文理塾通信
躾(しつけ)と教育
ポイとごみを捨てる人がいる。反対にごみが落ちていると拾う人がいる。部屋をきちんと整理する人と、乱雑に散らかしたままの部屋がある。
この差は小さいころからの親の躾によるものと思われる。
私の塾の駐輪場には最近、2歳くらいから小学校4年くらいまでの子供たちが遊び場に使うようになっている。近くに公園があるのだが、シャッターをつけていない塾の駐輪場は夏は日よけになり、雨の日や寒いときは風除けになるので遊ぶにはいい場所になるのだろう。動物園のように使用料金を一日120円くらい取ってやろうかと思うのだが、そうもいかない。
その駐輪場の中にお菓子の包装紙などをポイと捨てている子がいた。そんな時に「おーい、少年・少女たち全員集合!」と声をかけ「いい習慣も悪い習慣もついてしまう今が一番大事な時だよ。ゴミをここや道路にポイと捨ててはいけない。」と何度か注意をし、ほうきがあるので、よごしたら掃除するように命令をした。
それからはポイ捨てもなく、時々は掃除もしてある。こうした躾はこれくらいの年代の子供たちには有効である。
ある日、教室でモーツアルトの美しいクラッシク音楽を静かに聴きながらその日の塾の学習の準備をしていたら「おめーら、こんなことがわかんねーのかよー。」とかん高い声がした。
駐輪場で小さい子達といっしょに遊んでいた小学校3年生の女の子の声である。(これはいかんなぁ)と思って外に出て行き、「いいかい、女の子は昔は「・・・・わ」と語尾に「わ」をつけたものだよ。」と説教をして、今のは「みんな、こんなことがわからないの、お姉さん、こまっちゃうわ。」といってほしいなあ。と話しておいた。
テレビなどの影響もあるのだろうけれど、大人の女性でも言葉使いがきたないのに驚かされる。これでは子供の躾をする人がいないことになる。
ここで思い出すのが私の中学校時代の校長先生である。
朝礼の話はきまって躾に関することばかりであった。
ゴミが落ちていたら拾う。背筋はきちんと伸ばす。トイレから出たら手を洗う。あいさつをする。
そんなことをいろいろな話の中に織り交ぜてじょうずに話されたのを、今でも覚えている。それは親がやるべき躾を学校の中でもしてくださった先生の教育手法なのだと思う。
電話のある家はまれで、テレビのある家とない家があり、水洗トイレはどの家にもなかった時代の話である。
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