「監督 小津安二郎【増補決定版】」

 発行・筑摩書房
 著者・蓮實重彦
  定価・3800円+税
 
松村清志

 
  
 
 
 読むことはむつかしい。とりわけ蓮實を読むことはむつかしい。83年に刊行され画期的著作ともいわれた蓮實重彦による小津安二郎論
が生誕100年に合わせて新たに3章(129枚)を書き下ろした【増補決定版】として復活した。
 小津映画をもろもろの神話から解き放ち、外国の論者がしばし持ちいる〔俳句〕〔もののあわれ〕といった〔日本的〕風土からも解き
放ち、その現存する作品群を肯定してしまうこと。そうした過激な意志が本書を貫いている。
 禁欲主義的ではなく快楽主義的にといえばいいか。小津の魅力を引き算でなく足し算、いやいっそ掛け算として捉え直したという
べきか。
 小津の映画は豊かな映画である。ほとんどの論者による、「抑制」され「少ない」要素で成立し様々な映画技術が「使用されない」と
いった否定的言辞では解明しきれない、小津映画に接した時の豊かな幸福感と感動はいかにすれば言葉にしうるのか。本書はその果敢な
試みである。
 したがって、入門書として適切ではない。本書を読む前に小津の映画を1/3ぐらいは見ておくべきだし、佐藤忠男やドナルド・リチィ
といった他の小津研究の著書にも目を通しておいた方がよいだろう。蓮實はむろんそうした著者を読み小津作品をくり返し見ている
ことは文面に表われている。小津を排除と選別ではなく並置と共存として捉えるように、本書も幾多の小津研究の1冊として読まれる
べきであろう。
 だが、入門書として適切ではないと述べたが、巻末に収録されたカメラ番、原田雄春と女優、井上雪子へのインタビューは判りやすく
素晴らしい。このパートだけでも本書は買っておくべき価値がある。僕は以前に刊行された時にも読んでいるのだが、再読して本書は更
に面白くなった。新たに書き下ろしされたパートでは「秋刀魚の味」の岩下志麻がタオルを振り払う動作から彼女の心理を読むあたり
など、なるほどと感心し、すぐさまこの作品を再見したくなったし“表層批評”で知られる蓮實が“深層”もきっちり読んでいることを
証明してもいる。
 ただ、本書では以前の書物には存在していた「麦秋」の記念撮影のシーンへの論考が抜け落ちてしまっているのは何故なのか。蓮實の
側からのそれに対する説明は一切しるされてはいない。あの「麦秋」のクライマックスに言及した文章は同時に本書のクライマックス
でもあったと思ったのだが。
 ともあれ、本書は小津を神話から解き放ち豊かな快楽として捉え直した画期的書物でありながら、自らもうひとつの神話となって
しまったあたりに、批評の残酷さが生きられているのはいうまでもあるまい。


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