<いま読んでいる本>
2003年11月2日(日)からの記録
そんなに大層なことを考えているわけではありませんが、自分が生きている証のひとつとして、また
願わくば息子や娘に(至らない親ではあるが)私が何を感じて、何を大切にしているのかを少しでも
伝えておきたいと思いつつ、記録していきます。
遺言として、いつか読んでもらいたいと思いつつ書き留めてきたけれど、無念極まりないが、その思
いを遂げる前に、その渡すべき一番大事な相手を失ってしまった。永遠に私の心とともにある、その
「こころ優しき者」へ捧げる。 (2006.08.26 sat.)
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1.「自分の木」の下で 大江健三郎 著 (朝日新聞社) 2003.11.02(日)
「新しい人」の方へ 大江健三郎 著 (朝日新聞社)
先日、自分の年齢が50歳を超えた。だからといって何が変わったわけでもない。中小企業に勤める
ただのサラリーマンにしか過ぎないが、それでも今の自分は子供の時代から連綿とつながって今日を
迎えていることに間違いはない。
そして自分の過去が今から思っても決して「正しいこと」ばかりでつながっている訳ではない。そん
なことを思いつつ、過ち多きことに、こころ揺れながらこの本に出会った。
やさしい表現ではあるが、その奥の深さたるや読み始めた頃には予想もしていなかったほどに深い。
自分の未熟さと過去の人生がいかにその時々の自分の「浅はかさ」から心棒のないものであったかを
思い知らされる本であった。この本に出会って、こころ安らかになるとともに、今からでも建て直し
をしたいとの決意をいだかせてくれた。
2.同じ年に生まれて 小沢征爾・大江健三郎 著(中央公論新社) 2004.01.11(日)
そもそも小沢征爾と大江健三郎が、1935年生まれの同じ歳などとは知らなかった。また何故指揮
者と小説家なのかも分らなかったが、でもおもしろかった。
対談のかなりの部分を大江さんが小沢さんの意図を汲みながら文章として組み立てていられたように
思われたが・・・。
1ヶ月ほどかけて細切れの時間をつなぎ合わせて読み終えた印象として、まず真っ先に出てくる言葉
は「ディレクション」と「個」という言葉であった。やはり自分が今置かれている状況になぞらえて
どうしても何か今の迷いを断ち切ってくれるような示唆はないか、と思って読んでいるせいなのだろ
うか。お二人とも14・5歳のころ、それぞれに文学と音楽とを「やろう」と決意されていたようで
それから今日まで50年近く続けていられるわけで、好きではあったのだろうけれども、それはとて
もすごいことだと思う。まず自分には全く出来ないことだろう。
なぜかこの本を読んでいく途中で、音楽CDを2枚買っていた。諏訪内晶子「Crystal」と竹
内まりや「REQUEST」である。そしてきょうは「サイード」の本を丸山真男の書簡集とともに
インターネットで注文してしまった。そしてまだ気になっているのは武満徹という人だ。彼らのディ
レクションや個を知りたいと強く思っている。
3.鎖国してはならない 大江健三郎 著(講談社) 2004.09.28(火)
縁あって先日、講演会を聴くチャンスに恵まれ、そこで感じたことと同じ印象を、何故かまたこの本
を読んで感じた。そして無性に記録しておきたいと思わせたのは、何故だろうか?
