"MOVIE ON ービーオン

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2009年 vol.2

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女優・作家・元歌手・フランス映画中心評論 水島裕子さん 復帰致しました。

プレス広告掲載再開

山田洋次監督作『おとうと』(松竹)2010年1月 30日(土)ロードショー

♪ おーてーてー、つうーないでー、のーみいーちーを、ゆーけーばー。

(写真・松竹+CINEMA EGGコラボ広告)

最新記事順次掲載

次回 最近作『黄金花−秘すれば花、死すれば蝶』水島裕子・著 11月21日公開作

ネタバレビュー『スラムドッグ$ミリオネア』★★★☆ 松村清志

更新日  2009年11月8日 最近作『ジャック・メスリーヌ』
水島裕子

 最近最も楽しみにしていた映画だ。予想を裏切らない、どころかそれ以上の作品だった。
 ジャック・メスリーヌというのは、フランスで社会の敵ナンバー1と呼ばれていた男、20世紀、世界で最も有名なギャングの一人だ。
 1960〜70年代にかけての物語だ。彼は金を奪うが、それは銀行や金持ちからのみだ。男と男の絆を一番に考え、裏切り者には容赦ない。女には限りない愛を注ぎ、女からも限りなく愛された。 <千の顔持つ男>と呼ばれる程の変装の名人で、刑務所に入っても何度も脱獄した。政治や思想闘争に揺れ動いていた時代だ。フランスとカナダ、この大西洋を挟んだ2つの大陸でセンセーショナルな話題を振り撒く彼はある意味、英雄視されてもいたのかも知れない。それに浸る感を持ちながらも、彼は「犯罪社会にヒーローはいない」という醒めきった考えの持ち主でもあった。
 本作は2部構成に成っている。Part1[ノワール編]は、1959年に彼がアルジェリア戦争から戻り、ギャングになり、カナダへ逃亡、入獄、驚異の脱獄を描く。
 Part2[ルージュ編]は、フランスへ帰り、銀行強盗、誘拐、脱獄の後、1979年11月2日にパリはクリニャンクールで警官隊の銃撃により壮絶な最期を遂げる迄を描く。
 どちらも二時間前後の長さだが、全く気にならない程、どんどん続きを知りたくなる進行になっている。
 まず、キャストが凄い。主役のヴァンサン・カッセルはジャックの約20年間を演じる為に、20キロ増量して望んだ。凄味と優しさの極端さが魅力だ。彼をはじめとして、男優がいい。ギャングのボスのジェラール・ドパルデュー、脱獄王のマチュー・アマルリック、相棒のサミュエル・ルビアン、警視のオリヴィエ・グルメ、それから特に、最期の共犯者ジェラール・ランバン。夢の共演が信じられない程の相乗効果を上げていると思う。やはり、「男」の映画なのだろうか。女優の演じ方も面白い。1部のヒロインは、『スパニッシュ・アパートメント』のセシル・ド・フランス、2部のそれは、『スイミング・プール』のリュディヴィーヌ・サニエ。二人とも人気女優で私も大好きだ。そんな注目の二人が共演すると見せかけて、同じシーンが無い。それでいて、ジャックを愛し愛された女として、どこか共通点を匂わせているのだ。というのは考え過ぎだろうか。
(11月、全国ロードショー)

更新日  2009年11月8日 最近作『ファイナル・デス・ゲーム』
水島裕子

 この作品の特殊メイクアップアーティストは、『ヘル・ボーイ』『パンスズ・ラビリンス』『パフューム ある人殺しの物語』『永遠の子供たち』も手懸けているという。それで思ったけれど、恐い映画が別に好きではない私が好きなそういった映画は、全部スペイン映画というか、スペイン絡みの作品ばかりだ。理由は判らないが、何故か惹かれる世界観があるのだろう。
 この映画の恐怖も魔女狩りが頻繁に行われていた15世紀のスペインに起因する。
 始まりは、スペイン北西部のビーチリゾート。冴え渡る空に白い砂、派手で大胆な水着姿の若い男女で海辺はごった返している。サーフィンに昴じている者もいる。ナンパな恋が幾つも始まりそうな勢いだ。
アメリカ人の大学生ジェイソンは、友人でカメラマンのトマス達と、この地でバカンスを満喫していた。海で過ごした後、日が沈みかけたら、カフェやバーで体を休める。女の子を調達して、夜の楽しみを迎える。そんな束の間の事、女の子の買い物に付き合う友達を退屈に思い、ジェイソンはふと横丁の商店に入った。買うつもりも無く、行き当たりばったりに店に入ってみるのは楽しい。誰もがした事があるだろう。彼が入ったのは骨董屋だった。が、そこが普通のそれとは違っていたのを彼が知るのはずっと後の事だった。そこには、車椅子の店主マリックが居て、親しみ安いジェイソンを気に入ったのか、商品を一つプレゼントしてくれると言う。”マンバ”と呼ばれる古いボードゲームだった。
 ジェイソンは、ビーチで出会った美しい女性エリカをパーティに誘う。ジェイソンとエリカ、トマスとその恋人リサ、サーフィン仲間のミゲル、パブロ、エレーナの七人で盛り上がっている中、このゲームを思い出し、始めてしまう。自分達の運命を一変してしまう恐ろしいゲームとは知らずに。
  同じ頃、刑事イサルは、顔面の皮を生きたまま剥がされた死体、掛けから落ち、目玉をくり抜かれた死体等、連続怪奇殺人事件の真相を追っていた。
 このゲームには、残酷な拷問の後、火炙りにされた魔女の呪いが込められていた。ゲームに勝てば願いが一つ叶うが、負ければゲームに示された災いが現実のものとなるのだ。
 スペイン風ホラーを是非、どうぞ。
(11月7日公開。銀座シネパトス他にて公開)

更新日  2009年10月26日 TIFF2009授賞一覧

We are the member of "TIFF".  Action for Earth.

私達は東京国際映画祭を応援しています!!  地球の為に動き出す。

Move it Your heart gently now.  Would you like it action to do with your think a face for your future.

心も豊かに。 未来に関心を。 (シネマエッグ&ムービーオン)

Motion pictures having that power,it will can be change peoples in Action!

映画には、人を変える力がある。

Peoples having that power,it will can be change for Earth.

人には、地球を変える力がある。

Action! for Earth.

動こう! 地球の為に。

"TIFF" - "CINEMA EGG" - "MOVIE ON"  東京国際映画祭

いよいよ週末〜開催

メジャー注目作品群
ACACIA (Japan)アントニオ猪木
アバター・スペシャル・プレゼンテーション (USA)3D
曲がれ!スプーン (Japan)下北沢演劇コメディ
カールじいさんの空とぶ家 (USA)オスカー最有力アニメ
バーリア (Italy)トルナトーレ監督最新作
二つのロザリオ (Turkey)人情コメディ劇
クリエイション ダーウィンの幻想 (UK)

●祝・受賞作品●

東京サクラグランプリ:『イースタン・プレイ』監督:カメン・カレフ
審査員特別賞:『激情』監督:セバスチャン・コルデロ
観客賞:『少年トロツキー』監督:ジェイコブ・ティアニー
TOYOTA earth Grand Prix:『WOLF 狼』 監督:ニコラ・ヴァニエ
最優秀アジア映画賞:『旅人』 監督:ウニー・ルコント
アジア映画賞スペシャルメンション:『私は太陽を見た』監督:マフスン・クルムズギュル
アジア映画賞特別功労賞:ヤスミン・アフマド
日本映画・ある視点、作品賞:『ライブテープ』監督:松江哲明

更新日  2009年10月18日 未公開『レディ・エージェント』
水島裕子

 フランスの人気大作映画を紹介しようと思ったが、それは来月に廻して、急遽、今月DVDリリースされたこの作品について書こう。観ている間、ずっと悲しくて、最後は感動に満ちている。1998年にフランス映画祭で公開された時は、『暗闇の女たち』というタイトルだった。俳優、スタッフ、規模と大変選れているのに、何故日本公開が無かったのだろう、とフランス映画ファンらしき疑問で頭の中が一杯だ。
 監督は、『ルパン』『裏切りの闇で眠れ』等エンターテインメントが得意なジャン=ポール・サロメ。女優達が凄い。主役クラスが4人も共演している。ヒロインに『ラ・ブーム』以来息の長い活躍のソフィー・マルソー。彼女の任務に協力するのが、ジェラール・ドパルデューの娘で数々の作品に出演しているジュリー・ドパルデュー。『ある子供』『譜めくりの女』とミステリアスな役が印象的で若いデボラ・フランソワ。また、今回、これまでと全く違うキャラクターを見せてくれているのが、やはり若い頃から人気な『美しき運命の傷痕』のマリー・ジランだ。第二次世界大戦時の話なので、英語やドイツ語も混ざり、そのせいもあってか男優は一人も観たことがある人がいないのも、新鮮だった。
 実話を基にしたストーリーだ。ノルマンディー上陸作戦を成功に導いた理由の一つに、過酷な任務をやり通した数人の勇気ある女性達の存在がある。
  ルイーズ(ソフィー・マルソー)は、夫をナチスに殺され、今はロンドンへ亡命、諜報・破壊工作秘密機関のメンバーだ。最初の指令は、捕らわれた上陸作戦に関わる英国諜報員を救い出すというものだった。男性だったら誰でも誘惑されたい程美しいキャバレーの踊り子、爆弾専門の化学者、男を殺して服役中の売春婦を仲間に作戦を開始する。それが上手くいったらイギリスに戻れると言われて請け負ったのに、途中から話が違ってくる。彼女達全員はパリへ向かう事を余儀なくされてしまう。次の指令は、ナチの諜報活動大作を仕切るハインドリッヒ大佐の暗殺だ。それは、彼女達に「死ね」と告げているに等しい任務だった。
 女優一人一人が、戦火の中の女性の悲しみを個性的に表現している。DVDだから、自宅で観た。時間の都合で二日に分けて観たのだが、その間の時間はずっと悲しい気持ちが続いた。一気に観るのがオススメだ。
(10月2日リリース。販売元/インターフィルム)

更新日  2009年10月14日 未公開ニュークラシック『愛のそよ風』★★☆
松村清志

 1973年度作品、制作ロバート・デイリー、制作補・脚本ジョー・ハイムズ、音楽ミッシェル・ルグラン、監督クリント・イーストウッド、出演ウィリアム・ホールデン、ケイ・レンツ、 カラー、ヴィスタ・サイズ、上映時間107分。

 クリント・イーストウッド監督作品としては唯一の日本劇場未公開作で有る。監督第3作目にして初の監督専念作。初老の裕福な男とその日暮らしのヒッピーの少女とのラブ・ストーリーだ。取りあえず愛すべき小品だと言ってしまおうか。
 『恐怖のメロディ』(71)のジョー・ハイムズがイーストウッドを主役に想定して書いた脚本を、当時43歳のイーストウッドが自分では若すぎるからと、当時55歳のウィリアム・ホールデンに演じさせて、自身は監督のみに徹した訳だが、出来れば全盛期のハリウッド映画の様に−、例えばジョン・ウェインが『赤い河』(48)『黄色いリボン』(49)でそうした様に−、老けメイクでイーストウッド自身に演じて欲しかった。その方が本作はもっと良くなっていただろうと思った。
 バレバレの老けメイクというのは一種のギャグだから、自ずとユーモアが加わるし、”老い”を演じてはいても実物はもっと若いという観ている側の安心感が作品にゆとりをもたらすのである。イーストウッドが老けメイクで演じていれば、この作品はもっと恋愛コメディ的な豊かなニュアンスを持つ事が出来たのではないだろうか。ラスト・シーンもセカンド・ライフの希望感がより強いものとなっていたのではないか。
 ウィリアム・ホールデンは『ワイルド・バンチ』(69)で復活し、本作の後も『タワーリング・インフェルノ』(74)『ネットワーク』(76)で最後の輝きを見せる訳だが、やはり同年代頃のケーリー・グラントやジェームス・スチュアート等と言ったスター達と比較して、あまりに急激に老け込んだ印象が強く、いささか痛々しいのである。
 タイトル・ロールのケイ・レンツも凡そパッとしない。実年齢が若いというだけでスター性は無い。事実、本作のみでほぼ消えてしまった様だし。仮に、実年齢は少し上がっても、もっとブリリアントな女優を選択すべきではなかったか。
 そんな訳で、キャスティングがいささか弱く(脇役は他の映画では観た覚えの無い顔ぶればかりだ)、今一歩の出来になってしまているが、「大人なんていない。ただ年を取るだけだ。」という身に詰まらされるセリフがあり、1年間を長いと感じられる世代と短いと感じる世代との違いを、実感出来る年齢になってしまった僕としては、本作に、失敗作と切って捨てるには惜しい魅力を感じてしまうのである。愛すべき小品といった由縁である。少なくとも僕の心の中にはかすかな風が吹いてくるのが感じられた。原題の『ブリージー』は「ヒロインの名前」と「そよ風のような」と言う意味を重ねたダブル・ミーニングである。

