「コーネル・ウールリッチ傑作短篇集 別巻 非常階段」
発行・白亜書房
訳者・稲葉明雄
定価・2000円+税
松村清志
最終巻である別巻はウールリッチ(=アイリッシュ)の翻訳では定評のあった稲葉明雄の名訳による7篇を収録。「幻の女」も
「暁の死線」も「黒衣の花嫁」もこの人の訳だが、レイモンド・チャンドラーなら清水俊二、イアン・フレミングなら井上一夫という
ほどには、訳者として作者とイコールで結ばれているわけではない。
だが、ウールリッチを深く愛し、その作品を日本に定着させる事に多大な貢献のあった人だけに、その業績を改めて振り返り後世に
伝えていく為の好企画となっている、といっていい。稲葉訳の魅力については門野集(かどの・しゅう)の「解説」にくわしいので、
僕がつけ加える事はない。
甘く切ない「ウールリッチ節」は稲葉の訳があったからこそ、多くの読者に愛されたのであろう。反面、「幻の女」を原書で読んだ
江戸川乱歩がのべた「淋しくてこわい文章……」という、その“こわさ”を少しやわらげてしまったのではないかという疑問も残りは
するのである。“こわさ”というのは、“シニカルさ”“醒めた視線”といいかえてもよいが、これまで僕が門野集の訳による5巻を
通じて感じていたのは、まさにそうした距離感であった。意外に冷たいタッチの作品が多い、といった印象を受けた。
しいていえば、やはり僕は稲葉訳の方が好きだ。もしくは、短篇なら門野訳でよいが、じっくりと読んで“酔う”“ひたる”という
長篇なら稲葉訳で楽しみたいと思う。
比較するなら稲葉訳が作者や作品世界にのめりこんだラブレターのような、詩人の文章だとしたら、門野訳は作者や作品世界から
一定の距離をおいたレポート、ジャーナリストの文章だとでもいえばいいか。稲葉訳には若者の感傷があり、門野訳には大人の理性が
ある、ともいえようか。
かつて僕も稲葉訳の「幻の女」「暁の死線」「黒衣の花嫁」には随分はまった。“彼も若く、僕も若かった……”
とまれ、本巻にはそんな稲葉訳による名品ばかりが収められているが中でも僕は「セントルイス・ブルース」「さらば、ニューヨーク」
「非常階段」が好きだ。「非常階段」は映画「窓」(49)の原作である。
巻末には“稲葉明雄訳のウールリッチ作品のすべて”のリストがそえられているので、これから稲葉訳のウールリッチをもっと味わって
みようと思う読者には大いに役立つであろう。