π〈パイ〉 〜疾走するパラノイア・スケープ

監督:ダーレン・アロノフスキー

1997年作品

 久しぶりに、ジャンル分けできない傑作の登場です。新進気鋭の鬼才・アロノフスキー監督、たぶんこの作品が日本初上陸です。「新進気鋭」と言えば聞こえはいいですが、要は駆け出しのペーペー。この意味深なタイトルが付けられた本作も、いかにも低予算で作られたということがありありと見て取れる、ほとんどインディーズのりの作品です。でも、たとえ予算が限られていようとも、豊かなイマジネーションさえあれば、観客の心に強烈なインパクトを与えることができる。そんな「映像の魔力」を久々に堪能できた作品でした。

 物語の主人公は数学の天才、マックス・コーエン。学生の頃からその優秀さは抜きんでていたものの、いわゆる「紙一重」の天才である彼は、平凡な社会生活に溶け込むことが出来ずに世捨て人同然の生活を送っている。しかも生来のひどい頭痛に悩まされ、外出すら満足にできない有り様。そんな彼が、ある日起こったコンピュータのトラブルを切っ掛けに、ある妄想に取り憑かれていく。「1:数学は大自然の言語である」「2:我々の周りの全ては数学によって置き換えられ、また理解することができる」「3:どんなシステムの数字もグラフにするとパターンが生じる」「すなわち:大自然のあらゆるところにパターンは存在する」......何度も何度も繰り返される、マックスの呟き。世の中のあらゆる事象を数学的パターンに置き換えられると思い込んだ彼は、自らの編み出した数学理論を駆使しながら、株式市場の動向を驚くべき正確さで予測し始める。「神に最も近いところにいる自分」を感じながら...

 物語には、マックスの天才的頭脳を巡って策略を張り巡らす相場師やカバラ狂信者集団など、アヤシげな登場人物が次々に現れてはマックスの周辺をいろいろかき回していきますが、どのキャラクターもマックス本人のイカレぶりを前にするとどうも存在感が霞んでしまいます。そんなマックスを筆頭に、この物語には社会通念上「マトモ」と思われるキャラクターはほとんど登場しません。誰もが何かに取り憑かれ、それぞれの妄想が絡み合って、異様に静かな緊張感に満ちたストーリーが目の前を疾走していきます。異様なストーリーを表現するのは、異様な映像美学。モノクロでノイジーな、まるで一昔前の新聞記事の写真のようにざらついた映像で切り取られていくシーンは、ひとつひとつが確信犯的不安感に充ち満ちています。コンピュータのケーブルが内臓器官のようにのたうつマックスの部屋。手首から血を流しながら地下鉄ホームに佇む男。作り物のような笑顔を浮かべて延々と喋り続けるユダヤ人。異常なほど厳重に施錠されたマックスの部屋の扉。サルバドール・ダリの絵さながらに、爛れた脳髄の上をはいずり回る蟻の群れ......どこまでが現実でどこからが妄想なのかわからない、見る人によってはきっと生理的嫌悪感さえ催しそうなシーンが、フラッシュバックのように何度も繰り返されながら目まぐるしく展開していきます。特に圧巻なのが、マックスが頭痛に襲われるシーン。あまりの痛みに部屋中の物を片っ端から壊してしまうマックスの鬼気迫る演技も強烈ですが、神経を逆なでするような金属的な効果音、痛みで失神してしまう直前の真っ白いフラッシュバックなど、そのぶっ飛んだ映像表現には見ているこちらまで頭痛がしてくるようなインパクトがあります。

 「ただのキ○○○映画じゃないか?」と思った人、ちょっと待って下さい。ごく少数ながら、マトモな登場人物もいます。例えば、マックスの学生時代の恩師。自らの驚異的発見に興奮して冷静さを失っているマックスに対して、「太陽に近づきすぎて墜落したイカロス」の話をして聞かせ、ぽつりと一言「高く登りすぎるなよ」と忠告します。ここにアロノフスキー監督の冷静な視点が見て取れます。ただのキ○○○映画なら、見ているこちらもトリップしちゃえば「あー楽しかった」でハイ終わり、なのですが、ここまでキレまくった偏執狂的映像の中盤にぽんと冷静な一言を配置するあたり、計算され尽くした「物語の美学」を感じますね。

 物語は、見る人によって様々に解釈できるような曖昧さを含んだままに幕を閉じます。数学を「神の言葉」と信じ込んだマックスは、果たして神の真意をつかむことができたのか?そもそも、本当に数学は「神の言葉」なのか??いや、この物語自体が実はマックスの頭の中だけで繰り広げられた妄想なのではないか???...たった一つ言えることは、マックスにとってはこの物語は紛れもない真実である、ということです。まるで偏執狂の妄念をそのまま切り取って映像化したようなこの作品、「キレイなものをキレイなまま見せるだけが映画じゃない」ということを強烈に主張していて、映像至上主義の鴨にとってはなかなか痛快な作品でした。

 忘れちゃいけないのが音楽。重低音が効きまくった無機質なテクノ系、この作品の世界観にぴったりで、しかも決して作品以上に主張することがありません。深夜、真っ暗な部屋の中で寝転がりながらサントラを聞くと、トリップすること請け合い(笑)なかなかの佳作です。オススメ。

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