  アラン&マリリン・バーグマン作詞、ミッシェル・ルグラン作曲という、『華麗なる賭け』(68)の主題歌「風のささやき」コンビ(トリオ?)による主題歌も、「風の・・・」と迄は言わないが、充分、佳作曲である。

『華麗なる賭け』初公開時発売サントラ歌唱盤 (写真協力・CINEMA EGG)

更新日  2009年10月12日 最近作『ドゥーニャとデイジー』
水島裕子

 大人になりかけた年齢の少女の二人のロードムービーなのだが、それだけに留まらない新鮮な発見があった。
 オープニングから、可愛いモノがいっぱい出てきて、”可愛いモノ好き”女性は興奮してしまうと思う。故に、そういう人にしか勧められない映画かなとも感じてしまった。ところがそれが大違いで、飛行機に乗る手間を省いて海外旅行に行った様なお得感が得られる。
 始まりは、オランダのアムステルダム、エンディングは、モロッコ。私はその国のどちらにも行った事が無く、それらの国を映像で観る事が出来る、というだけで嬉しくなってしまう。そう思えるのは、この作品が、女の子の友情を通して両国の美しい景色や文化の違い、問題点等をユーモラスを交えて語ってくれているからだろう。
 アムステルダムで暮らすモロッコ人のドゥーニャ(マリアム・ハッソーニ)は、今日で18歳に成る。厳格なイスラム教徒の家庭で育った。親友のデイジー(エヴァ・ヴァンダー・ウェイデーヴェン)は、奔放で直情型の生粋のオランダ娘という、まるで逆のタイプだ。
 ドゥーニャの母親は、派手で遊び人のデイジーの事を良く思っていない。ところが、誕生日のその日もドゥーニャはデイジーと過ごし、彼女からのバースデープレゼントである車の運転教習を楽しんでいた。
 ドゥーニャの家では、お祝いパーティの為のモロッコから親戚が集っていた。この国の習慣なのか? 本人の居ない所で本人が会った事も無い従兄弟とのお見合いを勝手に決めている。ドゥーニャは、もちろん反対だ。大学へ上がって勉強したい。
 一方のデイジーは、教習所の教官との子供を妊娠してしまった。相手は喜んでいない。シングルマザーに育てられた彼女は中絶した方がいいものか、迷う。
 彼女達は、別々にモロッコに向かう事になる。ドゥーニャは、嫌々ながらも断り切れないお見合いの為か。現地に家を建てているので引っ越しかも知れない。デイジーは、カサブランカに住むという実父との面会を目指す。
 本作は、ダネ・ネクスタンという女性監督の作品だ。同名で同じ女優が主人公のテレビドラマとして二年間続いた。その映画化で、2008年度アカデミー外国語映画賞オランダ代表作にも選ばれている。
(11月7日公開。新宿K’s cinema他にて。)

更新日  2009年10月12日 エッセイ『『イングロリアス・バスターズ』の公開に合わせてディミトリ・ティオムキンを擁護する』
松村清志

 タランティーノの新作『イングロリアス・バスターズ』で主題歌の様に使用されているのがディミトリ・ティオムキンの「遙かなるアラモ」である。21世紀の最近作の映画音楽としてティオムキンがスクリーンに帰って来た事を視してティオムキンを擁護してみたい。
 擁護する迄も無くティオムキンは映画音楽の”王道”ではないか、と言う声が聞こえてきそうだが、実はこの人、90年代初頭(もう20年近く前になってしまったのか!)に中央公論社から発行された淀川長治・蓮寛重彦・山田宏一の3者のトークをまとめた本−「映画千一夜」だったか「映画となると話はどこからでも始まる」だったか手元にその本が現在無いので確認はしていないが、−この中で、このお3方によって酷評されているのである。
 それを読んで僕は唖然とした。同時にこれがそのまま鵜呑みにされて、70年代以降に生まれた世代にティオムキン=ダメ映画音楽家という説が流布してしまっては困る、よし俺が弁護するぞと使命感が頭をもたげて来た訳なのだ。
 このお3方を僕は好きだし、その本音トークも色々と共感出来るものが多いのだが、その発言の中でまったく納得出来なかったのが、このティオムキン・パッシングであった。何しろ大御所3人だから、烙印を押されてしまった様なものだが、このティオムキン・パッシングは断固偏見、あるいは間違いだと言ってみたい。
 そもそも、ハワード・ホークスやジョン・ウェインが大好きな蓮寛や山田が何故、ティオムキンを批判するのか理解出来ないのである。
 言う迄も無く『アラモ』(60)はティオムキンだし、ハワード・ホークスの『赤い河』(48)『果てしなき蒼空』(52)『リオ・ブラボー』(59)もティオムキンだ。ヒッチコックの『疑惑の影』(42)『見知らぬ乗客』(51)『私は告白する』(52)『ダイヤルMを廻せ!』(54)もティオムキンだ。としても重要ないい仕事を残した映画音楽家なのである。
 あるいは同時代的にはロシア人が本名で−、ルイス・マイルストンやサム・ジャッフエ等改名した人も多いと言うのに−、アメリカの国民的ジャンル、西部劇を手掛けた事への反発とか−、日本の時代劇映画の音楽を金正日という名前が手掛ける様なものか?−、3分程の主題歌を作ってヒットさせ印税でガツポリ儲けると言う商売上手とか、晩年は祖国に帰ってしまったアメリカ愛の少なさとか、チャイコフスキーの伝記映画をプロデュースする様な権威主義的な所とか、色々と批判される要素はあったのだろうが、その事と映画音楽家としての業績の評価は別なはずだ。
 重要なポイントを一つ。フレッド・ジンネマン『真昼の決闘』(52)の情けない保安官像にハワード・ホークスが腹を立てその反論として『リオ・ブラボー』(59)を作ったのは有名な話だか、両作共に音楽を担当しているのはティオムキンなのである。異なるどちらの陣営でもきちんとした仕事をする、これぞ誠のプロフェッショナリズムではあるまいか。
 ティオムキンがエンニオ・モリコーネに大きな影響を与えているのは言う迄も無いが、もう一人ジョン・ウィリアムスを忘れてはなるまい。ティオムキンの『ナバロンの要塞』(66)の音楽助手に就いて居たのが駆け出し時代のジョン・ウィリアムスで、ウィリアムスがテイオムキンから多くを学んだ事は、’07年に発売された『ナバロンの要塞』コレクターズ・エディションの特典等でも確認出来るはずだ。
 そんな訳で、エンニオ・モリコーネとジョン・ウイリアムスという2大巨匠に迄多大な影響を与えたディミトリ・ティオムキンはやはり偉大な映画音楽家なのである。虚心に耳を澄まして欲しい。私、”ティオムキンの味方です”と書いて締めくくるとしよう。

P.S.
 最近出版された山田宏一・和田誠の「ヒツチコックに進路を取れ」(草思社刊)の中では山田のティオムキンに対する見解が修正されていて安心した。

"酔いどれ状態で"歌唱演奏の録音テイク版がレコード化!!

 "素面(しらふ)で切ない男心を"歌唱演奏の録音テイク版が劇中サントラに採用!! -CINEMA EGG編集長-

『真昼の決闘』リバイバル公開時発売テックス・リッター盤 (写真協力・CINEMA EGG)

更新日  2009年10月11日 最近作『PUSH 光と闇の能力者』
水島裕子

 超能力にはまるで興味がないので、
たまたま観た超能力者の話の本作がとても良かったのは、大きな見つけ物の様に感じた。
 あの『ダークナイト』と同じ時期に香港で撮影したという。そちらが道を全部閉鎖、一般人を追い出しての撮影だったのと対照的に本作は、香港映画を撮る様にゲリラ的に撮影された。
 第二次世界大戦直後に、アメリカとソ連の政府関係機関で、情報収集の為に超能力者を使用するアイディアが確立された。これは、この映画の中の事では無い。事実だ。それは、ケネディ暗殺やベルリンの壁崩壊等、数々の歴史的事件に関与してきたとも言われている。
 そこからヒントを受けて、この映画が作られた。
 第二次世界大戦時より、”ディヴィジョン”の名で知られる謎の政府機関が、特殊能力者を集め、育成していた。それから時は過ぎ、現在は彼らの子供達、第二世代の活躍が望まれる。ところが、自分の親が特殊な能力を持つ事を知らない者ばかりで、自分はそれを受け継いでいる事を知らされていないか、気付いてもその能力は弱まっていたりする。
 ”ディヴィジョン”達は、それぞれ能力が違う。ニック(クリス・エヴァンス)は、<ムーバー>、念動力を持つ第二世代だ。10年前、”ディヴィジョン”に父親を殺されて以来、人工密度の高い香港で身を隠すかの様な暮らしをしていた。そこへ、<ウォッチャー>と呼ばれる未来予知の力を持つ13歳のキャッシー(ダコタ・ファニング)が突然訪れて来た。600万ドル入りの”ケース”とそれを持った女を一緒に探して欲しいというのだ。
 ワケも判らないまま断るニックだったが、キャッシーと接触した時点で、自らも”ディヴィジョン”に命を狙われている事を知る。”ディヴィジョン”のリーダーで自身も<プッシャー>という他人に異なる記憶を押し込む能力のあるヘンリー(ジャイモン・フンスー)もその女の足取りを追っていた。
 能力の種類が9個も有るので、説明すると複雑な印象を持たれてしまいそうだから省くが、まるで逆だ。シンプルで楽しめる。
 特殊な能力を持つ個性的な人が沢山出てくるのに、主役の二人をはじめとして、皆、地に足が着いていて魅力的である。風水で、ドラゴンの巣(驚異的な事が可能な場所)と言われる香港の地も、物語を引き立てる。
(11月7日公開。新宿ピカデリー、丸の内ピカデリー他にて。)

更新日  2009年9月27日 ネタバレビュー『パッセンジャーズ』★★☆
松村清志

 劇場公開作のDVDリリースに合わせてのネタバレ含みの批評です。未見の方は観賞後にお読み下さい。

 前回書いた『マンマ・ミーア!』は別にネタバレと言う程のものではなかったが、今回は本当にネタバレである。


 柳の下にドジョウを何匹出せば気が済むのか映画人。率直に言ってこのアイディアはもういい、と思う。暫くは使わないで欲しいという気がする。この手を使った映画を続けて作られると、批評を書く方も困ってしまうのである。
 おそらくは60年代ぐらいから何本も作られており、既に1つのジャンルを形成する程の本数が在るのではないか、ネタバレに成ってしまうので映画雑誌で特集を組んだりは出来ないだろうが。

 この手を使った作品として、先行する作品群と比べての本作の大きな特色と言っていいと思うのは、恋愛映画の比重が大きい、という事だろう。音楽の使用法もサスペンス的より、ラブ・ロマンス的に比重を置いている。”天国に結ぶ恋”と言うやつである。
 こう書けば先行する作品名を出さなくても判るであろう。ラストでヨットに乗った2人は新世界へ船出して行くのである。
 ”スピリチュアル・ラブ・ストーリー”として、そこそこは楽しめる。どちらかと言えば女性向けの映画と言う事になるであろう。新種のドンデン返しや、サスペンスとスリラーとアクションを期待した男性は怒るかも知れない。
 只、この展開にするのなら、アン・ハサウェイは最初からあまり魅力的に映さない方が良かったと思う。ダサダサ・ファッションとブス・メイクのキャリア・ウーマンが魅力的に変貌して行くという見せ方をした方が良かったのではないか。

 監督は『彼女を見ればわかること』の人である。川本三郎はそれをモジって『映画を見ればわかること』という本を出しているが、本作を観ても判らない事も幾つかあった。
 オープニングの飛行機にアン・ハサウェイをきちんと乗せて欲しかった。顔は見せられなくても、服装や髪型や後ろ姿等で、彼女だと判別出来る1ショットが欲しかった。僕の観落としでは無いはずだ。
 彼女がデビット・モースに詰め寄る空港ロビーのギャラリーの人々は、こちら側なのか、あちら側なのか、良く判らなかったし、彼女の姉との確執も特に必要なかったのではないか。
 それでも、舞台となる”天上のバンクーバー”の情緒的なたたずまいは、あちら側の世界も悪くないのではと言う気にさせられる点では、この手の作品の中では一番かとも感じたし、アン・ハサウェイの魅力で星半分オマケしておこう。
 だが、本当にこの手を使った作品はもう当分作らないで欲しい。「うっかり観てると騙される」等と書くと、こちらが読者を騙す事に成ってしまうので。
 

