DOCENDO DISCOの人生
(教えることによって学ぶ)
主任司祭 和田幹男
1966年1月6日、主の御公現の祝日に、ローマの聖ペトロ大聖堂において、わたしは司祭に叙階していただきました。司式者は教皇パウロ6世でした。その1ヶ月前、1965年12月の初めに第2ヴァチカン公会議が閉幕したばかりでした。この公会議の感激の中で、同級生60数名と一緒に司祭に叙階されましたが、日本人もほかに5名いました。司祭叙階記念日にはミサをささげ、当日の教皇様の説教を録音テープで聞いているという同級生もいます。今もそうしているかどうか知らないが、わたしはその説教の内容を思いだして祈ることにしています。それは、「あなたたちはそれぞれ行くところにキリストをもっていきなさい」という主旨の説教でした。
司祭に叙階されたわたしは、ローマに残って神学、特に聖書学の習得に努めました。一時ドイツのケルン教区で助任のつとめをはたし、夏休み中3回、ニューヨークの小教区で留守を預かり、帰国前にはエルサレムの研究所で学びました。こうして、1972年4月から、尼崎にあるカトリック大学の英知大学で教鞭を取ることになりました。同大学はその後大学院博士後期課程を開設するまで充実しましたが、大学名、学部学科構成の変更などにより、新入生の激減を招き、自滅しました。様変りした同大学の現状を見ますと、残念でたまりません。わたしは定年退職後も、大学院の客員教授として講義を担当させていただきましたが、それも今学期限りで身を引くことになりました。
英知大学で40年間教えさせていただいて、今は亡き上司も含めて、関係者の皆さまに心から感謝しています。特に多くの学生に感謝しています。ラテン語で、DOCENNDO DISCO、「教えることによって学ぶ」という格言がありますが、これは真実だと思います。わたしは 教えてきましたが、実は教えさせていただいて学んだのはわたしだったのです。1970年代は、5,60人用の教室は修道女たちで一杯でしたが、その後減少に伴い、信徒の男女の若者が増えてきました。その中には、司祭になって活躍している卒業生も10数名います。教師としての人生を振返りますと、反省すべきことも少なくありません。卒業生の中に自死した者が二人おりますが、それはいつまでも心の傷となって残っています。

