ヨルダン・シリア国境越えPart3

7日目

マアルーラ村全景ホテルの部屋からは、アサド大統領の肖像画が見える。この国は、指導者の顔があちこちにあり、かつての旧ソ連のような感じでもある。それでも、物々しさはなく、中東独特のカラッとした陽気に、あまり似つかわしくない。

この日のバスは、ルノーに変わった。ドライバーも、ムニール氏に変わる。かなり新しく、これならいいかという気になる。ダマスカス市内を走るバスなどは、かなりの年代物で、もしかすると、旧ソ連や旧東ドイツ製のものかもしれない。ドアは開け放しで、信じられないくらいの小ささである。こちらでいうなら、エスティマにバスの車体をつけたような感じといえばわかってもらえるだろうか。そのバスのマフラーは、まるで暴走族のように、垂直に立てられていて、かなりの煤煙をまき散らしている。

ダマスカスから、約1時間で、マアルーラ村に着く(上)。ここは、住人の90%が、クリスチャンという。そして、いまだにアラム語を話しているという珍しいところである。そして、二つの有名な教会があるのだ。まずは、聖セルジウス教会へ。内部のイコンが見事である。ここの神父はどうやら、アラム語で説教をしているらしい。ここは、ひっそりとしていて規模も小さかったが、入口では、土産物が置いてあったりする。次に、街の中心に近い、聖テクラ教会へ。ここは、ギリシャ・カトリックである。内部には、奇跡を起こして、病が治るという祝福の水がある。その傍らには、松葉杖が山のように置いてあった。こちらは規模も大きく、修道院も持っている。しかし、結構厳格で、説明を受けているとき、足を組んでいると注意が及ぶほどである。

クラック・デ・シュバリエハイウェイに戻り、また突っ走る。幹線は、シリアもかなり整備されているようだ。しかし、少しはずれると、工事中の箇所が多い。途中ホムスで休憩。結局、マアルーラを出て、2時間ほどで、クラック・デ・シュバリエに着いた(右)。ここは、十字軍とアラブ軍の攻防で知られる。元々は、十字軍の城であったが、結局はアラブの手に落ち、城の内部は東西文化の融合とでもいうべき味わいがある。昼食もここでとった。シリアもかなり自由に飲酒ができる。ここでは、地元産の「バラダビール」を味わった。しかし、あまりお薦めしたくない味である。

蜂の巣型の家パルミラに向かう道の途中、フルクロス村というところで、珍しい形の家があった(左)。ここにしかないものだという。シリアに近い、トルコ領のハランというところでは、同じような家があるのだが、こちらは、窓もあり、せいぜい数百年の歴史があるだけとのことだ(ネムルート山への道参照)。しかし、この類似性は気にかかる。

パルミラ方面に、更に進む。シリア軍の演習だろうか、戦車が砂漠の真ん中で、集合している。ガイドのムータスは、相変わらずの短パンであったが、鋭い目つきで、決して写真を撮らないようにと告げた。観光ベドウィン

更に、パルミラが近づいてきた。ベドウィンのテントが張られている。ガイドによると、半定住のベドウィンで、あまり遊牧をやっていないとのことである。まあ、シーズン中は、観光依存のベドウィンということだろうか(右)。写真も撮れるとのことで、写したのだが、奥さんや娘たちは、男性が一緒だと決して一緒に収まらなかったのである。それにしても、少年ベドウィンは、「ナイキ」のシャツを着ている。更に、この親戚らしい少し離れたところのテントに手を振ると、男たちがわっという具合に走ってきた。ここには、小さいものの、羊小屋があった。やはり観光収入だけでは、やっていけないのであろう。

ホテルに着くと、大使館のクルマが止まっていた。どうやら要人が来ているとの話だが、個人の宮様顔の男がいたくらい。あいつがそうだったのだろうか。

更に、夕日を見るとのことで、ワゴンに乗り換えて、アラブ城に。ホテルが静まっていたのは、このせいだったかもしれない。呆れるほどの欧米人観光客が群がっていたのである。


8日目

パルミラ全景5時に起きる。ホテル近くの墳墓のところで、朝日を見る。砂漠を吹き抜ける風がなかなか気持ちがよい。

ホテルに戻ると、フロントの男が、手招く。こいつは、何かとものをねだるのがすでに我々の間では評判になっていた。簡単な観光案内をしてくれたのだが、自分のペンを使おうとしない。こちらが部屋にあったペンを出すと、あきらめたように、ホテルのシールをくれた。

まず、バール神殿に(下)。なんといっても、世界遺産のパルミラである。更にここ専門のガイドがついた。どうやら、妙な行為をしないかのお目付役でもあるようだ。バール神殿

更に、道路を挟んで、列柱通りを進む。前方に、クレーン車が。我々は足止めされる。その前では、日本人のスタッフが歩き回っている。聞くと、TBSの「世界遺産」という番組の取材であるという。スタッフはかなりの間このために専念しているそうで、ご苦労なことだ。

マンション式の墳墓パルミラの中心部を離れ、イラベール塔墓へ(左)。ここは、集団墓地とも呼べるところで、階層をなしていて、中がきっちりと区画されている。その小さいスペースに、一人分の遺体を安置するのだ。下に安置されたものが偉いそうで、上の方は子供が使用しているとのことだ。

次には、三人兄弟の地下墳墓へ。はじめはここが先の予定だったのだが、鍵を持っている管理人が、不在とのことで、後回しになった。ということで、着いてみると、待ちわびた観光客が溜まっていた。ひんやりとした地下の感触。おそらく一人で取り残されたら、気味の悪いことこの上ないことだろうが、多くの観光客とともに入ると、そういったことは忘れてしまう。富豪の三兄弟、今となっては残した足跡なども、ほとんど伝えられていない。まさか、後年自分たちの墓がこうして公開されることなど予想もしていなかったことだろう(もちろん、ピラミッドとか、兵馬傭抗なんかもそうだろうが)。