更新日  2009年9月20日 最近作『ファッションが教えてくれること』
水島裕子

 『プラダを着た悪魔』のモデルとも言われる、アメリカ版ヴォーグの編集長を20年に渡って努めているアナ・ウィンターを追ったドキュメンタリーだ。
 これを観た後に、まず疑問に思った事がある。「ヴォーグ」というファッション誌は世界的に、日本人にとってどんな認識なのだろうか?
 私は中学の頃から、アメリカに住んでいた伯母が定期講読的を申し込んで送ってくれていた「セブンティーン」が大好きで、日々の一番の楽しみだった。写真、ファッション、ヘアスタイルから紙の質まで、全部好きだった。時が経て、いつの時期からかは忘れてしまったが、送ってくれる雑誌は「セブンティーン」から「ヴォーグ」に変わった。写真もファッションも更にヴァージョンアップした感じで、また、私もそうゆうのが判る年齢に成ったせいかも知れないが、読み続け、ずっと好きなままだ。故に、私は凄く影響を受けている。雑誌名を聞くだけで、ときめく程である。だから、この作品はその裏側を知る上でも大変興味深かった。
 アナ・ウィンターは、1970年にロンドンにて「ハーパース&クィーン」のファッション局から、そのキャリアをスタートさせた。1976年にニューヨークに移り、「ハーパース・バザー」のファッションエディターを経て、1986年にイギリスに戻り、イギリス版ヴォーグの編集長になる。後、1988年にアメリカ版ヴォーグの編集長と成り、現在に至っている。それだけでなく、チャリティや人材育成の為の資金調達にも積極的に取り組む。
 そんな彼女の、2007年をカメラは追う。「ヴォーグ」は、毎年秋にファション特大号を作る。この月の号だけ、いつも極端に分厚い。その締め切り5ヶ月前の事だ。一年で最も重要な号の準備にアナは大忙しだ。白い壁に若干の写真の入った進行表が並んでいる。編集者達は、自分の企画がアナにどう思われ、採用してもらえるかを胃が痛くなりそうな気分で待つ。やはり、ファッション業界で最も力を持つと言われているアナの周りには、ユニークな人々が沢山集まっては、日々、鋭い感性をぶつけ合っている。この号のメインは表紙も兼ねてシエナ・ミラーの採用を決めたが、そのエピソードだけでも創作の大変さが判る。実の娘とのやりとりと、アナが応援しているタイ人の新進デザイナーとのシーンが特に心に残る。
(11月7日公開。新宿バルト9他にて)
 

更新日  2009年9月16日 最近作『ファイティング・シェフ 美食オリンピックへの道』
水島裕子

サブタイトルが示す通り、二年に一度開催される、フランスの料理のオリンピック”ボキューズ・ドール”に出場する或るシェフを映したドキュメンタリーだ。料理が好きな人には、とても刺激的な作品となると思う。
 この賞の名誉にも成っているポール・ボキューズは”世界一有名なシェフ”と言われている。1926年、リヨン郊外に生まれる。17世紀まで遡る料理人の家計出身で、1965年に獲得した3ツ星を現在に至るまで、40年以上維持している。
 そんな彼が、1987年、国際料理コンクールを設立、フランスはリヨンで開催される。世界中でフランス料理の登龍門としての役割を果しているそうだ。毎回違った肉と魚のテーマ食材が与えられ、肉と魚のプレートをそれぞれ1つ、更に3品の付け合わせを5時間半の制限時間で完成させる。予選があり、それを突破した24か国が本選で競い合うのだ。
 この年の食材も立派な登場人物だから、紹介しよう。3つある。まずは、フランス・ブレス産の鶏肉だ。細かい規則の基に育てられたその鶏は鶏冠の赤、ハネの白、足のブルーとフランス国旗の色なのが特徴なのだそうだ。続いて、ノルウェー産のオヒョウ。カレイがよく似た大型の海水魚だというが、見た事がない。青い。3つ目は、ノルウェー産のタラバガニ。とは言っても実際は「カニ」では無く、ヤドカリの仲間の甲殻類だ。広げると1メートルにも成り、刺が多くイカついが、身は厚く甘い。
 この作品は、そこへスペイン料理界の期待を背負って挑む若手シェフ、ヘスース・アルマグロを追う。日本や中国も参加していて、フランス料理とは言っても、それぞれの国の食文化を尊重している様だ。
 ヘスースは、本選出場が決まって以来、アシスタントと共に入念に準備を重ねていた。同僚のシェフや関係者に試食をしてもらい、アドバイスを受ける。考えられない程の試作を繰り返した後、本選が始まる。ライバルは、過去5回の優勝国、フランス代表のファブリス・デヴァン。日本代表は長谷川幸太郎氏だ。
 食材、調理の手つき、出来上がった作品の見た目の美しさ等、目で楽しめる場面が沢山、と言うよりも、全編そうだ。味を知る事が出来ないが、料理の参考にも成りそうだ。
 大会の後にスペインに戻ってからのヘスースも微笑ましい。ヨーロッパで大ヒットしたというのも納得だ。
(秋公開。TOHOシネマズ シャンテにて。)

更新日  2009年9月16日 最近作『母なる証明』
水島裕子

 これは、女優を観るための映画だと思う。
 最愛の息子が殺人容疑で逮捕された時、母は必死の想いで無実である事を証明する。というのは、誰もが理解出来る行為だ。他の映画や小説等でも既に幾つかあるだろう。この作品の簡単なあらすじは、上述した通りだが、こう成るだろう、こう成るはずだ、と感じる展開が悉く裏切られる。母の愛は美しい。でも度が過ぎるとエグいのかも知れない。こんな手もあったのか、と裏切られるのが心地よい。
 緑の多い田舎町。韓国の色々な所で撮影したのを一つの町に見立てたというこの映画の舞台はミステリアスな雰囲気が漂う。台本に名前が無い、或る母親がいる。漢方薬店で働きながら、一人息子トジュンを育て上げた。
 息子役は、韓国四天王の一人として絶大な人気を誇り、兵役を経て5年振りの映画出演となるウォンビンだ。私はこの人の出ているものは何も観た事が無いので他作と比べる事は出来ないが、本作では、”子鹿の様な目をした”純粋な少年役だ。プレスにはそう伝える様に書いてあったから、それは大事なポイントなのだろう。
 ある日、二人が住む静かな町で、驚愕の殺人事件が起きる。女子高校生ムン・アジョンの遺体が建物の屋上のフェンスで鉄棒をしている様な姿で見つかった。トジュンはその犯人として警察に連れていかれてしまう。面識は無い。が、事件の夜、トジュンはアジョンと路上で会っていたのだという。当のトジュンは、ところが酒に酔ってその時の事は覚えていない。
 彼は、その夜の行動を必死で思い出そうとするが、上手くいかない。遺体の近くには彼が持っていた自分の名前入りのゴルフボールが落ちていたのだ。それが唯一の物証となり、早期解決を望む警察はトジュンの自白を執拗に求める。母は、刑事に必死で無実を訴えるが相手にされない。母は強く思った。事件の真実を見つける事が可能なのは、自分だけなのだ。
 母を演じるキム・ヘジャは、”韓国の母”と称される位の人気の大女優だそうだ。特別美しい訳ではないけれど、監督にこの役を求められ、実現し、初めて彼女を観る者でさえこの役は彼女しかいないと確信させる。
 監督は、『殺人の追憶』『グエムル 漢江の怪物』のポン・ジュノだ。
(秋公開。シネマライズ、他にて。)

更新日  2009年9月13日 エッセイ『何故僕はクラシック映画が好きなのか・第14回〜21世紀に於けるリバウンド』
松村清志

 ず〜っと延々と80年代以降映画が駄目になってしまったという事ばかり書き続けて来た気がするが、ここで趣を変えて、21世紀に於けるリバウンドについて言及してみたい。
 間もなく21世紀に入って最初の10年を迎える事になるわけだが、この10年程で映画は、80年代半ばから90年代後半にかけての10年余りと比べて、ぐっと良くなったのではないかと思える。
 どういう風に良くなって、その理由はどの辺にあるのかについて、考察してみたい。
 まず、エンターテインメント・ジャンルで上映時間が90分以内に収まった作品が増えてきた。これは有り難い。メリハリ無く”3種の神器”や”特殊効果”を羅列しただけで上映時間が100〜110分もある様な映画を20年近くも観せられ続けてきた身としては、やっと”省略の話法”を取り戻したと言ってしまいたい所だが、それよりも、ビデオからDVDへという2次媒体への移行が、大きな理由であろう。
 要するに、DVDは収容量が大きいので、特典としてカット・シーンや別バージョンを加える事が出来る様になった。一般のお客さんは90分以内の劇場公開バージョンをどうぞ、本当にこの作品を好きな方はDVDのスペシャル・エディションで、お楽しみ下さい、と言う売り方が出来る様になった訳だ。それでいいではないか。
 ”早送り族”をメイン・ユーザーとして、むやみに上映時間が長くなった映画に付き合わされるより、ずっと有り難い。以前レビューを書いた『ハンコック』等も、もし100〜110分で観せられていたら、ずっと評価が厳しくなっていただろうと思うのである。
 ロバート・ロドリゲス監督デビュー作『エル・マリアッチ』(95)が、上映時間が短すぎてビデオ市場では売れないと言われ、スローモーションを加えて上映時間を長くして仕上げられたのは有名な話だが、今なら、そのままのバージョンで公開されているのではないか。
 そういえば、この10年程で、映画全般で、スローモーションの使用量が減ってきたのではないか。これもいい傾向だ。あまり、スローモーションを使い過ぎると、DVDで初観のユーザーは、デッキやディスクの故障やキズが原因でスロー再生になった場合、どこ迄が本編中のスローモーションか判断出来なくなるのではないか。
 冗談はさておき、80年代半ば辺りの何でもかんでも100分余り、ちょっとした大作なら120分以上と、むやみに上映時間を長くする傾向から、作品世界に則した上映時間を選択する傾向にシフトして来たのは良い事だ。
 画面も良くなってきた。映画の画面だと思えるものが増えてきた。DVDはビデオより解像度があるし、高画質の横長画面の受像機も普及したので、映画的な光と影のグラデーションを意識した照明・撮影法を駆使しても、それを鮮明に再生出来る様になったし、デジタル処理によって色調を調整出来る様になった。悲劇、喜劇、リアリズム、ファンタジー等、作品世界に相応しい色彩設定がデジタルで行える様になった。僕の好きな全盛期のテクニカラーの再現だって可能なのだ。
 大部分の80年代映画の様なCM的映像や、大部分の70年代映画の様な撮りっぱなしの薄汚れた映像より、画質は向上してきたと思うのである。
 ただ、むやみにシネマスコープ・サイズの画面が増えたのには、いささか疑問があるのだが、スクリーン・サイズの問題については、また機を改めて考察したい。

 CGの使用法も良く成って来た。以前僕が書いた様に、足し算では無く、引き算、もしくは掛け算としての使用へと移行しつつある様に思える。
 CGを使用したでは無く、CGを使用していないを売りにする映画が少しずつ作られる様になって来た事も、実写で出来る事は実写でやれ、と思って来た僕としては喜ばしい。

 取り留めが無くなって来たので、取り合えずここらで、まとめてしまおう。80年代のビデオの普及と”早送り族”の増加が、80〜90年代にかけて映画をかなり駄目にしたと繰り返し述べて来たが、同時に、映画ファンとして、80年代以降の新作も、60〜70年代のニュー・クラシック映画も、40〜50年代のクラシック映画も、はたまたサイレント映画迄も、ごちゃ混ぜに観て映画に親しんだ世代が、作り手に育って来て、例えばアクション映画なら80年代的な花火大会より60〜70年代的なキャラクター造型とストーリー・テリングとディテイルのリアリティを重視した作品をドラマなら、やはり80年代的な表面的で一元的な話法より、40〜50年代的な”行間”や”余白”を持った 重構造の話法の作品を、と言った辺りを志向/嗜好し始めて、映画は21世紀にリバウンドして来たのではないかと思えるのである。

 そんな訳で、若い映画ファン、特に90年代以降に生まれた映画ファンは、21世紀の新作と同時に、そのルーツとなるクラシック映画もどんどん観て欲しい、と書いて今回は終えるとしよう。どうもまとまりの悪い文章でスマン。

更新日  2009年8月30日 未公開『リプリー 暴かれた 贋作』★★★
松村清志

 2005年度作品、ドイツ映画、監督 ロジャー・スポティウッド、原作 パトリシア・ハイスミス、脚本 ウィリアム・ブレイク・ヘロン、ドナルド・E・ウエストレイク、出演 バリー・ペッパー、ウイリアム・デフォー、クレア・ファーラニ、アラン・カミング、トム・ウィルキンソン、イアン・ハート、ジャシンダ・バレット  カラー ヴィスタ・サイズ、上映時間117分。

