ペトラは、映画「インディ・ジョーンズ最後の聖戦」の舞台となったところである。色とりどりの砂岩が層を成し、この世のものとは思えないような模様を描いている。入り口からは馬に乗ることとなる。実はあまり動物好きではない。今まで駱駝には乗ったことがあるが、馬は意外に乗り心地がよい。しかし、歩みが早いので、なかなかカメラを構えられないのである。ちなみに、名前は、「マドンナ」であった。
馬に乗るのは、ほんの少しで、あとは徒歩かロバとなる。この場合はもちろん徒歩。まるでマーブリングされたような岩の間を歩いていくと、例の映画で見覚えのある、エル・ハズネが現れた(左)。
ペトラは、アラビア遊牧民の流れを汲む、ナバティア人が作り上げた砂漠の都市である。その後、ローマの支配下におかれ、円形劇場、浴場、列柱通りの建設など、ローマ風に作り替えられた。その後、大地震にあい、大打撃を受ける。以後だんだんと人が住まなくなり、19世紀に再び発見されたというところだ。
エル・ハズネの中に入るが、がらんどうだった。入り口では、観光ポリスの代わりであろうか、兵士が警備に当たっていた。それがカフィーヤをつけ、さすがに決まっている(右)。
しばらく行くと、色のついた砂を瓶に入れ、それで絵を描いている男がいた。ローマ字やアラビア文字で、名前も入れることができるという。さすがに漢字では無理なようだが。見ていると、少しずつ砂を入れ、棒のようなものでつついたり、瓶を少しずつ揺すっている。これで、いろいろな模様を作るのだ。かなり根気のいる仕事のようだが、なんと我々が帰るまでに仕上げるという。砂には人工着色してなく、すべて天然物らしい。
ラビル二世の墓、ビザンチン教会、神殿付きのローマ通りなどを見て、昼食へ。あまり暑さは感じなかった。乾燥しているからだと思うが、それほど汗もかいていない。カフェテラス式の席に着き、テイクアウトしていく。この乾いた気候に、アムステルというビールがやたらと美味い。
そして昼食後は、エド・ディル僧院跡に出発。ここは、ペトラの一番奥にあり、700ある石段を登っていく。そのようなところだから、下からは見えない。こんなところにも、ロバが上っていく(右)。悲しげな声を上げながら。途中、カラフルなトカゲが横切る。
ひいひい言いながら、登り終える。英語ガイドのモハメッドが、指さした背後にそれはあった(下)。なんと素晴らしい。
エド・ディルの脇を通って、上から眺めることもできるが、現在は危険なので立ち入りが禁止されているらしい。我々が写真などを撮っていると、こんなところにも他の日本人ツアーが登場。
「おーい、そちらには何があるんですかぁ〜」
「わかりません」
「あんたも、日本人だろう、それくらい教えてくれてもいいじゃないかぁ〜」
その後、奴は、立入禁止の箇所を登りはじめた。
それにしても、ここの休憩所には、中国人観光客もいたし、最近の東アジア勢の進出ぶりは凄いものがある。
再び下に戻り、昼食のレストランで、ビールを補給。さすがに一日こんなところにいると、ぐったりしてくる。あまり汗をかいた記憶もないのに、Tシャツは塩を吹いていた。再び徒歩で、ペトラの入口に帰るのだ。やや登りになっていて、足取りも重い。それでも、夕刻のエル・ハズネはま
た違った色に見えた。
再び馬に乗るが、自分はキャンセル。それより、写真を撮りながら歩いた方がいい。同調者も2名ほどいた。途中で、朝乗せた少年が、自分の客に「帰りも乗っていけ」と言い寄ってきた。それをすかさず見つけた警官が、厳しく少年を詰問。どうやら、途中で客を拾うのはいけないことらしい(帰りの料金も込みなんですけどね)。困った少年は、同行の女性に朝も乗せたと証言してくれと英語で訴えていた。ここは無事無罪放免である。観光立国って、結構警察権力とか強いです。こういうとき、英語のひとつもすらすらと出てくるといいですな。

この日は、ワディ・ラムに移動。途中、ロレンスが爆破した鉄道も姿を現す。そして、ワディ・ラムは、映画『アラビアのロレンス』のロケ地としても知られている。どうも、今回は映画と縁が深いような気も。
そして、女性陣は、ドライバーのアリナンに、アラブ風に巻いてもらっている(右)。見ていると、いろいろな巻き方があって面白いです。そういう、自分もカフィーヤを巻いてもらいました(下)。
とまあ、だいたいこんな風にしてできあがり。女性の場合は少し違うのでしょうね。こんな風にしてラムの砂漠に向かう我々に対して、欧米からの旅行社から爆笑が起こる。
なんといっても、これから、四駆の荷台に乗って向かうのだ。さすがに砂埃も凄いだろうし。ドライバーの年齢は、日本では免許取得年齢に達していなかったような気がする。でも、現代のベドウィンは、ラクダの代わりに、メイド・イン・ジャパンの四駆を駆使しているらしい。
着いたところは、ラム山の麓(左)。水場がある。『アラビアのロレンス』のロケに使われたらしいが。通称ロレンスの泉ということだが、実際には、パイプで引いているらしい。。ラム山は、標高1754m。山というより、巨大な岩がそのまま置いてあるような感じである。遠くには、ワジも見える。当然この乾燥季には、水は流れていない。
