"MOVIE ON" 映画評ムービーオン
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2007年8月 ご挨拶。旧シネマチリペーパーの 松村です。
ムービーオンとして、新刊にて再開いたしました。
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更新日 2007年12月24日 『「風と共に去りぬ」をデザインした男〜ウィリアム・キャメロン・メンジースの世界・第4回「来るべき世界」
1936年度作品、製作、アレクサンダー・コルダ、原作・脚本、H・Gウェルズ、脚本、ラヨス・ピロ、出演、レイモンド・マッセイ、ラルフ・リチャードソン、監督、ウィリアム・キャメロン・メンジース、モノクロ、スタンダード、上映時間98分
イギリスの大プロデューサー、アレクサンダー・コルダの元で制作去れたウィリアム・キャメロンメンジース監督デビュー作である。H・Gウェルズの原作小説をウェルズ自身が脚本に参加して映画化したSF映画である。ロンドンをモデルとしたエヴリタウンという街の1940年から2036年までのおよそ100年間の変遷を描き、第2次世界対戦を予見した作品ともなっている。
今日、この作品が1926年の「メトロポリス」ほどには知名度が無いのは、実際に第2次世界対戦が終結してしまった時点で、すでに過去のもの、絵空事となってしまったと受け止められてしまった為であろう。例えばキューブリックの「2001年宇宙の旅」(68)も、これから観られつづけは行くだろうが、以前のように神格化されたり、ひんぱんに上映されることはないであろう。未来派SF映画の宿命というべきか。
だが、僕にはロボットのマリアの造型を除いてほとんど魅力を感じない。「メトロポリス」よりはるかに面白く、魅力を感じさせる作品である。未来都市のデザインも、すでにレトロと化してしまった「メトロポリス」と比べてずっとモダンで新鮮であり、映画史上でもっと高い地位を与えられてしかるべきだと思われる。
「メトロポリス」の未来像にウェルズが激怒したのが本作に着手した動機だといわれており、両者を見比べてみるのも一興か。
本作はレイ・ハリーハウゼンの監修によってカラライゼイション(コンピューターによる自動着色)版が作られており、そちらのDVD化も期待したいところだ。カラライゼイションの是非については、機を改めて述べてみたい。
HGウェルズの小説の映画化ではスピルバーグとジョージ・パルによる2本の「宇宙戦争」が決定打だろうが、本作にはそれに次ぐ評価を与えたい。2本の「タイムマシン」や「透明人間」などより、はるかに僕のお気に入りだ。
以前、メンジースをSF映画の父でもあると述べたのは、本作と、日本では79年に日本語に吹き替え版のみが公開された「惑星アドベンチャー」(53)の監督を手がけているから「惑星アドベンチャー」は83年だったかにトビー・フーパーによって「スペース・インベーダー」としてリメイクされているほど海外では評価の高い作品だが、DVD化は去れていないようで再見できないでいる。DVD化を切望したい。
さて、本作はその未来像を現在の視点から突っ込んで眺めるより、゛ありえたかも知れない未来゛を描いたパラレル・ワールドの出来事として楽しんでしまえばよいのではないか。メカや都市のデザイン、長期化した戦争によって人心と風土が荒廃し、文明が逆こうしてしまうという発想など、後のSF映画への影響は「メトロポリス」よりはるかに大きいと思える。
1940年のクリスマスから始まる壮大な叙事詩として、クリスマス映画の定番の1本に加えておきたい。
松村清志
更新日 2007年12月24日 未公開「イン・グッド・カンパニー」★★★
2004年度作品、監督・脚本、ポール・ウェイツ、出演、デニス・クェィド、スカーレット・ヨハンセン、カラー、ヴィスタ、上映時間109分。
自分よりはるかに年下の上司の元で働かなければならなくなるという、ある年齢に達した男にとっては切実な問題をコメディ・タッチで描いた秀作である。
監督はH系コメディ「アメリカン・パイ」シリーズの人だが、「アメリカン・パイ」などよりはるかに良く、何故にこれが未公開なのかと、もったいなく思われた。キャストもよく、50歳を越えたデニス・クェィドの26歳の上司役の俳優は他で観た記憶は無いが、これから伸びてきそうな好青年だし、何てったってクェィドの娘がスカーレット・ヨハンセンなのだ。スカーレットはこのところ、「マッチ・ポイント」「タロットカード殺人事件」とウディ・アレンのお気に入りとなったようだが、他にもオヤジ系作品の秀作に好んで出演しており、かなり脚本の読める娘なのではないか。金髪でモデル系のいわゆる八頭身美人を連想させる顔に、小柄でずんぐりぽっちゃり型の体がくっついているというアンバラスさにも、妙に好感が持てる。こんな娘がいれば少々つらいことがあっても頑張ろうという気にもなろうというものではないかと、気分はすっかりリストラお父さんである。
務めていた会社が他の大企業に縮小合併され、解雇はまぬがれたものの、降格となり上司として26歳の若造の元で働かなければならなくなったデニス・クェィドには、2人の娘がおり、さらに高齢の妻がまさかの妊娠をしてしまいと、笑い事ではない状況となる。自分の父親より年上の人間を使わなければならなくなったヤング・エクゼクティブは仕事にのめりこみすぎて妻と離婚になり、偶然、エレベーターに同乗した初対面のスカーレットにぽつりと不安な心境を口走ってしまいと、両者それぞれの大変さが描かれているあたりは、年齢・職業を越えて共感がもてるのではあるまいか。
ヤング・エグゼ゜クティブとスカーレットが恋仲となるのは予想通りだが、その先にもう一ひねりがある。父娘の交流の手段としてテニスが使われており、(デニスがテニスをする、寒いオヤジ・ギャグだ)、ウディ・アレンは本作を観てスカーレット・ヨハンセンの「マッチ・ポイント」への起用を決めたのではないかと思った。ヤング・エグゼクティブのジョギングは効果的な句読点としてうまく使われている。
テニス・プレイのように相手の心理を読んで打ち合いながら、マラソンのように人生を走りつづけていこうとという気にさせられる。しみじみほのぼのとして後味はいい。タイトルはダブル・ミーニングだといってもいいだろう。
蛇足だが、監督は交換しているものの「アメリカン・パイ4〜ハレンチ・マラソン大会」も未公開ながら、Hと純愛と60年代精神のブレンドが好ましく、シリーズ中最も楽しめる作品となっている。
松村清志
更新日 2007年12月12日 未公開「 恋は突然に」★★☆
2007年度作品、監督・脚本、スザンナ・グラント、出演、ジェニファー・ガーナー、ジュリエット・ルイス、ケヴィン・スミス、ティモシー・オリファント、カラー、シネマスコープ、112分。
「エリン・ブロコビッチ」「イン・ハー・シューズ」の脚本家、スザンナ・グラントの監督デビュー作である。結婚式の当日に相手に死なれてしまった女性が、失意の底から再生していく姿をコメディ・タツチで描いた作品ということになろうか。
作りようによっては、いくらでも重く暗くなる題材をさらりと扱ったあたりに好感はもてるが、「エリン・ブロコビッチ」「イン・ハー・シューズ」の脚本家という期待にこたえてくれるの満足感は得られなかつた。無難な監督デビュー作である。
主演のジェニーファー・ガーナーはTVシリーズ「エイリアス」(1度も観ていないが)や「キングダム 見えざる敵」「エレクトラ」などでアクション女優という印象しか持っていなかったし、率直に言って脇役筆頭クラス、主役を張るほどの上玉でもなく、ほとんどよさの判らなかった女優さんだったが、以外に等身大の女性を好演している。もっとも、横にブスでスベタのジュリエット・ルイスを据えれば美人にも見えようというもので、やはりキャスティングのうまさを讚えるべきであろう。
男優はケヴィン・スミスとティモシー・オリファントというそれぞれ「ダイ・ハード4.0」で重要な役割を受け持っていた2人が中々にいい。特に、ケヴィン・スミスはいうまでもなく本業は監督であるわけだが、もっと痩せればカッコよくなれるのにと思わせるデブの男前であるのが得がたい個性で、存在感がある。役柄次第で作品に重力も弾力も持たせることが出来そうだ。同じく自主映画出身のエドワード・バーンズのように両立させればよいのではないか。バーンズと違って主役は難しそうだが、貴重なバイ・プレーヤーとしてこれからもうまく使われていって欲しいと願う。おそらく、彼らの「ダイ・ハード4.0」への起用は本作での好感度によるものなのではないか。
そんなわけで、「ダイ・ハード4.0」で彼(ら)弐注目した人は本作もぜひ観てほしい。キャスティングのよさで星半分オマケ。
松村清志
更新日 2007年12月12日 未公開「 ザ・クラウン〜炎のリベンジー」★★☆
2005年度作品、ドイツ映画、カラー、ヴィスタ・サイズ、103分
今春以降、DVD鑑賞にはまってしまい本数的には昨年の倍くらい、毎月40〜45本くらい観ている。それでもまだまだ観てないものが多く感じてしまうという、ほとんど中毒状態、困ったもんです。今年もあとわずか。1年のケジメのベスト・テンを選出する為に見逃し作品のフォローに忙しい日々をすごしております。
40〜45本の内訳は、劇場公開間近作品作10本、クラシック映画(主に40〜50年代)10本、未公開クラシック75本、予習・復習作(例えばリメイクの「椿三十郎」の公開に合わせて黒澤明を再鑑賞しようかといったこと)5本、というあたりになるのであろう。
