こんな本読んだ2005
《HOME》《こんな本読んだ2004》
12月7日
左近司祥子『ソクラテスになった猫』(勉誠出版、2005)
知る人ぞ知る40匹の猫の母親である哲学者先生。ソクラテスにならなくても、猫はソクラテスよりよっぽど哲学的?
上田正昭監修『「みろくの世」出口王仁三郎の世界』(天声社、2005)
大本教の確立者出口王仁三郎は、全81巻の『霊界物語』はじめ、陶芸・書画・短歌などあらゆる領域で天才を発揮した芸術家でもあった。どこから捕らえたらいいかわからないこの茫洋たる巨人への入門書。ただ、大本系の出版社だと思いますが、あまり一般的でないのが残念。
竹内洋『丸山眞男の時代』(中公新書、2005)
少し前、同じ中公新書で『教養主義の没落』という話題作を出した教育学者。丸山を論ずることは、そのまま戦後を論ずること。一方に蓑田胸喜という戦時中の学術弾圧の急先鋒を配しながら、丸山を通して戦後のアカデミズムとジャーナリズムの関係を問い直す。丸山論というよりは、丸山を手がかりとした戦後言論界の知識社会学的な分析ともいうべきもの。きわめて明晰。
頼住光子『道元』(NHK出版、2005)
小さな本ですが、わかりやすく新鮮。難解といわれる道元入門としてお薦め。
11月17日
孫歌『竹内好という問い』(岩波書店、2005)
魯迅と出会い、中国という他者に入り込むことで自己認識へと向かった竹内好。今度は中国の著者が、その竹内好に打ち込むことで、新たな思想を展開しようとしています。その捨て身ともいうべき迫力。しかし、少し不満もないわけではありません。
11月5日
阿部仲麻呂『信仰の美学』(春風社、2005)
著者は、カトリックの若い神父さん、修道士で神学者です。ですから、神学の本ですが、まずとてつもなくぶあついのにびっくりします(700ページ)。学術論文からごく短いエッセーまで、中味も世阿弥の能楽論から仏教論、陰陽道から、京都学派の哲学や最先端の神学の問題まで、どこが神学かと思われるような問題も含めて、ぎっしりつまっています。こんな楽しい神学者が出てくると、キリスト教のイメージも変りそうです。
11月4日
秦野純一『蹉跎岬始末記』(土佐出版社、1991)
著者からいただいた本です。今は手に入らないもののようですが、ちょっとフィットするものがありました。感性の違いに書きました。
11月3日
『ユリイカ』11月号「文科系女子カタログ」
青土社というところは、『現代思想』と『ユリイカ』というふたつの月刊誌を長年にわたって出しています。どちらも同じ形式で、ちょっと縦長で、良質の厚い紙を使って、いかにも格調高いインテリっぽい雑誌です。『現代思想』は徹底的に欧米現代思想の輸入紹介にこだわり、わけの分らないカタカナばかりのところが何だかカッコよさそうで、若い頃、よく分らないのに、買うだけ買っていました。『ユリイカ』のほうは、もともと詩誌で、ちょっとサブカル的なずらし方をしています。でも、根はやっぱりひとつというところがありますが。
今回の特集、ちょっとおもしろかったです。なるほどね、文科系女子というカテゴリーがあったんだ。何となく分るような。でも、それならば、理科系女子って何だ? 多分、文科系女子の反対は、理科系じゃなくて、法科系女子とか、経済系女子とか、社会の第一線でバリバリやっているキャリア組じゃあないのかな。それに対して、ちょっと外した文学部系女子というところでしょうか。要するに、あんまり社会の役に立たず、ちょっとハイブラウなギャルみたいな路線。ちなみに今、メガネ男子が文科系女子の萌えの対象だそうです。これまた何だか分るみたいな。
11月1日
川本隆史編『ケアの社会倫理学』(有斐閣、2005)
医療・看護・介護・教育という四つの場面で、実践家と研究者の両方から問題を問いかける意欲的な入門書。だけど、少し疑問を感じないわけでもありません。「ケア」論を考える参照。