この後、パルミラの博物館に行くと、例の大使館のクルマが止まっていた。という訳マンサフでか、あまりゆっくり見ている時間はなかった。その中を順路と逆回りに歩いていく、例の宮様顔の男。奴はいったい誰だったんだろう。

この日、パルミラからは、観光客が姿を消し、夕食のテーブルに着いたのは、ほとんど我々だけであった。従って、ビュフェスタイルでなく、特別料理として、アラブ版のピラフ、マンサフが供された(右)。ラムを使っているとのことだったが、ここのは特に匂いがきつかったような。そんな食卓の中、例のフロントマンが、しきりに、ボールペンをねだりに来ていた。やっぱり、シリアはソ連的なところがあるのだろうか。


9日目

街頭のサボテンの実売りパルミラを早朝立ち、来たときとは別の道をダマスカスに急ぐ。わずかに、鉄道が延びているが、ほとんど集落もないようなところであった。

ダマスカスでは、国立博物館に。写真撮影禁止。カメラを預ける。こんな暑い中を、スーツ姿の日本人が数名。何でも、奈良の役人らしいが、こちらがVIPだったのだろうか。中では、シリアの女子校であろうか、集団で見学をするベール着用のティーンエイジャーがたくさんいた。あちらにも、修学旅行のようなものがあるんですかねぇ。入口で、ウガリット文字の入った、Tシャツを買う。サイズが合わず、1枚だけ。

街角で何気なくカメラを構えると、やたらと注意が飛ぶ。どうも、女性をとっていると勘違いされたらしい。この後も、やはり注意をされた。

サラディーンの像にバスを止め、徒歩でサラディーン廟まで行く。その途中、サボテンの実を売っているところを撮影(左)。サラディーンは、アラブの英雄である。ダマスカスを十字軍から守ったといわれている。その墓は、見事にきらびやかな布で装飾され、訪れる人も絶えない。このあたりは、トルコのコンヤのメブラーナの廟や、サマルカンドのチムールの廟にも似ている。ここで、ようやく切手を買えた。ウマイヤドモスク内部

ウマイヤド・モスク(右)にも徒歩で向かう。世界最古のモスクということだが、異教徒でも入れるところが嬉しいではないか。しかし、女性は、黒くて長いベールを着用しなくてはならない。これは入口で借りることができる。内部は、談笑する人、昼寝をする人様々である。ムスリム以外で入れるモスクというと、イスタンブールのブルーモスクがあるが、あちらは、やたらと観光客が多く、このような光景は見られない。

アゼム宮殿昼食を挟み、午後からは、アゼムパレスの見学。18世紀のダマスカスの統治者(もちろん、オスマン朝の支配下である)であった、アゼムの邸宅だが、現在では、民俗博物館として、公開されている(左)。部屋がたくさんあり、ハレムや寺子屋風のものが興味を引いた。当時の道具とともに、アラブ風のマネキンもポーズをつけていてなかなか面白い。水を飲む人々

この後は、スークの見学。各種香辛料や、ナッツ類に心が惹かれる。実際には、あまり危険はないのだろうが、やはり男たちの目つきが鋭いので、なかなか気を抜けない。しかし、あまりシリアでは、日本語の呼び込みがほとんどなく、騙されようもないのだろうか。大通り近くには、楽器の店が並ぶ。メンバーの一人は、昔フラメンコギターを弾いていたということで、弦楽器を購入。「おそらく弾けますやろ」とのこと。よくわからないジュースを飲む人たちを一枚、パチリ(右)。

炎の料理人この後、ダマスカスを一望するカシオンの丘に登り、写真を撮った。そんな中をナッツ売りが登場。何しろ、シリアポンドが減らないものだから、ここでピスタチオを500g購入。それでもまだ減らなかったが。

少し早いものの、この日はカイロまで飛ぶので、夕食となった。場所はレストランさくら。鉄板焼きの店である。こういうタイプの店は実ははじめてである。かの紅花チェーンのロッキー青木氏あたりが広めたものと思われるが、間違った日本のイメージを植え付けるものだとばかり思いこんでいた。壁も店主の兄弟が日本に興味があり、それをペイントしたもので、忍者の絵などがマンガチックに描かれていたが、入ってみて楽しいものがあった。久々の新鮮な魚介類に舌鼓を打ち、見せてもらったパフォーマンスも結構なものである。一人メンバーの中に、ベジタリアンがいたのだが、この人用には、なんと日本蕎麦を鉄板で焼いて、ケチャップで味付けしたものが出された。試しにいただいてみると、悪くはなかったなぁ。左は、炎のパフォーマンスを見せてくれた料理人である

空港に着き、やっとエアメールを出す。カイロには、深夜の到着。


10〜11日目

ノンアルコールビールドンムアン空港にて

再び、機上の人となり、帰路につく。相変わらず、ビールを乗せていないが、ノンアルコールのビールを頼んでみる。まずい(左)。

また、今度は日本人クルーの通る席にいたので、機内食のチョイス時にどちらがいいか聞いてみる。スッチーは、チキンのお薦めであった。

帰国の便は、なぜかマニラにはトランジットせず、バンコク経由のみだという。乗客は、来たときと違い、満席状態。長いフライトがいったん終わり、バンコクで降ろされる。すかさず、売店に直行。シンハービールに手が伸びる(右)。こちらはきちっと冷えていて、美味い。

飛行機に戻ると、バンコクの夜明けが待っていた。東京まで更に、5時間45分。成田からは、スカイライナーで戻る。東京は相変わらずの暑さであった。