そんなわけで今年は未公開最近作もそれなりに観ましたが、公開本数が少なかった時代と違って公開本数が増えすぎた90年代以降は未公開作となるとハズレも多く、やはり劇場公開作品中心に観た方がよいかなとも思うのですが、それでも、以前書いた「プロポジション〜血の盟約」だの「ブラディ・サンデー」だのといった掘り出し物もあるわけで、クズ山の宝捜しのような未公開最近作あさりも、しばらく続けていこうと考えています。
さて、本作はスタッフ、キャストは知らない人ばかりのドイツ製アクション映画だが、今やCGの使用が常識の映画界に一石を投じるかの全篇ノーCGライブ・アクションとして楽しめる。車が吹っ飛び、高速道路にヘリコプターが激突し、飛行機が大爆発!!といったことをすべて本物でやっているという、パワフルなノン・ストップ・アクション映画である。(一部ミニチュアも使っているはずだが、小さな画面で観ても気づかないほど、うまく構成されている。)
タンク・ローリーの前面に女性を縛り付けて疾走させたり、ヘリコプターの左右の足にぶら下がったりとといった命がけのスタントの連続で、ともかくあきさせない見せ場のテンコ盛りである。
元々はTVの人気シリーズの劇場版らしくお話はあって無きようなものだが、それを補って余りあるライブ・アクションのパワーは大味であっても雑ではなく、ライブ・アクションの本場であった香港でもCG使用が常識となった今、何とも貴重な本物志向のアクション映画として、一見の価値はある。
松村清志
更新日 2007年12月2日 未公開「二重結婚者」★★★
1953年度作品、監督・出演、アイダ・ルピノ、製作・脚本、コリアー・ヤング、出演、エドモンド・オブライエン、ジョーン・フォンティーン、エドマンド・グウェン、モノクロ、スタンダード、上映時間78分。
アイダ・ルピノといえば長らく日本の映画ファンにはサム・ペキンバー監督「ジュニア・ボナー」(72)のスティーブ・マックィーンのお母さんとしてしか知られていなかったのではないだろうか。女優としての代表的な出演作、「ハイ・シェラ」(41)は80年代に「危険な場所で」(51)は90年代になって、やっと日本初公開されたのだから。
だがこの人、芸暦はきわめて長く30年代に10台半ばでロリーター的な役柄でデビューしてアイドル・スターとなり、やがて成人してからは女優だけではあき足らず、脚本を手がけ監督にも進出してと、きわめて多芸多才、先駆的な人であった。
何よりゴダールが「映画史」の巻頭に写真を揚げ敬意を表したほどの人なのだが、その監督作がこれまでに日本公開されたのかどうかの情報はないし、その作品を観ることも困難であろうと思っていたのだが、代表作と目される1本が500円の低価格DVDとして発売されていたのである。本当に500円DVDは宝の山だ。
発売元は潟tァースト・トレーディンク゛、画質は最上とまではいえず中の上ぐらいだと感じたが、まずは一見の価値はある。日本におけるアメリカ映画史の欠落を埋める重要作だといえる。
重婚という罪を犯してしまった男の苦悩が回想形式で描かれている。回想形式といえば本作と同じジョーン・フォンティーンが主演したマックス・オフュルス監督の名作「忘れじの面影」(48)を始め、メロドラマの定番だといってもよいだろうが、従来は女性の側から描かれることが常道であつたメロドラマの力点を男性側に移行させた、いわば「女性メロドラマ」ではなく「男性メロドラマ」とでも呼ぶべき作品となっている。
そして、やはり回想形式だが定番となっているといっていいもうひとつのジャンル、フィルム・ノワールのようなムードと味わいもある。実際、本作は拳銃も暴力も登場しないが自由婚という犯罪をめぐるフィルム・ノワールであろう。アイダ・ルピノがニコラス・レイ等作品への出演で学んだものが存分に生かされている。女性を主な観客対象とするメロドラマと男性を主な観客対象とするフィルム・ノワールとを融合させた作品となっている。
わずか78分という40〜50年代のB級映画のよわうな上映時間で、彼女(たち)の実際の生活の拠点であつたであろうロサンゼルス・ロケを中心に安く仕上げられているが、密度は濃い。調査員役のエドマンド・グウエンはクリスマス映画の有名作「三十四丁目の奇蹟」(47)でアカデミー助演男優賞を受賞したが、主人公が映画好きで、会話の中に「三十四丁目の奇蹟」が登場するという楽屋オチもある。
問題は解決されないままだし、本当のドラマはこれから始まるというところで終わってしまうのだが、観応えがあり上映時間が実際より長く感じられる。80年代以降の作品の場合、上映時間が長く感じられるという表現を悪い意味で使ってしまう場合が多いが、40〜50年代の作品の場合、いい意味で使う方が多く、本作もその典型的な1本だといいたい。そうした80年代以降と40〜50年代の映画の時間感覚、話法の違いについてはこれからもっと映画史家等によって考察されていくべきではなかろうか。
個人的には、主人公をフェミニスト的な視点で断罪するのではなく、どこか温かい目で見つめているように感じられるあたりに、とても好感を持った。彼女の監督作、出演作をもっと観てみたくなった。
53年は未公開作では以前書いた「タイタニックの最後」もあり、40〜50年代のアメリカ映画はまだまだ掘り起こすべき宝が眠っていると、と改めて思った。有名作では何といっても「ローマの休日」の年だが、あの脚本を執筆したのがドルトン・トランボであったのは今では公に知られており、レッド・パージ時代にもういちど人を信頼したいというメッセージを読んだのは吉村英夫であつたが、そこで僕も仮説をひとつ。本作はレッドパージ時代のダブル・スタンダードの問題が寓意されている、との解釈もできるのではあるまいか。
もつとも僕は製作・脚本のコリアー・ヤングがどういう人であったかは知らないし、アイダ・ルピノのあの時代のスタンスも知らないので、それはまた別の話としておこう。
松村清志
更新日 2007年12月2日 最近作「ボーン・アルティメイタム」★★★
ボーン・トウ・ビー・ワイルド!ジェイリン・ボーン・シリーズ完結返である。シリーズ最大のヒットだそうである。
面白いということに異存はないが、僕的にはダグ・リーマンから監督を交代した「ボーン・スプレマシー」(04)を観た時ほどのインパクトは受けなかった。
やはり3作目となると、あのアホでマヌケそうなマット・デイモンがアクションをやるという意外性は薄れるし、監督のポール・グリーングラスもすでにその後の「ユナイテッド93」(05)や、全篇手持ちカメラ撮影によるドキュメンタリー・タッチと極細モンタージュという方法論を打ち出した「ブラディ・サンデー」(02)をすでに観てしまった後では、やはりあの無難な身障者ドラマ「ヴァージン・フラスト」(97)でデビューしたあの監督がこんな大胆で才気あふれる演出を、という驚きも薄れてしまう。
何より4000カット以上もあるというおそらくはギネス・ブック級のモンタージュに今回はいささか疲れてしまった。もうちょっと落ち着けよ、といいたくなってしまった。ストーリーが飲み込める前にアクションに次ぐアクションの連続で映画が終わってしまっていたという印象で出会った。ジェイソン・ボーンの正体とか篇中語られる何とか計画、かんとか計画とかいうのは要するにヒッチコックのマクガフィンのようなものだろうから深く考える必要はないだろうが、やはり今回はあまりにボーンが強くなりすぎて、スーパーマン的に感じられたが、僕的には興をそがれてしまった。
2作目は、1作目のヒロインがいきなり消されてしまうというショックがあり、そのリベンジの念を源動力として走り回っていてもよいと思えたが、3作目は少しは立ち止まってもよかったのではないか。
あまりにもスピーディかつパワフルであり過ぎて、これでは゛自分探し゛をしている人間というより単なる戦闘マシーンにしか過ぎないと思えてしまった。実の所、3作目では密かに「面白かった」だけでなく゛自分を取り戻す゛ことの感動をも期待していたのだが、少なくとも僕はそれを得られなかった。
むろん、007シリーズが築いたフォーマットに縛られて行き詰まっていたスパイ映画の新しい可能性を示して見せたシリーズとしての評価には揺らぎはなく、いずれ3作まとめて再鑑賞して考察してみたいと思っている。
松村清志
更新日 2007年11月19日 未公開「ブラディ・サンデー」★★★
2002年度作品、イギリス映画、監督・脚本、ポール・グリーングラス、カラー、ヴィスタ、上映時間111分、ベルリン国際映画祭グランプリ受賞。「ボーン・スプレマシー」(04)ユナイテッド93(05)「ボーン・アルティメイタム」(07)のポール・グリーングラスの出世作である。1972年にアイルランドで起ったイギリス軍による市民デモ弾圧、゛血の日曜日゛事件を再現した迫真のセミ・ドキュメンタリー映画である。
セミ・ドキュメンタリーという言葉をどのように定義すればよいのだろうか。元々はジュールス・ダッシン監督の「裸の町」(47)あたりから使われ始めた言葉で、実際にあつた事件を元に、資料や関係者の証言による綿密なリサーチに基づき、実際の事件のあった場所にロケーションして、出来うる限り本物らしく再現された作品とでも言うことになるのだろうか。
今ならそれに撮影方法、被写体の動きに合わせて臨機応変に対応していくカメラとか、同時録音、人工照明の廃止、コンテニュイティの廃棄、なども加えるべきだろう。
そうした現在の観点からすれば、「裸の街」はすでにセミ・ドキュメンタリーとはいえないのかもしれない。むろん今でも(おそらく)きわめて面白く楽しめる劇映画ではあるのだろう。