この本は「講演集」であり、私にも読みやすかった。またテーマ(ディレクション?)が明確で、し
かも講演という性格上、短い単元にまとめられていて、どこからでもつまみ食いをして読めた。
でも終始一貫した大江さんのメッセージは、人や書物の紹介も含め、十分に伝わってきた。
それは、自分に残された時間が少なくなってきたと感じ、若い人たち(新しい時代を創っていく人た
ち)に残しておきたいものがあると強く思う「こころ」だろう。
もちろん大江さんの足元にも及ばないのだけれど、そのような思いというのは、50歳を超えた私に
も少しあって、せめても自分の息子や娘には、私がなにを望んでいるのかという事を、面と向かって
はとても言えないのだけれど、この本の書名を書き記すという形で、伝えたいと思うからだろうか。
しかも丸山真男、漱石、鴎外、魯迅など、思えば高校生の頃から、少し親しみを持った人たちが登場
してくれば、共感する事は山ほどあるし、自分の断片的な考えも少し整理され繋がってくるようにも
思うから不思議だ。
もちろん圧倒的な大江さんの読書量には、自分の未熟さを見せつけられるようで打ちのめされるのだ
けれど・・・でも反面、こんなすごい人とも共感できる自分に、少し「満ち足りたもの」「心地良さ」
を感ずるのも正直な気持ちだ。
しなやかで、しかも謙虚さを持ち合わせた強さ、そして最期まで自分を磨こうとする姿勢が「鎖国」
しないこころなのだろうと思う。
4.恢復する家族 大江健三郎・大江ゆかり 著(講談社)
あいまいな日本の私 大江健三郎 著 (岩波書店) 2004.11.05(金)
振り返ってみると、今まで大江さんの「小説」は何も読んでいない。自分は「本丸」に入ることなく
随筆や講演集やらを読んで、共感するという満足(もし許して頂けるのであれば「恢復」)に浸って
いるだけかもしれない。ちょっとまずいかな・・・とも最近思っている。
「恢復する家族」を読み終えて、すぐ「あいまいな日本の私」を読んだ。
光君によって恢復する家族、あるいは光君が求心力となって、互いに支えあう家族とでも言おうか。
このごろ感ずる「家庭の崩壊」は、大きさの違いこそあれ、自分たちの身近にある切実な問題だと
思う。大袈裟に言えば、それが「社会の崩壊」にも繋がっているように思う。
本の著者名に、ご本人の名前と奥様の名前とが連ねられているのは、たぶん「偶然」ではないだろう。
ただ単に繊細で美しく、慈愛に満ちた画を差し込んでいるから、ということだけからではないような
気がする。お互いに「決意して、覚悟して、受容して」きた同志として、あるいは「共に」同じ道を
歩んできた大切な人として、敬意をもって奥様をみてらっしゃるのでは・・・と勝手に邪推している。
「あいまいな日本の私」は講演集ですが、読みながらこの本は「政治学」の本かな、あるいは「政治
学者」の書かれた本かなと思った。何故か、丸山真男の「日本の思想」を想い出していた。
月並みな言い方ですが「珠玉の一冊」だなと思った。ひょっとして「日本の思想」よりも、今のわれ
われにはわかり易いかなとも思った。あらためて日本人の特性と乗越えるべき課題を突きつけられた
ような気がする。もちろん私にとっても「読み直す」一冊となるに違いない。
しかし大江さんの文章の組み立てと、その周到さは「書き直すこと」を習慣とされていることによっ
て生まれているのであろうが、見事というほかはない。
氷山の一角という言葉があるけれども、表面に現われているものを支えている、膨大な水面下の読書
量とその質とには、そら恐ろしささえ感じる。
5.憲法九条、いまこそ旬 大江健三郎、小田 実、澤地久枝、鶴見俊輔ほか(岩波ブックレット)
2004.12.02(木)
米国に追従するかたちで日本の自衛隊が「復興支援」という名目であれ、海外に出ていった。この前
の(まだ私が生まれていない)戦争に敗戦して、大きな犠牲とアジア諸国への罪を犯したことの反省