10月3日
阪本是丸『近代の神社神道』(弘文堂、2005)
著者は、神道界の保守派の研究者であり、論客。ヤスクニ問題も含めて、現代の神道の何が問題かを考えていく上でとても参考になります。改めて論じてみたい本です。
9月28日
三土修平『靖国問題の原点』(日本評論社、2005)
高橋哲哉氏などの本などいかに水準の低いものか、これを読めば分ります。立場を偏らない、今日もっとも水準の高い、しかも読みやすい本です。本当は内容をえっせーで紹介したいのですが、それはいずれということにさせてください。
(10.3)えっせーヤスクニのゆくえに触れました。三土さんというのはなかなかおもしろい人のようです。
8月13日
ひろたまさき『女の老いと男の老い』(吉川弘文館、2005)
女性史に早くからたずさわってきた男性研究者の論文集。文明開化と女性、近代の戦争と女性など、しっかりした、けれども明快な内容で、著者の誠実な姿勢が知られます。
林京子『長い時間をかけた人間の経験』(講談社文芸文庫、2005)
長崎で被爆し、ひたすらその経験にこだわり続けてきた作家。行方不明になった友人カナの手拭いと一緒に観音霊場をめぐる中での感慨。地味だけれど、こうしてこだわり続けるだけの大きな問題です。
柳美里『仮面の国』(新潮文庫、2000)
1997年に『新潮45』に連載した時事評論。柳美里さん自身のサイン会中止事件、酒鬼薔薇事件、「新しい歴史教科書」、従軍慰安婦問題、伊丹十三自殺など、激動の一年。それらの事件や論争の当事者として、熱く激しく論じています。柳さんの論は冷静に論理を追っているわけではないし、必ずしも賛成できるわけではないけれど、身を張って闘う姿勢がすごいところです。
8月5日
水谷美苗『続明暗』(新潮文庫、1994)
漱石の『明暗』は未完で終りましたが、それに結末をつけるとしたら・・・ 漱石をジェンダーから読むに触れました。
6月23日
鹿島田真希『六〇〇〇度の愛』
三島賞受賞作。長崎とロシア正教というのに惹かれましたが、単行本を買うのも大変なので、地域の図書館で『新潮』2月号を借りて読みました。ちょっとお高くとまったトラベルミステリー的、二時間ドラマ的不倫物語で、なんで長崎なのかよく分らないのですが、ロシア正教の解説的なことが、チラチラ書いてあるのが勉強になります。ロシア正教には、佯狂者という種類の聖人がいて、隠遁的で常軌を逸したことをするのだそうです。作者はどうもその佯狂者にあこがれているようです。ドストエフスキーの解釈もなるほどと思われます。『罪と罰』で、娼婦ソーニャが聖女的であるならば、ソーニャを売春宿に売ったその父親はもっと聖人的だ、なんて議論はおもしろいです。そういういかがわしさと聖人性がごっちゃになったところを、作中の人物に当てはめようとしているようですが、ちょっと観念的すぎて、ドストエフスキーの主人公とは格が違いすぎるようです。でも、この作者がもう少し自分自身の人生経験から重みを持って書けるようになったら、と期待されます。三島賞発表の『新潮』7月号で、笙野頼子との対談はおもしろいです。
5月31日
片田珠美『攻撃と殺人の精神分析』(トランスビュー、2005)
フロイト=ラカンの精神分析によって、殺人の心理を分析。カコン=内なる悪、内なる悪しき対象が殺人へと駆り立てる、というのは納得がいくけれど、シロウトにはフロイト=ラカン説の紹介からはじめて、もうちょっと、分りやすく書いてもらいたかった。
柳美里『声』(小学館、2002)
『命』『魂』『生』(『生』はまだ読んでいません)に続いて、東由多加さんの死から葬式を経て、四十九日まで。昔の私小説文士みたいに、自分のプライバシーを全部裸にして、他人をも傷つけて、印税を何年分も前借して、それでひたすら書く。書くことによって生きる。柳さんの生き方の凄み。
