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                            大航海時代以後の帆船

 先に大航海時代の幕開けに至るまでのヨーロッパにおける帆船について、カラベル船を中心とした南方型船とコッグ船の北方型船について記しましたが、今度はそれ以後の帆船の発達について調べてみました。

まずは13世紀ごろから19世紀末帆船が蒸気船にとって代わるまでの帆船の変遷を簡単に下記に図示する。

大航海時代に最も活躍したのはカラック船とガレオン船である。それ以前の船については既に記したがもう一度おさらいをしてみる。

1. 大航海時代以前の帆船

1)・コッグ船
 
 バイキング船の流れをくみ中世北ヨーロッパで発達した船で、北海・バルト海沿岸のハンザ同盟の諸都市の交易に使われた。特徴は1)クリンカー造り、2)船尾中央舵、3)船体中央の一本マスト、長方形の横帆である。全長は約30メートル、幅は約8メートル、総重量は100トンから200トンというのが一般的だった。北の海の荒波を切って進むのに適していた。なお、詳細については、先の「ヨーロッパ北方型船」を参照して下さい。

2)・ラウンドシップ
 
 船首、船尾ともに丸みを帯びている。13~14世紀頃地中海で用いられた。波の比較的穏やかな地中海には向いていたのであろう。特徴は1)外板はカーヴェル造り、2)舵はスターボーサイド船尾近くに付いていた(舷側舵)、3)マストは2本、帆はラテイーンセール、縦帆                            中世のヨーロッパ地中海沿岸都市のコイン、紋章、タペストリー等によく見受けられる。

3)・カラベル                                                       

 大航海時代の初期を支えた船で、ポルトガルのエンリケ航海王子が探検航海用に使用したこと等に就いては「大航海時代の幕開けとカラベル船」に記した通りである。特徴は1)カーヴェル造り、2)3本マスト、ラテイーンセール、3)中央舵、4)小型で快速であった。                                 アフリカ西海岸を南下する探検航海は、行きはカナリア海流に乗り、追い風に吹かれスムーズであるが問題は帰りの北上である。この時カラベルの特徴(風上に切りあがる等)が役にたったのであろう。

2. カラック船の登場                                                  

 航海の距離が長くなるにつれ、また探検も大掛かりになるにつれ、カラベル船の小型・快速という長所が見直されるようになった。長期航海には大量の物資、即ち飲料水、食糧、武器弾薬、交換品、多くの乗組員が必要になった。ここで、前記のコッグ、ラウンドシップ、カラベルの長所を集結したカラック船が登場して来た。

・カッラク船                                                       

 特徴としては1)正規の3本マストのほかにバウスプリットを使用した。2)前2本のマストとバウスプリットに長方形の帆を船尾のマストにラテイーンセールを張った。3)船の構造はラウンドシップのようにふっくらしていた。この船型により荷物の積載量や乗員の数は大幅にアップした。4)船楼の発達、船の甲板上に建てられる、いわゆる船楼が大きくなった。5)船尾舵                                        船体の大きさは、まちまちであり100トン程度から1,000トンを超えるまで出現した。カラック船の登場により探検航海は大洋へと広がり、時代は急ピッチに進展することになった。

3. カラックからガレオン船へ

 カラックの後継としてガレオン船が登場した。この船が出現した理由は武器の搭載である。初期の頃は探検が主だった航海も、未知の陸地発見が頻繁になると発見した土地の占領と植民地化が目的の一つになり始める。占領には武器が必要になるから艦載砲を多数搭載しようとした。カラック船を大型化し大砲を載せたのであろうが安定感、復元力が悪い船になってしまった。カラックの張り出した船首楼を小さくし、戦闘能力を増強するなど改良の結果ガレオン船の登場となった。

