教会は、いつでも、すべての人に開かれています。神さまはすべての人の「父」で
す。ですから教会はすべての人のための「神の家」なのです。この家はどの民族の人
にも、どの国籍の人にも開かれています。
洗礼を受けている人にも、受けていない人にも開かれています。
人生は山あり、谷ありです。晴れ渡っていた空が突然黒雲に覆われるように、裏切ら
れたり、挫折したり、事故や重病に襲われることがあります。こうして孤独で、行き
場がなく、閉塞状態に置かれることがあります。そのようなときに、静かに神さまの
前で考えることができれば、光がさしてくるにちがいありません。
黒雲に覆われてからではなく、日頃から人生について考えるように心がけたいとも
思います。嵐に襲われてからでは、動揺してしまって、精神を集中することができな
いかもわかりません。特に老齢になって寝込んでしまう前に、神さまの前に出て、人
生について語りあっておきたいものです。
大自然の中で祈ることもできます。住んでいる家の中でも祈ることができます。し
かし、わたしたちの居住区の中に静かに考えながら、神さまと語りあう場があれば、
これも意義深いことではないでしょうか。それが箕面教会です。祈りとは、神さまと
語りあうこと、「神に向かって心を上げること」で、だれにでもできることです。信
者が集まって祈るときもあります。それがミサです。ミサは毎日行なわれております
が、特に日曜日には盛大に行なわれています。心が混乱して個人的に祈ることができ
ない場合など、祈る共同体の中に、ひっそりと座っているだけでも、徐々に祈ること
ができるようになるでしょう。
祈りの輪に連なることにより、心が洗われ、生きる力が湧いてくるにちがいありま
せん。人生は旅です。命の根源である神さまに向かっての旅なのです。この旅の目指
すところを見失うこともあります。しかしまた、知らず知らずの中に神さまを心の中
で探し求めていることもあります。人生の逆境の中で自己と向き合うときなど、その
神さまを探し求めている自己に気づかされるのではないでしょうか。その自己を素直
に認めて、神さまの前に出て静かに考えながら祈る勇気をもちたいものです。祈りな
がらわかるのは、探し求めているのはわたしたちではなく、実は神さまであるという
ことでしょう。
神さまがわたしたちを探し求めておられるのです。
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