 パトリシア・ハイスミス原作によるトム・リプリー・シリーズの映画化である。リプリーものは、これまでにアラン・ドロン主演による『太陽がいっぱい』(59)、ヴィム・ベンダースが初めて日本に紹介されたデニス・ホッパー主演の『アメリカの友人』(77)、マット・デイモン主演の『リプリー』(00)と、3本が日本で劇場公開されており、他に日本未公開で『アメリカの友人』と同じ原作による、ジョン・マルコヴィッチ主演、リリアーナ・カヴァーニ監督の『リプリー・ゲーム』(04)があり、本作はシリーズ5本目の映画化という事になるであろう。
 原作は2作目の『リプリー・アンダーグラウンド』、日本では90年代初頭に『贋作』のタイトルで河出文庫から発行されていた。僕も読んでいるが、何分遙か昔に読んだ切りなので原作との比較は出来ない。
 リプリー役のバリー・ペッパーはかなりいいと思う。最初のアラン・ドロンのインパクトが強すぎた為か、トム・リプリーは青春ピカレスク・ヒーローと言ったイメージがあり、デニス・ホツパーもジョン・マルコヴッチも歳を取り過ぎていて、今ひとつしっくりこない様に感じられた。実年令はともかく、やはり、リプリー役は”若者”の外見を持った役者が演じた方が良いようだ。
 さて、本作は、エンターテインメントとして、息も尽かせぬ面白さである。”追われ逃げ切る”というイタチごっこに徹したサスペンス映画の”王道”的な仕上がりである。キャストも映画ファンなら、「おっ」と思う様な何気な豪華さだし、脚本のウィリアム・ブレイク・ヘロンは、『ボーン・アイデンティティ』(01)の人、ドナルド・E・ウェストレイクは、『ポイント・ブランク』(67)、『ペイバック』(98)と2度、映画化された小説で有名な、今年亡くなったミステリー作家であり、スティーブン・フリアーズの『グリフターズ』(90)の脚本等も手掛けている。スポティウッドの演出も快調だ。以前書いた『チルドレン・オブ・ホアンシー』(08)と共に、今年の僕の未公開映画ベスト・テンに入るかも知れない。
 リプリーの仲間の一人である、アラン・カミングはゲイである事を公にしている俳優(これが本当のカミングアウト)であり、本作もマット・デイモンの『リプリー』の様にホモ・セクシャルなニュアンスを多分に含んだ作品になっているかとも思ったが、そこらのモタモタした部分は、すっ飛ばしているのが、好ましい。
 無論、淀川長始の『太陽がいっぱい』論がそのまま輸出されたのか、の『リプリー』も秀作ではあったが、いささか、屈折したウジウジとした感情が出過ぎて、エンターテインメントとしてはスッキリしない仕上がりと成ってしまっていた。
 マルコヴィッチとカヴァーニの『リプリー・ゲーム』は期待はずれ、『アメリカの友人』は僕は好きだが、いささか『カイエ・デュ・シネマ』被れのシネフィル向けと共に、本作は青春映画としても、犯罪サスペンスとしても、名作であった『太陽がいっぱい』の次位に大衆性を持った作品に仕上がっていると言ってもいいと思う。
 ともあれ、トム・リプリーはこれからも、たまにはスクリーンで出会いたいキャラクターである。3作目迄は映像化された。次回はトム繋がりで、トム・クルーズに演じて欲しいとも思う。

『太陽がいっぱい』初公開時発売サントラ・台詞入ソノシート (写真協力・CINEMA EGG)

更新日  2009年8月23日 最近作『千年の祈り』
水島裕子

 宝ものをみつけた。
 地味めでいい映画に出会うと、私はそう思う。久しぶりにそう感じた。
 原作者はイー・ユン・リー。北京で生まれ、大学卒業後に渡米、英語で小説を書く女性作家だ。村上春樹氏も受賞した、フランク・オコナー国際短編賞の第一回めを、この原作でありデビュー作でもある『千年の祈り』で受賞した。日本語版は、新潮クレスト・ブック。このシリーズは海外作家の優れた作品を綺麗な装丁で読ませてくれるので、こちらもおススメです。
監督のウェイン・ワンも香港生まれで、18歳からカリフォルニアで暮らす。『ジョイ・ラック・クラブ』『スモーク』等を撮った人だ。その彼が自分と似た様な境遇の作者の原作に惚れ、映画化の際に彼女に監督を依頼した。監督はこの短編に、学生の頃に敬愛していた小津安二郎監督の作品と同じ世界観を感じたという。確かに、静謐に時が流れていく雰囲気が似ている気がする。
 舞台は、原作では、アメリカ中世部、とある。監督はそれを、ワシントン州スポーケンに定める。そこには、中国系、ロシア系、イラン系等、多くの移民がおり、原作にある様々な文化の交差を表現するのに最適だと感じたそうだ。
 シー氏は、中国人だ。妻に先立たれ、高齢者向けの料理教室に通う等して、リタイア生活を楽しんでいる。唯一、彼を悩ますのは、離婚してアメリカで独り暮らしをしている一人娘イーランの事だっだ。北京から、飛行機に乗り、会いに行く事にする。
 閑静な住宅街だ。共同プールもあり、緑も多い。イーランの部屋は殺風景で、中国の華やかな飾り付けは一切無い。朝食も食べずに出勤し、帰宅時間も遅い。父は中華鍋を買って中華料理を振る舞うが、娘は少ししか箸をつけず、会話でも笑顔の一つも見せない。父は、近くに住む人達とも拙い英語力でコミュニケーションをとる。なかでも、公園のベンチで知り合った裕福なイラン人女性とは、年齢も近く、境遇も似ている事から、心を通じ合わせる様になる。
 父の渡米の最大の目標は、娘の離婚理由を知る事だった。娘が幼い頃から、会話の無いふたりは、どうやって歩み拠る事が出来るのだろうか。
 父役のヘンリー・オーは、ハリウッドでも活躍している俳優だ。
(11月公開。恵比寿ガーデンシネマ。)

更新日  2009年8月22日 最近作『アルティメット2』
水島裕子

 『トランスポーター』のジェイスン・ステイサムが二番で、このシリーズの主役ふたりが、世界で一番恰好いいアクションヒーローだと思う。どちらも、リュック・ベッソン制作&脚本作品だ。前作『アルティメット』を観た時は、衝撃的だった。やはり、リュック・ベッソン作の『YAMAKASI』も好きだが、それの元となったパルクールを始めたメンバーのうちのふたりが主人公になり、特撮に頼らないままのアクションを見せてくれる。
 パルクールとは、フランス発祥のスポーツで、特別な道具を使わず、障害物を効率的かつスピーディーに乗り越える術だ。『007カジノ・ロワイヤル』や『ダイ・ハード4.0』でも使われている。パフォーマンスやアートとみなされる事もあるそうだが、肉体美に知性を感じる。たまらない。シリーズ化してくれて有り難い。
 パリの郊外にあるバンリュー13地区は、悪の巣窟となり、犯罪が絶えなかった。この地域を隔離する壁が、パリ爆破の危機を救った前科者レイト(ダヴィッド・ベル)の希望により、取り払われる事になった。と言うのが前回迄のストーリーで、今回はその3年後から始まる。
  しかし、政権は代わり、壁も何もかもが、そのまま放りっ離しだ。レイトは、故郷バンリュー13地区解放の為、孤独な闘いを続けている。一方、3年前に彼と共に爆破の阻止をした潜入捜査官ダミアン(シリル・ラファエリ)は、相変わらず危険な任務に就き、麻薬組織を壊滅に追い込んだ所だった。
 そんなある日、何者かがパトカーに発泡した映像がインターネットに流れた。これは秘密保安介入局ガスマン(ダニエル・デュバル)の罠だった。部下にパトロール中の警官を射殺させ、その遺体を積んだパトカーをバンリュー13地区に運び、ギャングの銃撃を誘発した。チャイニーズ、黒人、スキンヘッド、アラブ、ジプシーのギャングの拠点を爆破し、土地開発で私腹を肥やすのが狙いだった。バンリュー13対策責任者に就任予定だったダミアンを麻薬所持の濡れ衣を着せて投獄、大統領からの任命で自ら責任者となり、計画を進めていく。
 実際のロケ地は、セルビアのベオグラードで、この作品にぴったりの町並みが現存しているそうで、必見だ。また、大統領をフィリップ・トレトンがやっているのが、意外だったが、いい味を出し、作品を高めていた。
(9月19日公開。シネマート新宿。)

更新日  2009年8月22日 ネタバレ・ビュー『マンマ・ミーア!』★★☆
松村清志

この内容なら出来れば10年前に観たかった。20歳になった娘が居て、アバの全盛期が青春時代であった女性を主人公にするなら、10年前ならドンピシャリであった。
 主役は世代と歌唱力からいけば、やはりマドンナか、ミシェル・ファイファーでも良かったか。ともかく、アバの歌曲をこんな風に使うなら、10年の時間のズレはとても気になるのである。
 アバの全盛期といえば、’77〜’78年であろう。’77〜’78年の時代のBGMと言えばアバと『サタデー・ナイト・フィーバー』の歌曲がすぐさま思い浮かぶのである。
 アバのファンは小学生から大学生迄居たようだが、現在40〜50歳位迄がストライク・ゾーンのはずで、本作の主役のメリル・ストリープの年代では10年のズレがある。アバが青春の音楽であったのは、アラフォー、アラフィフ位で、アラシックス迄は含まれていないのではないかと思える。
 会話の中に『フラワー・チルドレン』という台詞があるから、日本で言えば団魂の世代なわけで、アバはその世代のストライク・ゾーンの音楽では無いはずだ。
 中高年世代への、まだまだ人生は終わっていないぞという応援歌としてアバを使うという意図は判るのだが、やはり10年のズレはとても気にかかってしまった。
 あるいは、アバと言う、かつて一世を風靡した歌曲の魅力とその時代の気分を伝えたいというのであれば、『アクロス・ザ・ユニバース』(07)の様に同時代の78年を背景とした青春ミュージカルで良かったのではないか。
 メリル・ストリープは上手い女優だとは思うものの、地中海的な陽気さはしっくりこない気がするし、若い頃に遊んでいた風には見えない。歌と踊りは女優陣はそれなりに頑張っていたが、男性陣はダメであった。興行的な配慮はあるのだろうが、やはりキチンと歌って踊れる人をキャスティングして欲しかった。
 演出の映画的なアレンジもあまり上手くいっているとは思えない。附職ショットが幾つかあったが、それをやるならバスビー・バークレー風に視点を変えた振り付けをしなければダメなのではないか。ディスコの様な照明を当てるだけではなく、キチンとヒットを組んで別次元のイリュージョンとして演出した方が良かったのではないか。
 あれやこれやで、クライマックスで、”アフロディーテの泉”が噴出しても、僕の心の中に泉が湧いて来ると迄はいかなかった。
 無論、それなりに楽しんだし、DVD特典として歌曲の英語字幕付き再生が出来たのはは良かった。自室で一人カラオケやっちまったぜっ。
だが、『ドリーム・ガールズ』『ヘア・スプレー』『アクロス・ザ・ユニバース』と好調であったミュージカルの後で、本作と『ハイスクール・ミュージカル・ザ・ムービー』では、やはり今一歩だと思うし、アバの魅力を楽しむのなら、30年間封印されたままだったラッヒ・ハルストレム監督の『アバ・ザ・ムービー』(78)のDVDだ。

更新日  2009年8月20日 最新作 最近作『パティ・スミス..ドリーム・オブ・ライフ』
水島裕子

この人の事をいつかちゃんと知ってみたいと思っていた。最初に、というか唯一だが、関心を持ったのは、彼女の親友だったというロバート・メイプルソープが撮ったレコードジャケットの写真だった。有名な作品だとは思うが、白バックのモノクロ写真の中で、男だか女だか判らない痩せ型の人が、肩にジャケットを乗せている。歌手だと言うが、私、もしくは多くの日本人が聴いた事のある曲はあるのだろうか。この疑問は映画を観終えても解決しなかったのだが、どうも無さそうだ。
 1946年、シカゴ生まれ、とある。その世代の女性ミュージシャンは、ジャニス・ジョップリン、マリアンヌ・フェイスフル、リッキー・リー・ジョーンズ、と私は聴いていたが何故パティは無かったのか。パンクの女王だと説明されているが、そんなイメージは持てない。
 監督のスティーヴン・セブリングは、アリゾナ育ちのアーティスト、写真家。随分執拗な人だと思う。何しろ、写真撮影で出会ったパティを気に入り、このドキュメント映画の撮影に11年間を費やしたのだ。他の何かにも長い年月執着しているのだろうか、私生活も気になるところだ。
 彼女ほど多くの友人、仲間達を亡くし、送ってきたアーティストもいないだろう。
 と、プレスにあるが、オーバーな文章だ。でも、挙げてみよう。89年、先に書いたメイプルソープ。90年、キーボードのリチャード・ソール。94年、ニルバーナのカート・コバーン、夫フレッド・スミス、弟でマネージャーだったトッド。彼女がこの監督と出会ったのは翌年、95年の事だった。それは、彼女の人生が大きく変わった時期と重なり、出会いの妙さを感じる。
 それ故、70年代に頭角を表したという彼女の、当時ではなく、ここ十年間位の間の生活が静かに語られる。このスタイルを選んだ事がこの作品を成功させている様に思う。最初のアルバムが29歳の時、34歳で結婚、37、41歳で出産。子供の成長して行く姿も両親が年老いて行く様子も映されている。
 最も印象的なのは、ふと思い出したかの様に、メイプルソープから昔、誕生日に貰ったというタンバリンを出すシーンだ。タンバリンと言ってもシンプルなものでは無く、メイプルソープ作なのか、幾何学的な美しい模様が描かれている。
(8月29日公開。シアターN渋谷)
 