本作に先立って、やはり実話に基づく映画を2本──デビッド・フィンチャー監督「ゾディアック」(07)ロバート・デ・ニーロ監督「グッド・シェパード」(07)──を観たが、この2本を誰もセミ・ドキュメンタリーとは言わないであろう。ついでにこの2本について簡単にコメントしておくと、「ゾディアサク」はかなり好きで、改めて語ってみたいとさえ思っているが、「グッド・シェパード」は無難にまとまってはいるものの期待ほどではなく、いっそコッポラかオリバー・ストーンに任せてもよかったのではと感じた。この2本には有名俳優を起用しないということも、セミ・ドキュメンタリーの定義に加えるべきだろうかとも思った。
やはりセミ・ドキュメンタリーとは精神ではなく、方法論だと考えるべきだろうか。カメラは出来うる限り長廻しが良いであろう。本作の特典のメイキングによると、ワン・テイクが長く、10〜30分ぐらいはあつたそうだ。
編集は緻密であった方が良い。映画の時間は現実そのままではないのだから、いわゆる三一致の題材でない限り、編集は不可欠だ。グリーン・グラスの作品の特徴といってよいが、本作もカット数は実に多い。だが細撮りではない。ロング・テイクしたものをショート・カツトする、というのもこれからのセミ・ドキュメンタリーの成功の条件に加えるべきかも知れない。
音楽はあっても良い。だが、微妙な所で、本作の篇中に流れる伴奏音楽はしょせん、ラスト・クレジットに流れるU2による名曲のライヴ録音インパクトには及んでいないと思えた。僕はこのラスト・クレジットで涙があふれてしまった。
たらたらと書いてしまったが、僕はこの作品にとてもインパクトを受け感動したのだが、その理由をうまく解明することが出来ず、こんな自問自答の文章となってしまったのである。
ともかく、映画史上の゜エポックに加えてもいい、とさえ思ってしまった。こんな作品に出会えるから、最近作の未公開あさりも止められない。まずは必見といってしまおうか。
ついでにU2のドキュメンタリー「U2/魂の叫び」(90)も、又見たくなってしまった。
松村清志
更新日 2007年11月19日 未公開「スタスキー&ハッチ」★★☆
2004年度作品、監督、ドナルド・フィリップス、出演、ベン・ステイーラー、オーウェ・ンウィルソン、ヴィンス・ボーン、ジュリエット・ルイス、フレッド・ウィリアムソン、カラー、シネマスコープ、上映時間110分。70年代の人気TVシリーズの映画版で、デティールにこだわった70年代の再現がうれしい一篇である。
マイケル・マン製作・監督による映画版「マイアミ・バイス」で僕がもっとも不満であったのは、80年代に時代設定していなかったことで、アメリカでは゛「マイアミ・バイス」の放送のある夜は街から若者がいなくなる゛とまでいわれたあの番組は、80年代の華やかさと寂しさを象徴するような番組であったはずなのだ。そこに何故マイケル・マンはこだわらなかったのだろうか。
「マイアミ・バイス」はよく観ていたが「スタスキー&ハッチ」は一度も観たことがない。だが、この映画版は70年代へのこだわりがうれしく、僕は70年代のB級映画を観るように楽しめた。70年代B級映画のレプリカ、といってしまえばそれまでだが、オリジナルはTVでもあるし、ここはあえて70年代B級精神へのオマージュと好意的にいってみたい。
70年代はTVムービーがよく劇場にかかっていた時代でもあった。スピルバーグの「激突」などその代表的傑作だが、思いつくままに挙げてみても、「エリックの青春」「ブライアンズ・ソング」「爆発!!ジェット・ヘリ500」など、色々あり、本作の味というのはまさにそんなTVムービーのスペシャル版のようなものなのである。
であれば、、スクリーン・サイズは出来ればスタンダード・サイズがよかった。せめてヴィスタであって欲しかった。シネマ・スコープではどうもしっくりこない。
特にうれしかった箇所をいくつか挙げると、まず一直線の正義派刑事のスタスキーが街中で銃をぶっ放したことで、上司のフレッド・ウィリアムソンから「市民を脅かして何をやっとるんだ」と怒られるシーン。70年代までは刑事ものではこうしたシーンが必ずあった。嘘の中のリアリティである。80年代以降そうした配慮がなくなり、ところかまわず拳銃をぶっ放すようになって、いかにアクション映画が雑になってしまったか考えて欲しい。
そして、スタスキーとハッチの初顔合わせで、遊び人刑事のハッチが受付の女の子のお尻をさわって入ってくるシーン。この点に関しては70年代はいい時代であった。松田優作もやっていたが、今これをやったらセクハラだもんね。僕など、ながらしく大人になったら女の子のお尻をカッコ良くさわれる男になりたいと思いながら生きてきたのだ。(だからロクな大人にならなかった)
あと、2人が「イーシー・ライダー」の扮装をしてバイクで出かけるシーンに流れるザ・バンドの「ウェイト」「イージー・ライダー」といえば「ボーン・トウ・ビー・ワイルド」という定型を少しずらしたニクいチョイスであり、ディスコでスタスキーが「ザッツ・アウェイ・アイ・ライク・イット」に乗って踊る、今となってはダザダサのダンスもなともん楽しい。
星条旗をデザインしたパンティとブラジャーを着けた女が「一足先に建国200年を祝っているの」というシーンなども、低迷から脱して上昇機運に乗りつつあつたあの時代のアメリカの気分をかもし出している。
それやこれやで、この安っぽいB級映画のような作品を僕は大いに楽しんだ。だが、70年代の再現で実はかなりお金はかかっているだろう。タランティーノのグラインド・ハウス映画2本のように、これも又、金のかかったB級映画だといえばよいか。
松村清志
更新日 2007年11月11日 未公開「スピード・スター」★★☆
今年の国際映画祭のコンペティション部門で上映された、奔放な青春時代をすごした女性が老後に行き着く境地を名優エレン・バーンスタイン主演で描いた人間ドラマ「ストーン・エンジェル」(07)の女性監督、カリ・スマグランドが06年度に撮ったB級エンターテインメントである。
カリ・スマグランドってネエチャンかオバちゃんかは知らないが、すでにB級映画を何本か撮っている。その路線でそのままいくのかと思っていたら、方向転換をしてもっと大物になりそうな気配もしてきた。そんなわけで本作も一見の価値アリ、のB級だといっておこうか。主演のタリン・マニングは女ラッパーで何本か映画に出ているが、色気のタリンねえちゃんなので、いわゆるセクシー・アクションを期待するとアテが外れる。
タイトルやパッケージからカー・アクション映画化と思わされるが、それは半分ハズレ。車泥棒を主人公としたカー・アクション映画のようにスタートしつつ、後半部でサイコ・キラー・サスペンスとなる。ここらをどう受け止めるかが評価の分かれ目だろうが、僕はB級映画2本立てのように楽しめた。
カリ・スマグランドの映画で正式に劇場公開それているのは、02年度だかに公開されたウェズリー・スナイプ主演の「スナイパー」のみだと思うが、脚本も兼任したこの作品は銃規制へのメッセージをこめつつ、電話ボックスをうまく使ったサスペンスとしてコリン・ファレルのような要素もあり、尚且つ、アクション映画志向のスナイプスの好みを生かしつつ、ほとんどすわったままの状態に置くことでその動きをとじて、逆に彼の演技力を引き出して見せて、色々と興味深い秀作に仕上がっていた。
そんなわけで、そこそこの才能のある女性ではないかと思える。本作も「スナイパー」ほどではないが、それなりに楽しめた。キャサリン・ビグローにもジェーン・カンピオンにも化ける可能性があるかも知れない女性監督を先物買いするつもりで、とりあえず観ておいて損はないだろう。星半分オマケ。
松村清志
更新日 2007年11月11日 最近作「ブレイブ・ワン」★★☆
同じくジョエル・シルバーが製作にからんだ「インベージョン」は「盗まれた街」の主人公を女性に替えての4度目のリメイクであったが、本作はほとんどチャールズ・ブロンソン「狼よさらば」(74)のジュディ・フォスターによるリメイクといえる作品である。
ジュディは製作総指揮も手がけており、「フライト・プラン」(06)を思い出して心配になったが、「フライト〜」はもちろん「インベージョン」と比べてもはるかによい出来であった。今回、シルバーお得意のドッカンドッカンを入れなかったのも良かった。ジュディがレイプされるという設定にしなかったのも賢明であった。それを入れてしまうとトラウマが分裂して収束が突かなくなっていたであろう。
ニール・ジョーダン監督としても過去のハリウッド作品と比してずっといい仕事振り──「ことの終わり」(99)は実質的にはイギリス映画だと判断したい──である。他人の脚本ながら、ジュデイと刑事のテレンス・ハワード(いい役者だ)の恋愛模様はジョーダンらしさがにじみ出ている。
だが、設定というか脚本に大きな欠点、不満点が2つある。まずひとつ、携帯の画像ぐらい消しとけよ!!。お前らチンピラなんだから別件でつかまった時、そこから足がつくだろうが!!。頭悪すぎだ。そもそもジュディの面通しの時点で携帯を調べられていてもおかしくはない。ふたつめ、あの犬は何だ。あんな犬を連れていたらそこから足が付く可能性があるだろう!!。人間殺すついでに犬も殺しとけ!!。犬にお説教してもどうしょうもないが、お前は犬の分際でご主人様の敵にのこのことシッポを振って付いて行くな!!。なんて忠誠心のない奴だ。こんな畜生、僕がジュディの立場なら保健所で永眠させてやる。
ラストは「狼よさらば」といえば書かなくても判ってしまうだろうが、ヴィジランティズムのアメリカ的にはハッピー・エンドなのだ。ただ、シリーズ化は考えないほうが良いだろう。そうすると、またもや「フライト・プラン」化が予想されるので。
松村清志
更新日 2007年11月4日 未公開「チップス先生さようなら」★★★
