたまにいるらしい。
出し物はどの劇団もほとんどパターンが決まっていて、最初に劇を一本、または二本、続いて、歌と踊りのショーになる。その間に、座長の口上があって、劇団の宣伝をしたり、プロマイドなどを売ったりする。
劇は大体、ちょんまげ物か、新しいものでも、明治かせいぜい戦前の社会を舞台にしており、本当の現代ものはない。あくまでレトロに徹するのだ。コミカルな要素を含んだ人情ものというのが決まったパターンだ。話そのものはほとんどマンネリ化したものだから、肩が凝らず、分かりやすく、笑いながらほろっとさせる。
狭い劇場で観客と一体になって、アドリブ連発で、内輪を晒しながらやってゆくから、劇そのものよりも、その雰囲気が楽しい。これは大劇場の気取った演劇では絶対にないことだ。座長や人気のある役者が型を決めると、客席から声がかかる。シモネタ的なセリフで笑わせることはあるが、劇そのものが卑猥なことはない。
後半のショーがまた、いろいろ趣向を凝らして楽しい。歌はだいたいが昔懐かしい演歌で、ほとんどが和装だから、ここでもレトロたっぷりだ。ここでは、必ず劇団の看板のハンサムな男優が女形で出てきて、踊りで色気を振りまく。これがとても色っぽくていい。不思議な倒錯の世界が展開される。彼は劇のときは大体男役だ。梅澤富美男もそういうタイプで出てきたものだ。
ここでのみもののひとつは、人気団員にファンからプレゼントがされることだ。ごひいきの役者が歌ったり、踊ったりしながら、舞台の前や花道に進んだときに、ファンがすかさず祝儀袋に入れた現金を、役者の懐や帯に挟み込む。中には、丸出しの万札をそのまま挟み込む人もいる。着物や草履をプレゼントするファンもいる。そうすると、その場でそれを身に付けて踊ってくれる。花束なんて気取っていないところがいい。
ともかく客席を一体にさせて乗せるサービス精神が旺盛だ。これがエンターテイメントの基本だと思う。大劇場では、偉そうな役者が、遠くの舞台でお上品に演じるのを、観客は一方通行で見せて頂くだけだ。歌舞伎などには、多少はもともとのサービス精神が残っているところもあるが。いちばんよくないのはテレビで、スタジオの一部の観客相手、あるいは誰も観客がいないところでの演技を、まったく関係のないところで見ることになる。そこではコミュニケーションが成り立たない。
大衆演劇では、役者が威張っていることができない。徹底的にサービスして、しかも、それなりにきちんとした演技を見せなければならない。プロに徹しなければできないことだ。ドサ回りとして、かつては軽蔑され、社会的に差別さえ受けながら(『伊豆の踊子』の話を思い出そう)、それでも好きで、「役者バカ」だからこそできることだ。それが本当のプロ中のプロというものだろう。終演後は、団員総出で出口のところに立って見送ってくれる。
こういうマイナーで、ローカルで、レトロな世界がいい。大衆演劇がんばれ。応援するぞ。
1999.11.7