柳美里のものを少し読んでいこうかと思っています。
篠田節子『砂漠の船』(双葉社、2004)
出稼ぎで崩壊した家に育った幹郎は、つつましくてもいいし、出世しなくてもいいから、地域に根ざし、家庭を大事にしようとする。でも、それは自分ひとりの思い込みで、娘が離れ、妻も離れていってしまう。よくある話だけれど、それなりに読ませます。夫婦って、難しい。
5月28日
高橋哲哉『靖国問題』(ちくま新書、2005)
ヤスクニ問題がまたもめています。ヤスクニ反対派の論客のヤスクニ論。おもしろいところがありますが、それで解決が付くかな、というと、どうも疑問です。もういちどヤスクニに書きました。
鹿野政直『兵士であること』(朝日新聞社、2005)
戦時下に育ち、軍隊に行く前に戦争が終った世代である鹿野政直さんは、自らの生き方から戦争を問い直した好著です。歌人宮柊二の戦場での衝撃的な歌「ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば声も立てなくくづをれて伏す」などを分析しながら、戦場の思想を解明します。もういちどヤスクニにもちょっと触れました。
5月24日
日韓共通歴史教材作成チーム『日韓共通歴史教材・朝鮮通信使』(明石書店、2005)
日韓でどのように歴史認識を共有できるのか。その試みの第一歩です。日韓共通歴史理解への第一歩に書きました。
5月6日
早川紀代秀・川村邦光『私にとってオウムとは何だったのか』(ポプラ社、2005)
オウム事件で死刑判決を受けた早川被告の告白と、早川被告に裁判を通して関わってきた宗教学者の川村氏によるオウム事件の位置づけに関する論文。サリン事件から10年。ようやく事件を上っ面だけでなく、深く自分の問題として捉えようという研究が出てきていることは、とてもよいことだと思います。
古東哲明『他界からのまなざし』(講談社新書メチエ、2005)
副題に「臨生の思想」とあります。「臨死」ということはよく取り上げられますが、古東さんは死の側から生を見る「臨生」という視点を提示します。そこから、世阿弥とか宮沢賢治を取り上げます。けっこうぞくぞくするところがあります。
5月4日
対本宗訓『禅僧が医師をめざす理由』(春秋社、2001)
読まないまま「積ん読」だったのが出てきて、たいしたことはないだろうと読んだんですが、それなりにおもしろかった。著者は、臨済宗の佛通寺派という一派の管長さんだったのが、医学を志して大学の医学部に入学、管長を辞任しました。病と死と正面から取り組もうというとてもまじめな半生記。
西平直『教育人間学のために』(東京大学出版会、2005)
狼少女というのは、よく人間らしさを語るときに話題になります。狼に育てられたという少女が、人間らしい教育をなかなか受け容れなかったという話です。一体、彼女にとって、「人間らしい教育」を受けることが本当に幸せだったのか。人間らしさとはどういうことなのか。著者はその根本の問題をゆったりと螺旋を描くように学生たちと一緒に考えようとしています。「教育人間学」なんて難しいことではなく、人間らしく生きるというはどういうことか、誰にとっても考えさせる本です。
森岡正博『感じない男』(ちくま新書、2005)
生命倫理や「無痛文明論」で論陣を張る著者が、自らの制服フェチやロリコンを語りながら、男の性を論じています。その勇気に拍手。男の性はどう語られるかを参照。
3月31日
木藤亜也『1リットルの涙』、木藤潮香『いのちのハードル』(幻冬舎文庫、2004)
何も言わずに、ともかく読んでみましょう。
2月4日
エリザベス・キューブラ・ロス『人生は廻る輪のように』(上野圭一訳、角川書店、1998)