があっての「平和憲法」であり、その前文と第九条の文章にはきわめて崇高な理念(倫理)が織り込
まれているように思っていたが、今日あらためてこの「ブックレット」を読んでみて、その思いを強
くした。
まだ私が学生のころ、丸山真男の「現代政治の思想と行動」を読んだが、そのときに考えた日本人の
特性というか、集団のなかで個人が埋没し、結果的に誰もが戦争を止められず、またそのような運動
を醸成するような土壌のない国民性というものを再認識した思いだ。大丈夫、大丈夫だと言いながら、
少しづつ麻痺していく人間の感性を利用するかのように、後で気が付いても取り返しのつかない「大
変なこと」が進行していく状況がいまの状況かもしれない。
澤地久枝さんの講演(文章ですが)が特に印象に残った。戦争経験者が減っていくなかで、私たちに
できる事は、感性を鋭くし想像力を鍛えることにより、今起こっている事がどのような方向に進んで
行くのだろうと見定める事だろう。そして自分になにができるのかを考える事だろうか。
「9条の会」
6.がんばらない 鎌田 實 著 (集英社) 2005.07.10(日)
少し気恥ずかしい気持ちでこの本の書名を書いた。でもNHKFM「日曜喫茶室」で偶然聴いた著者
と池田香代子さん(翻訳家)との談話が気になって、例によって今の自分のこころ模様と共鳴すると
ころもあって、メモを頼りにインターネットで検索して、池田香代子さんの翻訳した本2冊とともに
この本を購入した。
全共闘時代の著者に遅れること5年、田舎者の私が御茶ノ水駅の駅頭でよく見た、ヘルメットとタオ
ルで顔を隠した活動家たちが拡声器を手にアジテーションをしていた時代が、私の学生時代だった。
鎌田さんが学生であったころは、おそらく全共闘時代の真っ只中で、諏訪中央病院での地域医療活動
をはじめることになった背景には、間違いなくこの時代に青春を過ごした人たちに共通する「何か」
が作用しているように感じた。鎌田さんのエネルギーの源は、ここにあるのではないかと思う。
地域医療を通じて実際の経験から紡ぎ出した鎌田さんの「結論」は、医療の領域のみに留まらず、私
たちの「生き方」そのものにも共通する「真理」が含まれているように感じた。
以前見聞きした安積力也さん(恵泉女学園校長)の「待てない」時代や大江さんの「寛容さの欠如」
した時代とともに「家族・地域の崩壊」している時代というものを示唆しているように思う。
笑われそうですが、信州へ山歩きに行くときには「諏訪中央病院」に立ち寄りたいなどと思った。偶
然ですが、浜松医科大学の学生で、うちの会社でアルバイトをしていた方が、研修医として諏訪中央
病院で仕事をしているなんてことにも、なにか因縁めいたことを感じましたから・・・。
7.国家の品格 藤原 正彦 著 (新潮社) 2006.02.07(火)
女房の買い物の待ち時間を潰そうと、偶然立ち入った大型ショッピングセンターの書店で、平積みに
されていた新書版のタイトルが気になって手に取った。少し前から、人間には「品格」というもが大
事ではないかと思っていたこともあったのだが、そんな思いにぴったりときたために惹きつけられた
のだと思う。
論理に先立つ「もの」が大切だと言われる著者の言葉に、正直勇気づけられた。実はかねがね論理だ
けでは物事は解決しないと考えていたからだ。それが「情緒」と「形」だと著者はおっしゃっていた
が、私は「感性」だと思っていた。論理の学問だと思う数学を専門とする数学者が著者であることに
も驚いたが、だからなおさら説得力もあるように思う。
この種の話はともすると誤解されやすいし、危険な方向に向かい易いけれども、それを恐れずに語る
には勇気がいる。ナショナリズムではなく「祖国愛」と表現されていたが、これは難しい。しかしな
がら、きっと大事なことというのは微妙なバランスの上に保たれている事が多いような気もする。
大江さんを尊敬しながらも、矛盾を感ぜずにこの本に勇気づけられたと感ずる私は、多重人格者か、
よっぽどの日和見なのか?