更新日  2009年7月19日 最新作『未来の食卓』
水島裕子

 フランスのドキュメンタリー映画だ。
 人の健康と食物の関係には多くの矛盾が存在している。でも、世の中、何だかんだ言っても、平均寿命は伸びている。医療技術の発展もあるし。だけど、この映画を観る迄知らなかったけど、その平均寿命を伸ばしている人達は、1920〜1930年生まれで、彼らは成人するくらい迄の時期に農薬を使った野菜等、化学添加物を口にしていない。まだ世の中に無かったからだ。この下の年代以降の人間はどうなってしまうのだろう。
 監督のジャン=ポール・ジョーは、2004年、自らが直腸ガンを経験したのがきっかけに、「食」について再考の必要を感じたという。
 話は逸れるが、来日したこの監督、日本人にとって実に分かり易いフランス語を話す。録音された教材みたいだ。日本にも関心があるようで、発展国である事、自然の美しさ、それと「haragiri」も気になる様だった。この時には、有機ワインの試飲会もあり、やはり、他のワインとは違う美味しさがある。買いに行こうと大手デパートを探したが置いてい無く、これからもっと広まって欲しいと願う。
 ゴッホが、"ひまわり"を描いた南フランスは、アルル(地方)近くのガール県バルジャック村で、その運動は始まった。近くには、世界遺産で有名なポン・デュ・ガールの水道水がある。多くの人が見れば分かるであろうこの橋も映画に出てきて、美しさと親しみ易さをより多くする役割を果たしている。
 ショーレ村長は、子供達の未来を守る為、「学校給食と高齢者の配達給食をオーガニックにする」という前例の無い試みを提案した。それが実現していく様子を一年かけて監督はフィルムに収めた。
 まずは、お金が掛かり過ぎるのでは?と言う点、続いて数々の解決せねばならない問題があがる。農薬の直接の原因だという証拠は無いが、お年寄りだけでなく、子供達迄ガンに懸かっている現状もある。学校給食と言っても、日本のそれとは少し違って、コース料理の様に順番に出てくる所が、とても豊かな感じがした。子供達は自分達が食べる野菜を自分達で作り、農家の人達も、村人達も、まず出来る事から始めようと言う、周りからいい影響を与えられ、広まって行く。害について等、説明が具体的な所がいい。未だ話の出来ない赤ちゃんが有機栽培野菜のスープを一気に飲む姿が微笑ましい。

8/8(土)〜都内・シネスイッチ銀座他にて公開

更新日  2009年7月18日 最新作『コスプレ探偵』
水島裕子

 この映画を私は未だ観ていない。今、編集中だ。6年振りに女優として出演したので、紹介しようと思う。
 原作は、実業之日本社の雑誌”漫画サンデー”(多分この名称)で連載中の『コスプレ探偵』だ。監督は初めて長編を撮るという、仁同正明。アン・リー監督が好きなのだそうだ。主演はハーフで可愛いRio。と、ここまで書いて、気付いたが、プレス資料が無い。なので、今回は台本と体験と記憶だけで紹介しようと思う。
 実際に(都内)学芸大学にあるラーメン屋が主な舞台だ。ラーメン屋だが、探偵事務所でもある。ヒロイン、理央(Rio)はチャイナ服のコスプレに身を包み、客を待っている。客とは、探偵の仕事の依頼者だ。ところが、店長の柳町(桐生康詩)は、そちらの仕事には、まるでやる気を見せていない。実際、客も来た試しが無い様子だ。探偵事務所の看板の上に「冷やし中華始めました!」のチラシを貼る店長に理央は不満だ。ランチタイムのほうはそこそこ流行っている。
  そこへ、まさかの依頼人が訪れる。失踪した娘を探す夫婦だ。この母親のほうの役が私だ。全撮影は3日間でそのうち2日間参加した。
 その依頼人の娘、未来(桜井まり)はどうもキャバクラで働いているらしい。やりたかった仕事が舞い込んできて、理央はやる気まんまんだ。
 ナンバー1キャバ嬢だった未来は既にそこには勤めておらず、でも何らかの情報収集になるのではと、理央はそこで働き、潜入捜査を始める。最近、売上が下がっている店を女の子をコスプレさせるアイディアで再度盛り上げたりもする。しかし、理央がコスプレをしているのには、実は悲しいワケがあるのだった。
 広い意味で言って、老若男女では無く、若い男性が観る作品だと思う。お色気シーンもあるが、ストーリーがしっかりしていて、人と人との絆を改めて考えさせる深い部分もある。
 久しぶりの撮影だったが、特に変わった事はなかった。映像をチェックするモニターが小型になって監督の片腕に収まっていた事ぐらいだ。低予算映画という事で3日間の撮影だった為、進行が速く、バラエティ番組の収録の様だった。まだ観ていないから、どう編集されるのかが楽しみだ。映画好きの人に気に入ってもらえるといいけど。
(7月下旬から8月上旬公開。他未定。)

更新日  2009年7月18日 最新作『クララ・シューマン 愛の協奏曲』
水島裕子

 昔からあって、何度となく、何となく聴いた事のある音楽を、ある映画がきっかけでその作曲者や題名、生まれた状況等を知る事がある。脳の中で一本の新しい道が開いた様で、賢くなれた様に思う。この映画も、まさしく、そういうきっかけから物語の流れに夢中になれた。
 19世紀、ドイツ・ロマン主義か栄えた時代に当時としては珍しい女性の作曲家にしてピアニストがいた。それが、タイトルにもある、クララ・シューマンだ。彼女は、ロベルト・シューマンの妻であり、ヨハネス・ブラームスの憧れの女性であり、インスピレーションを刺激するミューズだった。生まれたのは、ロベルトが1810年、ヨハネスが1833年、この世紀を代表する二大作曲家にはそんな繋がりがあったのだ。ちなみにクララは、1819年生まれだ。ユーロになる前のドイツ最後の100マルク札には19歳の彼女の美しい肖像が描かれている。
 ハンブルクの満員のコンサートホールで、クララがピアノを弾くシーンで始まる。情熱的な演奏だ。拍手喝采を浴びたクララを待っていたのは、夫のロベルトと、あともう一人、まだ無名だったヨハネスだ。声をかけてきた彼との間に運命の出会いを感じたクララは、その夜、彼が演奏する居酒屋へと赴く。
 これまで、ツアーであちこちを廻って暮らしていたシューマン一家だったが、ロベルトが地元の交響楽団の音楽監督に就任した為、デュッセルドルフで定住する事になる。四人の子供と手伝いの者と住み始めたその大邸宅に、やがてヨハネスも滞在する。恋の三角関係になる可能性の多い状況を彼らは何故、作り出したのだろう。音楽を作りたい、作らなくてはならない三人がひとつ屋根の下で共存するのが永くは続かない事は誰にでも判る。ヨハネスは出て行き、頭痛持ちのロベルトは自殺未遂の末、脳の病気で入院し、帰らぬ人となってしまう。
 監督は、ブラームス家の末裔にあたるヘルマン・サンダース=ブラームス、『ドイツ・青ざめた母』が代表作のベテラン女性監督だ。また、今回、私が最も楽しみにしていたのは、ロベルトとヨハネスをフランスの俳優、パスカル・グレゴリーとマリック・ジディが演じている事だ。フランス人にとってドイツ語のセリフは難しいのだろうか、と思いつつも、どちらも実力も魅力もある俳優なので、共演は見所となる。クララ役は、『マーサの幸せレシピ』主演のマルティナ・ゲデック。

7/25(土)〜Bunkamura他にて公開

最初のクララ・シューマン物語=『愛の調べ』 (写真協力・CINEMA EGG)

更新日  2009年7月15日 エッセイ『マイケル・ジャクソン〜バブルとMTV時代の申し子』
松村清志

 マイケル・ジャクソンが亡くなってしまった。僕にとってマイケル・ジャクソンは80年代を象徴する存在であった。バブルとMTV時代の申し子と言えば良いか。
 82年のジョン・ランディス監督によるミュージック・ビデオ『スリラー』の大ヒットによって世界はMTV時代へと突入した。
 やはり82年がターニング・ポイントであった。初のコンピューター・グラフィツクス映画と宣伝された『トロン』もこの年公開であり、『ブレード・ランナー』もこの年であった。『ベスト・ヒットUSA』の放映が始まったのもこの年ではなかったか。ラッセル。マルケイ監督によるデュラン・デュランのミュージック・ビデオ『アリーナ』もこの年ではなかったか。
 ともかく、僕のあまり好きでは無い80年代映画的要素は、ほぼこの年で出揃ってしまったのだ。83年にはデビット・クローネンバーク監督の『ヴィデオドローム』も制作されており、映画がそれまでの文脈では語り尽くせないものへと変化して行った。
 『スリラー』が特殊メイクを駆使したゾンビ・ホラー・パロディであった辺り、その後の特殊メイクとスプラッターのブームを予告しているかの様であった。
 マイケル・ジャクソンの”ムーン・ウォーク”は、まさに地に足が着かない様な歩行で、バブルに浮かれて地に足が着いていない時代の気分を象徴していたかの様であった。
 この辺りから映画は、MTV感覚、CG、特殊メイク、特殊効果が大量に導入され始め、ビデオ・ユーザーをターゲットとして制作される様に成り、人間不在、ドラマルギー不在の、映像バブル時代へと突入していった。
 マイケルのペットのおサルがバブルスと言う名前であるのも偶然とは思えない。
 あれやこれやで悪意を持ってはいないがマイケル・ジャクソンは僕にとって映画が駄目になってしまった80年代を象徴するかのスターであった。
 ジョン・ランディス監督作品なら、同じ82年に公開された『狼男アメリカン』の方が遙かにいいし、サム・ペキンパーの遺作がジュリアン・レノンのミュージック・ビデオであったのは悲しかった。ラッセル・マルケイだってジュリアン・テンプルだって大した奴じゃない。やはりMTVは映画に殆ど何ももたらしてはいないと思える。
 ともあれ『スリラー』の大ヒットによってマイケル・ジャクソンは”誰もが知っている”存在となってしまった訳だが、79年に公開された”黒人版・オズの魔法使い”のミュージカル、シドニー・ルメット監督による『ウイズ』に出演していた”知る人ぞ知る”マイケル、黒人らしさを持ったマイケルの方が、ずっと好ましかったという気もするのである。
 80年代にマイケル・ジャクソンの歌や踊りがあれほど大衆に受け入れられてしまったのは、その肌の様にブラック・ミュージックのアクや臭みを”脱色”し”漂白”してしまったからではなかったのかと、僕には思われる。

 同時代の歌曲としてなら、デビッド・ボウイやカルチャー・クラブやワム!等の方々により、僕は親しみを覚えていたのである。あまり詳しくはないが。
 マイケルの音楽プロデューサーであったクインシー・ジョーンズの仕事なら、やはりスティーブン・スピルバーグ監督『カラー・パープル』(85)の音楽が最も充実していたのではあるまいか。
 あれやこれやで、映画ファンの僕としてはマイケル・ジャクソンには特に思い入れは無い。
 90年代以降はどんな曲を歌っていたのかも知らないし、その”顔面崩壊”とその修復としての繰り返しの整形は、バブル崩壊後もその栄光にしがみついている人々の象徴の様な痛ましさを感じさせた。
 マイケル・ジャクソンは逝ってしまった。やはり80年代のバブル気分はもう2度と帰ってこないであろう事を実感させられた。20世紀が終わってしまった。やはりちょっと悲しい。

(写真協力・CINEMA EGG)