・ガレオン船

 ガレオンとはガレー船の戦闘能力を帆船のカラックに持たせたという意味の命名である。ガレー船とは、古代から地中海で使用されてきた軍艦である。帆はかけられてはいるが、走行手段は櫂による人力であった。1段または数段に設けられた漕ぎ手座に何人もの漕ぎ手が櫂をこぎ進んだ。ガレー船は時代が下がると漕ぎ手による櫂の操作と帆走を兼用したガレアスに進化する。ガレーからガレアスという流れがカラックに合流しガレオンが出現する。初期のガレオンは甲板が、一番上の甲板を含め2,3層であったが次第に層が増え6層の船も現れた。大きさは様々で、100トンから1,000トンを超える船まであった。大砲も2から30門のものから80門以上を搭載するものもあった。

4. 海戦術から戦列艦へと発展

 17世紀後半になると、軍艦として現れたガレオン船もその地位を戦列艦(Ship of the line)に明け渡すようになった。海戦術が進歩し、それまで各艦ごとにばらばらに機動して砲撃戦をしていたものが、組織的に縦一列に連なる艦隊を編成して敵艦群に側面を向け、一斉射撃をする戦法が編み出された。船隊を構成する各艦が組織的に統一行動をする必要があり、それまでまちまちの規格でつくられていた船の規格を画一化したものが戦列艦といわれた。

・戦列艦

 ガレオン船との主な相違は、                                           1)より低くなった船楼ガレオンの大きな船首楼と船尾楼が低くなった。                     大砲の射程距離の増大により交戦距離が広がったため、トップヘビーで舵の効きを悪くする船楼は無用になった。                                                        2)砲甲板の強化                                                 大量の大砲を載せるため多層にわたる砲甲板を持ち、60~120門の大砲は搭載された。砲門の数によって1等〜3等戦列艦に等級が与えられた。サンテイシマ・トリニダードのような4層甲板に136門を装備する排水量4000トンを超える巨大艦も建造された。                                     3)装飾の簡素化                                                  戦闘が主目的であるので、しごく当然であろう。                                 4)3本から4本になったマスト                                            バウスプリットの先に小さなマストを設けるのも見受けられる。

戦闘力は凄まじかたものの、航行速力についてはあまり問題にされなかったようである。

5. 速力を備えたフリゲート艦の出現

 航行速力を備えた軍艦の出現は18世紀の初頭にフリゲート艦が本格化するまで待たなければならなかった。

・フリゲート艦

 「フリゲート」の語源となったのは、「フレガータ」と呼ばれる小型のガレー船である。フレガータは地中海で文書の伝達用なのに用いられた。17世紀のイギリスでは、このフレガータをもとにした小型高速の軍艦が登場し、フリゲートとよばれた。18世紀半ばには新しいタイプのフリゲートが、イギリスやフランスであらわれた。当初のフリゲートは、砲数28~36門で砲列甲板は単層であった。戦列艦で述べた等級艦で5,6級にあたる小型艦であった。1790年代後期に設立されたアメリカ海軍の主力は砲数44門の新型フリゲートとなった。これに対抗するため、イギリス海軍では大型・重量装備化が進み、砲数44~56門、二層の砲列甲板を備えたものが登場するようになった。船体も流線型をもたせ、帆の数も多くし航行の速力を増すように工夫された。風がない時はオールでも走れる機能を備えってあった。フリゲートは、18世紀頃から本格化した太平洋探検航海に盛んに使われてもいる。例えば、ブードウーズ号はフランス人科学者で軍人であるブーゲンビルが南方大陸探索航海に使用した船として知られている。

6. 同時代に使用されたその他の船

 1)・バーク型船

  太平洋探索航海で活躍したバーク型船がある。18世紀にイギリス王室海軍がそれまでどの分類にも属さない船にbarkを使った。元来、石炭などの運搬船であり、ずんどう型のがっしりした船体でスピードは重視されなかった。多少の暴風雨にはびくともしない堅牢さを備えていた。ジェームズ・クックの助言を容れてイギリス海軍は探検用に転用した。有名なのは、キャップテン・クックのエンデバー号や、ダーウインのピーグル号である。3本以上マストを持ちすべて横帆であった。                                   アメリカでは、バークは特殊な型の艤装を施した船を指すようになった。3本(あるいはそれ以上)のマストがあり、最後尾のマストに縦帆が、他のマストには横帆が備えられた。関連としてジャッカスバークと呼ばれる船もあるが、ここでは省略する。

