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カトリック箕面教会は、第2次世界大戦後、田口芳五郎大阪司教(後の大司教、枢機卿)の招聘により箕面で教育活動を始めようとしていた聖母被昇天会修道女のためチャップレンを求めたことに端を発する。同司教はフランシスコ会フルダ管区総長代理シュヌーゼンベルグ神父と話し合って、ベルトラム・ルカ神父を送ってもらうことになった。このルカ神父が総長代理の勧めもあって、チャップレンの仕事をつとめながら、この地域の信徒を集め、小教区創立のために意欲的に活動を始めた。以来、歴代の主任司祭を始め、フランシスコ会の神父たちによって箕面教会は形成され、発展した。こうしてアシジの聖フランシスコと聖クララの霊性に基く厳粛かつ質朴、明るく温かい信仰共同体が育成された。そのためにフランシスコ会が注ぎ込んだ人的、物的資源は量り知ることができない。それを現在の聖堂とその装備品、司祭館兼信徒館に、何よりも信仰共同体に垣間見ることができる。
20世紀も終わりに近づくと、少子高齢化と司祭・修道者の召命減少など社会の変化に伴い、教会も組織として変革を余儀なくされた。箕面教会も2000年にはフランシスコ会から大阪大司教区に移管され、また北摂地区西ブロックの1教会として位置づけられることとなった。その間に痛みもあったが、これを機会に信仰共同体としていっそう成長もした。こうして21世紀の教会として使命を果たす基礎は出来ている。2009年1月1日現在、信徒在籍数は654名(大阪カトリック時報5月号)。
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1953年(昭和28年)05月 |
聖母被昇天修道院内に箕面教会設立 |
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ベルトラム・ルカ神父 ( )小教区創立のために意欲的に活動開始 |
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1953年(昭和28年)09月 |
エウジェニオ・ピンチ神父( )その活動を継承 |
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1954年(昭和29年)05月 |
箕面市桜ヶ丘に移転 |
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1954年(昭和29年)06月 |
リノ・ミケレッティ神父( ) |
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1955年(昭和30年)06月 |
アーノルド・ウィッテ神父( ) |
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1955年(昭和30年)09月 |
新聖堂献堂式 |
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1956年(昭和31年)04月 |
聖マリア幼稚園を併設 |
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お告げのフランシスコ姉妹会が招聘され、運営にあたる |
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1958年(昭和33年) |
新稲に移転し、天使幼稚園と改名し、現在に至る |
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1962年〜1965年) |
第2ヴァチカン公会議 |
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1965年(昭和40年)12月 |
大阪府箕面市坊島にフランシスコ会修道院献堂式 |
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1966年(昭和41年)02月 |
ゲルベルト・ディルクスマイエル神父( ) |
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1972年(昭和47年)02月 |
ニコラオ・ズマルデ神父 |
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1976年(昭和51年)10月 |
フベルト・クロメ神父 |
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1978年(昭和53年)05月 |
教会創立25周年ミサ(安田久雄大司教) |
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「七つの悲しみの聖母 箕面カトリック教会25周年記念誌」発行 |
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1980年(昭和55年)04月 |
フベルト・ネルスカンプ神父 |
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1988年(昭和63年)03月 |
箕面市坊島に新聖堂完成献堂式 |
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桜ヶ丘の土地・建物は{マリア園」として2005年3月まで存続 |
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1990年(平成02年)04月 |
箱山勝一神父 |
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1993年(平成05年)04月 |
ライムンド・チネカ神父( ) |
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1995年(平成07年)01月 |
阪神淡路大震災 |
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1996年(平成08年)04月 |
リノ・ミケレッティ神父 |
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1996年(平成08年)06月 |
フベルト・ネルスカンプ神父 |
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1998年(平成10年)10月 |
北摂地区西ブロックの一教会として日生中央、池田、豊中と協力関係にある |
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1999年(平成11年)12月 |
大聖年 |
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2001年(平成13年)01月 |
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2000年(平成12年)04月 |
フランシスコ会から大阪大司教区に移管 |
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2000年(平成12年)04月 |
中野正勝神父、主任司祭として着任 |
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2002年(平成14年)04月 |
赤波江豊神父、主任司祭として着任 |
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2003年(平成15年)05月 |
教会創立50周年ミサ、 「たびだち」創立50周年記念誌発行」 |
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出発「たびだちの祈り」-箕面教会創立創立50周年を迎えて-」 |
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2005年(平成17年)03月 |
マリア園 閉園 |
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2005年(平成17年)04月 |
教皇ヨハネ・パウロ2世 逝去 |
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教皇ベネディクト16世 就任 |
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和田幹男神父(主任)、後藤進神父着任 |
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2009年(平成21年)04月 |
ルゥ・ビン・クゥ神父着任 |
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諸活動
1)箕面市桜ヶ丘、続いて坊島には、1954(昭29)年よりフランシスコ会ドイツ・サクソニア管区の宣教地区、1977年同会日本管区分管区、1983年より同会日本管区の関西地区の中心としての修道院があり、ここを拠点にフランシスコ会の神父たちは関西の各地で活動を展開した。日本26聖殉教者のほとんどがフランシスコ会士であり、その逮捕が京都であったことから、関西におけるフランシスコ会の宣教再開はかねてからの念願であったこともあり、神父たちの宣教意欲も並々ならぬものであった。その精神は信徒の心の中に根づいているが、小教区内にはお告げのフランシスコ姉妹会があって、その霊性を受け継いでいる。また在世フランシスコ兄弟会の拠点ともなっている。
フランシスコ会の神父たちは大阪市釜が崎における活動も行なっていたこともあって、箕面教会の信徒たちはその支援にも携わってきたが、それは今日も続いている。チャリティー・コンサートを企画したり、毎月第4日曜日は、「福祉の日」と定めて物資や献金を呼びかけたり、各種ボランティア活動に参加したり、箕面教会の信徒たちは社会福祉関連の諸活動に積極的に関わってきた。
2)子供たちのためには、「こひつじの会」と「錬成会」があって、ほかの教会では日曜学校や土曜学校にあたる活動がある。「こひつじの会」は、信徒の子供たちに限らず、子供たちにキリストに触れる機会となっている。「錬成会」は信徒の子供たちに信仰を学び、深める機会となっている。子供たちの生活環境が変化する中で、子供たちの信仰教育にも幾多の困難があるが、粘り強く、工夫を凝らして発展させていきたいと考えている。
3)ハインリッヒ・シュヌーゼンベルグ神父の発意とその協力者たちの熱意にもよるが、1967年にはボーイ・スカウト箕面第4団発団式、1970年にはガール・スカウト大阪第69団発団式が行なわれ、カトリック・スカウトとしてそれは現在も積極的に行なわれている。その意義は、青少年の教育の問題が深刻化する現在決して小さくなく、また地域社会への窓口の一つとなっている。教会の敷地にあるスカウト・ハウスは、この地域におけるボーイ、ガール・スカウトの一拠点となっている。
4)典礼に奉仕するものとしての聖歌隊は、1965年7月に編成され、第2ヴァチカン公会議の典礼改革の日本における実践に歩調を合わせて、貢献してきた。改革は絶えずなされるべきもので、今後も聖歌隊には大きな期待が寄せられる。発足後10周年、20周年、30周年と祝ってきたが、2005年は40周年にあたる。
資料
『七つの悲しみの聖母 箕面カトリック教会25周年記念誌』、1978年(昭和53年)4月14日発行『たびだち』、創立50周年記念誌、カトリック箕面教会、2004年(平成16年)4月発行
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