北京暮らし

 きょうは3月20日。北京に到着して約1か月。3か月強の滞在予定だから、もう約3分の1が過ぎてしまった。

 仕事で来ているから、けっこう忙しいけれど、北京暮らしはそれなりに楽しい。中国を旅行したことは何度かあるけれど、暮らしたことははじめてだから、何でも新鮮だ。

 まず難しいのが交差点の渡り方。北京市内はともかく車が多い。それでも、ちゃんと信号があり、歩行者用の信号や横断歩道もある。それなら簡単だろうと思うと、それは甘い。歩行者用の信号が青くなるまで待っていると、今度は右折してきた車がどっと押し寄せる。そのうちにまた赤になる。だから、待っているといつまでも渡れない。どうするかと言うと、赤でも青でも、要するに信号にお構いなしに、車の切れ目を縫いながら(自転車も一緒に押し寄せるが)、さっと渡るのだ。さっと、と言っても、道幅が広いから、けっこう大変だ。最初に受けたアドバイスでは、必ず地元の人が渡るときに一緒に渡るように、それも、できればその人の、車が来る方向と逆の側の脇について渡るようにと言うことだった。そうすれば、万一のときでも、その人が盾になるから、安全度が高いと言うわけだ。これはまあ、半分冗談だが。

 少し慣れて、楽しみなのはバスだ。最近は随分きれいで、エアコン付きとか、二階建のバスも走っているけれど、大部分は、完全に耐用期限が切れたオンボロで、真中が蛇腹でつながった二両連結みたいな車だ。運転手さん(女性のこともある)の近くにいると、故障したり事故を起こしたりしないかと、ちょっとスリルがある。これが混む。特に朝夕はかなりぎっしりだ。

 何が楽しみかというと、車掌さんを見ていると飽きない。車掌さんは、二両の前と後ろの車にひとりずついる。お姉さんもおばさんもいる。車掌さん用の決まったスペースがあって、そこから出ない。混んでいるときは、その近くにさっと乗らないと、切符を買い損ねてあわてることになる。降りるときに切符を渡すわけではないから、混んでいるときは無銭乗車ができるかと思うと、ちゃんとチェックしていて、おかしなそぶりがあると、大変なことになる。ともかく車掌さんは怖い。入り口近くでまごまごしていると、にこりともしないで、よくわからない言葉でわめかれて、肩を押されて、奥に押し込まれたりする。いつも、すごいなあ、と思って感心して見ているのだ。

 料金均一のワンマンバスに近いのもあるが、それにも車掌さんがいる。何をするかというと、入り口の料金箱のところに坐って、ちゃんとお客さんが料金を入れるかどうか見張っている。それだけが仕事だ。料金は五角(日本円で約7.5円)だが、車掌さんは両替もしないし、おつりもくれない。ただ、見ているだけで、料金箱にお金がうまく入らないときだけ、それをちょっと手で押し込める。混んでお客さんが押し合いへし合いしているときも、車掌さんは自分用の椅子にちゃんと坐って動かない。うーん、立派だ。

 今回はまだ行っていないけれど、社会科学院のエレベーターのお姉さん(もしくはおばさん)も健在だそうだ。社会科学院というのは、北京の一等地にあって、中国の最高水準の研究者の集まりだ。その建物のエレベーターにエレベーター・ガール(もしくはエレベーターおばさん)が乗っている。彼女は椅子に坐って、たいていは編物をしたり、小説を読んでいる。お客さんが、何階と言うと、ちょっと目を上げて、ボタンを押して、また、編物や本に戻る。世界的に有名な大先生たちが、狭いエレベーターで身体をくっつけて突っ立っているそばで、彼女は動じることもなく、椅子に坐って自分だけの世界にふけっている。エライ。さすがは、学者よりも労働者が尊敬される社会だと、かつては感心したけれど、今の世の中ではどういうふうに見られているのだろう。ボクは、北京と言うと、まっさきにこのエレベーターのお姉さん(おばさん)のことを思ってしまう。

 日本人なんかには想像もできないほどのたくさんの人が、想像もできないほど広い国土に生きている国。みんなたくましい。最初は圧倒されて、とてもついて行けないと思うけれど、だんだんそれなりに自分もたくましくなっていくみたいだ。

 

1999.3.20

HOME目次