2)・ブリガンテイン

 ブリガンテインは2本マストがあり、そのうち1つには横帆を備えた船である。元々ブリガンテインはオールと帆を備えた小さな船のことをさしていた。地中海の海賊に好まれ、その名前も盗賊の船を意味するイタリア語(brigantino)から来ている。現在は、基本的には前のマストに横帆、後のマストに縦帆を備えた船である。17世紀遅くに、イギリス海軍は帆走も出来るし漕ぐことも出来る2本マストの小さな船で両マストとも横帆を備えたのをブリガンテインとよんでいた。18世紀の前半、この言葉は船の形をあらわすのではなく、特別な帆の組み合わせ型を表すようになった。すなわち、前に横帆、後に縦帆の組み合わせである。ブリックとも呼ばれることもある。

3)・コルベット

 近世から近代にかけて用いられた帆柱が3本の軍艦で、一層の砲甲板を持つ。大きさはフリゲートより小さかった。主な仕事は沿岸パトロールであった。17世紀のコルベットは長さが12~18メートル、重さが40~70トンのものが主流で、甲板には4~8の大砲を備えていた。時を経るごとに大きくなって、1800年までには長さ30メートル、重さ400~600トンになっていた。

7. 帆船時代の最後を飾る快速線クリッパー

 19世紀に入ると蒸気の力によって動く動力船も登場して来た。蒸気船が改良を重ね海に乗り出していくことになるが、この時期、蒸気船と海洋の主役をかけて速度を競い合ったのが、帆船時代の最後を飾る快速線クリッパーだった。

・クリパー

 クリッパーは1820年頃アメリカで生まれた。この船は海上交易専用に作られた商船であり、速度を重視し、従来の帆船に比べると船体の横幅はスマートとなり船首も鋭くとがっていた。また、船体の最大幅の梁は船首よりに取り付けられていた。これらの特徴は船の安定性を増し、波切りを良くし航行速度を飛躍的に向上させた。風の状態さえよければ蒸気船より早い航行も可能だった。                         クリッパーには幾つかの種類があるが、アジアからヨーロッパへ紅茶を運んだテイ―クリッパーが有名である。最初に届けられた新茶は高値で取引されたため、船主に莫大な利益をもたらした。このため速さを競い合い、ヨーロッパの人々を熱狂させた。カテイーサークやサーモビレーが名船としてしられている。カテイ―サークは縦の長さが横幅の6倍に達している。微妙な操船が困難になる細長い船型が可能になった背景には、蒸気機関によるタッグボートが普及し、曳航によって出入港が可能になったことがあげられる。クリッパーは蒸気船を相手によく活躍したが、1869年スエズ運河の開通が蒸気船の優位を決定的にした。スエズ運河一帯は殆ど無風であるため運河を利用できず喜望峰経由のルートを航行するしかなかった。

 大航海時代以降、着実に発達してきた帆船はクリッパーという形式で完成の域に到達し、同時に終焉となった。

8. 21世紀帆船の復活

 その後、大型帆船の活躍は海軍の士官や民間の船員養成の練習船などに限定されたものになった。しかしなっがら、原油高騰のあおりを受けた現在、コンピューターで制御する帆を装備するタンカーの運航も期待される。今後も環境に優しい帆走を推進力の一部とした帆船と汽船のハイブリッド船等、帆を利用した船が復活することを期待する。



                  引用文献:大航海時代  新紀元社  森村宗冬著
                        インターネット 帆船―Wikipedia
                        船の百科事典 東洋書林