1939年度作品、原作ジェイムス・ヒルトン、監督、サム・ウッド、出演、ロバート・ドーナット、グリア・ガースン、モノクロ、スタンダード、上映時間110分。後にピーター・オトウール主演で再映画化もされた、あまりにも有名な゛教師もの゛小説の最初の映画化だが、日本未公開なのである。1939年といえば「風と共に去りぬ」「駅馬車」「オズの魔法使い」が公開され、アメリカ映画の黄金の年であったといわれているが、さらに本作も加えねばなるまい。
主演のロバート・ドーナットは本作で「風と共に去りぬ」のクラーク・ゲイブルを制してアカデミー賞主演男優賞を受賞している。ドーナット主演作で僕が観ているのはルネ・クレールの「幽霊西へ行く」(34)とヒッチコックの「三十九夜」(35)ぐらいだが、おそらく20代〜80代までを演じた本作がベスト・パフォーマンスであろう。本作が英米で占める位置というのは、日本での「二十四の瞳」のようなのではないか。
何故にそれが未公開のままであったのかはよく判らないが、とも各位待て背は500円の廉価版DVDで手軽に観ることが出来る。本当にDVDは宝の山である。少し前の「キネマ旬報」に川本三郎が書いていた「過去を逃れて」(46)もそうだし、本サイトで僕が書いた「タイタニックの最後」(53)「午泥棒」(43)など、日本未公開のままであった映画史上の重要作が何気なく紛れ込んでいるのである。
パッケージには未公開と明記されていないものがほとんどで、やはり未公開となると売れ行きが悪いということなのか。だが、販売元がその価値を判っておらず、映画ファンにも知られていないではもったいないと思うので、そうした作品についても折をみて書いていきたいと考えている。
そうしたクラシックの未公開作品は、当然のように日本の過去の文献(例えば双葉十三郎の「ぼくの採点表」)を調べても、何も載っていないわけだから、書くべき価値はいくらでもある。
そして、公開作で80〜90年代にビデオとなっていた作品でも、ジョン・フォードのカラー作品やフレッド・アステアの戦前の作品など、かなりひどい画質であったが、DVDではデジタル・リマスターのおかげで鮮明な画質で楽しむことが出来る。それやこれやで、かなりクラシック作品鑑賞にはまってしまっている。
むろん、最近作もそれなりに観ているし、未公開の最近作あさりもやっているので、鑑賞本数は昨年の2倍くらいになってしまった。
さて、「チップス先生〜」はあまりにも有名な話なので、とりあえず未見の方は是非ご覧下さい。今でも充分感動できますとだけ言っておこう。監督、サム・ウッドは本作の翌年には先頃書いた「我等の街」と、ジンジャー・ロジャースにアカデミー主演女優をもたらした「恋愛手帳」を撮っており、すぐれた職人監督であった。日本で最も有名なのは、ゲーリー・クーパ主演の3作、「打撃王」(42)「誰がために鐘が鳴る」(43)「サラトガ本線」(45)だろうかる
ところで、先日「誰が為に鐘がなる」を再見したら、この作品のプロダクション・デザインもウィリアム・キャメロン・メンジースであつた。これについても、改めて書かねばなるまいるそれやこれやで、各文章をうまくリンクさせながら、映画史のヒストリー・シリトリー(右上三登志)を書きつづけていきたいと考えている。
松村清志
更新日 2007年11月4日 最近作「インベージョン」★★
「盗まれた街」の4度目の映画化である。製作はポップコーン・ムービーの帝王、ジョエル・シルバー、監督は「ヒトラー最後の12日間」(05)のオリバー・ヒルシュピーゲル、題材がファシズムに通じる恐さをもったものだけに、いいチョイスかとも思ったが、やはりこの組み合わせは水と油であったようだ。
アクション派のシルバーとしては、ジワジワくるサスペンスよりアクションに走りたくなるのだろうか。それとも、あるいは主演のニコール・キッドマンがあれこれ口出ししたとも考えられようが、要するに「ボデイ・スナッチャー」が「フライト・プラン」化してしまっているのである。まあ、あれほどひどくはないが。
「007/カジノ・ロワイヤル」(06)の2人、ダニエル・クレイグとジェフリー・ライトが脇を固めているが、あまり見せ場はない。原作を読んでいないのでエラそうなことはいえないが、女性を主人公として子供のために闘うという展開にすると、どうも母は強しというだけの映画になって、視野が狭く感じられるのである。偏見かも知れないが。
キッドマンが逃げるシーンで仰角で彼女を撮っているのもよろしくない。元々、大柄な女優さんだから、たくましく見えて追いつめられる感じが出ないのである。やはり俯角を多用したほうが良かったのではないか。ここらの撮り方ははっきりいってヘタである。
前3作にはなかったボディ・スナッチされた人間が増えるにつれて世界中から戦争や犯罪がなくなっていくというニュースを取り入れているのも、だからこそ戦争をもたらす好戦国アメリカは人間的ですばらしいのだといったメッセージが込められているようにも思われ、僕もそれにマインド・コントロールされそうで複雑な心境になった。
「盗まれた街」の映画化としてはこれまでで最も風作といわざるを得ない。
渋谷東急他にて全国ロードショー中
松村清志
更新日 2007年11月4日 未公開「CSI:グレイブ・デンジャー」★★★
ジェ・ブラッカイマー製作による、全米人気TVシリーズ第5シーズンのうち、クェンティン・タランティーノが原案・監督を手がけた1エピソード、前・後編を一つにまとめたものである。2006年度作品、96分。
警察の乾式チームメンバーのひとりが、何者かによって拉致され、ガラスばりの棺おけのような箱に入れられて地中に埋められてしまう。果たして仲間は彼を無事に救出できるのかというサスペンスである。
タランティーノがTVシリーズのエピソード監督を務めたのは、「ER」以来0数年ぶりではないかと思われるが、大いに楽しめる仕上がりであった。
いくつかドンデン返しというか、一難去ってまた一難といった具合に、犯人の知能プレイにチームが振り回されるという、お話が良く出来ている。脚本はすべてタランティーノが執筆したものではないが、いかにもマニアックなタランティーノらしい会話が盛り込まれており、現れてすぐ姿を消す重要人物役に「燃えよドラゴン」(72)のメンバーのひとりであったジョン・サクソンを起用しているのも、これまでB級俳優をうまく起用してきたタランティーノらしいキャスティングだし、犯罪そのものを象徴しつつ、捜査側への嫌がらせでもあるような歌詞のロックのテープを送りつけてくるあたりは、既成曲の斬新な使用法では定評あるタランティーノの面目躍如だ。
ゴールデン・タイムのTV番組としてはかなりどぎついといえるスプラッターな描写もあるが、そこだけモノクロ映像でブラック・ユーモア風に仕立ててあるのも巧妙だ。
タイム・リミットのサスペンスだけに、オープニングを除いては、時間解体はなく直線的なストーリーがスピーディに展開する。トロトロしたテンポのチンタラティーノ節が苦手な人にもオススメできる。アイデア勝の、拾い物のB級サスペナスに出会った時のような満足感があった。「グラインド・ハウス」2作にかんしてはDVD化に合わせて、ネタバレも含みつつ、じっくりと語ってみたいと思っている。ともあれ、TV用作品であることを考慮して星半分ほどオマケ。
松村清志
更新日 2007年10月21日 未公開『「風と共に去りぬ」をデザインした男〜ウィリアム・キャメロン・メンジースの世界・第3回「南部に轟く太鼓」』
「南部に轟く太鼓」は1951年度作品、カラー、スタンダード、製作、キング兄弟、脚本、フィリップ・ヨーダン、音楽、ディミトリ・テイオムキン、出演、ジェームズ・クレイグ、ガイ・マディソン、バーバラ・ペイトン、上映時間86分、プロダクション・デザイン&監督、ウィリアム・キャメロン・メンジース。
少なくとも3本は日本公開されているはずの、メンジースが監督も兼任した作品のうち1本である。タイトルから想像がつくように南北戦争を題材としたアクション映画だ。何とも奇想天外で、ヘンな魅力を持った作品である。
かっての親友同士が南軍と北軍に分かれて戦うことになり、そこに一人の女性がからむという戦争メロドラマのようなストーリー・ラインだが、全篇の画面構成がかなりヘンなのである。極端なクローズアップとロング・ショットしかないような作品なのである。南軍はデビルス・マウンテンと呼ばれるメサ(山頂が平らになっている西部特有の岩山)に立てこもって、そこから大砲を撃って列車を転覆させたりして、北軍は下のほうから向かい合うという攻防戦なのだが、両軍の位置関係などはまるっきり判らない。
テレビ東京あたりの洋画劇場で予備知識なしで観たら大幅にカットされた放映なのではと思ってしまいそうな所だが、そうではあるまい。きわめて安上がりに仕上げられたB級の映画なのである。女優さんは他で観たことがないし、ガイ・マディソンはB級の西部劇や戦争映画の人だし、ジェームズ・クレイグはジンジャー・ロジャーズの「恋愛手帳」(40)以外の作品出演を憶い出せない。
ロング・ショットで走る列車はミニチュアとペインテイング(描き割り)であり、近写は他の映画のストック・フィルムの使い回しであろう。デビルス・マウンテンモミニチュアであり、岩山を登るシーンは小さなセットのみだろう。メンジースお得意の夜のシーンも多く、空間の狭さや軍隊の人数の少なさ(おそらく両軍あわせて20名足らずしかいないのであろう)を、うまくごまかしている。野外シーンでは音声にエコーをかけて空間を広く感じさせようとしている。
だが、つまらないのではない。ヘンな魅力があってアレヨアレヨと見せられて、僕は2回観てしまった。こんな映画の作り方もありか、である。極端なクローズ・アップとロング・ショットの交錯がテンポをつくりだしており、実質的にわずか3名の登場人物と10名余りのエキストラと、ミニチュアと小さなセットのみでも、南北戦争のような大きな戦いを題材とした映画を作ってしまうことが可能なのだという、その発想の妙に感心した。
