諏訪通信U 2011年04月10日新設 先頭のページへ
2012年5月21日
 見事な金環食を見ました。感動です。諏訪では朝からきれいに晴れて、申し分の無い条件でした。宇宙の神秘に触れた気がします。
 でも、本当は巌君に見せてあげたかった。天文ファンの彼の夢は、自分でガラスを磨いて望遠鏡を作ることでした。それは実現したかったけど、我が家には彼が残した赤道儀(星を追尾する道具)をはじめ、天体に関する多くのものが残っています。巌君は空が大好きでした。でも、金環食を見ないまま逝ってしまいました。私は、今日、彼の分までじっくり見ました。いつか、この感動を伝えてあげるね。

2012年5月18日
 60の手習いと言う言葉があります。私達の世代は「実力があれば仕事はできる」と資格など取らずにがむしゃらに仕事をしてきましたが、今は、資格社会です。医療関係に何の資格も持っていない私に、病院の理事長からドクターズクラークという資格を取れというお言葉がありました。
 そこで、60の手習いが始まりそうです。さあ、このちょっと疲れた脳ミソに新しい知識が入るのでしょうか。まあ、やってみるしかありませんね。きっと巌君も応援してくれると思います。

2012年5月9日
 本日、60歳を過ぎたので年金事務所(今は名前が違ったかもしれません。岡谷にあります)に行ってきました。必ず行くようにという書類が来たので行ってみると、住民票を持っていないという理由で玄関払いをされました。仕方なく、諏訪に戻って市役所で住民票を取り、再び事務所へ。
 今度はやっと老齢年金の手続きをしてくれましたが、今貰っている遺族年金の方が多いので、65歳までは今のままだと言われました。上諏訪と岡谷を2往復もして、結局、何の収穫もありませんでした。くたびれもうけの何とやら…。折角の休日が無駄になりました。
 それにしてもお役所仕事。必要な書類くらい、一目見て分かる場所に書いておけと、巌君なら怒鳴っていたことでしょう。そんな一日でした。

2012年5月5日
 近くの神社でワダソウを発見しました。こんなところにもあるとは全く知らなかっただけに、ちょっとした喜びです。巌君がいたら、一番に報告したいし、彼が聞いたら、ひょいと席を立って、
「今からもう一度、見に行こう。案内して。俺も見たいから」
 と歩き出すことでしょう。
 ワダソウは5月の連休に咲く、白く小さい花で、このHPでも毎年ご紹介しました。

 巌君の闘病記の続きを書く気が起きてきました。書けるところまで、書いてみようと思います。

2012年5月3日
 本日、私の60回目の誕生日です。昔は還暦を過ぎた人って、ものすごい老人だと思っていましたが、いざ自分が迎えてみると、全く違います。巌君は、生涯、俺は結婚した36歳のままだと言っていましたが、確かに、私も結婚した28歳から変わっていない気がします。誕生日だからといって、改めた感情も沸きませんが、新たな出発であることには変わらないようです。

2012年4月30日
 巌君の一周忌。お友達が来てくれて、賑やかな時間を過ごすことができました。でも、彼らが帰ってしまった後の静寂、「ああ、巌君はいないんだな」と改めて実感させられます。
 諏訪地方独特の考えなのかどうか、よく分かりませんが、「日薬り」という言葉で、皆さん私を励ましてくれます。「今は悲しくても、日薬が効くから…」と。要するに月日が経てば、悲しみも和らぐよということでしょう。
 でも、1年が経っても、私の気持ちに変わりはありません。いえ、巌君への気持ちを風化させたくないという思いが強いのです。私を愛して大切にしてくれた人、その彼への想いはいつまでも変わらない。変えたくはないのです。本当のことを言えば、この1年、泣かない日の方が少なかったけど、それで良いと思っています。これからの1年も、きっと同じでしょう。いえ、同じでいたい…。
 大丈夫、一人ではないときは、人から呆れられるほど、元気を装っていられるから。元気な唯さんで過ごせるから。

2012年4月29日
 今日は巌君の一周忌です。母がいるので、皆さんに集まってもらうことはできませんが、お友達が何人か来てくださることになっています。1年という歳月、それは何なのでしょうか。いえ、その前に生とは、死とは? それを考え続けた1年でした。勿論、答えは出てきません。
 巌君は、今、どうしているのでしょうか。天国で我が家の犬達と遊んでいるのか、それとも、コンピュータの電源を切ったように無に帰しているのか…。
 冥福を祈る気持ちはありません。成仏も、神様になることも無縁な人でしたから。それより私の側にいてと彼の遺影に話しかけています。