次には、カザリ山峡に。ここは、長年に渡る浸食で、自然に石の橋のような形になったところである。若者の、ドライバーは、前のクルマにかなり後れをとっている。果たして、連れていってもらえるのかと一瞬危惧する。
ここは洞窟状になっていて、ナバティア人の文字や、更に古い時代のものであろう、動物のカリカチュアが見られる(右)。砂漠には、まだ午前中ということもあってか、動物の足跡が付いていた。
そして、帰りは車を交代した。今度はベテラン運転で、飛ばす。座席も後部になり、屋根がついている。砂が入らないのはいいが、やや暑い。帰り着くと、アラピックコーヒーを飲んだ。香辛料が入っている。ちょっと不思議な感じ。
ワディ・ラムを後に、アンマンに戻る。途中のカタラーナというところで、昼食。ここは、ペトラに行くときにも立ち寄った。カフィーヤを買った店のある場所である。出てきたのは、定食のようなセット(左)。なんと、ここには酒が置いてなく、普段は飲まない清涼飲料水で我慢。でも、地元産のビター・レモンというのにする。
アンマンでは、キング・アブドゥラ・モスクを外から見学。その後は、円形劇場に(右)。ここはかなり急勾配の劇場である。最上段に行くのがかなり疲れる。
パレスチナのPKO関係者であろうか、迷彩色の軍服を着た欧米系の男がやたらと目立つ。ホテルに着くと、体調が優れない。どうも冷房にあたったようである。夕食も出たものの、食が進まず、すぐに寝た。
朝、円形劇場の向かいにある丘に登る。ここには、アンマンの城塞跡と、ヘラクレス神殿、国立考古学博物館がある。いい匂いにつられていくと、街頭でコーヒーを売っている男がいた(左)。ポットが2種類あるということは、コーヒーと紅茶(シャイ)なのだろうか。それとも、アラピックコーヒーと、普通のコーヒーだろうか。
考古学博物館には、死海文書というものが展示されている。この時代近代製法による紙はなかったのだが、綿を混ぜた紙のようなものがあったらしい。また、入口には、ヘラクレスの指があるのだが、この手つきが何ともいえない。
この日はヨルダン最終日。バスは北へとすすんでいる。これから、ジェラシュへ。ここの遺跡ももちろん、ローマ時代のもの。フォーラムと呼ばれる、広場をイオニア式の列柱が囲んでいて、なかなか壮観である。このフォーラムから北門へ向かって、600mもの間、列柱通りが続くが、石畳の中央部が、かなり窪んでいた。これは、馬車の通行によるものである。
ローマ皇帝ハドリアヌスがこの地に滞在したのを記念して、凱旋門が立てられている(右)。トルコのエフェスにも、ハドリアヌスの名前が付いたものがあったと記憶している。時の皇帝もなかなか忙しかったようだ。
さて、昼食。今まで、あまり本格的な羊を使った料理が出てこなかった。しかし、最後のヨルダンの食事は、シシ・ケバブである(右)。塊ではなく、ミンチにしたものだった。上に油揚げのようなものがのっているが、これは何なのだろうか。それにしても、食べきれる量ではない。そうこうしていく間に、さめてきてしまい、最後はとうとう手がつけられなくなった。
そして、ここには水パイプが置かれていた(左)。試さなかったが、なかなか大仰な装置ではある。
ホブスを焼いているところが、入口から見える。ここの職人は、生地をこね、釜に入れる。我々が観察していると、このような巨大なホブスを焼いてくれた(左)。なかなかサービス精神旺盛である。
いよいよ国境の町、ラムザに向かって出発。ガイドのモハメッドはそこから路線バスで帰るらしい。ドライバーは、シリアからやってきた。暇なときは、いつも巨大な数珠をもてあそんでいる。そして、バスはかなり古いものになった。
国境手前の銀行で両替。出国手続き自体は非常に簡単で、我々が個別に顔を出す必要はないのだが、出国する人たちがかなり多いのか、時間がかかる。手続きが終わると、シリア側に向かう。途中緩衝地帯があり、兵士によるチェックも何度か入る。そして、フセイン国王の肖像画から、アサド大統領の肖像画に変わり、シリア国内に入る(下)。
シリア側では、やはり代行手続きだが、ここでシリア人ガイドのムータスが待っていた。なんと、アラブ人にしては珍しく、短パン姿。日本語も少々話せる。
これから、ボスラに向
かう。シリアの印象だが、ヨルダンに比べてどこかわびしさがあるというか、やや貧相な感じがした。途中通る街でも、やたらとゴミが落ちていて、清潔好きなアラブ人にしては、珍しい。建設中の建物が目立つ。こうした感じは、中国と非常に似ている。漢民族が支配する中国の辺境にある、開発中の都市は、こんな感じだ。そういえば、シリアもやや社会主義的なところがある。走っているクルマは、修理箇所に錆止めのペイントを施しただけという状態のものも目に付く。そう、まだらのクルマが多いのだ。
ボスラの円形劇場は、中東でも、最大の規模を誇るという(左)。しかも、音響効果が優れていて、現在でも使用されているらしい。その証拠に、舞台裏には、レストランがあった。
舞台上には、フランス人の少年が国歌を歌い、数少ない観光客の拍手を受けていた。
デカン高原を遙かに望んで、ダマスカスに到着。さすがに都会で、にぎやかである。夕食は、展望レストランで、ダマスカスの夜景を望みつついただく。相変わらずペースト類がなかなか美味しい。メインディッシュは、イズミ鯛である。しかし、どういう鯛なのか、