自主映画を作っている人たちにぜひ観て欲しい。勉強になる。自主映画出身監督、例えば黒沢清たりの感想を聞いてみたい。確実に面白いであろう。
製作のキング兄弟は伝説の映画雑誌「リュミエール」時代に蓮實重彦が彼らの特集上映を組んでみたいと語っていた、ギャング出身のプロデューサーズで、レッド・パージでメジャーを追われた脚本家たちにどんどん仕事を与えた猛者である。彼らの製作作品をもっと観たくなった。
本作もパブリック・ドメインとしてコスミック・ピクチャーズというメーカーから500円の廉価DVDで販売されている。映画好きにとって500円DVDはお宝だらけの魔窟、まさにデビルス・マウンテンだ。
最後に私見をひとつ。本作のデビルス・マウンテンはスピルバーグ「未知との遭遇」(77)ノデビルス・タワーの霊感源となっているのではあるまいか。メンジースはSF映画の父でもあるから、あながち間違ってはいないと思う。その辺のことについて又改めて書いてみたい。
松村清志
更新日 2007年10月21日 未公開「ローグアサシン」★★
やはりいまだに海外で活躍するアジア人スターとしてはナンバー・ワンだといわざるを得ないジェット・リーと、「トランスポーター」シリーズのジェイソン・ステイサムの対決!!共演がジョン・ローン、ディオン青木、石橋凌ケイン・コスギ、とくれば大いに期待される顔ぶれである。オープニングの漢字やカタカナがくるりと回って英語になるタイトル文字の出し方には、東洋と西洋のハイブリット映画を作ってやるのだという意気込みを感じられて嬉しくなった。
結果は、まっ、こんなものかである。チャイニーズ・マフィアと日本のヤクザ、FBIに謎の殺し屋が入り乱れる攻防戦なのだが、アクションのメインが銃撃戦なのが、物足りない。ジョン・ローンは大御所となったし、元々アクションの人ではないが、しかし、10年ほど前の「ハンテッド」(95)では忍者スタイルで走り回っていたというのに、ここではおとなしすぎだし、石橋凌とデヴォン青木が父娘というのも、年からいけばそうかも知れないが、なんだかな〜っ、である。どうせならデヴォンを石橋の愛人もしくは女アサシンとして、もっと派手に暴れさせてほしかった。せっかく「シン・シティ」(05)「D・O・Aデッド・オア・アライブ」(06)でいい所を見せたのに、こんな使い方はもったいない。
ジェットとケインの回転鏡を前にしての闘いは「燃えよドラゴン」(72)がレファランスしたいいアイディアなのに、あっけなく終わってしまうのが物足りない。
それでいて、しょうもない銃撃戦やカー・アクションは長々とやっているのだから、監督がアクション・コレオグラファーのユーリー・ユエンやキャストの個性を捉え違えてしまっている、といわざるを得ない。
石橋とジェットのチャンバラはまあ良かったが、宿命の対決のはずのジェットとジェイソンのそれは何ともはや、尻切れトンボだ。これをどんでん返しといっていいものかどうか。考えてみれば、ジェイヒン・ステイサムはジェットの「ザ・ワン」(00)に脇役で出ていた人だから、致し方ないのか。
丸の内TOEI@他にて全国ロードショー中
松村清志
更新日 2007年10月21日 未公開「プロポジション〜血の誓約」★★★
2005年度作品、オーストラリア、イギリス合作、カラー、シネスコープ、監督、ジョン・ヒルコート、脚本、音楽、ニック・ケイヴ、出演、ガイ・ピアース、レイ・ウィンストン、ダニー・ヒューストン、エミリー・ワトソン、上映時間104分。19世紀末のオーストラリアを舞台としたオージー・ウェスタンである。
サム・ペキンパーを始めてみた時のような、極上のマカロニ・ウェスタンと出合ったときのような、ジョン・ウーを発見した時のようなインパクトがあった。金属音と共にトタンで囲まれた屋内に多量の弾丸が飛び込んでくるオープニングは、さながら「プライベート・ライアン」(97)のようにパワフルで、一気に作品に引き込まれてしまった。
無法者3兄弟のうち、次男と三男が逮捕され、イギリス側の保安官のようなレイ・ウィンストンから三男の死刑を取消す条件として、長男を探し出して殺すことを提示された次男のガイ・ピアースが゛絶縁した兄を探すたびに出るというのがストーリー・ラインだが、開発途上の文明と野蛮が混沌としたオーストラリアの風土感とニック・ケイヴによる音楽がほとんど哲学的・神話的といってもいい独特の雰囲気を生み出している。
かっても仲間であったもの同士の宿命の対決という物語や音楽の使用法はペキンパーの「ビリー・ザ・キッド/21歳の生涯」(72)を連想したが、しょせんは他人であったあちらより、血のつながった者同士のこちらの方が悲劇性が高いし、マカロニ・ウェスタンばりのヴァイオレンスもこれ見よがしではなく、当時のオーイトラリアをリアリティをもって描いた必然だと感じられた。何故にこれが未公開と思われる力作である。
監督、脚本、音楽のコラボレーションが見事である。ただ、本作のインパクトはオーストラリアの独自の風土感あればこそ、とも思われるので、彼らがハリウッド入りすべきかどうかの判断は保留しておこう。
松村清志
更新日 2007年10月14日 未公開『「風と共に去りぬ」をデザインした男〜ウィリアム・キャメロン・メンジースの世界・第2回「我等の町」』
「我等の町」は、1940年度作品、監督、サム・ウッド、原作、ソーントン・ワイルダー、主演、ウィリアム・ホールデン、マーサ・スコット、音楽、アーロン・コープランド、モノクロ、スタンダード、上映時間90分、プロダクション・デザインは言うまでもなくウィリアム・キャメロン・メンジース。
恥ずかしながら告白しておくと、僕はこのピュリ-ッツァ賞受賞の有名戯曲の映画化作品を、今年初めて観て大いに感動し、そのことがメンジースについて書いてみたいと思うきっかけとなったのだ。
それほどに、ここでのメンジースによる町の造型は素晴らしいものである。
原作戯曲は「わが町」としてハヤカワ演劇文庫(定価・1000円)で発売されているので、そちらも是非お読みいただきたい。観てから読んでも読んでから観ても良い。映画の方はPdclasicというメーカーから500円の廉価版で販売されている。画質はきわめて良好。以前、淀川長治の監修で出ていたものは上映時間86分であったから、こちらの方が完全版と考えてよいのではないか。
さて、戯曲を読めば判るよえにオリジナルのステージは、セットが何もない空舞台となっている。したがって、この映画化での町は、すべてメンジースのイマシネ-ションによるものと解釈してよいわけだ。おそらくロケーションはなく、すべて撮影スタジオ内に作りこまれたものだろうが、演劇的な様式性と象徴性、映画的な日常性と具象性を巧妙に融合させた、傑出した造型である。
「風と共に〜」の翌年の仕事であり、この年は他にヒッチコックの「海外特派員」とアレクサンダー・コルダ製作、マイケル・パウエル他数名の共同監督によるカラー版の「バクダットの盗賊」もあり、油が乗り切っている。
「我等の町」はサム・ウッド監督作品としては、かなり異質の突出した作品となっているといってよいだろうが、部分は何よりもメンジースの功績ではないかと僕には思える。そりは「風と共に去りぬ」「白昼の決闘」の色彩感覚を、他のセルズニック作品の色彩と比べてみると、セルズニック・カラーより、メンジース・カラーの方が強く感じられることにも通じるし、「海外特派員」はほとんどヒッチコックとの共同監督といってもいいという気さえさえするのである。
映画という視覚メディアで重要な役割を果していながら、その研究が立ち遅れている美術監督にスポットを当ててみたいと思ったのが、この論考を執筆し始めた動機だが、なかでもメンジースはいくつかの自身の監督作品もあり、作家と呼んでもおかしくないと僕には思われるのだ。特色として、夜や闇やシルエットの多用──この人の場合、フィルター夜景はほとんど使っていないだろう──と非日常的なファンタジー思考、日常から非日常への移行のうまさ、をとりあえず挙げておこうか。
「我等の町」はそうした彼の個性にピタリとはまった作品だ。サム・ウッド監督やタイトルから、古きよき時代のアメリカのスモール・タウンを描いた心温まる人情劇、といった先入観念で観始めると、死者の集う墓地の登場や、死者の視点と声の多用に驚かされることになるが、それゆえにこそ、平凡な日常の存在すること事のかけがえのなさに、感動させられるのである。より悲しい結末であった原作を、ハッピー・エンドにツイストした映画的アレンジも奏効している。(原作者も同意見であったそうだ)
「我等の町」は、「素晴らしき哉、人生」(48)や「バック・トウ・ザ・フューチャーPART2」(90)の原点といつていい名作であり、僕にとって生涯の映画に加えたいぐらいの好きな作品となった。ラストの案内人(=舞台監督)の「わが町はもう11時、皆さんもぐっすり休息を。おやすみなさい」という台詞に、疲れた心が癒される。夜、眠りにつく前に観るのに最適な映画だといっておこう。
松村清志
更新日 2007年10月13日 未公開「ブロークン・トレイル遥かな旅路」★★☆
2006年度作品、製作総指揮、主演、ロバート・デュヴァル、監督、ウォルター・ヒル、上映時間184分、ブーブルTV用に作られた西部劇で、デュヴァルは本作を「ロンサム・ダブ」(88)「ワイルド・レンジ」(03)と並ぶ3部作と捉えているそうで、そこそこ楽しめたし、「ワイルド・レンジ」を好きな人にはオススメしたいが、ちょっと惜しい仕上がりである。
どこが惜しいのかを簡単に述べれば、監督とキャストが弱いのである。ウォルター・ヒルは好きな監督だったが、もうかっての切れ味はない。TV用にヴァイオレンスを抑制していることを考慮しても、普通の人になってしまったという印象だ。