2012年4月21日
 やっと、諏訪でも桜が咲き始めました。昨日は高島城の桜を見てきました。まだ2分咲き位でしたが…。
 来週の日曜日は、巌君が亡くなって1年。それに、桜が咲くと、どうしても彼のこと、考えてしまいます。桜の好きな人でした。花の頼りを聞けば、すぐに車を出す人でした。高島城の桜の写真もどのくらい撮ったでしょうか。毎年、毎年…、きっと数百枚はあるはずです。
 でも、今年は写真は撮りませんでした。撮っても一緒に見てくれる人がいないし、後の整理をしてももらえないから…。
 彼の病気の記録を綴った小説も、今、ストップしています。忙しいのもあるけれど、やっぱり、同じ時期に1年前の辛い記録を見るのは無理です。本当は、彼の1周期にお友達に配りたいと思っていたのですが、少し先送りすることにします。
 1年…。早いけれど、長い…。でも、辛い…。

2012年4月15日
 母の荷物が着きました。「これで、本格的な生活の開始です。
 また、一方で、町内会の役員をしている私は、その仕事が忙しくなってきました。お勤めの仕事もいろいろと大変です。
 まあ、いずれにしても、多忙な毎日です。あっという間に時間が過ぎていきます。
 巌君、貴方のことを考えている時間が無いほどです。忘れたことはないけど、忙しいとついついお線香を上げるのも後回しになってしまってゴメンね。
 諏訪の桜も蕾が膨らんできました。

2012年4月7日
 今週末、東京では桜が満開とか。桜の便りを聞くと、どうしても巌君を想ってしまいます。
 花見が大好きな男でした。3月中旬になると、
「何時、横浜、行く?」
 と、言い始めます。勿論、実家に行くのが目的ではなく、花見がお目当てです。
 結婚した当初は、千鳥ヶ渕の桜、それから、上野公園に行って、お酒臭いのに驚いたこともありましたっけ。多摩川沿い、海軍道路などなど…、いろんな所へ出かけました。
 勿論、諏訪で開花すれば、名所と言われるところはすべて見て歩きます。
 今年は桜が咲いても、巌君は見ることがないのですね。それとも、天国から見ているかしら。

2012年4月1日
 4月になりました。今日はエープリルフールです。「あのね、巌君が帰って来たよ」そんな嘘が現実のものとなればいいのに…。
 でも、巌君は嘘や悪戯を決して許さない厳格な人でした。まさに「巖」君です。本人は冗談の塊のようで、いつも冗談ばかり言って人を笑わせているくせに、嘘とか悪戯とかは性格的に許せないのです。それに、遅刻にも厳しい人で、待ち合わせをすると約束の時間の30分前には現れるような男でした。変なひとでしょ。でも、それが、私の巌君です。

2012年3月25日
 昨日、実家をすべて引き払い、母を諏訪に連れてきました。
 実の母といっても、20年以上別居していた人と一緒に暮らすのは、やはり、ひどく無理があります。肉親だけに遠慮がなく、喧嘩ばかりしそうです。これからを考えると、先が思いやられますが、引き取った以上、何とかするしか仕方ないですね。
 結婚して30年、私は暹君との生活に慣れ、彼とのペースで生きてきたのだと、改めて実感しました。その生活には戻れないので、新たに、母との生活のリズムを作っていく他ありません。
 まあ、焦らずゆっくりと過ごしていくつもりです。

2012年3月11日
 震災から1年が経ちました。改めて犠牲になられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被害を受けられた地域の1日も早い復興を心から応援したいと思います。
 あの時、巌君はまだ生きていました。大震災の揺れは大したことはありませんでしたが、翌日早朝の栄村の地震では怖い思いもしました。地震の大嫌いな巌君をどうやったら守れるかと、心を痛めたものです。
 その後、連日、震災の被害を告げるテレビを二人で見ました。自然の力の大きさを、死と直面していた巌君は特別な感慨を持って感じているようでした。それから2ヶ月、巌君も逝きました。
 私は、震災でご家族を亡くした方々と同じ立場にいるような気がしています。災害の突然死と病死とでは違うと言われるかもしれませんが、私の中では重なり合うのです。
 今日一日は、テレビの特別番組を見て過ごそうと思っています。多くの犠牲者を追悼するとともに、あの日、まだ元気だった巌君を偲びながら…。

2012年3月4日
 母を引き取ることになりました。3月中には諏訪に連れて来る予定です。
 受け入れ態勢を整えたり、向こうの家をたたんで、引っ越したり…。山のような作業があります。考えただけで頭が痛くなりますが、やるしかないですね。
 巌君が亡くなってから、何で、こんなに自分の思いとは別にいろいろなことが動いていくのでしょうか。受け入れる気はありますが、人生って何だろうと考えてしまいます。

先頭のページへ この頁の先頭へ