更新日  2009年7月4日 ネタバレ・エッセイ『裁判員制度のスタートに合わせて『十二人の怒れる男』の二本立てを観る』
松村清志

 裁判員制度のスタートに合わせて、その種の映画の代表的名作、シドニー・ルメット監督の『十二人の怒れる男』(58)と、ロシアのニキータ・ミハルコフ監督による2008年度劇場公開のリメイク作との2本立てを楽しんだ。
  やはりオリジナル版の方がいい。今春公開された『地球が静止する日』もそうだが、78年のウィリアム・フリードキン監督による『恐怖の報酬』のリメイクあたりから始まった40〜50年代映画のリメイクがほとんど上手くいっていない。オリジナルを越えられていないというあたり、僕が繰り返し述べている映画の黄金時代は40〜50年代であったという持論を裏付けてくれていると言っていいのではないか。
 さて、この2作を比較してみると、まずオリジナル版の上映時間96分に対してリメイク版は160分と、何と64分も長いのである。どちらも未見の方なら、まずミハルコフ版を観た後でルメット版を観る事をオススメしたい。全盛期の映画の”省略の語法”の簡潔な語り口の良さというものが判るはずだ。
 もっともロシア人というのは長い物語を好むようで、映画も小説も長いものが多いし、アメリカ的な時間感覚とは違う、ロシア的な時間感覚がある、という事を意識しておいた方が良いだろうとは思う。
 スラブ的なスロー・テンポと言っても良いが、そうしたゆったりとしたテンポには何かメディテーションの様な効果もあって、そのテンポに上手く乗れれば或る種の思索的な気分に浸る事も出来るのだ。アンドレイ・タルコフスキー監督のSF『惑星ソラリス』(72)等、それ故に大好きな映画であった。ミハルコフによる『十二人の怒れる男』のリメイク版は、ほぼオリジナルを線襲したディスカッション・ドラマをスロー・テンポで引き伸ばすかと思えば、アメリカ映画的な、アクション映画の様なカッティングがあったり−そう言えばこの人の弟のミハイル・コンチャロフスキーはアメリカに渡って『暴走機関車』(85)だの、何とシルベスター・スタローンの『デッド・フォール』(88)等と言うアクション映画を撮っていたりするのである−室内と対比させるかの様に野外での戦車による破壊シーンがあったり、容疑者の少年が独房内でダンスを踊るショットを繰り返しインサートしたり、理性を取り戻してゆく物語のはずなのに人物達はオリジナル版より遙に激しく感情を剥き出しにしたりと、いささか観ていてイライラさせられる構成・演出となっている。
 だが、ラスト近く、メンバーの意見が”無罪”で統一された辺りで、ツイストがある。でも、この少年、チェチェン人でもあり、身寄りも無く、ロシア語も喋れない。この少年を釈放してしまったら、おそらく少年は、より悲惨な末路を辿るのではないかという疑問が提出されるのである。ここで、戦車による破壊や独房内の少年を繰り返し見せた意図が明確となる。アメリカ的な裁判制度や民主主義的な法の精神といったものが上手く機能して行かないロシアの現実といったものが背後にある訳だ。この辺りの問題提起が一つのテーマだと言ってもいいだろう。
 ラスト・ショットは戦場を犬がスクリーン奥から手前へと駆けて来るロング・ショット、その犬は人間の腕をくわえており、どうやらそれは少年の物であるらしい......。

 ミハルコフによる『十二人の怒れる男』のリメイク版はオリジナル版を越えたとは言えないものの、作られる必然性の感じられ無かった幾つもの凡粛なリメイクと比べれば、遙に価値があり、一見に値する作品となっていると思えた。

更新日  2009年6月27日 未公開クラシック・エッセイ『アラン・ラッドとヴェロニカ・レイク『拳銃貸します』『ガラスの鍵』』
松村清志

『拳銃貸します』−1942年度作品、監督フランク・タトル、原作グレアム・グリーン、脚本アルバート・マルツ、W.R.バーネット、出演 アラン・ラッド、ヴェロニカ・レイク、ロバート・プレストン、 モノクロ、スタンダード、上映時間81分。

『ガラスの鍵』−1942年度作品、監督スチュアート・ヘイスラー、原作ダシール・ハメット、脚本ジョナサン・ラテイマー、出演 アラン・ラッド、ヴェロニカ・レイク、ブライアン・ドンレヴィ、 モノクロ、スタンダード、上映時間88分。

 映画史上最も有名なハードボイルド・カップルと言えば、ハンフリー・ボガードとローレン・バコールだろうが、それと同じ位いや、僕的にはそれ以上に魅力的だと思われるのが、アラン・ラッドとヴェロニカ・レイクの2人なのである。
 小柄で金髪で無表情の美男美女のカップル、この2人はさながら兄妹の様に良く似ている。共に浮世離れした雰囲気があり、存在感はあっても実在感が無い様な辺りとか、生命力が乏しそうな感じ等も似通っているのである(2人共、50歳を過ぎた辺りで亡くなっている)。
 強いて言えば、ハリウッドのスクリーンと言う人工性のフレームの中でしか生きられない、言わば虚構の存在感といったものに妙に誘かれてしまうのである。
 それぞれの主演作なら、ヴェロニカ・レイクは『奥様は魔女』(42)が、アラン・ラッドは代表作『シェーン』(53)とB級ウェスタン『ネブラスカ魂』(49)が廉価版DVDとして幾つかのメーカーから発売されており、『奥様は魔女』の愛らしいヴェロニカが好きだし、『シェーン』のラッドもカッコイイと思うのだが、それでもやはりこの2人が同じフレームに登場すると、何か特殊な化学反応が発生するかに感じられる。
 『拳銃貸します』『ガラスの鍵』共に日本未公開の為か、この2人は、ボギー&バコールに比べて、日本ではあまりにも知られなさ過ぎているのではないか。もっと評価されてしかるべきだ。
 『拳銃貸します』のラッドはメルヴィル『サムライ』(67)のドロンの殺し屋に影響を与えており、アン・リー『ラスト・コーション』(07)の上海の街中では『ガラスの鍵』の看板が映っていた。
 作品的にも、共に80分台というタイトな上映時間にまとめられており、この時代のハリウッド映画の”省略の話法”には学ぶべき点が多いのだ。今や古典的名作の位置を獲得したボギーの『マルタの鷹』(41)や『三つ数えろ』(48)より、僕にはこの2作の方が面白く思えた程だ。
 2人の共演作ではこの後にレイモンド・チャンドラーがオリジナル脚本を書き、ジョージ・マシャルが監督した『青い戦慄』(46)が唯一、日本公開されているが、他にもう1本程、共演作があるようだ。情報が乏しいのが何とも歯がゆい。
 『拳銃貸します』の脚本家アルバート・マルツは、”ハリウッド・テン”の1人であり、後にシーゲル&イーストウッドの『真昼の死闘』(70)を手掛けている。共同脚本のW.R.バーネット はボギーの『ハイ・シラ』(41)の原作者であり、スティーブ・マクイーンの『大脱走』(63)の脚本等も手掛けている。
 それやこれやで、アラン・ラッドとヴェロニカ・レイクの共演作は忘れ去られるにはもったいないのだ。
 今回、作品評を書きかけて行き詰まって、エッセイ風にまとめてみた。ともかく、この2人が僕はとても好きなのである。未見のままの『青い戦慄』とまとめて、どこかのメーカーからDVD−BOXを出してくれないかと思っている。

更新日  2009年6月10日 最近作『トランスポーター3 アンリミテッド』
水島裕子

 フランクは、007より、スパイダーマンより、スーパーマンより私にとってヒーローだ。
 制作&脚本リュック・ベッソンのこのシリーズは、毎回楽しめるし、回を重ねる度にヴァージョンアップしていく。
 南仏に住む、大柄で筋肉を美しく鍛えている男、フランク・マーティンは、ワケありの依頼品を運ぶ天才運び屋だ。ルールは3つ。契約厳守。名前は聞かない。依頼品は開けない。そのいずれかを破った時は、死。苛酷な条件の中、激しいアクションシーンが繰り広げられる。
 監督は前二作のルイ・レテリエと変わって、『EXIT』のオリウィエ・メガトンだ。アクション監督は、シリーズ前作を手掛けるコーリー・ユン。『レッドクリフ』『X−MEN』等でも活躍している香港映画の至宝と言われているだけあって、この人の功績は大きいでしょう。今回、悪役には『プリズンブレイク』の個性派ロバート・ネッパー。彼との共演は、フランク役のジェイスン・ステイサムもいい刺激を受けたという。また、K−1チャンピオン、セーム・シュルトも劇中でフランクと戦うので、まるでDVDのボーナス映像の様だ。
 ステイサムに男を感じながらも、私がこのシリーズで最も楽しみにしているのは、フランソワ・ベルレアン演じるタルコニ警部だ。フランスの俳優で、最近はシャブロルの”La fille coupee en deux”でリュディヴィーヌ・サニエと危うい恋愛を演じる等、役の幅が広い。この警部役も最初はちょっと変なオジサンみたいだったのが、今回は新たな一面をみせてくれる。
 今回フランクは、右手首には依頼人によって特殊な液体爆弾入りのブレスレットが装着され、愛車アウディA8から20メートル以上離れたらそれが爆発するという、最大の危機にみまわれる。依頼品は国家を揺るがす「赤い代物」、助手席にはやはり同じブレスレットを仕掛けられた謎の女が。
 舞台はお馴染みの太陽降り注ぐ地中海はマルセイユ。そこから、始まって、ミュンヘン、ブタペスト、オデッサと、背景の違いも楽しめる。謎の女を演じる新人ナターリア・ルダコワは、私も含め、多くの日本人の感覚では魅力的とは言えないと思う。が、、彼女との出会いによって、フランクはいくつかのポリシーを変える事になるのは新鮮な展開だ。ラストシーンの地中海が眩しい。

(8月15日全国ロードショー)

(写真協力:CINEMA EGG)

更新日  2009年6月10日 最近作『ポー川のひかり』
水島裕子

大量殺人ならぬ、大量殺本のシーンが、バロック建築の様に美しい。と思ったのは、私は丁度イタリア帰りの母から借りたガイドブックと建築の本を読んでいた最中だったからか。
 名作『木靴の樹』(78)から30年、イタリアの巨匠エルマンノ・オルミ監督が、生涯最後の長編映画と決めて撮ったのが、この作品だ。でも、若く才能のある監督のデビュー作であるかの様に瑞々しい。それに対して、他の二人の監督と完成させたオムニバス映画『明日へのチケット』は老練の為せるワザという感じなので、比較して観てもいいと思う。
 事件はイタリアのボローニャ大学で起きた。夏休みが始まり、前日まで賑わっていたキャンパスは、静まり返っていた。そこで守衛は信じられない光景を目にする。図書館で大量の古文書が太い釘で打ち抜かれていたのだ。それらを生涯大切にしてきた老齢の司教をはじめとして、大騒ぎとなる。警察は、犯人を特定するのにそう難しくはなかった。若くして名声を得て、将来を 望されていた哲学科の主任教授だ。授業の最後で「純粋性が失われた時代には、我々の実存を解明するのは狂気なのか?」というヤスパースの言葉を残して、彼は立ち去った。
 その教授は車を走らせ、途中でお札とカード意外を皆捨てて、川沿いに壊れかけた家を見つけると、そこに住み着いた。老人の多い小さな村だ。住人達は、教授の風貌から、いつしか彼を「キリストさん」と呼ぶようになる。
 この作品は、カトリック国イタリアを揺るがしたという。宗教的見解で問題が在るのではという意見も多く、賛否両論となった。映画の中で、確かに教授は、その外見が似ているばかりではなく、聖書のエピソードでのキリストの行動を彷彿させる振る舞いをする。老人達は12人の使徒の様であり、マグダラのマリアの様な女性も出てくる。
 冒頭で挙げた本による知識しかないが、イタリアというのは、紀元80年に完成したコロッセオを始めとして、歴史のあるものが普通に今もある。キリスト教が発展させた建物も絵画も素晴らしい。そういったものに触れる機会がこの映画を観る事にもある。監督作最後の主人公を演じる『アレキサンダー』のラズ・デカンは、イスラエル生まれで世界レベルで活躍するモデルでもある。
(8月1日公開。岩波ホールにて)

更新日  2009年6月7日 最近作『重力ピエロ』
水島裕子

鈴木京香が嫌いなので、観るつもりはなかった。でも、何か気になって、最終試写に行った。観て良かった。とても好きになった。けど、何故なのかは思いつかない。多分、いろいろな要素が調和して素晴らしい結果になったのだろう。
 本作は、原作者の井坂幸太郎が「最も思い入れの強い作品」と語る大ベストセラーだ。仙台が舞台になっているのは、彼が東北大学在学中から住んでいる場所だからという。
 そう言えば、仙台っていいイメージしかない。人もいいし、景色も綺麗だし、生牡蠣も美味しい。連続放火事件の話なので、プレスには仙台の地図があり、実際のロケ場所まで記載されているから、仙台に土地勘がある人には嬉しいと思う。実際、この地で先行ロードショーがあり、『旭山動物園物語 ペンギンが空をとぶ』等、他の地方先行ロードショーの中で断トツ一位の興行成績だったというのも頷ける。
 テレビCMでも印象的な、「春が、二階から落ちてきた」で始まる。純文学っぽくて美しい日本語だ。
 春、というのは、この映画の主人公の一人、岡田将生演じる奥野春だ。この街で描かれた落書きを消す仕事をしている。二歳年上の兄(加瀬 )は大学院で遺伝子の研究をしている。名前は、泉水。どちらも英語にすると”SPRING”だというのも洒落ている。この兄弟が母の命日に実家に帰った。そこでは、父、正志(小日向文背世)が、おでんシチューを用意して待っていた。そのおでんシチューがいけなかったのか、食あたりの疑いで病院に行った正志は、ガンを宣告される。そんな重大な事をあっさりと告白する父に息子たちは戸惑った。
 そんな折り、地元で起きている連続放火事件に関して、春はある法則を見つける。現場は必ず彼が落書きを消した場所の近くなのだ。兄に一緒に捜査しようと春は意気込む。
 ストーリーの展開が意外で関心するばかりだ。出てくる渡部篤郎も嫌いだけれど、そんな事はどうでもよくなってくる。
 過去と現在が折り交ざって、過激な内容を観せながらも、家族のほのぼの感も味合わせてくれる不思議な感触だ。
 春を演じる岡田将生その子役の子、あと、『蛇にピアス』で数々の賞を受賞した吉高由里子が特にいい。『ゆれる』以来のオススメの邦画だ。