キャストも、ディヴァル以外、元夫婦で中年過ぎてやつれた感じを漂わすグレタ・スカッキはまあ良いとして、相棒となるトーマス・ヘーデン・チャーチは「スパスダーマン3」に出ていたんだが、しょせん小悪党づらだし、もうひとりのソヨドル弾きもぱっとしない若僧だ。
内容的にこれまでの西部劇では最も中国人の出場が多い作品だといっていいし、中国娘達が誰ひとり、英語を話さないままカウボーイたちと心を通わせていくという設定もよいのだから、彼女達のリーダー役にマーケッティングを考えて、コン・リー、ミッシェル・ヨー、クラスのスターを据えていれば、充分劇場映画として企画出来ていたはずだ。
せっかくのいい題材なのだから、僕としては共演にケヴィン・コスナーをむかえて、「ワイルド・レンジ」のように彼に監督も任せるか、さもなくば、中国人がこれまでになく描かれているのだから、「ブロークバック・マウンテン」(05)で高評価されたもののカウボーイをホモにしたとお堅い筋からはバッシングを受けたアン・リーに監督させて、保守層への名誉挽回とさせるか、どちらかを選択していれば、充分に劇場用映画として通用するクオリティになっていたのでは、と思うのだ。そこが惜しいのである。
松村清志
更新日 2007年10月4日 未公開DVD「裸の天使」★★
主演は「プラダを着た悪魔」(06)のアン・ハサウェイ、2005年度の作品、カラー、ヴィスタ・サイズ、上映時間85分、監督はウディ・アレンのジャズ・コンサート・ツアーのドキュメンタリー「ワイルドマン・ブルース」(98)の女性監督、バーバラ・コップル、脚本は「トラフィック」(01)「シリアナ」(06)のスティーブ・ギャリガン。
ディズニー傘下の「プリティ・プリンセス」(03)「プリティ・プリンセス2」(04)で売り出したアン・ハサウェイが「ブロークバック・マウンテン」(05)でがらりと変わったテキサスのカウガール役で助演し、ヌード・シーンまであったのには驚いたが、同年に撮影された本作は、さらに過激なティーン・エイジャー非行ものである。
どうやら彼女は、アイドルやスターであるよりも本格的な女優として認められたい、主演・助演を問わず作品の質で選んでキャリア・アップしていきたいと考えているのだろうが、本作はおよそ彼女のキャリアにプラスとなるほどの作品とは思えなかった。
女性監督だから裸もやりやすいとか、脚本家の名前に惹かれたとかが、出演動機だろうが、要するに愚かな若者の話ではないか。「トラフィック」「シリアナ」も世評ほどには僕は勝手はいないし、この映画自体、「トラフィック」にもあった上流階級の子女にもドラッグが蔓延しているというエピソードのヴァリエーションであり水増しでしかないのではないか。
あんな目に遭いながらも、又同じ場所にのこのこ出かけていく愚かな小娘ではおよそ共感も理性も理解できないし、せめて売人のリーダー役がもっとカッコイイ役者であればよかったが。指先でいじって乳首を立たせるシーンまで演じているのも、どうも痛々しい。かなり大きめでキレイなオッパイをしているので見せたくなる心理も判らなくはないが、この程度の作品ではいささか安売りだ。汚れ役をやりすぎて、映画スターとしては大成しなかったキャンディス・バーゲンを思い出して心配になってしまうのである。
そんなわけで本作は、彼女の選択ミスとしか思えなかった。せっかくコメディエンヌとしていい個性を持っているのだから、もう少しさちらの路線でいった方がよいのではないか。
松村清志
更新日 2007年10月4日 『「風と共に去りぬ」をデザインした男〜ウィリアム・キャメロン・メンジースの世界・第1回「白昼の決闘」』
ウィリフム・キャメロン・メンジースが手がけた西部劇、まずは「白昼の決闘」について書いてみよう。
「白昼の決闘」は46年製作、カラー、スタンダード、監督、キング・ウイダー、映画史的にはかなり有名な、「風と共に去りぬ」のプロデューサーのデビット・O・セルゼニックガ「風と〜」の夢よ再びと、愛妻ジェニファー・ジョーンズを主演に起用して作り上げた超大作である。ちなみに本作もパブリック・ドメインとしていくつかのメーカーから500円DVDで出ているが、僕が今回観たのは潟tァーストトレーディングからでているもので上映時間は139分、他のメーカーのものは129分と10分短くなっている。
壮大な失敗作という定説どおりの作品ではある。男女の愛想劇と鉄道開発の利権の劇とがうまくかみ合っていないし、主役2人の性格や心理描写は、エキセントリックというより無茶苦茶、脚本にまで手を出したセルズニックの意欲が空転しているという他ないが、それでもギラギラとした色彩感覚と、セット・デザインの素晴らしさは注目に値する。僕はTV放映も含めて3度観たが、80年でにビデオで出ていたものは退色したひどいシロモノだったが、今回はデジタル・リマスターのお陰で、実に鮮烈な色彩感覚を味わうことが出来た。
まずはオープニングの酒場と劇場とダンス・ホールをくっつけたような室内空間の造型にドギモを抜かれる。かなり狂っていると思わせる。ほとんど鈴木清順作品の木村威夫のような感じさえある。別にこんなセットを作る必然性はなく、TV放映ではカットされていたが、何ともパワフルで異様な迫力があり、つかみはオーケーだ。
このオープニングの暗い室内でギラギラと生命が燃えている感じからしてそうだが、本作は題名に反して、闇というか夜のシーンや、白昼でも暗い室内が意外に多く、それが太陽の輝く外界と対比されており、こうした闇やシルエットの使い方のうまさは、メンジースの特徴のひとつだといってもよいだろう。
「風と共に〜」前半部のクライマックスを思い出していただきたい。タラの大地と聳えたつ木とスカーレットがシルエットとなり、バックは燃えるような空、というアレである。あの空は朝焼けの色であり、まさに「明日は新しい日が昇る」という生き抜いていく生命力の象徴であったが、ここでのそれは夕焼けの沈みゆく色、それが滅び行く古き西部と滅び行く男女といつた、作品のモチーフとうまく結びついているわけだ。灼熱の太陽も沈みゆく前の最後の輝きのように捉えられており、それゆえに闇が多用されているのだといっていいだろう。
クライマックスの岩山は、ほとんどペィンティング(描き割)とセットだろうが、インパクトのある造型であり、あえて距離感を無視したような画面つなぎは、そのまま2人の心理的な接近を演出しており、ここらも監督ヴィダー以上に、メンジースのセンスではないかと僕には思える。
そして、最初と最後に出てくる花は、まるでこの映画じたいが美しいが毒気のある、ケシの花のような映画だという事を表現しているかのようだ。ちょっと麻薬的な魅力を持った悪酔いさせる壮大な失敗作であるのだ。
松村清志
更新日 2007年9月23日 『「題名のない子守唄」の公開に合わせてジュゼッペ・トルナトーレについて語ってみよう』
最新作「題名のない子守唄」(07)が公開されたジュゼッペ・トルナトーレについて語ってみたい。トルナトーレとはいかなる奴なのか。ひとことでいってしまえば゛子宮の中のドリーマー゛なのだと僕は思う。そうした彼の特性が最も現れたのは「海の上のピアニスト」(00)であろう。
1900年に船上でまれ(発見され)て、そのまま一度も船を下りる事無く一生を終えてしまった男の物語。ありえねーっ、である。これって要するに子宮の中で一生終わっちまったって事じゃないか。少しは外界を見ろよ、である。そんな話を何とも美事に語ってしまうから、トルナトーレは大した語り部ではあるのだ。
彼の監督デビュー作「教授と呼ばれた男」(86/未)は刑務所に入ったままでギャング組織のボスになってしまう男の物語であった。代表作「ニュー・シネマ・パラダイス」(88)は映画館という子宮の中でずっと夢を見つづけていたいって事だろうし、「記憶の扉」(95)は、子宮のような取調室の中だけの話であったしと、彼の志向は一貫している。゛子宮の中のドリーマー゛と呼ぶ所以である。
あるいは「海の上のピアニスト」に関しては、言葉を変えて゛偉大なる引きこもり賛歌゛といってよいのかも知れない。「海の上〜」はオタクの引きこもりにとつては最上の自惚れ鏡となる映画である。僕が「海の上〜」に対して好きとも嫌いとも言い切れない微妙な感情を持ってしまう理由はそこにある。僕自身、今春以降DVD鑑賞にはまってしまい、ほとんど引きこもり生活を続けてきたし、例えばアメリカの大地を実際に踏まずともアメリカという国を知る方法はいくらでもあり、その方が憧れや夢をこわされずにいられてよいのではないか、といつた思いは僕の中にもある。こんな生活も悪くないのではと思ったほどだ。(ただし、船上で毎日映画が上映されているのが条件ネ)
それでいて、オタクの引きこもりは、引きこもっていたいくせに、他人に自分を認めて欲しいという思いもあり(だから僕もこんなものを書いている)、その辺も主人公が一枚のレコードを残して知るひとぞしる存在になることで、うまく解消している。実にオタクのつぼを突いたものがたりであるのだ。
「海の上〜」が意外に女性ににんきがあねのも子宮を持つ女性にとって、ああした男は不思議な魅力があるのかなと思ったりもするのだが、僕はやはりラストの処理が気に食わない。廃棄される船と運命を共にしてしまうのでは、要するに自分の城を出なければならなくなってしのった引きこもりが自殺してしまったと言うことと同じなのではないか。あんな形で、一生と呼ぶには短すぎる生涯を終えてしまうのは納得できない。どうせ嘘をつくなら、主人公があの後も他の船に乗り継いで、さながら「小さな巨人」(71)のダスティン・ホフマンのように長寿を全うし、ひとつの世紀をまるごと生き延びる所まで大風呂敷を広げて欲しかった。そうすればあの作品はもっと雄大な20世紀の寓話足り得ていたのではないか。
