「明かりが消えて映画がはじまる」
発行・草思社
著者・ポーリン・ケイル
監修者・山田宏一
訳者・畑中佳樹・柴田元幸・斉藤英治・武藤康史
定価・2900円+税
松村清志
惜しくも2001年に他界した「この50年間で最も大きな影響を与えた」といわれるアメリカの女性映画評論家、ポーリン・ケイルの著書
の4冊めの翻訳である。1970年代に「ニューヨーカー」誌に連載した時評18本と長文の「ケーリー・グラント論」が収録されている。
大御所、山田宏一の監修のもと、畑中佳樹・柴田元幸・斉藤英治・武藤康史という50年代生まれで本書に収録された映画作品を青春
時代に同時代的にスクリーンで見た映画好きたちが訳出するという、まさにこれ以上望むべくもないほどのベスト・キャスティングに
よる日本語版である。訳文の判りやすさ、親しみ易さ、そして原著に対する愛情が伝わってくるという点で、これまでに出版された
ケイルの著作の日本語版の中ではベストであると断言したい。巻末の斉藤英治による「ポーリン・ケイル論」が又、いいのである。
これを読めば今まで彼女の文章を1度も読んだ事がなくとも、彼女がどんな評論家でどんな姿勢で映画に接し語っているのかが理解
出来る。初めて彼女の文章を読む方はまずこの「ポーリン・ケイル論」に目を通しておくのもいいかも知れない。
さて、本文である。巻頭の「ケーリー・グラント論」は日本語訳の本文だけで70ページ近くある長文でありながらも“評伝”的な部分
はごくわずかでほとんどが作品を通じての彼の魅力の描写と分析についやされている。見事である。日本では「大根」「顔だけ」と酷評
される事も多かったこの「何をやってもケーリー・グラント」の偉大なるワン・パターンのスターの、それゆえの素晴らしさ、その核心
を的確に語ってみせている。クラーク・ゲーブルや、かつてグラントのような役者に成りたかったと発言したというアンソニー・クイン
などと比較しながら、彼らの具体的なアプローチの違い、対女性におけるアクション、リアクションの違いにおいて、いかにグラントが
好ましいかを述べるあたりなど「なるほど」とうならせられる。女性は間違いなく共感出来るだろうし、男性としても女性心理の綾、
はたまたモテる秘訣が判ろうというものである。この「ケーリー・グラント論」だけでも、単なるスター論を越えて、女性心理学、
社交術、ナンパ術(?!)など色々と読みこなせて大いに参考になり、タメになるのである。いや、面白い。
この「ケーリー・グラント論」からも判るように、あるいは彼女の著作のほとんどの原題が性的なほのめかしのあるものである事から
も判るように、彼女にとって映画は研究の対象というよりも、ほとんど恋愛の対象であり官能の対象である。いつも期待に胸ときめかせ
て出かけるだけに失望も大きい。自分を満足させてくれなかった映画に対しては容赦はない。辛辣である。その辺の手厳しさも抗い
がたい魅力となっている。いかにも女性らしい、女性でなければ気づかないようなシャープな観点が随所にある。
後は本文をお読みいただきたいが、最後にひとつ。先に訳出された80年代映画の時評集2冊もそれぞれ絶妙の指使い舌使いをタンノウ
出来たが、やや慣れ親しんだ夫婦の間の行為のようなマンネリ感もあったのに対して、本書はまるで夜毎のデートに出かける娘の
ような、あるいは新妻のような初々しさと情熱が感じられる。間違いなくこれまでに訳出された時評集の中では最も熱い1冊である。
老若男女問わず必読、座右の書とも成り得るであろう。
ともかく、ポーリン・ケイルは面白い。読み応えがある。13冊あるという著書のうち、やっと1/3足らずが訳出されたばかりだ。
続けての訳出を望みたい。