暮に出張先のテレビで、キューブラ・ロスの晩年に取材したテレビ番組を見て、興味を持ちました。本当におもしろい人ですね。妻は、彼女の精力的な活動に圧倒されたというのですが、ボクはむしろ死後の生存を信じ、霊と交信したり、霊媒師に騙されるあたりがとてもおもしろい。アカデミックな場に容れられないスケールの人です。文庫にもなっているようですが、知らずに大きい本で買ってしまいました。
高群逸枝『娘巡礼記』(岩波文庫、2004)
日本の女性学の生みの親高群逸枝。彼女が24歳のときに、さまざまな悩みから四国88箇所のお遍路を思い立ち、偶然あった老人とともに約百日かけて回ります。その道中を『九州日日新聞』に連載したもので、生前には単行本として出されなかったのを、編者の堀場清子さんの努力で再現したものです。みずみずしい感性の中に、後の高群につながる鋭い問題意識が見られます。高群は、後年までこのときの巡礼行の思い出を大事にして、『お遍路』(中公文庫、2004復刻)なども書いています。
1月11日
荷宮和子『なぜフェミニズムは没落したのか』(中公新書ラクレ、2004)
このところ、フェミニズムはすっかり旗色が悪い「負け犬」のようです。本当に没落しちゃったのかなあ?フェミニズムって没落したの?参照。
1月7日
渋井哲郎『ネット心中』(NHK出版・生活人新書、2004)
ネット心中即ネット害悪論のような短絡的な発想でなくて、それもひとつの選択肢としてありえるのではないかと思います。表面的なルポでなく、もう一歩その心情に立ち入った姿勢がいいと思います。
香山滋『ゴジラ』(ちくま文庫、2004)
ゴジラは、太平洋の水爆実験の放射能を浴びて、ジュラ紀の怪獣が甦ったものです。ゴジラの公開は1954年ですが、そこには同年のアメリカのビキニ沖水爆実験と第五福竜丸の被災が大きく反映されています。ヒロシマ・ナガサキの悲惨を経験した日本の人々にとって、この事件がどれほど大きなショックだったかを、まざまざと示す記念碑的な作品となりました。ゴジラは、芹沢博士の開発したオキシジェン・デストロイヤーという脱酸素兵器によって東京湾に沈められますが、それが核以上の兵器となることを恐れた芹沢博士は、関係する書類をすべて廃棄した上で、ゴジラとともに自爆します。田辺元の「死の哲学」もこの水爆実験を契機に展開したことを思えば、この事件の現代史における意義はもっと重視しなければなりません。今度、第五福竜丸を見学に行こう。
1月5日
大塚英志『「伝統」とは何か』(ちくま新書、2004)
大塚英志といえば、サブカルチャの大家。本書は、サブカル的な視点を生かしながら、柳田国男の民俗学とナショナリズムの問題を突いていて、なかなか読み応えがあります。高天原はどこにあるのか?にちょっと触れました。
1月4日
佐倉智美『明るいトランスジェンダー生活』(トランスビュー、2004)
佐倉智美さんのサイトにひところハマって、よく見ましたが、このところ、しばらくご無沙汰をしていました。すっかりトランスジェンダーも板について、いよいよ晴れて女子大生。おめでとうございます。まだまだ性的二元論の不条理は多いけれど、それでもパワーとユーモアでそれを乗り越えていくところがとても魅力的。これからますます出番が増えそうです。
1月1日
中西正司・上野千鶴子『当事者主権』(岩波新書、2003)
遥洋子『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』(ちくま文庫、2004)
その他、上野千鶴子さんの本をまとめて読みました。元旦に上野千鶴子を読むを参照。
内田樹『他者と死者 ラカンによるレヴィナス』(海鳥社、2004)
レヴィナスの他者論を、ラカンを使いながら死者論として読むことを提案しています。そうなると、ぶんまおの死者論ととても近くなってきます。それと関連した問題について、田辺元の〈死の哲学〉参照。
《HOME》《こんな本読んだ2004》