そして、「海の上〜」の主人公が童貞のままであつたのかは微妙に判断が分かれる所だが、精神的童貞であったのは間違いなく、そうしたトルナトーレの精神的童貞性は「ニュー・シネマ・パラダイス・完全版」(91)を作ってしまうあたりにうかがえ用。因みに僕は、初恋の人への想いと映画への想いが分裂してしまった感のあつた「完全版」より、オリジナル版の方がはるかに好きだ。゛子宮の中のドリーマー゛であり゛精神的童貞野郎゛それがトルナトーレなのだといってしまおうか。
ここで、話を少しそらして「ニュー・シネマ〜」の考証について弁護しておきたい。可燃性フィルムがあったのは戦前だけではないのかという批判を70年代生まれから聞かされたことがあつたが、それは間違いである。例えば、西山儀一の「ヤクザ監督東京進出」(ワイズ出版)の中に「昭和30年代はまだ可燃性フィルムであった」という証言があるし、加藤幹朗の「映画の領分」(フィルムアート社)の中にも、゛50年代前半までアメリカでも可燃性フィルムが存在した゛といつた記述がある。少し調べればわかることなのだ。第2次大戦中に可燃性フィルムは回収されたが、全廃されたわけではない。もし、大学の映画学科あたりで第2次世界対戦で可燃性フィルムは全廃されたと教えているのなら、それは事実誤認であろう。無知を棚に挙げて鬼の首でもとったような批判はして欲しくない。
さて、゛子宮の中のドリーマー゛゛精神的童貞野郎゛トルナトーレが、モニッカ・ベルッチに当て書きした「マレーナ」(01)は、イタリア、ブラジル、メキシコ、スペインといつたラテン系の男の国で大ヒットしたのがうなづける。男目線のキレイなお姉さんは好きです映画であったが、過不足ない語り口と、ラストで自転車で去っていく男の子の姿からは、作家トルナトーレの成長と外界へ出て行こうとする意志が感じられた。
「題名のない子守唄」はトルナトーレ初の本格的女性映画であり、母ものであり、サスペンス映画である。トルナトーレの持続と変貌については、また改めて語る事としたい。
松村清志
更新日 2007年9月23日 『クリント・イーストウッドのフェイバリッド・シネマ「午泥棒」』
「午泥棒」は1943年製作、アメリカ映画、モノクロ、スタンダートー・サイズ、上映時間77分、日本未公開だが本国では西部劇史上の重要な1本として評価されていて、クリント・イーストウッドがフェイバリッドに挙げており、「ミスティック・リバー」(04)を監督する際に、この作品を最も意識したと語っていた映画である。
日本では「ミスティック・リバー」の公開時にDVDで初リリースされたが、今では「水野晴郎のDVDで観る世界名作映画」の1本として、500円の低価格で入手することができる。画質はきわめて良好、いわゆるパブリック・ドメインとなった作品はいくつかのメーカーから廉価版DVDで発売されているが、なかでも水野晴郎の監修のものは画質がハイ・クォリティである。どこのメーカーのものを購入しようかと迷った時は、まず水野先生監修のものをオススメしたいと、ちょうちんを持っておこう。
さて、「ミスティック・リバー」といえば察しがつくように、本作は何ともやりきれない、つらい結末を持った映画である。ムービー、シネマという言葉の使い分けをする場合、エンターティンメント性の強いものをムービー、アート性・作家性の強いものをシネマと表記するという欧米クリティックの通例に習うならば、まさにこれはシネマというべき作品である。
三池崇史の「スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴ」の公開で広義のウェスタンが注目を集め、映画雑誌などでも特集が組まれたりしているのに便乗して、僕もいくつかウェスタンについて書いてみたいと思い、手始めにこの作品を取り上げてみたのだが、これは今尚、問題作というにふさわしい、日本でのアメリカ映画史の欠落を埋める、重要な1本だといえる。後味の悪い映画だが、例えば三池の好きなセルジオ・コルブッチの「殺しが静かにやってくる」(68)などと比べて、はるかに納得のできる、考えさせられる後味の悪さなのである。
監督はウィリアム・A・ウェルマン、アメリカが゛正義の戦い゛に酔っていた対戦中にこんなものを作るとはガッツがある。先駆者だといってもよい。イーストウッドとは、60年代半ばから親交を結び、それは70年代に他界するまで続いて、イースト・ウッドに色々とアドバイスを与えたとのことだから、セルジオ・レオーネ、ドン・シーゲルと並ぶイースト・ウッドの師だと解釈してよいのではないか。
ウェルマンに付いては、また改めて語りたいと思っているが、ウィルアム・キャメロン・メンジースも先頃、序章を書いたきりであった。書きたいことが多すぎて大変です。メンジースについては近じか、彼の手掛けた西部劇について書きますと予告しておいて、ともかく「午泥棒」、かなりの映画ファンでも未見の人が多いだろうから、まずは必見の問題作といっておこう。
松村清志
更新日 2007年9月8日 『ポール・ヴァーホーヴェンの復活!!「ブラックブック」
8月24日にDVD発売されたポール・ヴァーホーヴェンが故国オランダに帰って撮りあげた最新作「ブラックブック」を大いに楽しんだ。が、DVD特典にはクレームをつけておきたい。情報では特典としてヴァーホーヴェンの来日の時TV特番、海外インタビューなどが収録されているとのことだったのに、何もないではないか!!特典も大いに楽しみにしていたというのに。
本編よりもオマケに惹かれてしまうというのは、オマケ欲しさにキャラメルやスナックを買ってしまう子供みたいで本末転倒かも知れないが、しかし、今や500円の定価格DVDで、映画史上の名作・傑作が(かなりの高率)で手頃に入手出来る時代なのだ。4000円だの5000円だの取るのなら、もっとたくさんオマケをつけて当然だと思ってしまうのだ。それとも、他にプレミアム・エディションの別ヴァージョンも発売されるのかい。聞いてないよーっ。
しかし、気を取り直して、本作について感想を述べれば、面白かった。よかった。そして感動した。やはり野に置けレンゲ草、ハリウッドではバカ映画の巨匠となり作品の不入りも続いて、ついに見切りをつけてオランダに帰ったものの、かつて石もて追われるようにしてオランダを出た男だから大丈夫かと心配もしていたのだが、見事な復活振りである。
ヴァーホーヴェンとしてはかっての「女王陛下の戦死」(78)に次いでのレジスタンスもの、「女王陛下〜」は青春映画でもあったが、これはもっと大人の映画だと思える。大人になったヴァーホーヴェン、である。「スターシップ・トウルパース」(97)は各国で好戦的・タカ派映画と批判されそうだが、そういう人たちは「女王陛下〜」や本作をきちんと観て反省して欲しいものだ。
ヴァーホーヴェン監督作は、アカデミー外国語映画賞にノミネートされた第2作「危険な愛」(73)以降の作品は、どれも日本ではビデオ等で発売されており、僕はすべて見ているが、やはりオランダ時代の方がよかったとは思っていたが、本作は僕としては「危険な愛」と並んで好きなヴァーホーヴェン作品となったといっていい。ヴァンホーヴェン作品として初めて、我が国のベスト・テンにもランク・インするのではあるまいか。
ヒロインは「ネコのミレーヌ」(01)に出ていたネエチャンだが、いい女になった。きれいなオッパイをしている。アンダーヘアを金髪に染めるシーンあたりの下品さも、いかにもヴァーホーヴェンらしくていい。「しみる」あたりも男としては青春時代のインキンを思い出して親しみが持てた。
松村清志
更新日 2007年9月5日 エッセイ
『「風と共に去りぬ」をデザインした男〜ウィリアム・キャメロン・メンジースの世界・序章』
映画史再考、クラシックな作家研究を定期的に書いていきたい。まず手始めにウィリアム・キャメロン・メンジースである。誰その人?といわれそうだが、「風と共に去りぬ」(39)をデザインした男といえば、「おやっ」と関心を持ってもらえるのではないか。
「風と共に去りぬ」の「色彩の使用と劇的な雰囲気の向上において果した傑出した功績」によってアカデミー特別賞を受賞している。「風と共に去りぬ」の、あの画面の持つ圧倒的な力、僕はスカーレット・タイプの女はおよそ好きではないし、初めて観たときは去っていくレッドに喝采したぐらいだが、それでもあの映画をTV放映を含めて5回は観ており、やはりあの作品には見せ(魅せ)ずにはおかないだけの、強烈な映画としての力があるのであり、その第一の功労者といっていいのが、ウィリアム・キャメロン・メンジーズではないかと思われるのだ。
イラストレーター出身、それまでアニメーションものであったストーリー・ボード(シーン毎にすべてのショットの見た目をデザインしたイラスト)を、サイレント時代のラォール・ウォラシュ監督、ダグラス・フェアバンクス主演の「バクダッドの盗賊」(24)において、初めて組織的に実写映画に持ち込み、単に監督の意図に合わせたセット作りをするに留まらず、映画のルック全般に関わる意思決定者として、監督と並ぶステイタスを持つ美術監督という存在を認識させ、今日「プロダクション・デザイナー」と呼ばれる、その呼称が映画史上初めて使用されたのが「風と共に去りぬ」のメンジースに対してであったのだ。
「風と共に去りぬ」でも彼は三千枚以上のストーリー・ボードを用意、ジョージ・キューカー、サム・ウッド、ヴィクター・フレミングら交代した監督の全員がそれに従って撮影を進め、アトランタ火災シーンを始めとして、メンジースが演出したシーンも全体の15%に及んでいるといわれている。