シネカノン有楽町一丁目・他にて全国上映中
 

更新日  2009年6月7日 最近作『天使と悪魔』★★☆
松村清志

 前作『ダ・ヴィンチ・コード』より面白い。
要人誘拐と暗殺と都市爆破予告をめぐってのタイム・リミット・サスペンスとして、スピーディに仕上げられている。キリスト教的なものに興味・関心なくとも楽しめるエンターテインメントとなっている。
  前作は原作を読んでいたが、今回は読んでいない。前作は原作を読んでいない人が楽しめたのかと疑問に思ったが、今回は楽しめるであろう。より大衆性を持った出来映えだ。
 脇の重要なキャラクターに、ユアン・マクレガー、アーミン・ミュラー・スタール、ステラン・スカシュゲルドという、それぞれ善玉と悪玉もこなしてきた上手いイイ役者をキャスティングしてあるのが好ポイントだ。”ネタバレ”するまでもなく、この3人のうちの誰かが犯罪に関与しているであろう事はおよそ予測がつくが、それでもひとひねりしてあるので、充分楽しめた。銃撃戦やチェイス等、アクション映画的な見せ場もパワー・アップしている。
 相手役のイスラエル出身のアイエレット・ゾラーという女優さんも、前作のオドレイ・トトゥが助手的・秘書的だったのに比べて、パートナー的な役割をこなしており、ずっと好感を持った。
 もっとも、つっこみ所も幾つか有りというか、幾つもある。一番大きいのは新型爆弾に対する捉え方だ。アメリカ人というのは日本に原爆を落としたくせに、そうしたものに関していささかノー天気過ぎないかと思ってしまった。『キッスで殺せ』(55)や昨年の『インディ・ジョーンズ』の第4作でも、そうした事を感じてしまった。”ネタバレ”に抵触してしまったであろうか?
 あと、それなりに魅力的な悪役であったとは思うのだが、これほど大それた事をしてしまう必要があったのかという動機付けや、もっと協力者もいるはずたろうから、これだけでは解決ではないのではないかと、釈然としない思いも残った。
 ともあれ、新しい指導者を選出する為の会議を”コンクラーベ”というそうだが、僕は本作を”根比べ”する事なく、あれよあれよと観終わってしまったのだから、エンターテインメントとしては及第点を与えて良いだろう。

TOHOシネマズ日劇・他にて全国ロードショー中
 

更新日  2009年6月1日 *世界が愛した永遠のラブストーリー「タイタニック」の最後の実在の生存者逝く*

ミルビナ・ディーンさん(97歳)が逝かれましたのニューズ報道がありました。

セリーヌ・ディオンの歌った主題歌の真実の日本語訳を再掲載し追悼と致します。安らかに。

シネマエッグ5周年記念(2008年掲載記事) 

*セリーヌ・ディオン来日記念「タイタニック」主題歌 改訂版 訳詞*

love theme from "titanic"
as the song:"my heart will go on"

”マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン”

and as the oscar winner.

映画「タイタニック」愛のテーマ
歌曲:”私の心は貴方の元に”



訳詞

夢の中で毎夜毎夜、
私は貴方に逢っている、私は貴方を感じている。
それが私が貴方を知る方法なの。

遙か彼方の距離と時の空間が、
私たちの間に存在しているのに、
貴方が貴方の元へと私に姿を見せてくれた。

近くだろうと、遠くだろうと、貴方が何処に居ようと、
私の心だけは、貴方の元へと辿りつける事を信じています。
もう一度貴方が心の扉を開け、
そして、君の居場所は僕のここだよと、示してくれる事を、
そして私の心は貴方の元へと導かれ、貴方の元でいられる事を。

-2-

愛が、二人を触れさせ、一緒の時間を叶えてくれる。
そして、生涯の伴侶となる迄、結んでくれる。
そして、二人が成就される迄、決して離れない。

愛は、貴方を愛しく想った時から芽生えた。
抱きしめたいほどの一つの真実、
私の命の限り、二人の思いを貫きましょう。

近くだろうと、遠くだろうと、貴方が何処に居ようと、
私の心だけは、貴方の元へと辿りつける事を信じています。
もう一度貴方が心の扉を開け、
そして、君の居場所は僕のここだよと、示してくれる事を、
そして、私の心は貴方の元へと導かれ、貴方の元でいられる事を。

-3-

君の居場所は僕のここだよ、だから僕は何も恐れていないんだよ、
そして、僕には判る、僕の心は君の元へと導かれ、
二人の心は永遠にこの方法でいられる事を。
貴方の愛は私の心で生きています、
そして、私の心は貴方の元へと導かれ、貴方の元でいられる事を。

<解説>
ローズを助けるために、生きろと、突き放した、ジャック。
ローズは生涯をかけて、死んだら、心は貴方の元へと、
いう思いを毎夜毎夜、ジャックに知らせたくて、
お願いしている歌詞です。

真のメッセージを伝えたく、来日記念に際し、正しく改訂翻訳を致しました。

<訳詞> SEIJI IWAI

●「タイタニック」DVD発売中●

携帯版:「タイタニック」主題歌 改訂版 訳

ラスベガスでは観客が、3番で、ジャックが答えてくれた!! 良かった、の感激の表情に!!

 

更新日  2009年5月24日 未公開『やがて復讐という名の雨』★★★
松村清志

  2007年度作品、フランス映画、監督・脚本 オリヴィエ・マルシャル、主演 ダニエル・オートイユ、オリヴィア・ボナミー、カトリーヌ・マルシャル、フランシス・ルノー、ジェラール・ラロシュ、 カラー、シネマスコープ、上映時間125分。

  フランス映画はあまり観ていないが、ここ2〜3カ月で未公開の秀作に続けて出会う事が出来た。それらについて簡単にコメントしておこう。

 まず、『天使の宿り木』(04)はヴァネッサ・パラディ主演で、パトリス・ルコントの『橋の上の娘』『歓楽通り』等の脚本家セルジュ・フリードマンの脚本・監督作、ベルギーの飾り窓の娼婦とミドル・ティーンの少年とのランナウェイ・ロードムービー&ラブ・ストーリーといった感じの作品であった。水島裕子さんによると、4〜5年前のフランス映画祭で上映されていて大好きな作品との事。あまり知られていないだろうが一見の価値アリである。構図や色彩にも独特のセンスがある。

 もう1本、『スマイル・コレクター』(07)はフランス版『羊たちの沈黙』と形容したいサイコ・スリラーで、『トランス・ポーター』シリーズのプロデューサーの初監督作、主演女優がタランティーノの『グロリアス・バスターズ』のヒロインに選抜されているので注目度大である。レクターの様な際立ったキャラは登場しない代わりに、脇の人物達が皆、魅力的に描かれている辺りは、フランス映画らしいと思った。

 さて、本作『やがて復讐という名の雨』は、『あるいは裏切りという名の犬』のオリヴィエ・マルシャンの最近作である。
  主演のダニエル・オートイユのイメージは、ハンサムなブルドックである。そんな彼が、ここでは正に負け犬という他に無い、アル中のダメ刑事を演じている。ヨレヨレのダメ男振りが見事にはまっている。
  日本題名は『あるいは裏切りという名の犬』と対を成す様な、良く考え抜かれたいいタイトルだと思う。雨が降るのはクライマックスでは無く映画の中盤位だが、そのシーンを分岐点として彼は変わってゆくのである。
  原題はシンプルに『MR73』、主人公の相棒の刑事が宝物の様に大切にしている年代物の拳銃のことである。その長らく使われる事の無かった拳銃を手に主人公は最後の決着(オトシマエ)に向かうのである。
 過去の事件と現在の事件を平行させながら警察腐敗や司法制度の甘さ等を批判した構成が巧妙だ。
 暗くやり切れない物語だが、犯罪被害者の娘との交流が有り、その娘は新しい命をはらんでおり、決して救いの無い物語ではないと思えた。オリヴィエ・ボナミー、カトリーヌ・マルシャルという主人公をサポートする女優2人も、それぞれに魅力的だ。
 70年代のヴィンテージものへのこだわり(MR73とは73年フランス製の拳銃の事)や、主人公の身のこなし方等、方法論は違えども『グラン・トリノ』のフランス版という意見も一理あると思えた。そう考えれば、過去のイーストウッド作品との共通要素も幾つか伺える。オリヴィエ・マルシャルがイーストウッドを意識しているのかどうかは判らないが。

 これ以上書くと”ネタバレ”になりそうなので、この辺にしようか。
 ところで、ハードボイルドとフィルム・ノワールの違いはどこにあるのだろうか?
 僕的にはハードボイルドがドライならフィルム・ノワールはウェット。ハードボイルドは”法”の側に重心をかけ、フィルム・ノワールは”法”の向こう側に重心をかけるというのを、ひとつの基準としている。
 本作は必見のフィルム・ノワールであり、今年既に50本近く観ている未公開作の中でもベスト3に数えたい作品なのである。
 

更新日  2009年5月24日 エッセイ『何故僕はクラシック映画が好きなのか・第13回〜映画の混迷期』
松村清志

 前回は書いていてちょっと嫌になってしまった。
こんな事まで言わなければいかんのか。巨人軍の監督(ハラタツノリ)状態だ。
 繰り返すが、1970年代迄でもダメ映画・クズ映画は数多くあっただろうが、少なくとも”早送り”で観られる事を想定して作られてはいなかった。この違いはとてつもなく大きい。”早送り”で観て理解出来る程度のゆるいストーリーと薄っぺらなキャラクター、その合間を”特殊効果”や”3種の神器”で繋いだだけの映画、そんなものがルーティーン化して作られる様になって、それで映画が発展したという気にはなれなかったのである。
 画面もかなりダメなものが増えてしまった。あらかじめビデオというか、ブラウン管で明るい場所で観られる事を想定して撮られた様な映像が、やたらと増えてしまったのではなかったかと。強いて言えばCM的映像、はたまたカラー・コピーとでも言おうか、とても本物の映画の絵では無いぞと思うものが多くなってしまった。こうした”ルック”の変化については又、改めて考察してみたいと考えているが、ともかく、内容がダメ、画面ダメで、こんなもので喜んでいる観客はバカだと思わせる様な作品がやたらと増えてしまったと僕には思われた。
 そんな訳で僕は、80年代映画があまり好きではないのである。検閲がほぼ全廃されて”表現の自由”を勘違いしてそしてビデオが普及してビデオ・ユーザーを考慮して(というかむしろメイン・ターゲットとして)作られる様になり、更にCGが出現して安易にそれに頼る様になりと、80年代で映画はトリプル・パンチをくらってしまったのだ。
 80〜90年代の20年間程と思わず言ってしまいたくもなるが、それではあまりにイントレランスだから、限定的に、80年代半ばから90年代半ば迄のおよそ10年程は、おそらく100年余り−サイレント期を除外して70年余りとしておくが−の映画史の中で、最も映画が混迷した時期ではなかったか、という風に思われるのである。、

 今回はこの辺にして、次回改めて”映画の時間”もしくは”同時代批評への疑問”について述べてみたい。
 

更新日  2009年5月17日 最近作『それでも恋するバルセロナ』
水島裕子

バルセロナが好きだ。ペネロペ・クルスもスカーレット・ヨハンソンもハビエル・バルデムも好きなので、これらが組み合わさったと言うだけで、既にこの映画が好きだ。
 監督は、謎の多いウディ・アレンだ。彼自身に罪は無いが、昔の彼の監督作を好きという私よりも年上の日本人は、決まって外見が悪く、では、どういう所がいいか、と言うのを説明出来ない。だから、謎の存在だ。
 だけど、彼は、バルセロナが好きで敬愛していて、この脚本を書き始めた頃から、バルセロナをキャラクターの一人にした様な物語にしようと考えていたと言う。なんて趣味がいいのだろう。本当に素敵なキャラクターの一人に仕上がっていて、すぐにでも、またバルセロナに行きたくなる。余談ですが、私が世界一美しい公園だと思っている、シウタデラ公園もこの街に在ります。
 アメリカに住むクリスティーナは、友人ヴィッキーと二人で、夏の休暇にバルセロナを訪れる。ヴィッキーが堅実なタイプで婚約者が既にいるのに対して、クリスティーナは、情熱的な恋を求め、自由を愛す。と言えば聞こえがいいが、自分の求めていないモノは何か分かるのに、自分が求めているモノが何なのかが分かっていない。
 ガウディの建築等、二人は観光を思う存分に楽しむ日々の中、ある日、画家のファン・アントニオと出会う。ワイルドな魅力たっぷりの彼は、ドロ沼と化した前妻との離婚騒動に終止符を打ったばかりだった。彼は二人に提案を持ちかける。郊外のオビエトという所で週末を過ごそう。街を案内する。食事とワインを楽しみ、セックスをしよう。
 危ない誘いである。ところが、この映画の中では、魅力的に感じられる。全編通して演技力や演出力の凄さにまいってしまうが、まずこのシーンでそれを思った。
 この三人の関係はここでは書かないけれど、実は、ファン・アントニオ、別れた妻が忘れられない。どころか、今でも強烈に愛している。その元妻のマリア・エレーナが自殺未遂をしたという知らせに、彼は病院に駆け込む。マリアを演じるのは、ペネロペ・クルスだ。彼女は本作でアカデミー賞助演女優賞を受賞した。マリア・エレーナという女性を是非、知ってみて下さい。必見です。英語とスペイン語の使い分けも面白いし、恋をした事のある人全てを幸福にする映画だ。