新渡戸稲造の「武士道」を奈良本辰也訳と矢内原忠雄訳とで2冊購入した。座標軸を見失ってしまっ
ていると、なんとなく思っている私が次に読みたい本が、決まってしまった。
8.丸山眞男 −リベラリストの肖像− 苅部 直 著 (岩波書店) 2006.08.26(土)
自分の気持ちが整理できないまま、すがるような気持ちで、「世界・憲法論文選」とともに、散りじ
りになりながら読んでいる。
丸山眞男が亡くなって、ちょうど10年が経つ。時は、まさにポスト小泉をめぐって、安倍晋三氏が
独走で次期総理か?とマスコミで騒がれている。その安倍晋三氏はどうも、憲法改正やら教育基本法
改正やらを口にしている。くしくも60年安保の時、安倍さんが敬服しているらしい祖父の岸信介首
相は国会内に警官隊を導入して反対派の社会党議員を議会から排除して「新安保条約承認決議」を強
行採決した。
「戦中と戦後の間」の厳しい変遷の時代を知らない私ではあるが、この時代に高校生、大学生、助手、
教授であった、日本政治思想史の研究者である「丸山眞男」という人は、どのように行動し、何を考
えていたのだろうか。
現代という時代が、61年前から繋がる変遷の一部であり、ましてやその時代を賢明に生きてきた先
人たちより、われわれの方が「鈍い」のではないか?と思い至るとき、現代に「危うさ」を感じる。
大衆という「けだもの」が「正義」の名のもとに、個人の自由や尊厳というものを「敵意」をもって
圧殺していくような時代、またそれを煽るマスメディアの過剰な競争と驕りが渦巻く時代が、再来し
ないことを願っている。
いったんそのような状況になったら、もう誰もそれを止められなかった「昭和」という時代を、われ
われは真摯に見つめなければならない。
唐突だけれども、最近思うのは、これからは「経済」の時代ではなく、「文化」の時代ではないか。
また、「文化」の時代へと舵を切るべきではないかということです。
「経済」は社会のインフラではあるけれど、けっして「価値基準」にしてはならない。経済合理性を
優先するあまり、われわれは如何に大事なものを失ってしまったかを再認識すべきです。
他者を自分同様に大切にする、個性というものに「寛容である」時代、それが「文化」の豊かな時代
と同義であるように思う。
9.節度の経済学の時代 内橋克人 著 (朝日文庫) 2007.06.03(日)
経済学などというと経済の仕組みやらを言っているように思うが、ここではそうではなく、もっと根底
にある「思想」を、でなければ「新しい視点」のようなものを私に与えてくれた。
NHKの座談会や、ラジオにしばしば登場する内橋克人さんの名前は知ってはいたが、正直言うと今ま
では、私には「ピン」と来ていなかった。そうかなあ?という印象だった。もちろんそれは私の分別が
足らなかったためなのだけれど・・・。
内橋さんの孤高とも思えるジャーナリストとしての立ち位置に、今は共感します。たとえ少数派であっ
ても自分の意思は明確に持つべきだと、改めて気づかせてくれた。
今、私が思うのは「経済合理性」や「資本の論理」を無批判に受け入れはしないという意思、あるいは
それらを自分の中心的な原則にはしたくないという決意です。それは、これからの、私の生きる「美学」
でもあると思う。醜く卑しい人間を離れ、自分自身の考え方や行動を変えることにより、自分を「浄化」
していきたいと思う。
19歳の時から読み始めて、35年間購読し続けた日本経済新聞をやめて朝日新聞にしたり、最近選ぶ
本も自然と変わってきたと自分でも感じている。
(ほぼ並行して読んだ本)
・「百年の食」 渡辺忠世 著 (小学館)
・「倒産の淵から蘇った会社達」 村松謙一 著 (新日本出版)
10.日本の森大百科 姉崎一馬 著 (TBSブリタニカ) 2007.07.07(土)
最近、浜松市立図書館(城北図書館)を使うようになった。結果として購入から借用に代わり、また開架
式の本にも触れる機会が増えた。
活字にちょっと疲れたなと思い、ここのところ日本庭園の写真集をめくっていたが、先週の写真集「京都
町屋の坪庭」に続き、森の写真集を借りたが、これもまた心地よくて、一日で一回目の通読が終わった。
森の写真集は外にもまだあるだろうが、まず森の写真が美しい。著者が森に対に対して畏敬を含んだ愛お
しさを抱いている気持ちが伝わってくる。また写真に添えられた文章の真摯で謙虚な気持ちにも共感した。
一時的なブームや薄っぺらな自然愛護でなく、地に足がついてるとでも言おうか、100年単位の長い時
間軸を通おして、現代の文明批判にまで及んでいる。
思わず、林野庁よ、しっかりしてくれと、胸のうちで叫んでしまう。
次に、自分に何ができるだろかと考えてしまう。そういえば郷土に金原明善という偉人がいるのだけれど
どうすればいいのか、まだ私には見えない。
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