どうです。スゴイ人でしょう。最近、この人の仕事振りに興味を持って、関連作品を6本ほど立て続けに観たので、これから不定期連載形式で書き連ねていきたいと思う。何分資料も少ないので知識不足や間違い等、書くかもしれませんが、そこは読者の皆様からご教示いただければと願います。それでは今回はこの辺で。
松村清志
更新日 2007年9月2日 エッセイ 『アナザー・タイタニック〜「タイタニックの最後」「透明人間」』
「タイタニックの最後」は日本未公開、1953年製作、上映時間98分、モノクロ、スタンダード・サイス゛のアメリカ映画である。監督はマリリン・モンローの「百万長者と結婚する方法」やフレッド・アステアの「足ながおじさん」などで知られるジーン・ネグレスコ、出演はクリフトン・ウェッブ、バーバラ・スタンウィック、ロバート・ワグナー、リチャード・ベースハートなど、この脚本は第26回アカデミー賞を受賞している。脚本はビリー・ワイルダーのシリアスものを多く手掛けているチャールズ・フラケット他3名。
これはジェイムス・キャメロン版に負けるとも劣らない名作である。原題は同じく「タイタニック」、むろんキャメロン版の大掛かりなスペクタクルを体験してしまった後では、ここでのそれはプラモデル級だが、しかし、愛と別離の人間ドラマはきっちりと描き込まれており、どちらかといえば10代向けのラブ・スチーリーの側面の強かったキャメロン版より、こちらの方が精神年齢は高いのではないかとさえ思えるほどだ。
キャメロン版を初めてとして、いくつかの映画に影響を与えたふしもうかがえる。ここでの、スタンアィックの18歳の娘とロバート・ワグナーの大学生との恋は、ウィンストレットとディカプリオの原型となっているといってよいであろう。若き日のワグナーはかって大女優のベティ・ディヴィスによって「世界一セクシーな男」といわれたことがうなづけるほどのナイス・ガイぶりだ。2人がアカペラの歌声に乗って甲板でダンスを踊るシーンは、アステアを演出したネグレスコの面目躍如の楽しさだ。
フェリーニの「道」の゛キ印゛役で有名なベーストハートの破門された牧師のキャラクターもいい。゛キ印゛と同じような台詞を口にするし、フェリーニは本作を観て彼の起用を決めたのではないかと思ったほどだ。その彼が意外な勇気を示すあたり、「ポセイドン・アドベンチャー」のジーン・ハックマンの牧師の原型はここに熱田といっていいだろう。
そして、やはり主演といっていい2人、バーバラ・スタンウィックとクリフトン・ウェッブの微妙な夫婦関係と、スタンウィック10歳の息子の凛々しさが感動的だ。キャメロン版では泣かなかった僕もこれには泣けた。
そんなわけで、キャメロン版で大泣きした女性はもちろん、キャメロン版をさほど評価できないという男性にもオススメしたい(日本では)知られざる名作なのである。
レンタル店でも探せば置いてあるだろうが、「水野晴郎のDVDで観る世界名作映画」の1本として定価500円で入手出来るので、買ってしまってもよいのではないか。安かろう悪かろうではなく、画質はニュープリントのように鮮明である。全くこんなものを出してくれるからいかにお笑い芸人化しようとも、水野先生は尊敬に値する。ヒツチコックやオーソン・ウェルズの「上海から来た女」などを僕達が、ともかくスクリーンで観ることが出来たのも先生のお陰なのだ。
さて、「透明人間」は「フランケンシュタイン」のというより今や「ゴット&モンスター」のといったほうが通りがいいのであろうジェームス・ホエール監督によるH・G・ウエルズの古典SFの映画化である。1932年製作、上映時間77分、モノクロ、スタンダード「フランケンシュタイン」や「フランケンシュタインの花嫁」は、80年代以降も何度か日本のスクリーンで上映されていたが、これはおそらく50年以上も日本のスクリーンでは観られなかったのではあるまいか。何とも貴重なSF・怪奇映画研究にはかかせない1本である。僕は「フランケンシュタイン」より面白かった。
「カサブランカ」の警察署長役などで知られるクロード・レインズの映画デビュー作である。全篇、包帯にサングラスの洋服を着たミイラ男状態か、声はすれ度も姿は見えずのままで、素顔をスクリーンにさらすのはラスト・ショットのみという、何ともユニークなデビュー振りで、意表をついた新人売り出し作戦とはいえようが、この趣向はブラッド・ピットやジョニー・デップのようなルックスの持ち主ならともかく、レインズではさほど効果を上げてはいない。
で、何でこれがアナザー・タイタニックなのかというと、本作のヒロイン、グロリア・スチュアートこそ、あのキャメロン版「タイタニック」のおばあちゃんなのである。本作以外、どこでも名前を見かけたことがないような女優さんを起用するあたり、きっとキャメロンはこの映画のファンだったのではあるまいか。
本作も、水野先生監修ではないが500円のセルDVDで気軽に入手出来る。
それにしても透明人間で裸にならなければ何の力もないわけで、結構マヌケだね。突き詰めれば゛痴漢透明人間゛にしかならないあたりが、さほど多く映画化されていない要因だろうか。やはり透明男より透明女で、時々薬が切れて姿が見えるというのが最高かなと書いていたら「ファンタスティック・フォー2」のインヴィジブル・ウーマン、ジェシカ・アルパとの再会が楽しみになってきた。
松村清志
更新日 2007年8月26日 エッセイ 本 「上海からきた女」
オーソン・ウェルズ、監督・主演のカルトなノワール、《ポケミス名画座》にて待望の本邦初訳である。小説としての読み応えでは、これまでの《ポケミス名画座》の中でも1、2を争う面白さである。これまで訳されていなかったことが何とも理不尽に思える。もっとも映画の方も製作30年後にやっと日本公開されたのだから致し方ないのか。
映画と原作との一番大きな違いはヒロインが上海から来たという設定がないということだ。したがって、映画のクライマックスであるミラー・ハウスでの対決はない。
だが、主人公が犯罪に巻き込まれジワジワと逃げ場のない立場に追い詰められていくというサスペンスは、映画以上に明確に描き込まれており、犯人も真相も知っていたはずなのに、ハラハラドキドと読まされてしまった。くり返すが小説としての水準は高い。
原題は「IF I DIE BEFORE I
WAKE」(目覚める前に死んでしまうかも知れない)という映画の決め台詞がそのまま原題となっているわけだ。得体の知れない悪夢の迷路の中を彷徨っているな感触は映画と共通している。その迷路のような感触を鏡の迷路にまとめ上げたのはウエルズの卓抜な映画的アレンジであつたのだと讃えられてよいだろう。
だが、より原作に近いオーソドックスなサスペンスとして映画化されていても、充分鑑賞に堪えうる作品となっていただろうとも思わせる。再注目、再映画化の価値ある原作なのである。作者のシャーウッド・キングはペン・ネーム、本名はシェリー・キング、女性なのである。主人公とヒロインが詩を引用しながら心を通わせていくあたりのロマンティックなムードは、なるほど女流作家だなと感じられた。
オーソン・ウェルズが嫌いでも楽しめる小説である。一読の価値アリ、とオススメしたい。
松村清志
著者・シャーウッド・キング
訳者・尾之上浩司
発行・早川書房
定価・1000円+消費税
更新日 2007年8月26日 エッセイ 『「D・O・A デッド・オア・アライブ」とJ・F・ロートン』
8月3日にDVD発売された「D・O・A デッド・オア・アライブ」を楽しんだ。デヴォン青木をはじめとする姉ちゃん達が、孤島を舞台に異種格闘技を繰り広げる美闘女映画だが、その闘いのスタイルのメインはクンフーとチャンバラというアジアン・テイスト満載のエンターティントメントである。
わずか86分に゙燃え゛と゛萌え゛をたっぷりつめこんだ濃すぎる内容、「チャーリーズ・エンジェルス」などより、だんぜん大好きだ。脚本がなんとうれしいJ・F・ロートンじゃないか。お久しぶりです。頑張ってるぜ。この人、95年に公開されたエキゾチック・ジャパン・アクションの「ハンテッド」を脚本・監督していた人である。後にウィリアム・フリードキン監督、トミー・リー・ジョーンズ主演の映画もあつたが、僕の好きな方はクリストファー・ランバード、ジョアン・チェン、ジョン・ローン、原田芳雄による、現代ニッポンでニンジャ軍団と派手なチャンバラを繰り広げるトンデモ・アクションで、疾走する新幹線内でのチャンバラが特に見物となっていた。
J・F・ロートンって元々はかのジュリアン・ロバーツの「プリティ・ウーマン」で大成功を収めたんだが、日本のチャンバラ映画が大好きで、自分も撮りたくなって「ハンテッド」を撮ってしまったのである。
「「プリティ〜」路線で進んでいれば、もっと出世できただろうに、好きなことしかやらないという心意気やよし、である。
この人は、いずれまた日本に来ると噂になっているジェイムス・ボンド映画を手掛けて欲しい。「プリティ・ウーマン」の人だからラブ・ストーリーはきっちり書けるはずだし、スティーブン・セガール映画の中ではかなり面白かった「暴走特急」もこの人の脚本であった。期待できるのではないか。
「D・O・A」はアクションだけではなく、ビキニのビーチ・バレーやブラジャーの空中投げのシーンなどには、そこはかとなく企画者アダルト・メーカー、ソフト・オン・デマンドのようなテイストも感じられ、セクシーでもありました。大いに楽しんで2回続けて観てしまったぜい。アホか。
松村清志
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今後とも宜しくお願い致します。
ムービーオン管理者 松村清志
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