6月27日(土)〜ロードショー

(写真協力:CINEMA EGG 『それでも恋するバルセロナ』サントラCD)

(原題訳:"ヴィッキーとクリスティーナとバルセロナ" または、

"ヴィッキー・クリスティーナ・バルセロナ"という一人の人名をも意味する。)

(まるで68年米国作『ボブ&キャロル&テッド&アリス』の様な題名です!!・・・SEIJI IWAI)

更新日  2009年5月10日 最近作『サガン』
水島裕子

 『悲しみよ、こんにちは』で若くして文壇で成功を納めたフランソワーズ・サガンの一生を描いた作品だ。
 今年三月の映画祭の際、アメリカで写真家をしている実の息子が来日した。「見てみたい」と思っていたら、友人が彼のインタビュー風景を携帯で撮った映像を見せてくれた。良く似ている。映画では、母との関係は優良ではなかったようになつているが、そんな事はなかった。と、話していたそうだ。でも、恋愛小説を書く女性の作家とその息子の仲の良さを全面に出すと、どうしても物語として流れない気がする。と、サガンに限らず、私はずっと前からこんな疑問を抱えている。
 監督は、ディアーヌ・キュリス。『年下のひと』でジョルジュ・サンドとミュッセとの関係を描いた人だ。彼女の作品は好きなのも、そうで無いものもあるが、女性独自の視点は特に持っていない様に思う。
 ヒロイン、サガンを演じるのは、シルヴィ・テスチュー。『エディット・ピアフ』を始めとして、実に幅広い役を沢山こなしている女優で、今回の役は、時々、コワクなる位に気迫に満ちている。冒頭から、強烈な存在感を放っている。おまけに、特殊メイクも観た事がある中で一番リアルだ。そのうえ、お手伝いさん役の女性がいきなり馬の真似を始めるのも、あまりの巧みさに驚かされた。
 1954年、18歳の少女が書いた小説が世界中の話題をさらった。若者は絶賛し、大人は眉をひそめた。サガン、というのは、プルーストの『失われた時を求めて』の登場人物からとったペンネームだ。彼女は、栄誉ある批評家賞を受賞し、巨万の富を得た。ギャンブルにもツイていたし、あらゆる浪費をした。交通事故で瀕死の重傷になったのに、それでも死ななかった。しかし、それがいつまでも続くわけが無い。破綻していく度に傷ついていく彼女が痛々しい。
  悲しい、でも泣ける感じでは無い。サガンの小説は、私も二十代の時にデビュー作を読んで衝撃を受けた。そうなると、他の作品も読破しようと思うものだ。だいたい読んだ。けど、どれも好きにも嫌いにもなれなかった。日本語版だったから、訳者にもよるとは思う。が、犯罪で地位を失った芸能人や、一発屋と呼ばれるミュージシャンとは完全に違う悲しみが彼女にはある。他の役者が魅力的に見えなかったのは、サガン自身が孤独だったからだろうか。
6/6(土)〜渋谷BUNKAMURAル・シネマ他にて、全国順次ロードショー公開

(写真協力:CINEMA EGG 『サガン』他・最新仏映画&ファッション特集 雑誌フィガロ2009年5月号)

更新日  2009年5月10日 最近作『ミーシャ/ホロコーストと白い狼』

”裕子のお薦め作品”
水島裕子

『サガン』に続き、フラン映画祭試写の時にまとめて紹介した作品のひとつだが、是非オススメなので、公開に合わせて今度は単独で紹介します。
 映画祭の試写の時は、短い期間に沢山のフィルムを観たので、本作は、ただ「重い」という印象しか持てなかった。でも、観た翌日から少しずつ、なんて素晴らしい作品なのだろうと思い出しては好きになっていった。
 確かに重い。タイトルにもあるように、ホロコーストを扱っているから当然だ。ヨーロッパ映画の多くに出てくるこのテーマは、他の、例えばアジア人である私とかに対して排他的な印象が多かれ少なかれある。本作にはそれが無くて、等身大だ。観終わると、自分自身も疲れていて、何かを切り抜けた様な喪失感と爽快感が生まれてきた。
 1942年、ナチス・ドイツのユダヤ人狩りが激化するベルギーの首都ブリュッセル。8歳の少女ミーシャは両親と共に屋根裏部屋に隠れ暮らしていた。監禁され、楽しみも無い生活の中でも、ミーシャは明るく、両親の事が大好きだった。
 ところが、彼女が学校に行っている間に両親は一斉検挙で連行されてしまう。ミーシャは、母親から「もしものときは」と聞かされていた時の方法で、支援者の手助けのもと、郊外でベルギー人一家の子供として育てられることになる。ところが、ナチスの手がそこまで追って来るのは時間の問題だった。ついに家宅捜査員に捕まりそうになり、干し草に隠れたミーシャは逃げた。頼りになるのは、優しかった農場のおじいさんから貰った方位磁石だ。両親が連行された東へと向かう。
 薄着で、吹雪の山の中を進む。食べる物は無く、飢えた日々の中、生きていく為には想像を絶するモノまで口にした。もう動けない。挫けそうになったミーシャの前に現れたのは、白い狼。農場で仲良くしていた二匹の犬、パパ・イタとママ・リタにそっくりだった。
 これも実話が元なのだという。ミーシャ・デフォンスカの「少女ミーシャの旅」は、大ベストセラーになって、既に17カ国で翻訳されている。それに惚れ込んだ。数々のヒット作のプロデューサーであり、『女優マルキーズ』等の監督であるヴェラ・ベルモンが映像化した。俳優も動物もいいし、ここには、滅多に味わえない種の感動がある。

5/9(土)〜ミニシアター系にて、ロードショー公開されます。

更新日  2009年5月10日 最近作『グラン・トリノ』★★★☆ (★4つで満点)
松村清志
 

 78歳(5月末で79歳)にして監督・主演を兼務するというのは世界映画史に比類のない快挙である。クリント・イーストウッドはスゴイ人だ。本作で俳優としては引退という宣言をしただけに、ここでの主人公はこれまでのイースウッド的キャラクターの集大成の様に思える。
 『ミスティック・リバー』(03)のラストのパレードでのケヴィン・ベーコンの指鉄砲はほんの一瞬ながら強いインパクトを残したが、本作でのイーストウッドは繰り返し指鉄砲をしてみせる。何とも無鉄砲な爺さんなのだ。。
 本当ならあの時点で俳優として引退していてもおかしくなかった傑作『許されざる者』(93)から既に15年余り。『許されざる者』以降のイーストウッドは実年齢よりは若い役柄を演じ続けて来たが、本作では、ほぼ同年齢の様だ。イーストウッドの虚実のバランスを調和させたかの、イーストウッド的キャラクターがある飽和点に達したかの役柄である。そうした点ではジョン・ウェインの最後の主演作『ラスト・シューティスト』を連想させもするが、やや重く深刻なタッチであったウェインのそれとは違って本作はむしろ明るくユーモアがある。そこがいい。
 いくらでも重心をかけられる役柄だが、イーストウッドは軽く飄々と演じている。ビターではあっても爽やかと言ってもいい後味が残る。画面も『スペース・カウボーイ』(00)に匹敵する程明るい。ほぼ中高年以降の登場人物で占められていた『スペース・カウボーイ』に対して、本作ではティーン・エイジャーの若者との交流がある。10代にも観て欲しい映画だ。ジャッキー・チェンが『ベスト・キッド』(83)のリメイク作で、そのオリジナルでパット・モリタが演じた役柄を演じる企画があるそうだが、本作の成功にインスパイアされたのではあるまいか。
 ”ネタバレ”に触れない様に書いているつもりだが、宣伝葱句からおよそ予想出来る様な結末ではある。むろん曲者イーストウッドの事だからツイストがある。ロバート・B・パーカーの小説『初秋』を連想させるハードボイルドな奴でありながら、サムライの様な奴でもある爺さんをイーストウッドが好演している。
 それにしても、本作と『チェンジリング』とで僕の今年のベストは決まってしまった様に思える。いずれ改めて”ネタバレ・ビュー”で論じなければなるまい。

 俳優としてのイーストウッドにも、もう少し頑張って欲しいと思う。最高齢でのアカデミー主演男優賞だって狙えるのである。昨年末公開DVDで取り上げた『ザ・ヒットマン』のハリウッド・リメイクでの、アルツハイマーの殺し屋等、是非、イーストウッドに演じて欲しいと願う。

 エンド・クレジットに流れるテーマ・ソング”歌)グラン・トリノ”もとても良かった。

 今年の僕のグラン・プリは、作品・監督・主演の三位一体作『グラン・トリノ』に与えたい。

 丸の内ピカデリー他にて、全国ロードショー公開中
 

更新日  2009年4月26日 サイモン&ガーファンクル最後の来日コンサート

7月東京・大阪でのコンサート開催記念「卒業」主題歌 改訂版 訳詞

2009年4月最終週〜チケットぴあ他にて発売開始

真のメッセージを伝えたく、来日記念に際し、正しく改訂翻訳を致しました。

この解釈訂正翻訳を覚えて置かれると歌がとても良く味わえるはずです。

(注意)初レコード発売:日本コロンビア 英文○ 和文x

そしてCD発売:ソニーミュージック 英文x  和文x

従ってこの歌曲は日本コロンビア英文を訳し直したものです。

Main&End Title Song from "THE GRADUATE" as the song: "THE SOUND OF SILENCE"

映画「卒業」主題歌 ♪ ”サウンド・オブ・サイレンス” 改訂版 訳詞

歌曲:"口に出さぬ心の声" 直訳="沈黙に響く音"

-1-

こんにちは、暗闇さん、僕の旧友よ。僕は、また君と話しに来たんだ。来た訳を話そう、或る幻影を見るんだ。

僕が眠ている間に、種をまいて去っていったんだ。そして、その幻影は、僕の脳の中に姿を植え付けて、

未だに残像が離れないんだ。僕の中の、口に出さぬ心の声 は、沈黙の中に響いた。

-2-

途切れ無い夢の中の物語、僕は歩き続けた。丸石を敷き詰めた狭いストリート、 一つの街灯が照らす、ひときわ輝く

場所で、僕は自分の色彩をモノトーンの冷淡で湿気なる色彩世界へと裏返された。そのとき僕の眼はネオンの

眩しに突き刺されてしまったのだった。夜の光景は裂け、そして、自分の中の、口に出さぬ心の声(沈黙)に、触れた。

-3-

そして、裸電球の灯りで、そこの光景を僕は見た。10,000人以上の人々がそこに居るのを。

人々は、声無しに、会話している。人々は、聞ける耳無しに、聞き取っている。 人々は、決して交わらない声での、

歌を書いている。思い切って声にする者は誰も居ない。僕の中の、口に出さぬ心の声(沈黙)は、僕に僕を妨げさす。

-4-

"馬鹿者ども!"と僕は言った、"お前らは知らないのか、沈黙は癌が繁殖するのと同じなんだ、僕が君に

教えてあげるから、僕の言葉を聞きなさい。""僕が君に教えてあげるから、僕の両手を掴みなさい。"でも、僕の

言葉は聞こえない屋外の雨だれの様に流れ落ちてしまった。そして、沈黙という井戸の中に響き渡っただけだった。

-5-

そして、その人々はお辞儀をし、お祈りした。彼らの作ったネオンの神様に対して。 そして、灯りは輝き、

お告げは告げられた。言葉が浮かび、それは文章となって現れた。 そして、お告げの在りか、

"予言者の言葉は地下鉄の壁の上とアパートの入り口広間に書かれている"。そして神様が、僕の中の、

口に出さぬ心の声 に、囁いてくれた。(1968年当時出版の翻訳版に於ける解釈訂正の全文翻訳)

<訳詞> SEIJI IWAI (CINEMA EGG)シネマエッグ6周年記念


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  今後とも宜しくお願い致します。

ービーオン管理者 松村清志

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